ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

従者達の行方

 アルド達と分かれた八人は、『狐』の国にある港で足止めを喰らっていた。『狐』から改めて使いが送られると聞かされて一時間。こちらに向かってくる気のある魔人もおらず、フェリーテとディナント以外は、次第に苛立ちを募らせていた。

「…………暇ね」

「だが、移動するんはあまり良い行動とは言えぬ」

「知ってるわよ。だからこうしてヴァジュラの尻尾で遊んでるんでしょ」

「う……あまり、触らないでほしい」

 元々ジバル出身だった事もあって、二人は待つという行動に慣れていた。特にディナントは、会話した対象へ必然的に待ちを強いるので、本人がそれに弱い道理はなかった。この時間に最も苛立ちを募らせていたユーヴァンは、一度素が出てきたせいで出やすくなっていたのか、表面こそ押し黙ったままだが、その雰囲気は紛れもなくアルドに対する仕打ちに憤怒した彼だった。普段の愉快な彼であれば話を振って暇を潰せたのかもしれないが、今の彼には愉快さを欠片も持ち合わせていない。振るだけ時間の無駄で、そのせいで沈黙が尚重苦しくなっているとも言える。

 しかし、彼がそうなっているのは、単に苛立っているからとは思えない。その本性がどうかはさておいて、あの日を除いて彼が演じる事すら忘れて怒り狂った事など一度もない。それこそ只の苛立ちならば、ナイツ達にもっと経験がなければおかしい筈である。しかし、フェリーテも彼が本気で怒った所を見たのはあの時が最初。そして最後であってほしかった。

―――主様が、心配なんじゃな。

 気持ちは分からないでもない。この世界を救ったのは紛れもなくアルドだという事は、彼が帰還した事から自分も分かっている。生物であれば倒せない筈の『死』の執行者を打倒し、この世界に訪れたであろう終焉を彼が退けた。その終焉とやらは、恐らく彼自身の存在も懸かっていたかもしれないが。ともかく、彼は今までの世界を維持する事を選択した。この世界が、自分が裁かれる事を拒絶した。

 本来ならば、五大陸総出で祝福されなければいけない偉業である。明らかに身内補正が入っていると言われても、取り敢えず救われたレギ大陸は祝福するべきだ。そしてリスド大陸も。現在は戦争という形で大陸奪還を図っているが、最初からこうなる事が分かっていたのなら、レギ大陸を救った恩としてリスド大陸を魔人の国として対等に付き合わせるという方法も無くはなかったのかもしれない。それも一種の共存だ。アルドに対する反応を見る限り、魔人達は拒絶するだろうが。

 現に、それを選択しなくても魔人達はアルドを批難した。自分達に多少の危険が迫っただけで、文字通り死にもの狂いで戦ったアルドに罵詈雑言を浴びせかけた。あの場にフェリーテは居なかったが、『覚』及び『探考法』を使えば事情の把握など簡単な事だ。ユーヴァンはあの時本気で怒っていた。いや、怒っていたという話であればナイツ全員怒っていたが、あれだけ怒りを剥き出しにしていたのは彼だけだった。

 もう一度言おう。気持ちは分からないでもない。彼は不安なのだ。自分達が傍に居れば彼を護る事が出来るが、こうして別れた今となってはそれが出来ない。ジバルの人間達は違うといった所で、目にしなければ信じてはくれまい。彼に限った話ではないが、殆どのナイツは人間に不信感を抱いている。それもこれも、全てはあの時の対応が思わせた。

「しかし、遅いのう」

 全力で『覚』を使えば何が起きたかも把握出来る。しかし、この国の頭は自分の同年代、有り体に言えば親友だ。好き勝手に情報を探り回るのは良い行動とは言えない。時間が経過したと言っても、たかだか一時間だ。あちらにだって仕事はあるのだし、文句を言うのは筋違いというもの。

 フェリーテが歩き出すと、苛立った様子のルセルドラグがその袖を掴んだ。

「何じゃ?」

「何処へ行く」

「少しばかり、街並みを拝みたくなっての。大丈夫じゃ。使いの者が来たのならばすぐに戻れる。妾は仮にもここの出身じゃぞ」

 するりと『骸』の手を引き離すと、フェリーテは対極の方向へ転移。認識齟齬の修正をして、周囲の困惑を未然に防いでおく。港町だからというのもあるだろうが、随分と活気に溢れた町になった。昔は人間との闘争でそれ処では無かったから、一応の和解をした事で文明の発展に力が注がれたと考えるのが自然だ。それにしてもまだ数年。ジバルと五大陸では時間の刻み方が違うので、ジバル流に直せば十数年だが、よくそれだけの短期間で発展させた。未だに幻の国と呼ばれるまでに外国との交流を断っているにも拘らず、この盛況ぶりは他国にも劣らない。何がこの国をここまで進化させたのか? 自分が居た頃と変わった事なんて戦う必要が無くなったくらいで―――

 そうか。戦う必要が無くなったから、出生率が上がったのか。それと戦う必要がないから、産業に力を入れる事が出来る様になったのだろう。そう考えれば頷ける。よくよく人の流れを見てみれば、子連れの夫婦の姿が多い。

 気になって、街全体を俯瞰して見る。やはりだ。家屋から漏れる光が宵闇を温かく照らしあげている。夜にしてはやけに明るいと思っていたが、ここ自体の人口密度も上昇した様だ。かつては完全な廃村もちらほら見掛けた為、こういった事態は素直に嬉しい。増えすぎるとそれはそれで困る事はあるが、その時はその時だろうし、何なら今すぐにでも出来る事がある。頭でもないフェリーテが考えても特に活用される事はないのだが。

―――本当に平和になったの。

 以前が平和では無かったとは思わない。が、魔人間でも妙な緊張感が走っていた時代だ。居心地が良いとは言えなかった。けれど今ならば明確に、自信を持って言える。平和になった。ここはとても居心地が良い。

 少し気を澄ましてみたが、従者はまだ来ていない様だ。フェリーテは街の外に出て、束の間の孤独を楽しむ。道を彩る花々も、茶屋でくつろぐ親子も、自分がアルドと出会う前には見られなかった光景だ。幻想と思っていた光景が目の前にあるのが嬉しくて、歩く彼女の顔は綻んでいた。

「貴様は、強者だな?」

「む?」

 松の木を通り過ぎた時、殺意の込められた声が背後から……正確には、木の背後から聞こえてきた。初対面にも拘らずぶつけられた殺意に思わず鉄扇を握りしめたが、それが振るわれる事は無かった。


 フェリーテが背後を振り向く頃には、既に彼女の両腕は切り離されていたのだから。


「む…………!」

 あわや首を斬られるという所で、軌道すら掴めなかった刀がようやく防がれる。それも妖術という形なき盾を持っていたからこそ出来た芸当だ。それが無かった場合、フェリーテは相手の顔を目視する事もなく首を断ち切られていた。

 首筋から、雅とは言い難い汗が噴き出る。躊躇なく体を斬られた事については何も言うまい。アルドもしてきた事だ。では何に驚いているって、声を掛けた瞬間まで、自分に存在を察知されなかった事である。殺気を剥き出しにしている現状から推察するに、目の前の二刀使いにその様な技術は無い筈なのだが。

「お主は……何者じゃ」

 顔は深編笠で隠されており、見る事は出来ない。『覚』のお陰でその問いは無意味に時間を消費する代物だが、勝機を見出す為にも、フェリーテは敢えて尋ねた。男は強引に妖術を突破しようと力んだが、こちらが濡闇の巫女とは気付いていないらしく、暫く無駄な努力は続いた。やがて不意打ち気味にもう一本の刀を薙いだが、それも防御され、ようやく男は口を開いた。

「……宮本武蔵之介と申す。貴様は」

「フェリーテ……またの名を舞姫大闇神。妖全ての始祖にして、『濡闇の巫女』とも呼ばれる存在じゃ」

「ほう……神、と来たか」

「そんな大層なものでもない。今の妾は器なだけで、神そのものではないのじゃから。それで、お主は何故妾に刃を向ける。妾が何かをしたというのか?」

 男の視線はフェリーテの一挙手一投足に注がれている。こちらがぴくりとでも動けば、今度こそ殺さんと斬りかかってくる事だろう。幸い、自分を狙っている今は他の通行人を狙うつもりなど無いらしく、脇さえ通ってくれれば、彼も通行人は見逃していた。

「貴様は強者である。強者が挑む理由を尋ねるのか? 敢えて言うならば、強者であるからだ」

「……妾の事を強者と言ってくれて感謝しよう、宮本武蔵之介とやら。しかしお主では、妾には勝てぬ」

「何―――?」

 男が反応出来る道理はない。彼の注意先、即ちフェリーテの身体はぴくりとも動いていないのだから。代わりに動いたのは、彼が切り落としたフェリーテの腕。それは視覚から身体を這い上って喉に噛みつくと、その剛力に物を言わせて、彼の喉を握り潰した。

「ゴォ…………!」

 深編笠で苦悶の表情が見えない事が残念だ。男が苦しんでいる内にフェリーテは腕を再生し、悠々と鉄扇を拾った。

「妾に刃を向けるのならば、人斬りのつもりでは来ない事じゃの。神をも斬り殺す気概がなければ、到底殺す事など出来んぞ」

 すれ違いざまに鉄扇を前頭に叩き付けて、フェリーテは何事も無かったように港町へと踵を返した。良心的な辻斬りで助かったと言うべきか、他の人が狙われていたらまた違った結果になっていただろう。彼の喉を潰した腕はもう自分の腕ではないので、後にあれを煮ようが焼こうがこちらに痛みはない。どうか自分の代わりに、あれを使って鬱憤を晴らしてほしい。

 喉を確実に潰したので、それ以前にまともな呼吸が出来るか怪しいが、あの男ならば生きているだろう。殺すに値しない強さだったので、一応加減はしたつもりだ。

 それにしても。

―――久々に腕を斬られたの。主様以外に斬られたのは初めてじゃな。

 新しく作られた腕を懐かしそうに眺める。あの時の殺し合いこそ彼との縁。それを思い出させてくれた彼には、少し感謝しなければならないようだ。

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