ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

再生の輪廻

 奥にある祠こそ、それの証明。ここは城に偽装した社である。何故そんな事をするかと言われれば、この国の宗教は『蛟』を唯一神として崇めているからだ。ここは民衆にとっては王様と同じくらいに大事にしなければならない場所であり、更に崇め奉られる『蛟』が実際にこの国の頭である以上、この城もとい社の大切さは、通常のそれとは比較にすらならない。だから社を守る為にわざわざ立派な城壁や城まで作って、更には妖術を城門に掛けて、彼女が会いたくないと思った人物を弾く事が出来る様になっている。何処にも階段がないのを見れば分かるが、数十階はある様に見える外面的構造は偽装である。

 本体は奥にあるその祠だけ。それとたったいま潜ったばかりの、取って付けたような鳥居である。社を守る為に社そのものが少々杜撰になってしまっては、結局侵攻対象への侮辱になると思うのだが、目の前の女性はそんな細かい事を気にしない。所詮は国を纏める為の宗教だ。道理だ倫理だ、やれ侮辱だ。そんな事は本人が気にしなければいいのである。実際、気にしていない訳だし。

「いえ。今回ジバルに舞い戻ってきたのも、『蛟』様にとあるお願いをしに来たが為でございます。その様な立場にありながら手間を掛けさせるのは、申し訳ないですから」

 『蛟』の魔人、エルゴード。しわだらけの肌に似つかわしくなく、その白髪は白髪というにはあまりにも綺麗で、曲がりなりにも彼女が魔人である事を実感させてくれる。フェリーテの同年代という事だが、色合い的に彼女とは全く正反対の魔人である。

「別に、気にしなくていいんだよ坊や。坊やは儂より年上なんだから」

 彼女に『覚』はない。にも拘らず、彼女は全てを見通している。何処の世界にも残っていない、当事者以外は知る事の出来ない世界を、彼女は感じ取っていた。アルドと自分を見て、こちらの方が年上であると言える時点でそうだとしか考えられない。ドロシアと過ごしたあの日々は、未だ誰にも漏らした事が無いのだから。 

「…………いえ。あそこに居た年数を数えるのは、少し違うかと」

「そうか? じゃあ早速用件を聞こうか……とその前に、少し待って欲しい」

「どうかしたか?」

「坊やを見ていたら思い出すんだよ。初恋をした時もこんな気分だったかなってね。さあ、か弱い老婆に擬態するのは終わりだ。これは威厳を出す為の面会用、『其方』にはこちらの姿で対応した方が良いだろう」

 寿命を誤魔化す為に、見た目だけを若く保っている事は数多くあるが、威厳を出す為にわざと年を取る者は中々居ないだろう。フェリーテという例を知っている以上、偽物の姿である事をアルドは見抜いていた。魔人は人間と違って老化が異常に遅い。彼女と同年代ならば、必然的に彼女と同じくらいの容姿をしている筈である。キリーヤの様にハーフという事もなく、純然たる魔人ならば猶更だ。

 だらしなく崩れていた巫女服を締める。忽ち皺だらけの肌は傷一つ見えない綺麗な肌へと変わり、その変化が乏しくなった頃、何処からか切れ目を入れた彼女が己の皮を脱ぐと、その中には自然のままを極めた艶やかな白髪が見え、くたびれていた身体は瞬間的に瑞々しさを取り戻した。この時点でお分かりになっただろうが、彼女は『脱皮』出来る。奇妙な事に、アルドは脱皮出来る魔人をもう一人知っている。

 そう、メグナ。エルゴード―――かつての名をエイネ。頭となった事で名前を変えただけで、彼女の本当の名前である―――と彼女は、かなり似た種族なのだ。

 ジバルにのみ適応される話になるが、『蛟』とは水神。そして水神として、『白蛇』は祀られる傾向にあった。エイネが脱皮出来るのはそういう訳がある。

「久しぶり……だな」

 『蛟』の魔人エイネ。またの名を『輪廻の巫女』。幾度の傷を負えども皮を脱いで元通り。時間にすらも抗って、尚も生き続ける魔人。執行者やアルドと言った例外を除けば、不老不死を天然で有しているのは彼女くらいのものである。フェリーテは、死を誤魔化す事は出来ても、死なない訳ではない。

「敬語の方が慣れているとでも言うつもりか? 残念だが、儂はこの姿で其方と相対している方が好ましい。それで、用件を聞こうか」

「助けてくれ」

 あらゆる言葉を見通す彼女に、余計な言葉は必要ないと思ったが故の行動だった。エイネはじっくりとアルドの双眸を覗き込み、全ての事情を把握した様に頷いた。

「…………まず。其方を労おう。此度は世界の救世ご苦労であった。またも、儂達は救われたのだな」

「いや、私はむしろ、世界を停滞させてしまった。私が居たから、五大陸は渾沌を極めた。私が居たから執行者が来た。私が居たから……皆、不幸になった」

「……やれやれ。本当は分かっているのではないのか? 其方の周りに居る者達がそれを許さなかった。其方もそれを受け入れた。違うか?」

「違わない。けれど、分かっていても納得できない事はあるんだ。私が全ての災いの火種であった事は事実なんだから」

 こればかりは気持ちの問題であった。己の過ちを、飽くまで過去のものとして記憶し前を向くか。それとも過ちを永遠のものとして贖罪し続けるか。ここまで来れば、最早そういう問題。そしてアルドはこれまでずっと、後者を取り続けてきた。そのせいで過去に心を蝕まれ続けて、己が生来より悪である事の自覚から苦悩し続けた。誰が良いとか悪いとか、今は関係ない。結局のところ、善悪を判断するのは自分であり、自分の最大の理解者もまた自分なのだから。

 エイネは暫く様子見の姿勢を取っていたが、やがてのそのそと膝立ちでアルドへと近づき、優しくその頭を撫でた。

 まるで小さな過ちに心を病ませる我が子を、慰める様に。

「……こればかりは、儂ではどうしようもない。儂に出来る事は精々、こうして其方を慰める事だけ。よく頑張った……どんな選択だったとしても、其方の選択はきっと正しかった。自信を持て、其方は良い男児だ」

「…………どうやって自信をつければいい」

「凡俗ならば数を、非凡無き事への自覚には自信を。其方は十分数をこなした。後はもうそれだけで、道行く女性が一度振り返ってしまう程の男へと成長するだろう。儂が言っているのだからそれこそ自信を持て。神様にお墨付きをもらうなど、早々ある事ではないぞ?」

 ひとしきり頭を撫でられると、何だか凄く恥ずかしくなってきて、アルドが一歩退く。顔を真っ赤にそんな行動を取ったこちらに微笑みかけながら、『蛟』話を本題へと自ら引っ張る。

「しかしながら、儂は恐らく行けそうもないぞ。だからその誘いは、丁重に断らせていただく」

「理由を聞いてもいいか?」

「儂が行った後、そして帰ってくるまでの間、ここを誰に統治させるというのか。その様子だと、どうやら『狐』も誘うみたいだが、奴も十中八九同じ様に断ってくるであろうな。何せ儂達には後継ぎがいない」

 後継者問題は、身分の高い者にはついて回る問題だ。どっちみち五大陸を奪還できればアルドは用済みなので稀有な例としても、これからも国を治める事になる彼女達には避けては通れぬ問題。更に言えば、『輪廻の巫女』であるエイネはその特性の反動からか、異常なくらいに子供が出来にくい体質なので、それも拍車を掛けていると言っても良いだろう。

 奇跡的に誰も死んでいないので忘れがちだが、カテドラル・ナイツは常に死と共にある。仮に死んでしまった場合の策ぐらいは講じておかねば国が荒れるだろうというのは、馬鹿でも立てられる予測だ。レギ大陸の様な状態が意図的に発生する訳でもないから尚見過ごせない。

「其方がこの場で孕むまでまぐわってくれるというのならば話は別だが、そういう訳でもあるまい? ならば儂は行けそうもない。申し訳ないな。他に心当たりはあるのか?」

「無い事は無い。『鼬』と『虎』は候補に入れているが、アイツ等もアイツ等で家の当主だ。特に『鼬』は、最近子供が生まれていて育児に追われていると聞く。『虎』は住居を転々としているから場所を把握出来ないし、あまり探したくはないな。そもそも私がお前達を最初に選んだのだって、確実に一定の場所に居ると分かっていたからだ」

 人体における頭部が首から離れられない様に、国の頭である二人は、どう頑張ったって最重要敬語対象であり、大層な代物の中に潜むしかない。言い方は非常に悪いものの、居場所の分からない『虎』と比べれば幾分マシである。ここ最近は平和な様だから、『鼬』よりも忙しいという事も中々無いだろう。そんな理由から、アルドは二人を真っ先に選んだのである。

「成程。確かにそれでは、無理やもしれぬな……………………うむ。お主の意思も汲み取って、ここは一つ勝負をしようではないか」

「勝負?」

 この手の勝負は好きじゃない。精神が摩耗して気が気じゃなくなってくるのだ。そんな苦労すらも見通しているに違いないのだが、エイネは悪戯っぽく笑い、裏口を開けた。

「この裏に温泉があるのは其方も知っている筈。そこで其方が気絶しなければ、儂はどうにかして其方についていこう。どうだ?」

 最高に分の悪い勝負である事を、年に反比例して初々しい男性は理解していた。



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