ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

眠る前の一時



 温泉に入って、かくれんぼをして、踊って、歌って、あまりにも似つかわしくない楽しい一日を過ごした。五大陸に居た頃では想像もつかない程の楽しさ、賑やかさ。ここにずっと居られたらと思う反面、自分が居れば厄介事に巻き込んでしまうからと、二度と足を運びたくない場所でもあった。有り体に言って、幸せだった。こんな幸福にずっと身を浸していられたらと思った。

 横で眠る二人の少女の顔を見る。ドロシアに抱かれる形で眠るダルノアは、奴隷として地下牢に閉じ込められていた時よりもずっと、安らかに眠っていた。こういった安穏こそ、この少女に何よりも必要な要素。恐らく多くの子供が浸っているモノで、彼女だけが浸れていない絶対の癒し。それを秩序から解放された少女が与えているというのは、絶対の孤独者が何の変哲もない少女に与えているというのは皮肉なモノだ。何が滑稽って、これをした所で絶対の孤独者は何も受け取れないという事。同性とはいえダルノアに触れるようになっているのは進歩だが、それで温かみを感じるかどうかというのはまた別の話。それに彼女には、最終的に全ての人間に分け隔てなく触れる様になって欲しい。この程度で進歩だなんだと騒いでも全くの無意味だ。結局、人間ではない彼女が人間に近づくには、弛まぬ努力が必要である。

「…………しぇんしぇ……」

 人間の秩序を受け入れている今は、ドロシアも眠気を感じるし空腹も感じる。寝息を立てておきながら実は一睡もしていないという事はなく、今ならば彼女に何をしても気付かれない。頭を撫でるくらいであれば、まずこのままの状態が維持される。試しに頭を撫でてみると、この世のモノとは思えない位滑らかで柔らかな髪が触れて、思わずこちらの方が硬直してしまう。触り慣れている筈なのに驚いたのは、夜に無防備な女性へ触るという破廉恥な行動に、自覚があったからに違いない。自分もいい加減、女性に慣れなければ。

 仮にも魔人を率いる王が女性に全く慣れないとはお笑いである。自分と同じ状態にあるのはルセルドラグだけなので、早い所自分も移動したいのだが、そうは問屋が卸さない。剣に全てを捧げた人生を今更捻じ曲げようなんて都合が良すぎる。只でさえ才能の無い道を努力で極めたのだ。最早他の道に捧げられる力が残っている筈はなく、ともすれば女性には生涯慣れないという結論が待ち受けている。

 だが、それは卑怯だ。何もせずに苦手なままで、力は残っていないからと苦手を放置するのは、頭の狂った逃げ腰の者がやる行為だ。自分の為でしかないのならば話は変わってくるが、アルドはそうではない。自分を好いてくれる者が居るのだ、全く幸運な事に。大半の魔人や人間からは根も葉もない噂、些細な失敗で非難される中、ごく少数の者達だけは自分を好いてくれるのだ。その者達の為にも、アルドは横暴になれない。それは彼女達への失礼に当たる。彼らへの失礼に当たる。何処までも他人主義だからこそ、他人が迷惑するというのならば、アルドは努力しなければならない。アルド・クウィンツという英雄はそんな状態で日々を生きており、だからこそ百万人斬りも達成出来た。女性への慣れもこれと同じで、自分を好きで居てくれる者の為には、その思いを全て受け止められるくらいには慣れなければならない。極論的にはなるが、女性に触るか否かという時点で恥ずかしがっていては、初夜の時には悶絶死の末路を辿る事になる。それは嫌だ。それこそ何よりも恥ずかしい。

 この一瞬でそれを直せるかは微妙だが、所詮慣らすだけだ。慣れとは回数であり、決して才能では無い。アルドの手が髪から下りると、続いてドロシアの頬を触った。掴んだり離したりすると、餅の様な感覚が触覚を伝わってきて面白い。

 フニフニ、フニフニ、フニフニ。

 大分慣れてきた。慣れてきた筈。キスをしろと言われたら取り乱す自信があるが、これで彼女の顔を触る事になった際でも、大丈夫だろう。環境が整わなくたって、行けるだろう。その筈だ。それより下はダルノアを抱いているので触れないが、もとより触る気は無い。胸なんぞ触った日には悶絶死する自信がある。己の罪に耐えきれなくて失踪する自信がある。無理やり触らされたとかであればまだしも、自分から触りに行くとなると、どうしても背徳感を感じてしまって手が止まる。やはり頬が限界だ。段々気持ち良くなってきたので、まだ触る。

 フニフニフニフニフニフニフニフニ。

 やはり面白い。何だろう、この何とも言えない気持ち良さ。まるで自分には一生女性の頬をフニフニと押すだけの人生がお似合いと言わんばかりだ。今までが今まで、こんな事をする暇すら無かったのは事実だが、これだけの人生がお似合いとは、流石に幾ら何でも不遇過ぎる。だけれども今はこれが限界だ、今はこの現状に甘んじるしかないのだ。

 ダルノアは異性として意識していないので、何処を触っても……流石に、恥部を触るのは本人の観点から問題があるが……大丈夫なので練習にならない。度胸と現実的な問題から、今はどうやったって彼女の頬を触るくらいしか出来ないのである。

 今までとは一転して、フェリーテが居なくて良かったと思う。もしもここに彼女が居たら、どれだけ弄られた事か。心も読まれるから二重で恥ずかしい。メグナであれば、練習として彼女の蛇となっている部分を触れるので幸運だが、フェリーテだけはそんな少しのお得すら無い。『妖』とはいえ、今は人型を完璧に保っている。もしも彼女が居たら、こんな一刻さえもある種の修羅場となっていたに違いない。自分の精神は穏やかではなくなっていた事だろう。

 起きられるとややこしいので、そろそろやめておく。明日には『蛟』の国へ南下しなければならないのだ。自分もさっさと寝なければ寝坊してしまう。いい加減にナイツの顔も恋しくなってきた頃合いなので、そろそろ寝た方がいいのだろうが。気になる事はまだある。

 ジバルを訪れた目的としては、慰安旅行云々を抜きに、『蛟』と『狐』を戦力として確保しに来た訳だが、果たして一国の主である二人が国を放棄してまでついてきてくれるか、という事だ。面会できる人物はアルドだけだが、それでも自分の頼みが通るとは限らない。先程の天下無双の件が、もしも魔人の国でも騒ぎとなっていた場合、二人は同行を拒否する可能性がある。自国を優先するのは当然なので文句は付けないが、そうなると自分は、二人になり替わる二人を連れていく必要が生まれる。

 これ以上女性が増えると胸中穏やかではなくなるので男性が欲しい所だが、もしもそうなったのなら我儘は言っていられない。女性でも男性でもとにかく連れて行かなければ。あまり『狐』と『蛟』の国には詳しくないのだが、幸運な事に候補は居る。彼等を当たってみればいいだろう。これで悩みは解決だ。後は眠るだけ…………と、まだあった。

 天下無双の男とやらが現れた場合だ。勿論戦うが、それだけで事が済むとは到底思えない。今までの経験から言って、何かしらの大きな事件を引っ張ってくるに決まっている。現にメグナとは、彼女を直接探し出したわけでは無く、ほんの小さな事をやっていた最中に出会った。自分で言うと悲しくなるが、自分が動いていて大きな何かが動き出さなかった事がない。全面戦争然り、世界争奪戦然り、エヌメラ襲撃然り。

 それを思うと夜も不安で眠れない。いっそ、眠らない方がいいんじゃないかと思っている。エヌメラから呪いを引き継いだ以上、その気になれば眠らずとも何の支障もないが、眠れるのならばそれに越した事はない。気分的な問題が若干違う。

 やはり眠るべきかと思い直し、アルドは布団を被り直した。夢の中にも安息は無いが、せめて寝坊しない程度の悪夢を期待する。

「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く