ワルフラーン ~廃れし神話
喧騒の宴
夜になれば星も綺麗で、その気になれば実に風雅な一日を過ごす事も可能だが、やはり何と言っても、宴会場で皆と騒げば、食事も何割か増しで美味しい。連れている二人の少女の為にも、アルドはその選択肢を取らない訳にはいかなかった。
質素な旅館の宴会場と言っても、べらぼうに狭い訳ではない。二〇〇畳程の広さで、ちょっとした舞台はある。あのかくれんぼが終わってからは追加で増えたが、それでも全然満員ではない。アルドの隣には、先程女湯で叩きのめされた男が、沈んだ雰囲気で座っていた。
「まあ、落ち着けよ。お前のお陰で見つけられたんだ。お前のお陰で、女性達の卑劣な策を殺す事が出来たんだ」
「……うむ。ではアルド、今日は付き合ってくれるな? 俺の酒飲みに」
「まあ、こうして出会ったのも何かの縁だ。私で良ければ付き合おう」
ドロシア達も同じように交流が深まったのか、女性達で集まって食事を摂っていた。ダルノアは少しだけ人見知りをした様だが、それも他の女性に誘われる形で、輪の中へと入っていた。気になるのは、積極的なドロシアが未だに肉体的接触を果たせていない事だが、ゆっくり慣れていけばいい。何十万年と過ごした間、彼女の隣には自分しか居なかった。たった数日程度の付き合いでその人見知りが解消される訳が無い。ゆっくり、ゆっくり。
「そう言えば貴様は、まだこの町に滞在する気なのか?」
「いいや、祭りの日になるまでは、戻ってこないつもりだ。今日一日をここで過ごしたら、『蛟』の国の方へ南下するつもりだ。ちょっとした用があってな。次に会う事があるとすれば、祭りの日になるだろう」
「ふむ。であれば一つ教えておこう。実は今、ジバルを騒がせている問題がある。異邦人である貴様が知る由はないだろうが、実はな―――」
「天下無双」
水を差す形で割り込んできたのは、先程のハンベエと呼ばれる男性だった。御猪口片手にこちらへ来た辺り、既に軽く酔っている。性質的に合わないのか、高圧的な男は不機嫌そうに顔を顰めたが、ハンベエは気にも留めない。
「天下無双を名乗る男が、いるんでごじゃるな。名を宮本武蔵之介と云うらしいでらっしゃるが、霧代殿、ご存知か?」
「ミヤモトムサシノスケ? …………いや、知らないな」
ジバルの名前はどうも法則性が見出せなくて困る。本格的にジバルの言葉を勉強すれば見出せるのかもしれないが、そんな余裕は今は無い。では、どうしてダルノアが言葉を理解出来るかというと、『徳長』全体で行われた政策により、皆が五大陸で使われている言葉を少しばかり勉強しているからである。そのお蔭で、少なくともこの国では、日常会話程度は問題なくなっている。流石に魔術の詠唱となると、理解出来ないだろうが。
その理由を、果たして当人であるアルドが話す必要があるのだろうか。彼らは自分なりに異邦人を歓迎しようと思った為に、勉強しているのだ。
最も、それはこの国だけの話なので、『蛟』の国へ行くとなると、ダルノアはまともに話せなくなる。先程から我が愛弟子を省いているのは、彼女だけは世界から既に失われたとされる統一言語を用いているので、誰と何を話そうが問題なく会話を遂行できる。ともすればアルドよりも会話する事が出来るだろう。
「この国でも桐生殿が対処に当たっているとの事だが、何でもその男は、自分よりも強い者の前以外には現れぬらしいでらっしゃる。霧代殿はこの大陸の英雄、ひょっとすると出会うやもしれぬ。気を付けた方が良いでらっしゃろな」
「おい。俺が教えようとした情報を教えるな。せっかく借りを作ろうとしたのに、貴様のせいで台無しではないか!」
「そんな邪な感情を持ち合わせとるから水を差されるんでごじゃるな! ニュッフッフ!」
「やめろ二人共。しかし忠告有難う。合点がいったよ」
だからあの時、キリュウは鎧を着ていたのか。そのミヤモトムサシノスケという人間を探す為に。彼が鎧を着るくらいだから、その天下無双を名乗る男は何かしらの罪を犯したのだろう。陳腐な発想だが、夜分の百人斬りとか。その万倍以上の人数を斬り殺したアルドが勝てない道理はない……と、結果的な殺害人数だけで張り合うつもりは毛頭ないが、仮にも地上最強だ。肉体が限界を超えていようとも、出会えば敗北する訳にはいかない。それが宿命。どんな形であれ一度は頂点に立った男の矜持。
ふと、ドロシアと過ごした彼の地にて、自分に向けられた言葉を思い出す。
『縛られる事が悪い事だとは思いません。けれど、時には忘れてみるのも、大事な事だと思いますわよ?』
『私がどうのこうの言う価値は無いが、貴様の価値は、貴様だけが図れるものではない。よく考えてみろ。貴様には英雄という価値しか無いのか?』
あれがどういう事を言っているのか。今でも分からない。いや、分かってはいるのだが、どうにも実行出来そうにない。悲しい事に、アルドはこの道に破滅が待っていると知りながら、この道を行く事をやめられなくなっていた。執行者を倒してしまった時から、何よりも決定的だった。忠告の意味を知りつつもやめられない。それが何とももどかしくて、何とも苦しくて。ハッピーエンドを何よりも望んでいる筈の自分が、自らの手でそれを遠ざけているなんて。
もしも生きる事が許されるのなら。もう剣を取る事は無いだろう。この道はあまりにも険し過ぎた。大陸奪還が全て終わって、その時まで生きていたのなら、アルドはもう戦う事を放棄する。自分を大事に思ってくれる者の為に生きる事にする。『皇』に王剣を返還して、かつての記憶を全て忘れ去る。
せめて忠告に従う形を取るならば、これが最善だ。魔王となった頃は、まさかこんな思いを抱くなんて考えた事も無かったが、時代は流れ、事柄は変遷する。人も、考え方くらいは変わってしまうらしい。
舞台に目をやると、どういった理屈からか、ドロシアが踊りの様なものを披露していた。所謂ジバル舞踊という奴であり、アルドも一度フェリーテに見せてもらった事がある。別世界のジバルで習得してきたのか、その練度はかなりのモノだった。
こんな平和が、続いたらいいのに。
ジバルはそうだとしても、五大陸までこうなれば、言う事はない。英雄が存在する意味はないし、戦う理由もなくなる。この疲労が取れる事は無いが、そうなるのならば別に取れなくてもいい。耐えるだけの苦行なら、幾らでも自分で味わってきた。
「フフ、フフフ」
「霧代殿?」
「いや、申し訳ない。こういう穏やかな日々を過ごしたのは、久しぶりかもしれないと思ってな」
女性の扱い方に困る事もなく、民衆から罵倒される事もなく、どことなく剣呑な雰囲気になる事もなく。この平和こそ、アルドが求め続けたモノ。イティスに授けたいと思った、呑気な平和の一つ。
妹の事は心配だったが、今考えた所で自分に何が出来るというのか。仮に妹をこちら側へ連れてこれたとしても、先程の『天下無双』然り、危険な目に遭わせてしまう事に変わりはない。最悪、また執行者の様な敵と出会った時には、もうどうしようもなくなってしまう。あの戦いでドロシアは唯一ほぼ無傷でやり過ごしたが、彼女がそうなれた原因は、偏に執行者の攻撃が集中していなかったからだ。一対一という事であれば、彼女も勝てない。
飽くまで彼女は全ての秩序から解放されているだけであり、それは要するに執行者と同じ状態。強くはあっても決して無敵ではない。だから彼女に全てを任せれば大丈夫という甘えた考えは捨て去った方が良い。久しく彼女の負傷している姿を見ていないが、それは執行者の様に特殊な存在と相対していないからで。そういう特殊な存在の前では、幾ら彼女が自由と言っても傷はつくし死ぬ時は死ぬ。例えば……というより実際にあるが、『あらゆる秩序が適用されていながら、あらゆる秩序の中に納まらない場所』があった場合、彼女は普通の人間と大差なくなってしまう。
だからイティスは、クリヌスに任せるしかない。下手に自分の近くに置いても、かえって危険な目に遭わせるだけだ。それに、その状態でアルドが死んでしまった場合、最愛の妹には、一生ものの傷を負わせる事になる。
それだけは勘弁だ。
「先生、一緒に踊ろうよ!」
元来の性分か、放っておけば悲観的な方向へ自ずと思考が沈んでいく。そんなアルドを救ったのは、長年を共に過ごした愛弟子だった。彼女は間奏が掛かっている間に(魔術で三味線を再現している様だ)近寄ってきて、こちらへ手を差し伸べてくれるのだった。
「いや、私は……」
「いいからいいから。ね、一緒に踊ろうよ!」
ジバル舞踊にそんな分野があるかは怪しかったが、程なくしてアルドは知るのだった。舞踊という分野における曲の多さ、形式の多さ。あらゆる世界を見回ってきたからこそ、常識に囚われないドロシアの発想力というものを。
質素な旅館の宴会場と言っても、べらぼうに狭い訳ではない。二〇〇畳程の広さで、ちょっとした舞台はある。あのかくれんぼが終わってからは追加で増えたが、それでも全然満員ではない。アルドの隣には、先程女湯で叩きのめされた男が、沈んだ雰囲気で座っていた。
「まあ、落ち着けよ。お前のお陰で見つけられたんだ。お前のお陰で、女性達の卑劣な策を殺す事が出来たんだ」
「……うむ。ではアルド、今日は付き合ってくれるな? 俺の酒飲みに」
「まあ、こうして出会ったのも何かの縁だ。私で良ければ付き合おう」
ドロシア達も同じように交流が深まったのか、女性達で集まって食事を摂っていた。ダルノアは少しだけ人見知りをした様だが、それも他の女性に誘われる形で、輪の中へと入っていた。気になるのは、積極的なドロシアが未だに肉体的接触を果たせていない事だが、ゆっくり慣れていけばいい。何十万年と過ごした間、彼女の隣には自分しか居なかった。たった数日程度の付き合いでその人見知りが解消される訳が無い。ゆっくり、ゆっくり。
「そう言えば貴様は、まだこの町に滞在する気なのか?」
「いいや、祭りの日になるまでは、戻ってこないつもりだ。今日一日をここで過ごしたら、『蛟』の国の方へ南下するつもりだ。ちょっとした用があってな。次に会う事があるとすれば、祭りの日になるだろう」
「ふむ。であれば一つ教えておこう。実は今、ジバルを騒がせている問題がある。異邦人である貴様が知る由はないだろうが、実はな―――」
「天下無双」
水を差す形で割り込んできたのは、先程のハンベエと呼ばれる男性だった。御猪口片手にこちらへ来た辺り、既に軽く酔っている。性質的に合わないのか、高圧的な男は不機嫌そうに顔を顰めたが、ハンベエは気にも留めない。
「天下無双を名乗る男が、いるんでごじゃるな。名を宮本武蔵之介と云うらしいでらっしゃるが、霧代殿、ご存知か?」
「ミヤモトムサシノスケ? …………いや、知らないな」
ジバルの名前はどうも法則性が見出せなくて困る。本格的にジバルの言葉を勉強すれば見出せるのかもしれないが、そんな余裕は今は無い。では、どうしてダルノアが言葉を理解出来るかというと、『徳長』全体で行われた政策により、皆が五大陸で使われている言葉を少しばかり勉強しているからである。そのお蔭で、少なくともこの国では、日常会話程度は問題なくなっている。流石に魔術の詠唱となると、理解出来ないだろうが。
その理由を、果たして当人であるアルドが話す必要があるのだろうか。彼らは自分なりに異邦人を歓迎しようと思った為に、勉強しているのだ。
最も、それはこの国だけの話なので、『蛟』の国へ行くとなると、ダルノアはまともに話せなくなる。先程から我が愛弟子を省いているのは、彼女だけは世界から既に失われたとされる統一言語を用いているので、誰と何を話そうが問題なく会話を遂行できる。ともすればアルドよりも会話する事が出来るだろう。
「この国でも桐生殿が対処に当たっているとの事だが、何でもその男は、自分よりも強い者の前以外には現れぬらしいでらっしゃる。霧代殿はこの大陸の英雄、ひょっとすると出会うやもしれぬ。気を付けた方が良いでらっしゃろな」
「おい。俺が教えようとした情報を教えるな。せっかく借りを作ろうとしたのに、貴様のせいで台無しではないか!」
「そんな邪な感情を持ち合わせとるから水を差されるんでごじゃるな! ニュッフッフ!」
「やめろ二人共。しかし忠告有難う。合点がいったよ」
だからあの時、キリュウは鎧を着ていたのか。そのミヤモトムサシノスケという人間を探す為に。彼が鎧を着るくらいだから、その天下無双を名乗る男は何かしらの罪を犯したのだろう。陳腐な発想だが、夜分の百人斬りとか。その万倍以上の人数を斬り殺したアルドが勝てない道理はない……と、結果的な殺害人数だけで張り合うつもりは毛頭ないが、仮にも地上最強だ。肉体が限界を超えていようとも、出会えば敗北する訳にはいかない。それが宿命。どんな形であれ一度は頂点に立った男の矜持。
ふと、ドロシアと過ごした彼の地にて、自分に向けられた言葉を思い出す。
『縛られる事が悪い事だとは思いません。けれど、時には忘れてみるのも、大事な事だと思いますわよ?』
『私がどうのこうの言う価値は無いが、貴様の価値は、貴様だけが図れるものではない。よく考えてみろ。貴様には英雄という価値しか無いのか?』
あれがどういう事を言っているのか。今でも分からない。いや、分かってはいるのだが、どうにも実行出来そうにない。悲しい事に、アルドはこの道に破滅が待っていると知りながら、この道を行く事をやめられなくなっていた。執行者を倒してしまった時から、何よりも決定的だった。忠告の意味を知りつつもやめられない。それが何とももどかしくて、何とも苦しくて。ハッピーエンドを何よりも望んでいる筈の自分が、自らの手でそれを遠ざけているなんて。
もしも生きる事が許されるのなら。もう剣を取る事は無いだろう。この道はあまりにも険し過ぎた。大陸奪還が全て終わって、その時まで生きていたのなら、アルドはもう戦う事を放棄する。自分を大事に思ってくれる者の為に生きる事にする。『皇』に王剣を返還して、かつての記憶を全て忘れ去る。
せめて忠告に従う形を取るならば、これが最善だ。魔王となった頃は、まさかこんな思いを抱くなんて考えた事も無かったが、時代は流れ、事柄は変遷する。人も、考え方くらいは変わってしまうらしい。
舞台に目をやると、どういった理屈からか、ドロシアが踊りの様なものを披露していた。所謂ジバル舞踊という奴であり、アルドも一度フェリーテに見せてもらった事がある。別世界のジバルで習得してきたのか、その練度はかなりのモノだった。
こんな平和が、続いたらいいのに。
ジバルはそうだとしても、五大陸までこうなれば、言う事はない。英雄が存在する意味はないし、戦う理由もなくなる。この疲労が取れる事は無いが、そうなるのならば別に取れなくてもいい。耐えるだけの苦行なら、幾らでも自分で味わってきた。
「フフ、フフフ」
「霧代殿?」
「いや、申し訳ない。こういう穏やかな日々を過ごしたのは、久しぶりかもしれないと思ってな」
女性の扱い方に困る事もなく、民衆から罵倒される事もなく、どことなく剣呑な雰囲気になる事もなく。この平和こそ、アルドが求め続けたモノ。イティスに授けたいと思った、呑気な平和の一つ。
妹の事は心配だったが、今考えた所で自分に何が出来るというのか。仮に妹をこちら側へ連れてこれたとしても、先程の『天下無双』然り、危険な目に遭わせてしまう事に変わりはない。最悪、また執行者の様な敵と出会った時には、もうどうしようもなくなってしまう。あの戦いでドロシアは唯一ほぼ無傷でやり過ごしたが、彼女がそうなれた原因は、偏に執行者の攻撃が集中していなかったからだ。一対一という事であれば、彼女も勝てない。
飽くまで彼女は全ての秩序から解放されているだけであり、それは要するに執行者と同じ状態。強くはあっても決して無敵ではない。だから彼女に全てを任せれば大丈夫という甘えた考えは捨て去った方が良い。久しく彼女の負傷している姿を見ていないが、それは執行者の様に特殊な存在と相対していないからで。そういう特殊な存在の前では、幾ら彼女が自由と言っても傷はつくし死ぬ時は死ぬ。例えば……というより実際にあるが、『あらゆる秩序が適用されていながら、あらゆる秩序の中に納まらない場所』があった場合、彼女は普通の人間と大差なくなってしまう。
だからイティスは、クリヌスに任せるしかない。下手に自分の近くに置いても、かえって危険な目に遭わせるだけだ。それに、その状態でアルドが死んでしまった場合、最愛の妹には、一生ものの傷を負わせる事になる。
それだけは勘弁だ。
「先生、一緒に踊ろうよ!」
元来の性分か、放っておけば悲観的な方向へ自ずと思考が沈んでいく。そんなアルドを救ったのは、長年を共に過ごした愛弟子だった。彼女は間奏が掛かっている間に(魔術で三味線を再現している様だ)近寄ってきて、こちらへ手を差し伸べてくれるのだった。
「いや、私は……」
「いいからいいから。ね、一緒に踊ろうよ!」
ジバル舞踊にそんな分野があるかは怪しかったが、程なくしてアルドは知るのだった。舞踊という分野における曲の多さ、形式の多さ。あらゆる世界を見回ってきたからこそ、常識に囚われないドロシアの発想力というものを。
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