ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

遊びと言えども

 金比羅船々とは、お座敷遊びの一種である。まず二人が適当な大きさの台に向き合い、その真ん中に片手で掴める程度の『椀』を置く。その後に金比羅船々(これ自体は民謡である)に合わせて、交互に椀の上に手を乗せていく。この際、椀を掴んで取っても良い。取った場合、次は戻さなければいけない。また、台の上に椀が無ければ手を握り、有る際は開かなければならない。金比羅船々はこれの繰り返しで、どちらかが間違えたら勝負終了である。因みに、同じ速度では一生決着もつかないので、段々と曲は早くなる。
 どうしてアルドがこの遊びを知っているかについては、そう語る様な事は無い。こういった遊びは人間魔人に拘らず伝わっているものである。フェリーテともやった事あるし、ディナントともやった事がある。ただし、その時は賭けなどなく、純粋に遊戯として楽しむ為であった。決して、相手方の処女を賭けた事は一度もない。
 この賭けを、あまりにも美味しい賭けであると感じるのが、世間一般の男性であろう。負ければこんな魅力的な女性(因みに天神らしい)とまぐわう事が出来て、勝った場合は何でも言う事を聞いてくれるらしいから、普通の男性であれば、何を気負う訳でもなく遊びに興じるのだろう。
 普通の男性であれば。もう一度言おう、普通の男性であれば。
 先程のアルドであれば普通の男性と呼ぶに値したのかもしれないが、ワドフの存在に気が付いて、忽ち彼の性格は元に戻ってしまった。なので今は普通の男性ではない。女性に対して全く耐性を持たない、非常に情けない男性の間違いである。
 だが。だからこそ譲れない一線というモノがある。即ち、それは初体験と呼ばれる境界。それを踏み越えない、踏み込まないという一線。カテドラル・ナイツの女性陣の誰かとすら致していないのに、或いはドロシアとも致していないのに、こんな所で致すのはどうしても納得がいかない。
 勘違いしないでほしいが、ワドフが魅力的ではないとか、そういう事ではない。そして、性行為をしたくないという訳でもない。只、もしも子供を作るのならば、せめて五大陸奪還を終えた後にしたいのだ。後世の者に戦いを知ってほしくない。血みどろの時代を知ってほしくない。そういう思いがある。ワドフにもそれを説明すれば、ひょっとしたら回避出来たかもしれない。しかし、後の祭りと言う奴だ。
 あまりにも衝撃の発言だったものだから、言い忘れていた。そしてその状態のままに、勝負は始まってしまった。今更この勝負の内容に口を挟むのは無粋も無粋。動き出した勝負は止めようがない。
 ならば勝つしかあるまい。大丈夫だ、これでもお座敷遊びには自信がある。フェリーテには一度も勝った事が無いが、あれは『覚』による不正が絡んでいる。いや、わざわざ縛ってもらっても結局負けたが……
 その一方でディナントには勝ち越しているので、多分大丈夫だ。遊女などにと高を括るつもりはないが、ワドフに負ける筈がない。
「そう言えば、曲を弾く舞妓はどうするんだ?」
「あ、それなら準備出来てますから安心してください」
 傍を見ると、音もなく女性が数人待機していた。気配も全くないので気付かなかったが、これも芸を磨いた結果なのだろうか。他人の介入によって、彼女が口調を戻さないのには違和感を持ったが、何でも知り合いらしく、ワドフの拾われた事情まで知っている深い仲らしい。それ故、かつての口調に戻った所で、口を挟む者はいないとの事。
 この大陸でも友人が出来ているなんて。幸せそうで何よりだと感激したい所だが、今のアルドに他人を気遣う暇はない。取り敢えず、勝たなくては。
「こっんぴーらふーねふーね、おーいてーにほっかけて、しゅっらしゅっしゅしゅー。まーわれーばしっこくーはさんしゅうーなっかのごおり、ぞうーずさーん、こっんぴーらだいごーんげん。いちーどまーわれーば―――」
 最初はゆっくりだ。何の心配もない。このゲームにおいて重要な点とは、どれだけ複雑な動きをするかという事であり、ただ続けるだけならば、一生何もせずに手を開いて机に置いていればいいのだ。しかしこれはお座敷遊びとはいえ勝負は勝負。こちらも敢えて動きを変える事で、相手の集中を乱して、間違えを誘発させなければならない。言い換えれば、自分がどれだけ集中出来るか。そして相手の集中を何処までかき乱せるかという事である。この曲の速度では何をしても間違えないとは思うんで、今は様子見の最中だが。
「おーおせーとのーどかーに、かっすみーがたっなびっきゃ、しゅーらしゅっしゅしゅー。こっんぴーらまーいりーのふっなあっしゃかーるくーて、なーみまーにたっだよーうなっがしーだるー。いちーどまーわれーば―――」
 心なしか、段々早くなってきた。いや、心なしか等と自信なさげに言う必要はない。これはそもそもそういう遊びだ。早くなった所で何が悪い。この辺りからワドフも本気を出してきて、混乱してきたのはむしろこちらである。
 そう言えば、フェリーテが言っていた。遊女にしても舞妓にしても、客を楽しませる為に幼い頃から芸事を仕込まれてきた女性を打ち負かすのは相当難しい事らしい。客としてではなく、その手の芸事の指導者として、外部から連れてこられた際に、自分は叩きのめしたとも言っていたが、それこそ『覚』の恩恵を諸に受けていると思われる。ただし、彼女は『覚』抜きでも尋常ではない程この手の遊びに強いので、ひょっとしたら素の強さなのかもしれない。
 そんな彼女に勝っていれば自信を持てたかもしれないが、都合の良い話はそんなに存在しない。アルドはフェリーテに一度も勝った事が無い。
 何がややこしいって、椀を取った次の瞬間には戻さなければならず、自分でやるのならばともかく、された場合にややこしくなる事だ。無い時に握るか、それとも開くか。いや、無い時は握るのだけれど、椀がある時は開いたまま置いているせいで、ついつい開いたまま置いてしまう事があるのだ。椀が無いのに。言うまでもないが、一番失敗する所は、開くか閉じるか。この選択である。椀があるかどうかはこの選択肢を作り上げる為のものでしかない。椀のみを見れば取った瞬間、その次に置けばいいので、間違えるとしたらそれこそ初心者だ。達人とは言わぬまでも、経験者であるアルドがそんなミスをする筈がない。否、してはいけない。
 一度でも間違えようものならば、彼女の初めてを貰わなくてはいけない。無責任に女性の初体験を貰える程、アルドは男性として屑ではないのだ。彼女にした所業はそれに準ずるくらいのモノであるとはいえ、それとこれとは話が別。勝たない訳にはいかない。絶対に勝たなくてはいけない。
 せめて無効試合になればいいのに、ヒデアキは待てども待てども部屋に戻ってこない。戻ってきて、何かやらかせば有耶無耶に出来るというのに、どうなっているんだか。欠片たりとも気配を感じないので、彼に期待するだけ無駄なのかもしれない。やはりこの勝負には勝たなくてはならないのか。
 ここまで来て、アルドは積極的に椀を取っているが、ワドフが間違う様子が一つもない。曲は傍で弾いてくれているから歌う必要などないのに、呑気にも歌を歌ってくれている。その声がまた鈴を転がしているみたいで心地良い……ではなく、明らかにこちらを舐めている。かと思いきや、その手つきは明らかに舐めているとは思えず、ともすればこれが彼女の本気なのかと実感する。
 緊張感が欠片も存在しない。それもその筈、彼女は純粋に楽しんでいるのだ。勝てば彼女にとって何より望ましいし、負けても彼女に不利な事は何も無い(性格の悪い事に、こちらがその様な事を言う筈がないと思っているのだろう)。こちらはともかくとして、彼女に緊張感を持たせる様な事柄は何一つとして存在しない。
「アルドさん、中々やりますねッ」
「お前こそ、随分やったんじゃないか?」
「伊達に太夫目指して遊女やってませんからッ」
 会話しながら金比羅船々を続けるなんて、我ながら人間のする事ではない。オールワークであれば『極限思考』があるので可能だろうが、アルド自身でさえ、自分がどうしてそんな事を為し得ているのか、不思議でならなかった。
 まさか『蛟』が教えてくれた遊びが、こんな所で役立つとは思わなかった。頭の片隅に置いてある程度の記憶だったのに、それがまさか、別の意味でアルドの生死を分けるなんて。冷や汗の一つ二つ掻いたって、誰かに文句を言われる事は無いだろう。
「ぞーうずーのおっやまーのおっふだーをかっかげっりゃ、しゅーらしゅっしゅしゅー。さっかまっくどっとうーもいっつしーかしーずまーり、へっさーきーにはっためーくたーいりょーうばた。いちーどまーわれーば―――」
 強い。強すぎる。それ以前に曲の加速度が尋常じゃない。体感でおよそ二倍の速度に、アルドはついていくのがやっとという具合で、ワドフはまだまだ余裕しゃくしゃくと言った具合だった。最初から条件に出しているので当たり前だが、一体どれだけ自分に初めてを貰ってほしいのか。欲しくないと言えば嘘にはなるのだが、如何せん時機が悪すぎる。今はダルノアの事も残っているし、こんな所で快楽に耽っている場合では―――
 そうだ。ダルノアだ。彼女を探さないと。きっと無事である事は願いつつも、彼女を探さなければならないのだ。こんな所で……負ける訳にはいかないのだ!
 開。閉。開。閉。掴。置。開。開。開。閉。
 負けたくない負けたくない負けたくない。無限速に上がっていく音楽、段々と余裕が崩れていくワドフ、目を見開いて極限に集中するアルド。十五分以上も続くこの戦いは、未だ終わりの兆しを見せない。
「そんなに私の初めてを貰うの、嫌なんですか?」
 動揺。椀が無いのに、危うく手を開いたまま置く所だった。失敗を振り返っている暇はない。集中しなければ。
「そういう事ではない。ただ、今は時機が悪いだけだ。勿論、この勝負に負ければお前の望み通りにするが、この勝負、絶対に勝たせてもらう」
「遊女としての矜持に誓って、私も勝たなくてはなりません。お互いに、譲れませんね?」
「その通りだ」
 椀の音が耳に刷り込まれて、段々と頭がおかしくなってくる。現在は体感でおよそ三倍速。舞妓の方も、良くこの速さで弾けるものだ。
―――金比羅信仰を忘れちゃいけない。シュラシュシュシュ。長曾我部元親、神罰恐れて、逆さに建てたる賢木の門。いちどまわれば。
 遂にワドフも歌詞を口ずさむ事は無くなった。それくらいに早いし、緊迫している。一方のアルドは、予め歌詞を思い出しておく事でそれに合わせるという、合法的な反則技を使用した。思考であればどんなに早くたって追いつける。こちらの底力を舐めないでほしい。所謂童貞の男性は、思考力の分野において、他の追随を許さない。 
―――ジバル一社の大神様だよ、シュラシュシュシュ。心を清めて石段八丁。上れば桜の花吹雪。いちどまわれば。
 後は繰り返しだ。歌詞を総計するとこうなる。
 こんぴらふねふね、おいてにほかけて、しゅらしゅしゅしゅ。まわればしこくはさんしゅう、なかのごおり、ぞうずさん、こんぴらだいごんげん。いちどまわれば。
 おおせとのどかにかすみがたなびきゃ、しゅらしゅしゅしゅ。こんぴらまいりのふなあしゃとおくて、なみまにただようながしだる。いちどまわれば。
 ぞうずのおやまのおふだをかかげりゃ、しゅらしゅしゅしゅ。さかまくどとうもいつしかしずまり、へさきにはためくたいりょうばた。いちどまわれば。
 こんぴらしんこうをわすれちゃいけない、しゅらしゅしゅしゅ。ちょうそかべもとちかしんばつおそれて、さかさにたてたるさかきのもん。いちどまわれば。
 じばるいっしゃのおおがみさまだよ、しゅらしゅしゅしゅ。こころをきよめていしだんはっちょう。のぼればさくらのはなふぶき。いちどまわれば。
 絶対に勝つ。今回は勝つ。何が何でも勝つ。負けは許されない。それこそ一生消えない罪を背負うことになる。生涯後悔する事になる。
「調子に乗るなよ、ワドフ。ここからは……俺が主導権を握る!」





「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く