ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

忘れていたかった

 夜になっても、ダルノアが見つかる事は無かった。ここまで暗くなってしまうと、彼女に拘らず人を探すという事自体が難しくなる。そんな状況でも闇雲に走り回る程、アルドは感情に支配されていない。一旦、道場に戻る事にした。当てがないまま走り回れば、これに加えて余計に疲労まで付いてくるので、やる必要はない。走り回った所で、それは勝手に頑張っているだけだ。
 失意のままにアルドが道場へ戻ると、その前に、見覚えのある人間が立っていた。ゲンジではない。彼はそこまで若くないし、そこまで男前ではない。この同性でも一目見ずにはいられない男前は、アルドの知る限り一人しか居ない。
「ヒデアキ…………?」
 声を掛けると、やはりヒデアキだった。待ち合わせ云々という話をしたのは覚えているが、それがまさか道場前だったとは。城門前に行っていたらどうなっていた事やら。ダルノアが居なくならなければまずそちらに行っていたので、彼女が失踪したお蔭で待ち合わせを間違えずに済んだというのは、何とも皮肉な話である。
「余を待たせるとは良い度胸だな、霧代アルド。しかしきちんと待ち合わせに来た事は評価しよう。それでは準備は良いな? 余の前で否とは言わせんぞ」
「……いや、私は」
 断ろうとも思ったが、待って欲しい。別にこれは友人の付き合いで遊郭に行く訳ではないのだ。滞在の許可を下ろす条件として、自分は付き合わなくてはならないのだ。これに付き合わなければ、滞在の許可が下りない。よしんばダルノアを見つけたとしても、直ぐにこの大陸を出なければならない。幾ら彼とは友人であるからと言ったって、出来る事と出来ない事がある。彼自身にすら、変えられないものもある。彼と遊郭を共にする事で滞在の許可とする。その発言は、一国の主である以上、彼にすら変えられない発言だ。
 王様の言う事に二言があってはいけない。それでは国が揺らいでしまうから。アルドだってダルノアを探し続けるのが何よりだったが、先程も考えた通り、当てがないのに走り回っても、得られるのは収穫では無く疲労である。ならば今、アルドの取るべき行動は、彼の遊郭通いに付き合う以外に選択肢はない。元々アルドが選んだ選択肢だ。今更変えようたって遅すぎる。
「……分かった。行こう」
「うむ、そうでなくてはな!」
 誰かの為に何が出来て、その上で何をするべきかを考える事と、出来る事もしらないまま何かをする事は全然違う。探したって時間がひたすらに無駄なだけならば、今は彼女の無事を願い遊郭に行く他ない。
 大丈夫だ。彼女を信じよう。自分と別れた後も、彼女はカシルマに保護されるまでずっと生き延びてきたのだ。ならば今だってきっと無事である。そうだ、一旦、彼女の事は気にしないでおこう。気にしたってどうしようもないのだから。むしろ気にするべきはこの後……即ち。
 遊郭における振る舞いである筈だ。
















 自分の知る限りの知識で申し訳ないが、致し方ない事だとも割り切らせてもらいたい。遊郭なんて、行った事も無いのだ。知識として持っていても、実際にどうこうというのは、まるっきり知らない。
 その上で言わせてもらうが、遊郭の中では遊女に格というものがある。上から太夫、天神、鹿恋。そこから下が確か禿だったか。禿は遊女として指名出来ない。禿は先輩である遊女の身の回りの世話や手伝いをしているので、実質鹿恋が一番下か。いや、多分下はまだあるのだろうが、連れが連れだ。最低でも、指名する遊女は鹿恋以上である事は間違いない……というか。
「静雲をご指名しようか!」
「静雲、でございますね? 少々お待ちください」
 この男がお金の心配などする筈もないので、指名する遊女はどうせ太夫である。この界隈にまるで知識のないアルドには誰の事を言っているのか分からないが、徳長が店に入るや直ぐに指名するくらいだ。彼のお気に入りの遊女なのだろう。一体どんな女性なのかは楽しみ……では無くて。自分はどうすればいいのだろうか。
「な、なあ徳長。私は一体どうすれば……」
「その辺に楽になって座れ! 静雲は余のお気に入りの遊女でな。霧代アルドもきっと気に入ると思うぞ!」
「そういう事ではないんだがな…………」
 娼館と遊郭は厳密には違うが、かつての記憶が思い起こされる。自分一人が無視されて、上で同僚の騎士達がベッドを軋ませてまぐわっていた記憶が。特に意識はしていなかったが、アルドから男性という自覚が薄くなったのは、もしかするとあの出来事が関わっているのかもしれない。全部とは言わずとも、どれくらいかの割合は、確実に担っているだろう。あの時から自分は、きっと無意識にでも、自分には男性としての魅力がないのだと思うようになったのだ。事実とは言え、そんな風に思ってしまった事が全ての始まり。
 お蔭でアルドは女性に対する耐性が無くなり、遊郭に足を運んでも、どうすればいいか分からない。楽になって座れと言われたって、どの様に座れば良いのか分からない。楽とは何だ? どれくらい楽になればいい。分からない。分かる筈がない。剣に全てを捧げた筈の人生に、色などという不純物は無かったのだ。
「霧代! そこまで迷うならば余の横に座るが良い」
「い、いいのか?」
「見苦しくて見ていられぬ。それに、その方が見栄えが良かろう」
 見栄えとは一体。彼は何を気にしている? どうしてそんな事を気にする。やはりダルノアの消息を気にするよりも何よりも、この時が訪れた際にどうするべきかを考えるべきだった。彼女の消息がどうでも良いとは言わないが、無意味に走ったり、無意味に推察したりするよりはずっと有意義だった筈だ。
 これは大きな失敗である。そう言えばドロシアとも合流できていないが、ダルノアと比べるとまるで心配していないのは、彼女には『家』がある事を知っているからか。それに彼女は強い。今まで別世界を一人で渡り歩いていたのがその証拠だ。か弱い少女とは比べるべくもない事。だからアルドは、ある程度彼女の事を忘れられる。真面目な話、遊郭の件とダルノア失踪の件の二つを考えている今は、彼女の事なんてとてもじゃないが考えられない。考える余裕はない。そんな事をするまでもなく、既に思考はぐちゃぐちゃだ。
 かつてここまで疲弊した事があっただろうか。いや、無い。それくらいには、気が気じゃない。取り敢えず、何事もなく遊郭をやり過ごすとして、問題は失踪した少女である。彼女が今どうやって過ごしているのかと思うと、心が締め付けられる。
「どうかしたか、霧代アルド。まさか、緊張しているのか?」
「い、いや。そういう訳じゃないんだ」
 消え失せた少女に思いを馳せるアルドの顔を見て、ヒデアキは緊張していると捉えたらしい。慌てて否定したのだが、むしろそれが真実味を含ませてしまったらしく、何故か励まされる事になった。
「大丈夫だぞ、霧代。安心してくれて構わぬ。静雲と出会えば、お主の様な異邦人であっても安らぐ事が出来るであろう。だからそう……緊張するでない」
「いや、だから」
「ふむ……来た様だな」
 障子の方にヒデアキが目を向ける。入ってきたのは、見る者の思考を奪い取らん程の美貌に満ちた、それでいて非常に落ち着きのある女性だった。
 着物を着崩してきているからか、胸の谷間がこれでもかと見せつけられている。目のやり場に困るが、何よりも違和感を持ったのが、それだけ不埒な恰好をしておきながら、彼女の表情は真剣そのものであるという点である。それが、何だか落ち着きがある様に見えてきて、交錯する視線に、妙な安心感を覚えた。
 それはそれとして目に毒なので、思わず目を逸らす。
「ご指名おおきに。徳長はんにはいつもご贔屓にして頂いて、ほんま感謝しとります。もう一人の方は……初対面どすなぁ。名前は何て言うんどすか?」
「……き、霧代アルドだ」
「霧代アルド……ええ名前どすなぁ。うちん名前は静雲どす。覚えていただければ幸いどすなあ」
「こ、こちらこそ」
 ま、不味い。この時点で既に限界だ。アルドは今すぐにでも逃げ出したくなった。面識もない女性とはいえ、情けない姿を見せるのは男としての沽券に関わるというか、何と言うか。掌底に指が食い込むくらい握り込んで耐えかねるが、静雲の一言が、そんなアルドの努力を無に帰した。
「……そないに震えて。恥ずかしいんどすか? 霧代はんは可愛いどすなぁ。まるで子供みたいどす」
 心の中を制御していた何かの線が、ぷちんと音を立てて千切れた。 

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