ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

飽くなき千客万来

 誰に聞いても、ダルノアの情報を得られる筈もなく、アルドは段々と、最悪の方向へと事態を想定し始めた。戦争もなく、実に平穏なる時代を迎えたジバルでは非常に考えにくい事だが、いつの世にも平和を乱す輩というものは存在する。そういう輩はある意味当然の事ながら、煩悩に忠実であり、まさかあのような少女にまで欲情するとは非常に考えにくい(アジェンタの民であれば話も分かるが)ものの、やはりあり得ない以上は考えなければならない。きっと彼女は捕まったに違いない。まだ辱めは受けていないだろうが、それも時間の問題だ。仮想にして数十人。下劣な男の煩悩を、彼の少女はその矮躯で受け止めなければならない。
 まず服を剥がされる。数の暴力で無理やり抑えつけて、その裸身が露わになるまでをじっくりと楽しまれる。遊女でもあれば日常に過ぎない事でも、あの無垢な少女が、所謂前戯の直前にすら耐えられるかは定かではない。いや、定かではないというよりも、確実に耐えられないと言った方が幾らか近い。羞恥に顔を紅潮させ、それを悟られぬ様に両手で顔を覆うのだ。あの少女であればまずそうする。
 けれども、それが男達の嗜虐心にも似た煩悩を煽る。服を剥くのにはそう時間は掛からない筈なのに、そんな少女の反応が愛らしくて仕方がないものだから、男達はじっくりと時間をかける。織物の中から一本の糸を抜くみたいに、壊れかけた物体をこれ以上壊さない様に修復を試みるみたいに。
 やがて少女の未成熟な裸が露わになる。成熟した身体を知っていると思われる男達が逸れに興奮するか、それはこの際置いておこう。拉致されたのだと想定するならば、興奮するという事だ。それを本能的に悟った少女は、勿論犯されまいと抵抗する。抵抗するも、やはり力で抑え付けられる。どうしようもない。羞恥ばかりが先行して、遂に少女は失禁してしまう。そこには周囲以外にも、自分を只の穴としか見ていない男性に囲まれている恐怖もあるのだろう。
 ともあれ、情けなく少女は失禁する。それを見た男達は、尚も弄る価値を見出し、前戯にゆっくりと時間をかける事にする。最初から挿入しようなどという無粋で無知な輩は存在しない。何よりもまずは、解す事から始まる―――
「…………」
 これ以上の想像は、アルドには出来なかった。自分の事を想像力豊かなどと持ち上げる気は更々無いが、これより後の展開を想像するだけで、どうやって展開を転がしたって、気分が悪くなってくる。今更強姦なぞに心を痛める程、アルドの心は純粋ではないが、この大陸の善良さを信じたあの少女がそんな目に遭うという事が許容出来ない。
 年は離れているなんて言葉で容易に表せる程差は小さくないが、友人関係に年齢は関係ない。何歳であれ、友人は友人だ。お互いに空白の二年間を過ごした彼女は、少なくとも一方的には、友人であると思っている。それが迷惑であれなかれ、そう思っている以上、アルドは彼女を助けなければならない。
 友人としては当然の行動。
 義理なき義理こそ、友人との間に交わされた契り。動く理由はそれで十分だ。
 しかし、何処へ行く。ジバルにはそれなりに詳しいとは言ったって、全能の神でも無ければ彼女が何処へどう行くか、など分かる筈もない。推理に長けていれば話は別だろうが、そもそんな事が出来るというのならば、もう少し上手く生きる事が出来た。それが出来なかった時点で、アルドに名推理と呼べるような見世物じみた推理は出来ない。
 橋を渡ろうと歩き出す。とうに名の知れた身故か、すれ違う人々は挨拶してくれた。挨拶を返す。けれども、それだけ。誰も、つい先程までアルドが引き連れていた少女の事など知らないし、わざわざ出向いて教えに来る程の優しさも無い。
 向かい側から来ている民であるので、当然の事ではあるのだが。同じく肩を通り過ぎようとした、饅頭笠を被った男も、同じ様に挨拶を送るのだろう。
 ……抜刀。
 逆手で、それも極限まで身体を捻った居合。獲物は棒だが、その男はまるで刀の様に扱った。あまりに型から外れた攻撃には、大概、型など持ち合わせていないアルドでも反応には幾何の刹那を要した。驚くなどという無駄な反応こそしなかったが、虚空から刀を取り出し、防がざるを得なかった。
 見事、と。息を呑む音に混じって、そんな言葉が伝わってくる。男の剣戟は存外に強力だったらしく、異名持ちでもない刀では、鍔元から少し先、弱腰と呼ばれる部分で曲がってしまっていた。
 逆手という持ち方は初心者がやっていいモノではなく、刀として棒状の武器を扱うには色々な意味で避けるべき用法だが(脇差や短剣、という事であればその限りではないが)、それにしては腕力がおかしい。
 だが、折れる刀は粗刀、曲がる刀は良刀とも云う。ジバルにある刀の最大の特性は、折れず曲がらずよく切れる事。異名持ちではないにしても、こちらの価値観に当てはめれば上位には間違いなく入り込んでくる。
 男から距離を取った後、アルドは切っ先に力を込めて、曲がりを強引に直す。良く心鉄の通った刀ならば、ひび割れる事は無い。この間にも男が攻めてくるならば、それはそれで打つ手があったが、攻めてこなかったのは、腰に納められた王剣を警戒したのか。それは懸命な判断である。異名持ちの剣は、それこそ折れず曲がらずよく切れる。魔力を存分に吸収し、特異性を発現した武器は通常の武器とは明確に次元が異なっている。男の扱う鉄棒(或いは鉄棍)如きでは、打ち合っても技量抜きに勝利出来る。それを瞬時に判断し、アルドに接近して来なかった辺り、この男は相当な剣客である。
 橋にて勃発した突然の死合に、通りがかる人々はいつしか観衆に、その事態を察知し、止めに来た役人も、当事者にアルドが居たからか、歩みを止める。
 仕事を放棄するな。
 苦々しい表情で笑う。アルドであれば何でも解決してくれるだろうという思いは捨て去って欲しい。これだって、別に望んだ死合ではないのだ。自分は只、友人たる少女を探したいだけ。
 この綺麗な町を血で穢す訳にもいかないので、アルドは刃を返し、峰を向けた。実力差が大きく開いているとは思えない。この剣客には才能があり、こちらには才能がない。両者に大きく差があるならば、それは経験の差である。経験とは、偏に実戦の事である。それは戦った敵の数でもあり、殺した敵の数であり、どれだけ殺し合いを知っているかという事である。その経験において、アルドはこの世界の誰よりも持ち合わせている事を知っていた。それが過剰評価でも何でもない事を知っていた。
 戦った敵の数が多ければ、それだけ敵の戦い方を知っているという事。殺した敵の数が多ければ、それだけ殺し合いに対して耐性を持っているという事。 殺し合いを知っていれば、それだけ命のやり取りにおいて、駆け引きが強いという事。才能こそ絶望的に無いものの、アルドはこの点において、誰よりも優秀だった。
 一歩歩き出す。継足ではなく、歩み足。無謀にも大胆にも。一足一刀の間合いに入り込む。男は棒を構えて、無防備にも突っ込んでくるこちらに対して、何やら訝る様な様子を見せていた。露骨な隙は、男には隙として見られなかったらしい。
 先、先の先、先の後。後の先。一対一のやり取りにおいては色々あるが、恐らく男は、アルドが後の先を狙っていると思い込んでいる。
 後の先。つまり、相手の攻撃を透かして攻撃するという事だ。これだけ無防備に近づくと、素人でもそれは疑うというモノ。相手に勝機があるとすれば、先……いや、先の後。こちらの攻撃に対して攻撃を合わせて、防御不可能の一撃をお見舞いする。勝ち筋があれば、そのくらいだ。
 実を言えば、呪いのせいで敗北などあってない様なモノだが、これ以上体に負担がかかるのは不味い。大陸奪還の完了より以前に死んでしまう可能性を孕んでしまうのなら、ここで傷を負う事は避けねばならない。遅れて敗北のツケが来て、それで死んでしまうなど、一体自分はどんな顔で死ねばいいのだ。
 刀を握り込む。お互いに狙っている瞬間が違うので当然だが、どちらかが動かなければ、この勝負はどちらが人形然として居られるかという滑稽な勝負になり果てる。そんな時間は残されていないので、アルドはさっさと決着を付ける方向に思考を転換した。
 だから、刀を投げる。接近戦でのみ実力を発揮すると思われた武器を投げ捨てる。投擲された刀を、男は首だけ傾けて躱したが、それこそが敗北に直結するとは思わなかったのだろう。男の目の前からアルドは消えていた。消えて、側面へと移動していた。振り返ると同時に後退。切り払って難を逃れんとするも、それよりも早く投擲した刀を掴み、背後を薙いでいたアルドの方が早かった。峰とはいえ、全力で首を狙った一撃は、完璧な角度で叩き込まれ、男をその場に崩した。死んだとは思えない。この男、ご丁寧に首に妙な繊維で作った布を巻いている。それも、打ち合った峰の方が欠けるという、なんとも不可思議な素材だ。
 納刀して、観衆と化していた民を抜けて、アルドは再びダルノアの捜索に戻る。
「事後処理は頼んだぞ」
 真夜中でもあるまいに、こんな所で辻斬りを仕掛けてくるとは驚いた。この平穏に過る影に、アルドは少しばかり嘆息してしまう。平和がある以上、不穏は付き物なのかもしれない。先程の様な剣客に切り捨てられてしまうという未来もあるので、そんな事が起きない内に、早い所彼女を見つけ出してしまおう。
 アテは変わらず、無い。


 


 

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