ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

闇色の姫

 チヒロは庭を進んだ先にある家の、縁側に座り込んでいた。先程の平手打ちに思う所でもあるのか、掌をじっと眺めながら、物思いに耽っている。アルドが庭に降りると、直ぐにこちらの存在に気が付いた。
「アルド……な、何しに来たのよ。言っとくけど、私、アンタの事許してないから!」
「別に許してくれなくてもいいさ。けど……済まない」
「約束したのに……一緒に、お祭りに行ってくれるって、約束したのに」
「済まない」
「…………何よ、言い訳しないの?」
「言い訳する程、私に守るべき『自分』は存在しなくてな。それに、私がどう言い繕ったって、お前を傷つけたのは事実だ。そう言ってくれて気が済むのなら、好きなだけ言ってくれ」
 彼女もそうだが、アルドはあまりにも誰かを傷つけ過ぎている。妹に無断で大陸を出て、彼女に無断でジバルを出て―――そして。
 時々分からなくなってくる。自分という存在が必要なのかどうか。今更になって、執行者の言葉が心に響いてくる。
『やはりお前は罪深いな。真にこの者達の平和を願うのなら、お前は誰とも知り合うべきじゃなかった。お前が地上最強の英雄だと? 笑わせるなよ大罪人。お前は誰も救えないし救わない。罪なき者を須らく、地獄に叩き落しているだけだ』
 心の底から、平和を望んでいる。けれども、アルドが誰かを助けると、それ以上に誰かが犠牲になっている気がする。誰かを泣かせている気がする。それではやはり、執行者に殺されていれば良かったのだろうか。
―――あり得ない、か。
 ナイツ達はともかく、ドロシアは自分以外に助けられなかった。幸せを願うのならばと、百歩譲ってナイツ達については正しかったとしても、彼女だけは、自分が生きていなければ助けられない。生まれた時から、全ての秩序に見放された彼女を、自分が縛ってやらなければならない。そうでなければ彼女は、まともに人格すら作れないまま、能力の限り暴虐を尽くしていただろうから。
 それに、人を好きになるとは、そいつの幸せだけを願うという訳では決してない。人を好きになるとは、即ち恋とは、自分が、自分の手で、自分なりに幸せを与えたいという事である。これを身勝手だ独善だ、そんな事を言うのは間違っている。
 そんな事を言う人間は、自分では絶対にやろうともせず、誰かに口出しばかりするひねくれた人間だ。人生において事柄とは、何事も勝手に来る訳ではない。自分から掴みに行かなければ、手に入らないモノは数多くある。
 強さも、安穏も、教養も、幸福も。
 何事も自分が手に入れようとするから人生と言う。それに、男ならば、好きな存在の一つや二つ、守ってみせるのが筋ではないのか。押し付けるつもりは毛頭ないが、少なからずアルドはそう思っている。だからあの時、絶対正義に反抗した。
 誰よりも『善』を求めた自分が、『正義』を否定した。全ては、こんな自分を愛してくれる者達を守る為に、そんな者達が居る世界を守る為に。
 チヒロが縁側から立ち上がり、アルドの目前まで近づいてきた。
「……何回言ったって気が済む訳ないでしょ。謝るだけで済むんだったら、奉行所は要らないのよ」
「………………」
 遂に言うべき事が無くなり、アルドは押し黙った。もう、どうすれば彼女の機嫌を直せるのか分からない。分からないが、退いてはいけないような気がしたから、立ち尽くす。
「どうしても許してほしかったら……今度こそ、一緒に行ってよ。お祭り。それで、許してあげる」
「……え?」
 察しが悪い自分に腹を立てているのか、チヒロの顔は、端から端まで、茹でダコの様に真っ赤になっていた。腰の方で握られている拳は、痙攣しているみたいに激しく揺れている。
「わ、わ、私とお祭りを回ろうって言ってるの! そ、それで、水に流してあげる……」
「私は別に構わないが、お前こそいいのか? そんな事で」
「うっさい! 行ってくれるのねッ?」
 断る理由がない。彼女から機嫌を直す方法について答えを教えてくれるのなら、それに越した事はないのだ。再び頷くと、チヒロの表情が輝いたと思いきや、途端に暗くなってしまった。
「どうした?」
「………………ごめんなさい。私、アルドの頬を叩いちゃった。頭に血が上ってたみたい」  
「今更だな。気にしなくても、今までお前から受けた攻撃より酷い目に遭ってきたんだ。そんな顔をしなくても、叩かれた事は全く気にしていないよ」
「……本当?」
「もしも気にしていたら、お前の誘いに乗らないだろう。それを証明という事にして欲しいが……」
 キスの一つでも出来れば、アルドは誇りを持って自分が男であると言えたのだが、そんな度胸も勇気もない。そもそも、彼女を嫁にするという決断をした訳でもないのに、接吻というのは……実に、破廉恥では無かろうか。
 だからこうして、頭を撫でる。これがアルドに出来る、精一杯の証明だ。
「本当に、気にしていない。愛情表現の一つとして受け取っているよ」
「…………そう。じゃあ、一週間後の夜。ここで待ってるから。破らないでね?」
「勿論だ。今度こそは、どんな事があっても守ってみせる」
 彼女の機嫌も直ったみたいなので、アルドは再び道場へと踵を返した。内心ひやひやしていたが、無事に機嫌を直してくれて良かった。彼女には、常に笑顔を浮かべてもらわなければ。その方が彼女も幸せだろうし、自分も幸せだ。
 怒っている時の方が幸せな奴なんて、居ないだろう。幸せじゃないから、怒っているのだから。


















 道場に戻ると、弟弟子達が先に組手を始めていた。
「おう、アルド。娘は機嫌を直してくれたか?」
「無事に。師匠の言う通り、私が行かなければ解決しなかったでしょう」
「だろ? 儂の言う事は確実に当たるんだ。特に娘の事に関してはな」
 それが父娘という関係の特別性か。羨ましい限りだ、自分もそんな風になれたら……と、大陸奪還が終わり、全ての任を終えるまでは、子供を作る気は無い。うっかり一線を越えてしまうというのも、自分の精神力を信じるならば、あり得ない。
 ……少し不安になってきたので、予定より早めに『蛟』の国に向かうとしようか。チヒロとの予定が被らない様に。
「さて、組手でもしていくか?」
「そうですね。久しぶりに腕を磨きたいと思った所です……が、この後は予定があるので、二人くらいで止めさせていただきます」
「分かった。お前達、そこまでだ!」 
 ゲンジの声に、弟弟子達が反応。直ぐに組手をやめて、姿勢を正した。流れんばかりの動きは、秒数に換算しておよそ一秒。普段からどれだけ同じ事を言われているかが良く分かる。アルド一人だけの時には無かったので、弟弟子達が微妙に可哀想だ。
「これからお前達には、儂の一番弟子であるアルドと組手をしてもらう。しかしアルドにも予定があるらしく、上限は二人までとする! 我こそはと思う者は手を挙げろ!」
 この場に居るのは、ゲンジに武を学ぶ精神こころありと認められた男達だ。当然、全員が手を挙げた。しかし、この後の予定を考えると相手を出来るのは二人だけ。全員を選ぶ訳にもいかず、アルドは顎先に手を当てて考える。
 しかし。何だろう。誰かを選ぶというのも、それはそれで申し訳ない気がする。若い芽を摘んでしまうようで、申し訳ない。
「……お前達の向上心には驚かされた。二人と先程は言ったが、あれは忘れてくれ。全員を相手しよう。ただし、一分だけ。その間に全員倒せたら、私の勝ちという事で、今日の所は好きに過ごさせてほしい」
「私達が勝ったら、どうするのですか?」
「……遊郭にでも行かせてやる。好き放題遊んでこい」
 そうは言ったものの、今のアルドはジバルに流通している通貨を一銭たりとも持ち合わせていない。なのでこの戦い、絶対に負ける訳にはいかない。
 アルドがそう言った直後、男達の雰囲気が、妙に猛々しく変貌したのだが。ひょっとしなくても、自分は刺激してしまったらしい。
 女を求める男の、本能というものを。 
























 『徳長』の国は安全だという事で、ダルノアは一人外に出て、ジバルの町並みを楽しんでいた。ここは、レギやアジェンタと比べても、ずっと平和である。町往く人々の誰もが、殺気を持っていない。自分が歩いていても、拉致してくる気配を持った人間も居ない。
 本当に平和だ。
 彼がここを自分に勧めてきた理由が良く分かる。記憶もなく、故郷も知らない自分が一番過ごしやすいのは、紛れもなくここ。ここであればきっと、自分は何の問題にも関わらぬまま、平穏に過ごす事が出来る。気づけばスキップをしながら、散策というものを楽しんでいた。こんな風に外を出歩けるなんて、凄く幸せだ。
 心からの幸福を感じながら、ダルノアが角を曲がった時、つい数十分前に見た光景が、再現されていた。
 違う点があるとすれば、絡まれているのが女性で、そして絡んでいる男性が複数人という事だ。
「俺達は旅のモンだけどさ、姉ちゃん。良かったら泊めてくんねえか」
 男達の容貌は、凶悪極まりない。アルドと同じくらい、と言ってしまえば彼に失礼だが……それくらい、容姿において男達は優れていなかった。腰には三本の短剣が刺さっている。腰に袋の様なモノを提げているとはいえ、あれだけの軽装だと、動きに支障が来される事は無い。先程の大男よりも俊敏に、あの男達は動けるだろう。
「は? 何で私がアンタ達のお世話しなきゃいけないのよ。そんなに世話されたかったら、監獄にでも行って来れば? 一応、世話はしてくれるでしょ」
 一方の女性は、同じ次元の存在なのかと疑う程の美人だった。その暗黒を束ねたような美しい黒髪は、明るい今だからこそ、とても映える。黒い着物はそれと合わせているのだろうか、その着物も、片足だけ太腿までスリットが入っている辺り、正規の物には見えない。ジバルの服に知識は無いが、周囲の女性と見比べれば直ぐに分かる。
「おいおいおい。何で俺達が行かなきゃならねえんだよ! 俺達は旅人だっつってんだろ?」
「旅人の割に、随分と血の臭いを引っ提げてるのね。辻斬りをするのは結構だけど、そんな臭いつけたままじゃ誰も入れてくれないでしょ」
「な……い、言いがかりだ!」
「言いがかりなもんですか。大丈夫、突き出そうとは思わないわよ。もう面倒事は御免だし。それに、突き出すのは別の人がやってくれるだろうし」
「な…………い、言いがかりだってんだよ! いいからさっさと止めろって―――」
 周りの視線に耐えかねた男が、女性の顎を掴もうとしたその時。手が払われると同時に足を掬われて、男はその場に転倒した。見る限り、誰も騒ぎに介入しようとはしていない。つまり、邪魔された訳ではない。
 女性の手によって行われた事だと男が理解したのは、転倒してから、一分も経っての事だった。
「とにかく、他を探して。私は、アンタ達みたいな小物の悪党を相手してる程暇じゃないの」
 それだけ言って、女性はこちらの方向へ歩き出してきた。
―――綺麗な人。
 不思議な雰囲気を纏う女性は、周囲の視線も意に介さず、何処かへと歩いて行ってしまった。無様に転ばせられた男達は、よろよろと立ち上がるや、何かを話し始めた。
 直感的に今の女性に被害が及ぶと感じたダルノアは、後を追う様に女性と同じ方向へ走り出した。




 迂闊だったのは、隠そうともせず走った事で、男達に姿を認識されてしまった事である。
 

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