ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

轍を分かちて出会いを保つ

 その気になれば転移で行けるのに、どうして船に行くのか。偏にそこには、ロマンが詰まっている。
 遠出をするならば船、船を使うのなら遠出。昔から相場が決まっているのだ。これは冗談ではなく、半分本気。残り半分は、迎え出る側の準備というモノを考慮した結果である。ジバルには妖術こそあるものの、使用者はフェリーテ含め数名のみ。突然姿を現してしまったら、ジバルの町民は驚いてしまうだろう。そういう配慮も兼ねて、アルド達はわざわざ船を動かした。ここからは少々ややこしい工程があるが、その下りはフェリーテに一任している。アルドが考える必要は無い。自分が考えるべきなのは……船の中で、誰と過ごすべきなのかという事。
「あそこで跳ねてる魚はな、クレセントフィッシュという生物だ! 跳んでから戻るまでの軌道が三日月だからそう言われている!」
「成程…………ユーヴァンさん、あの生物は何ですか?」
「んんん? ああ、あれはな―――」
 船の上で何やら話があると言っていたダルノアは、船上から見える自然に好奇心を奪われて、そちらへと行っていた。ユーヴァンが気を利かせて解説役に回ってくれたのも、彼女があそこから抜け出せない要因の一つでもあるだろう。こちらとしては、楽しんでくれる分には構わないので、一旦放っておく。どうしても話したい時は、彼女の方から来るだろう。
 ではナイツの内、誰かと過ごすかと思えば、それも微妙である。女性陣は船内の食堂に籠り、何やら話があると言い出したし、チロチンは「自分が居なければ、恐らくまとまりのない会合になる」と言い出して付いて行って、ルセルドラグは船首の上に乗って、彼らしくもなく休息を取っている。ドロシアはメインマストの上に乗って、景色を楽しんでいるので、邪魔するのは悪い。
「ディナント」
「……アル、様」
 共に時間を過ごせそうなのは彼くらいなモノである。『鬼』の魔人、ディナント。より正確に言えば、元『人間』のディナント。角こそ無いが、彼の持つ気、そしてその容貌は、正にその種族に違いないモノだ。彼とは随分長い間殺し合った。フェリーテをどうにかする方法で何度も衝突して、その度に斬り合いになって……今もはっきりと、彼に切り裂かれた感覚は良く覚えている。彼の強さは、彼自身の感情とは全く関係なしに剣を振るえる事だ。何の邪気も無い剣、即ち『無想剣』。
 何も考えずに振る事はアルドにも出来るが、彼と比べれば完成度はずっと低い。それは執行者戦、常に感情を引き金に戦い続けていた自分が良く分かっている。才能の無い自分は、感情という燃料が無ければ誰に喰らい付く事も出来ない弱小者だ。彼と比べれば、幾分劣っている。
「ジバル、久々なんじゃないか? あれから何年経ったかは……すまない、覚えていないんだが。アイツも喜ぶと思うぞ」
 彼と肩を並べる様に凭れ掛かると、何処か機械的な口調で、彼は喋り出した。
「……アル、様。そノ、と―――が」
「ああ、分かっている。よっぽど危機的な状況にでもならない限り、私は接触しないよ。あの子にとって、私は最後まで悪人でなくちゃいけない。というより、あの子にとって私は悪人だ。大事な者を奪ってしまったんだからな」
 気が進まないと宣う程ではないが、ジバルには少しばかり負い目というか、心残りがある。だが、解消する気は無い。ジバルを離れて数年が経ち、過去は過去として記憶され、忘却されている。だのに自分だけが心残りにしていた場合、それを解消しようとすれば、迷惑が掛かってしまう。だから解消するつもりは無い。
 アルドという存在を、もうあの子が思い出す必要は無い。無理に傷を掘り返す必要もない。だから出会う必要もない。
「次にジバルに来る事があるとすれば、それは大陸奪還が成功した後だ。今の内に楽しんでおけよ。水入らずの時間という奴を」
「…………ワ……った」
 それで良い。ジバルに居る間は、どうか自分の事など気にせず、思いっきり楽しんで欲しい。目的の上では戦力の追加だが、ナイツのみ慰安旅行の目的を何よりも最優先にしている。というかしてほしい。結局、誰が頼んだ所で自分が出向かなければ、二つの国の主達は動かない。だからそれまでは、普通に楽しんでもらいたい。こういう時間を作れる猶予だって、どれだけ残っているか分からないのだから。
 この身体も、もうじき限界を迎える。壊れても壊れても壊れなかった体が、遂に崩壊する。それこそ、完全に。未だ人類が経験した事のない、完全な終わりが到来する。ドロシアに涙なんて流させたくないから、彼女の泣く顔なんて、もう二度と見たくないから。自分だって死にたくはない。
 けれど……執行者でもない限り、終わりには抗えない。もう、何年も生きてきた。見た目通りの人生を歩んできたとは言えない。自分で言うのも何だが、下手に高位な存在よりはずっと経験を持っているつもりだ。この世に生きる者として、この発言は失格かもしれないが、永劫を生きる覚悟は出来ている。しかし、あるのは覚悟だけではない。問題もある。
 どれだけ魔人が長生きと言えども、魔人だって生物だ。いつかは死ぬ。永劫を覚悟するのなら、この問題にも目を向けなければいけない。
 即ち、永劫を生きるという事は、カテドラル・ナイツ全員の死を看取るという事。ファーカとフェリーテのみ微妙だが、そういう未来を背負わねばならないという事は違いない。けれど、安いモノだ。ドロシアの笑顔を守れるのなら、その程度の事は気にならない。永劫を生きる事になったのなら、だが。
 今の感覚で言わせてもらうと、まずアルドが永劫を生きる事は無い。執行者になれば話は別だが、世界を構成する『何か』を壊してまで執行者になろうとは思わない。あれがどれだけ罪深い存在なのかを、本人達の次に、良く分かっているつもりだ。
「アルドさん」
 思考から意識を引き離すと、いつの間にやらダルノアが目前まで迫っていた。
「ユーヴァンとはもういいのか?」
「はい。また後でという事で。それで、尋ねたい事なんですけど……」
 ダルノアは、夢の中で出会った男について全てを話した。アルドならば、何かしら知っていると思ったから。しかしこちらに面識がない以上、アルドに語れる情報も限りがあり、それだけでは、アルドもかなり苦しそうな表情だった。ダルノアの言っている事は、何処かを歩いている何処かの男について教えてくれと言っているのと、全く同じなのである。
「……成程な。その男について知っている事は無いかと、そう言いたいんだな」
「はい……知ってますか?」
「……私も長い間生きてきたが。悪いな。力にはなれそうにない。一つ聞きたいんだが、その男を見つけて、お前はどうするつもりなんだ?」
「話を聞きたいんです。どうして、私の名前を知っているのかとか。どうして私を探していたのかとか」
 とにかく、聞きたい事があった。過去なき孤独をこのまま味わい続けるなんて我慢ならない。己の過去を忘れたまま、今を生きたくない。そんな少女の想いを第六感で感じ取ったのか、アルドは彼女の頭に手を置いて、梳くように撫でる。
「分かった。私の方で出来る限り探してみよう。もしも見つけられなかったら済まない、としか言いようがないが、これでも、人探しは得意でな」
「そうなんですか?」
「今、この船に乗っている私の部下、カテドラル・ナイツは、私自ら見つけ出し、誘った者達だ。前評判があった訳じゃない。それぞれ厄介事に巻き込まれていたとはいえ、誰かからの推薦があった訳でもない」
 だからと言って、推薦自体が無かった訳じゃない。が、既に終わった話を蒸し返すのもどうかと思うので、その話はまたいずれ。アルドは視線を大海へ向けて、未だ見えぬ大陸に懐かしさを感じた。
 そろそろ頃合いの様に思う。ダルノアの手を引いて、アルドは船内への階段を降りていく。
「あ、あの?」
「約束しよう。その男は、私が死ぬまでの間に見つけてみせる。それからはお前次第だ、どうにでもするが良い。こんな漠然とした依頼も中々無いが、手応えを感じられそうだから、気に病む必要は無いぞ」
「いや、そうじゃなくて。どうして突然、船内に?」
「ああ。それはな、ナイツ達とはここで一旦別れるからだよ」
 食堂を覗き込むと、先んじて中に入っていったナイツ達が消えている。チロチンの『扉』か、それともフェリーテの妖術か。どちらにしても、受け渡しは何の滞りもなく行われている様だ。ダルノアが状況が呑み込めていない様なので、一先ず席に座らせ、呼吸を置かせる。
「ジバルについて、説明をしようか。ジバルには三つの国がある。一つは『徳長』の族が治める国、次に『狐』が治める魔人だけの国、最後に両者が共存している『蛟』の国だ。だが、『蛟』の国は非常に警備が厳しくてな。出身者であるフェリーテ、ディナントならばいざ知らず、他の者が入れるとは思えない」
「アルドさんは?」
「頭である『蛟』、『狐』、『徳長』とは面識がある。交流は少々魔人寄りだが。私も問題ないよ。だが他の者が入れないのなら『蛟』は無い。となれば、私達が共に入れる場所は存在しないという事になる。だからこうして連絡して、魔人を『狐』の者に引き渡したんだ。その際、人間が姿を見せてはいけないという事になっている。またも私は例外だが、今度はお前達が居るしな。会話する事も無いから、こうして一緒に隠れさせてもらった」
 彼女の言いたい事を遮る様に、アルドは続けた。
「面倒な国だと思ったのなら、それは間違っていない。だが、以前はこれよりも酷かったんだ。私が間に立って仲裁したから、ここまで緩和したんだ。それは分かって欲しい。その代償か、色々約束を取り付けられてしまったが、後悔はしていないよ……で、今度はいつまで隠れているんだ? ドロシア」
 アルドが突然、床に向けて喋り出したからどうしたのかと思ったが、食堂の床から二、三歳は年上の少女が、はにかみながら滑るように飛び出してきた。
「きゃあッ!」
「あ、ごめん。驚かせちゃった? それとも先生の代わりに驚いてくれたの?」
「そんな気遣いを出来る奴は稀有だな。そんな奴が居るのなら是非とも会ってみたいものだ」
 彼女が物体を透過して出てくるなんて序の口だ。体の中から飛び出してくる事もあれば、夢の中に割り込んでくる事もあるし、挙句の果てには世界全体に自分を投影したりする。全て彼女にしてみれば悪戯の範疇だが、アルド以外にこの行動に耐性を持っている存在が居るとするならば、執行者くらいなモノだろう。それくらい、彼女は自由過ぎる。やめろとは言わない。彼女が明るく生きる事が出来ているのなら、自分はそれで満足だ。
「教えていないのに、ちゃんと気遣いは出来るんだな」
 ドロシアは両腰に手を当てて、得意げに胸を張った。
「先生の弟子だもん! 弟子は先生の知り合いにも礼を尽くさないといけないのです!」
「良く分かっているな、では一つ聞こう。引き渡しはもう終わったか?」
「……終わったみたいッ。それと、そろそろジバルが見えてくると思うッ」
 見えていなくても知る事は出来る。せっかく自分の為にその特異性を使ってくれるのなら、十分に活かさなきゃ彼女に悪い。アルドは席を立って、同じく席を立ったダルノアの手を引いた。
「しかと見ておけ。お前がこれから住む事になる大陸だ。次に見る景色こそ、お前の故郷となる場所なんだ」
 船内に入ってから五分と時間は経っていない筈。だが、アルドが甲板へと通ずる扉を開け放した時、外にはまるで別世界の光景が広がっていた。

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