ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

不可侵領域

 救いを求めたい。誰かに、助けてもらいたい。人間である以上、どんなに否定した所でその思いはあるし、それこそ解脱でもしなければアルドでさえ持ち合わせている感情だ。それでも自分が口に出さないのは、認めたくなかったから。それを認めた瞬間に、自分は只の弱弱しい人間に戻ってしまうから。幻想でも何でもいい、今のアルドには縋りつくものが無いと動けない。英雄だろうと魔王だろうと、どちらにしても捨てられるモノじゃない。
 カテドラル・ナイツの願いは極力叶える方針だったが、こればかりは譲れない。たとえナイツと言えども、そのお願いだけは聞けない。アルドに救いは許されない。この身の果てに汝が罰あり。この身体は生涯許されない。執行者を倒したその瞬間から、アルドの身体はもう、破滅を約束されているのだから。
「…………教えて、くれないんですね」
「こればかりは、私の問題だ。……私を心配しての行動だろうが、どうか安心してくれ。私は決して死なない。少なくとも、大陸を奪還し終えるまではな」
「………死にたいんですか?」
「―――今は、そういう気分じゃない。バカ弟子に先を越されて、ドロシアが帰ってきて。私の都合ではもう勝手に死ねないさ。お前達も、私に死んでほしくは無いんだろう?」
「そうなん、ですけど」
 幸いにもデートという体裁が保たれているお蔭で、そこまで陰鬱な雰囲気にはならなかった。彼の頭に乗っている花冠もそれに一役買っていると言って良いだろう。しかし彼の雰囲気は、恋愛に臆病な男性からいつもの彼に戻ってしまった。血の臭いを翻し、修羅の道を歩み続ける、空しき男に。ヴァジュラはそれが、何よりも悲しかった。
 自分では彼を救えない。自分では、彼に報いる事が出来ないのだ。最初から分かっていた結果だったのに、こうして暫しの会話を経てから思い知ると……心に響く。やはり彼とぶつからずして救おうなどとは、考えが甘すぎたか。
 二人は黙したまま、数時間をそれだけで過ごした。会話の無い事は寂しかったが、悪い気分じゃ無かった。お互いの言い分も、主張も、少しも通らなかったがそれでも肩を寄せ合って、星を眺めているだけというのは、存外に心が安らいだ。両者共に、つい先程まで微妙に険悪な雰囲気になった事など忘れていた。ただ、くつろいでいた。
 アルドはふと意識を戻し、何気なくヴァジュラの方を見た。呆然と星を見上げる顔は、とても綺麗で、いつまで見ても飽きない。何となく唇に吸い付きたくなったが、アルドにそんな度胸は無い。ただこうして、何気なく彼女の顔を見る事くらいだ、自分に出来るのは。
―――いや、もう少し出来るか。
 勝手に高鳴る心拍を抑えて、アルドは彼女の肩へ手を回す。気づいた彼女は驚いて僅かに飛び跳ねたが、直ぐに順応して、こちらに寄りかかってきてくれた。胸に触れぬ様配慮しているが、そのせいで変に彼女の体を意識するようになってしまい、かえって恥ずかしい。星を見る事もままならなくなるくらいには、アルドには余裕が無くなっていた。ファーカだったら大丈夫、という事はないが、彼女であれば胸に触れる心配はなかっただろう。フェリーテにしても着物か浴衣か、どちらにしてもこうまで気にはならなかった筈だ。しかしヴァジュラやメグナでは、肩に手を回した際に、だらしなく手首を落としてしまうと、胸に触れてしまう。
 気にしているのはナイツじゃない、自分だ。彼女達から幾ら許可を得たとしても、自分が許可を出していないので触れない。触らない。理由は単純に経験不足だが、場所の問題も大いにある。こんな所で欲情して、且つ煩悩を受け入れてしまったら、とてもじゃないが朝までに行為を終わらせる自信が無いのだ。死んでも触るつもりはない。触るつもりは無い……いや少し…………いや駄目だ。やはり許されない。
「…………僕の胸、触りたいんですか?」
「いぇゃあッ? いや……えっと…………すま…………うん。スケベだったか?」
「さ、触りたいんだったら、触っても良いです……よ。アルド様でしたら、好きな……だけ」
 まさか本当に許可が得られるとは。それでは遠慮なく揉みしだかせて―――なんていけたら、自分じゃない。何よりも女性に触れる事を自分が羞恥しているから、こんな事になっているのだ。というかデートに行く前も似たようなやり取りをしたような……あれは、ヴァジュラが半ば強引に手を引っ張っただけだが。
「……やめておこう。いや、本当にすま…………うん。困るな。いつも謝っていた事が身に染みて分かる」
「それではアルド様。僕が今から横になるので……膝枕してもらえませんか」
「いや、それも…………え? ああ、それなら別に……」
 触れるのは彼女の頭くらいで、間違っても胸を触る事はない。片膝を立てて体勢を整えると、横に広がった方の足に、彼女が頭を下ろした。そこで瞳の合った彼女は嬉しそうに微笑んでくれたが、直ぐにアルドは、彼女にしてやられた事に気が付いた。この体勢、普通に過ごしているよりもずっと、刺激が強い。
 何が強いって、彼女の胸が突き出ている事が不味い。どうやら星を見たいらしいから真上を見ているが、そのせいで重力に逆らって突き出ている胸が、というよりその谷間が、ずっと見やすい角度で見えてしまっている。横になった所で根本的な解決にはなっていないので同じである。どちらにしても、アルドには辛い体勢だった。出来る事があるとすれば、全力で煩悩を消して、彼女の頭を撫でるくらいである。
「…………お前にだけは、打ち明けよう」
「え?」
「お前のお願いを聞かなかったお詫びだと思って聞いて欲しい。私はな……お前達を守る為にも、救われたくないんだ。こんな私でなくては、お前達を守れない。私の幸せとはお前達の笑顔であり、お前達の平穏だから、守らなくちゃいけない。確かに、救われたくないというのは、私自身、矛盾を起こす事を恐れているからというのはある。しかし何より、お前達を助けられなくなる事が、私にとっては一番辛い事なんだ。私を慕ってくれるお前達に、手を伸ばせなくなるのは、辛い事なんだ。この現実に都合の良い話は無い。大陸奪還を終わった後に救いを求めた所で、私の周りには何も無いだろう。それを分かっていても、私は大陸奪還の任を終えぬ内は捨てたくないんだ。お前達が私をどうにかしようとしくれている事は、ずっと分かっていた。蔑ろにしていると責められればその通りだ、返す言葉もない。どうか……こんな愚かな男を許してほしい。私には出来ないんだ。私を大事にするという事が、絶対に」
 それは自尊心の著しい欠如。彼の憧れた英雄が自己犠牲の塊だったから、根付いてしまった価値観。一兆を超える死を経ても尚、生きるアルドを人は狂人や怪物と呼ぶだろうが、彼は只、純粋なだけ。生まれた時からずっと、目の前を行く背中を追い掛けているだけ。何処までも、誰よりも正常なだけだった。
「私を救いたいと言うのなら、傍に居てくれるだけでいい。お前達の存在が、私の存在意義だ。だからお願いだ。私から信念を取らないでくれ。お前との共寝についても……子供の出来ない範囲で、検討、努力してみよう。それで納得してくれないか? もう私に、引き返す道なんて与えないでくれ」
「アルド、様」
 こちらを気遣うような目線を感じる。優しい女性だ。時にその目線はアルドにとってつらくなるが、その優しさこそ、自分が守りたいモノ。
「頷いてくれるのなら…………口約束では済ませない。私が今出来る最大の誠意を、お前に見せる」
 それがアルドに出来る唯一の行為。今度ばかりは恥とか経験とか、そんな安い発言は言っていられない。己の絶対不可侵領域を守る為にする行動だ。そんな事を言っていたら、守れるモノも守れなくなる。
「…………お願いだ。数少ない我儘だと思って、どうか―――聞いてくれ」
 願いを叶えてきた主からの、数少ないお願い。目に涙を浮かばせて懇願する彼に、ヴァジュラは両手でその頬に触れた。
「アルド様―――」
















 『鳴無の森』が二人を隠す。狼の遠吠えさえも、この森の中では虚ろとなって流れゆく。
 その後、二人がどうしたかを知る者は居ない。彼女の答えを知るのは、夜空に煌く星々のみである。 

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