ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

影の功労者

 民衆の熱が治まるまで、下手な行動を起こすつもりは無かった。ナイツ達にこちらの思考は全て伝えたので、アルドとしてはもう思い残す事は無い。全員の了解が得られたのならば、次に向かう大陸は決まったようなものだ。となれば、次は様々な不安要素を解消しなければならない。
「先生」
「……ドロシア」
 いつの間に入ってきたのか、隣には対執行者戦において大きく貢献してくれた少女が立っていた。ナイツ達を散開させた後なので、タイミングに問題は無い。周りにはメグナとヴァジュラ、フェリーテがまだ残っているが、三人ともこの少女を特に気にした様子はない。他の者は自分の部屋へ戻ったか、外に行ったのだろう。姿は何処にも見えない。
「どうかしたのか?」
「創の執行者から聞いてきたよ。先生、剣の執行者の所在が気になってたでしょ?」
「まさか、途中から居なくなったのはそれを聞きに行っていたのか?」
 ドロシアがはにかんで頷いた。こちらは彼女を恥ずかしがらせるような発言をした覚えはないのに、耳まで真っ赤である。
「……有難う。手間が省けたよ」
「気にしないでッ。私は先生の弟子だもん、これくらい何でもないよ! …………好きな人の為だったら、どんな事もやりたいし」
「え?」
「何でもない! 何でもないから! それで剣の執行者の件だけど、どうやらあの人、今も戦ってるみたいなの」
 これからドロシアの話す事は全て謠が話したらしいが、それによると、どうやら剣の執行者だけは今も尚、あの忌々しき死の執行者と戦い続けているらしい。この世界において死の執行者はアルドが打倒したので、これだけ聞くと訳が分からないが、それを繋げる答えは、戦闘中に死の執行者自身が示していた。
『ハハハ、気持ちが良いな。今まで逃げる側だったのに、今度は追い回す側に回るとは。素晴らしい事だ。世界の意思をこの身に受けた事で、私は真理がある限り死ななくなった。そこに私が在る限り、私は死ななくなった。死に拒絶されていた状態から、私は遂に死をも呑み込む大いなる存在へと昇華したんだ! ……この私を見ても、まだ倒せると思っているのか。アルド・クウィンツ』
 大事なのは前半。真理がある限り死ななくなったという点だ。元々執行者という存在は死に至る様な傷を負っても、死そのものが執行者の受容を拒絶するが故に死なないのだが、この時の彼は真理―――つまり、彼がそこに在ると認識される限り、どんな能力を受けようとも消え去る事がなくなっていた。言い換えれば、死すらも真理の中にあるというのなら、彼は生きていると同時に死んでいる状態を再現していたという事である。そんな存在をアルドが打倒できたのは、そこに在るという真理から外れていた武器をその場で作り上げたからであり、あの剣は執行者などの外世界の存在に特効を持っていると言っても過言ではない。だから殺せた。
 執行者ですら抗えない筈の真理を唯一消し去る剣が、あの剣だから。だから死の執行者を肉片一つ残す事なく消滅させる事が出来た。裏を返すと、あれくらいの事をしなければあの存在を真の意味で打倒する事は出来ないという事である。
「その事を剣の執行者はどうしても許容出来なかったみたいで、あの人は私達と離れた後、一人で死の執行者を殺して、また別の世界に旅立っていったみたい。何をするかは知らないけど、かなり興奮してた様子だったって話だから……」
「…………ありとあらゆる並行世界へ赴いて、死の執行者狩りをしていると」
 並行世界とやらがどれ程あるのかはアルドも把握出来ない。その辺りの法則に縛られていないドロシアでさえ把握はしていないのだから当たり前だが、剣の執行者はそれでも狩りを始めた。ありとあらゆる世界に居る死の執行者を屠り、彼の目的を果たす為に。即ち……復讐。彼は本来の世界を死の執行者に壊されているのだから無理も無いが、果たしてその目的はいつになったら達成されるのだろうか。幾ら彼がこの世の法則を超越した存在と言えど、並行世界の同類を狩りつくせるのかどうか。それすら判断できなくなってしまったから、謠はあの時『気が狂った』と言ったのだろうが。
「…………どうするの? あの人がいなくて大丈夫?」
「そこは問題ない。アイツにばかり頼っていたら私はどうやっても動けないからな。暫く会えなくなるのは残念だが、お前が居る。損得はゼロだと思うしな」
 出来れば彼女に血は見せたくないのだが、執行者戦に付き合わせておいて今更遠慮するのはむしろ彼女を拒絶する事になる。それはかつて彼女に言い放った言葉に矛盾してしまうから、言う訳にはいかない。千や万では済まない期間を経て、ようやく彼女の信用を得る事が出来たのだ。あの歳月を無駄にするなんて愚の骨頂。そんな事をしてしまえば、あの時費やした時間と命を全て無意味なモノに堕としてしまう。それは駄目だ。
「……そっか。えへへ、私、あの人の代わりになれるのかな?」
「十分だ。期待しているぞ、ドロシア」
 誘う様に両手を広げると、ドロシアは子供の様にアルドへ抱き付いて、その胸にキスをする。フェリーテ達からは見えない位置取りだが、当事者である自分にはどうしても見えてしまうので、思わず全身を硬直させてしまった。あらゆる法則に縛られていないという事について自分は感謝しなければならない。彼女の思考を、フェリーテは例外的に読む事が出来ないから。
 何気なく目線をフェリーテの方へ向けると、彼女はメグナと雑談をしており、やはりこちらには無関心だ。もしかしたら、ドロシアが外魔術を使って透明化しているのかもしれない。ルセルドラグみたいなモノだ、あっちは肉眼以外では誰でも認識できるので、フェリーテが認識出来ないなんて道理は無いが。
「鍵、落としちゃ駄目だよ?」
「落としてもどうせ使えないんだろ。私以外は」
「まあ、そうなんだけど。その鍵、私の手作りだから……失くしたら、ちょっと悲しい」
 これが手作りッ? 彼女の発言が信じられなくて、アルドは首に掛かった鍵を改めて見つめた。ぱっと見は何でも無かったが、手作りという事は間違いない様だ。持ち手の部分が不自然に歪んでいる。意図的に作られた歪みとは思えないので、何かしらの失敗をしてこうなったのだろうという事は想像に難くない。
 それを含めても、彼女の魔術以外の技術力には驚かされる。鍵を自作なんて、中々出来る事じゃない。
 アルドの体温を暫く感じてから、ドロシアは体を離して、自らの背後に扉を作製。後ろ手を組んで、身体を少し傾けた。
「じゃあ、私ちょっと家に戻るから! またねッ」
 彼女の背中を見送ってから、アルドは体の力を抜いて玉座に凭れ掛かった。いつまで経っても執行者戦で負った傷が消えない。見た目自体は大聖堂に寄った際に回復してもらったから、自分が弱音さえ吐かなければフェリーテ以外に知られる事は無いが、これがかなりしんどい。正直な気持ちを言わせてもらえば、暫くの間は泥の様に眠りたい気分だ。別にドロシアへ配慮を願っている訳じゃない。彼女は自分の体を常に案じてくれている。彼女が手作りをしたというこの鍵だって、装着者には自動回復の効果が発動するらしい。ちょっとずつだが、痛みは消えていっている様な気がする。数時間も眠れば完治すると思うので、どうしようか。クローエルを自室に呼びつけて、歌でも歌ってもらおうか。
「お望みとあれば妾が民謡でも歌うが」
「……久々にこの感覚を味わったな。心を読んでさも話が続いているやり口は私以外には許されないぞ」
 城の中なのだから、わざわざ瞬間移動などしなくても。自分を驚かせたかったのだろうが、あの戦いを乗り越えてからは不思議と感覚が研ぎ澄まされてしまった。個人的にはかつての百万人斬り以上に澄んでいると思う。だからフェリーテが妖術を使って傍らに突如として出現しても、驚く事は無い。軽く注意をしてから、アルドは彼女の方を向いた。
「何か用か?」
「うむ。主様にしか話せぬ事があっての。主様の弟子に関連する話なんじゃが」
「―――見てたのか?」
「あの者の心は読めずとも、主様の心を読めぬ妾ではない。安心してくれてよいぞ、あの程度の事で嫉妬する妾ではない。師弟の関係が良好なのは良い事じゃ。だからそんな……フフ、焦る必要は無い」
 彼女は何か勘違いをしている様だが、それだけが唯一の救いだ。彼女とのやり取りを見られていたなんて、顔から火が出る程恥ずかしい。この感情は恐らくドロシアを女性として認識しているから起こる感情だと思うのだが、この謎の背徳感は一体何なのだろう。フェリーテにはやはり隠し事が出来ない様だ。
「それにな、妾は嬉しいのじゃぞ。多くの女子に主様が慕われているという事実は、それだけ主様が魅力的だという事を示しておるのじゃから。主様も、もう少し喜んでいいのではないか?」
 そんな事を言う彼女の顔は本当に嬉しそうで、見ているこっちが嬉しくなってくる。いや、自分の事だから嬉しくなっても別に良いのだが、彼女を見ているとそう思えてくるのだ。アルドは自分の視線を誤魔化す様に額を掻いた。
「そういうのはな、嬉しい事は嬉しいんだが、この手の話題は変に期待を持てば裏切られると分かっている。素直に喜べる時が来るとすれば、それはこの戦いが全て終わった後の話だろうな。それで、私の弟子に関連する話とは何だ?」
「そう言えばそういう話題じゃったな。うむ、実はの……主様の弟子を一人、妾の部屋で眠らせておるのじゃ。カシルマという男なんじゃが……無論、知っておるな?」
「知るも何も、一度遊びに来たからな。忘れる筈もない。それで、カシルマがどうかしたか?」
「どうかしたか、ではない。カシルマは大砂漠より遥か東にある海岸に打ち上げられていたのじゃ。船の残骸と、多くの死体と共にな」
 一度言葉を口の中で溜めてから、こちらを圧倒せんとフェリーテが言った。
「不思議な話とは思わんか? 妾達の存在は主様が玉座を降りる以前に明らかとなった。玉座を降りている時期は執行者が居た故、奴が全てに対処していたと考えられるが、では執行者と戦っていた時に誰も来なかったのはおかしいじゃろう」
「…………何が言いたい?」
「主様がレギ大陸へ行ってから、或いはそれよりずっと前から、カシルマは戦っていたのじゃよ。恐らく……フルシュガイドの騎士達とな」






















 フェリーテの部屋で眠る彼の体には、只一つのかすり傷も見当たらなかった。もう少しのんびりとした雰囲気ならば、流石は自分の弟子だと褒めてやりたい所だが、今はそういう雰囲気じゃない。彼にかすり傷すら見当たらないのは、偏に彼の体質のお陰である。特殊な体質か、それとも特殊な手段が無ければカシルマにはどんな攻撃も通らない。この世界の人間は、基本的に魔力を持っているから。
 つまり彼が無傷なのは当然の事で、気にするべきは彼の周囲の被害状況だ。一体どれだけ交戦していたらそんな事になるのか分からない。フェリーテの『写鏡』による望遠で被害を見せてもらったが酷いモノだった。死体の殆どが四肢を切断されており、目玉は全てくりぬかれている。特に酷いのは、心臓が食い散らかされていた。カシルマが魔力を通さない体質で良かったと思う。そうでなければ、彼もこんな目に遭っていただろうから。
 気絶しているのは船が壊れて流されたからだろうが、まさかそれが一番軽い被害などと誰が思う。彼は実に幸運である。
「どうするべきかの? 妾はこのまま眠らせておくのも別に構わぬぞ。就寝の際は主様の寝室にお邪魔するからの―――」
「それはまずい。だが無闇に起こして事実を伝えるのもな…………うむ、どうしたものか」
 彼は自らの船員にそれなりの愛着を持っていたようだから、直球でそのことを伝えるのは気が引けた。しかしどれ程深く考えてもそれ以上の名案が思い浮かばず、アルドは逃げ出したくなった。夜になるまでまだ時間がある。その間に考えられれば良い筈なので、今は逃げたって誰も咎めない筈だ。
「…………ん」
 身体は既に逃走に移っていたのに、何と間の悪い事に彼が起きてしまった様だ。これでアルドの逃げ道は、完全に断たれてしまった。
 弟子の泣き顔なんて、もう見たくないのだが。 

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