ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

今度は貴方を愛する番

 先生の叫びに、私は何を言ってやるべきか悩んでしまった。どんな言葉を掛ければ先生は泣き止んでくれるのか。どうしたら先生は、いつもの様に戻ってくれるのか。答えを出してくれる人がいないから分からない。そもそもどうして先生が泣いているのかも分からない。
 でも、魔人達に罵声を浴びせられた瞬間から、先生はおかしくなった。だから原因があるとすれば、それはあの魔人達。あの魔人達の罵声が、今まで聞いた事も無いような泣き声を先生に出させた。彼は心を読む神様の力を持っているそうだから、彼が居ればひょっとしたら先生の悩みも分かったかもしれない。けれども、彼はもういない。彼の存在と引き換えに、先生は目覚めたから。
「……先生」
 背後から声を掛ける。先生はこっちの気配に気づいたみたいで、ゆっくりと後ろを振り返った。その双眸からは、まだ涙が零れ落ちてる。まだ全然悲しみは残っている様で、その双眸を見ているだけで、私も凄く、悲しくなった。虚ろなる一点とでも言えばいいのか、先生は私の事を見ているんだろうけど、全然そんな風に見えない。
「先生ッ!」
 原因は分からない。先生がどうして悲しいのかも、先生がどうしてここに行きたがったのかも分からない。けれども、私はどうにかして先生を助けたくて、気づいたら先生を抱きしめていた。先生との体格差は結構ある筈なのに、その時だけはまるで子供の様に、先生は私の体に顔を埋めた。
「うッ…………くッ」
 先生は私の背中に手を回して、その情けない顔を私で隠そうと必死に声を押し殺す。それでも漏れてくる嗚咽は聞くたびに悲痛な気持ちを思い起こさせて。ドロシアもまた、釣られて涙を流した。どうしてこんな事になってしまったのか。どうして彼が泣かなければならないのか。彼が今までの人生で、一体何をしたのだ。彼は己が果たすべき義務を果たす為に、守るべき者を守る為に戦ってきたに過ぎない。世界がその行いを正しいと認めているのなら、今、彼の表情にあるのは泣き顔では無く笑顔の筈である。それなのに、どうしてそんな彼が今、この上なく情けない顔で泣いているのだ。とてもとても、彼の部下には見せられない様な顔で。
 今まで別世界に行っていた以上、自分に的確な言葉は掛けられない。どんな言葉が彼にとって救いたり得るのかなんて、分かる訳が無い。けれども、この胸の中にある思いだけは、どんな人間よりもあるつもりだ。ドロシアはかつての記憶を思い起こし、ぎこちない手付きでアルドの背中を擦る。可能な限り優しく、寄り添うように。
「大丈夫だよ、先生。私はずっといるから……皆が離れても、私はずっと先生の傍に居るから。だから、いつも通りで居て欲しい。先生が私を沢山愛してくれたんだから、今度は私が先生を愛す番。だからそんな顔しないで、先生? 誰が何と言おうと、先生はとっても良い人なんだから」
 自分に気の利いた事を求めたってしょうがない。この程度の言葉しか、口から零れる言葉が無いのだから。自分が彼に伝えられるのは、これくらいの言葉しか無いから。
 それから時間がどのくらい経っただろうか。波の音が砂時計の如く時を刻んでもう何回目、潮風が二人の人間を打ち付けて、その孤独を嘲笑う。一人でも二人でも、お前達はずっと孤独だと。今までもこれからも、それが変わる事はあり得ないと。それでも二人は、互いに身を寄せたまま動かなかった。情けなく泣いていた男も、どれくらいの時間かが経った後では、もう泣くのをやめていた。
「…………格好悪い所を見せてしまったな」
「ううん、気にしないで。私、ずっと先生の役に立ちたかったの! だからこれくらい……何でもない」
 アルドが顔を上げる。泣き腫らした痕は消えていないが、それでも何処かスッキリしている。
「……そうか。でも、有難う。お前と出会えた事に、私は感謝するよ。ナイツにこんな情けない面は見せられない。あまりにも……醜すぎる」
「そうかな? 先生の事が好きなら、あの人達も気にしないと思うけど」
「アイツ等が気にしなくても、私が気にするんだ。少なくとも、魔王である今、弱い顔を見せる訳いかない。それこそ、魔人達に舐められてしまう」
 民衆に罵られた程度で泣くなんて何と情けない魔王か。やはり殺しておこうなどと言われてしまったらどうしようもない。今でこそつい泣いてしまったが、魔王がこの程度の事で涙を流すなんてあってはならない事だ。気を付けなくては。
「……それなんだけど、先生。まだやるの? あの人達の味方」
「当たり前だ。私はそう頼まれた。どんなに酷い目に遭ったとしても、死人との約束を破る程私は愚かではない」
「……そっか」
 ドロシアは悲しそうに笑ってから、思い出したかのように帽子を脱ぎ、中から紐にくくられた一本の鍵を取り出した。こちらが何事かと疑問に思っていると、彼女はそのままアルドの首に紐を掛けて、長さを調節する。
「私の家の鍵。先生、魔人に弱い顔を見せたくないんでしょ? だったら私の家を使っていいよ。あそこに居れば私以外誰も入って来ないから」
「お前は入ってくるんだな」
「先生の弱さを見られるのは弟子の特権だから!」
 中々どうして図々しい。彼女には配慮というモノが無いのだろうか。冗談っぽくそう思うも、内心では彼女に感謝していた。師匠の情けない姿を見る事になって、彼女は幻滅している筈だ。間違っても目の前にあるような笑顔を浮かべる状況では無い。それでも彼女が笑顔なのは、少しでも自分を笑わせようとしているのだろう。
 まだ笑みは固い。しかし彼女にしてみれば、満足の行く程度ではあったらしい。押し倒すようにアルドを抱きしめて、耳元で呟く。
「……先生、抱いて?」
「―――はああんんんなあああああッ? あ…………ああ、分かった」
 女性として意識している側面があるからだろう。危うくもう一つの意味に誤解する所だったが、この状況でそれをする勇気はアルドにはない。文理通り彼女を抱きしめると、今度は彼女が、アルドの身体に収まった。
「……大好き♪」
「…………私もだ」
 本当に少しだけかもしれないが、心の中に巣食っていた孤独は軽減された。自らの弱い部分を曝け出せるような女性が近くに居るだけで、こうも心が落ち着くとは思わなかった。自分がフェリーテに恋をしたのは、こういう理由があるからかもしれない。彼女の『覚』は無条件で他人の思考を読み取る。基本的にその事が知れれば多くの人間は彼女を忌避するが、アルドだけはその力を有難いと感じている。そのお蔭で、自分は弱みをわざわざ見せずとも、彼女は勝手に理解し、勝手に配慮してくれる。その優しさが、アルドにとっては非常に居心地の良いモノだった。
―――ああ、そう言えば聞き忘れていたかな。
 自分の周りに居る人間を蔑ろにしている、か。彼女も随分手厳しい事を言ってくれたが、実際その通りだ。このまま同じ態度を貫いていたら、自分はもう二度と、カテドラル・ナイツを信用しているとは言えなくなってしまう。世界争奪戦は集結し、今は一時の休息を迎えているといってもいい。あの時は聞けなかったが、今回こそは何が何でも聞かなければ。そしてもしも、ナイツ達の答えが、自分の思う通りの答えだったなら―――自分がこの大陸奪還の果てに何を望んでいるかを打ち明けよう。そして改めて尋ねよう。
 お前達は、こんな私でも慕ってくれるのかと。




























 他のナイツがどうだか知らないけど、僕だって魔人の事は、決して好きという訳じゃない。勿論、同じ主を慕う者としてナイツの事は好きだけど、民衆にまでその好意が及んでいるかというと、決してそういう事じゃない。魔人が人間に虐げられていたから嫌い、というのは言うまでもないだろうけど、僕はその事情から魔人からも嫌われていた。正確に言えば、家族からも嫌われていた。ユーヴァンはそんな僕を助けようとしたから巻き添えを食って、そんな時に現れたのがあの人だった。最初は、他の人間と同じようなものだと思ったけど、違った。


『俺が信用できないなら、その鎖を心臓にでも突き刺すといいッ。俺はお前を助けたいんだ!』


『こんな鎖なんか使わなくても……俺はお前から離れたりしない。お前の指示が無くても、俺はお前を愛する。だから安心しろ。お前がどんな力を持っていたとしても、お前は決して孤独じゃないんだ』


 あの時僕が感じた思いは、今でも昨日の事の様に思い出せる。少し恥ずかしいけれど、あれが僕にとっての初恋だった。物語に沿って言わせれば、塔に囚われたお姫様を助け出す王子様と出会えた気分だった。
 だからそんな人を愚弄する魔人は大嫌い。ナイツという立ち位置に居るから手を出さないけど、居なかったら僕は、きっと全ての魔人に『心透冠』を使って人格を上書きした。フェリーテ達もきっと同じ事を思ったと思う。ファーカなんか、きっと僕よりも強い怒りに我を忘れそうになっていると思う。こっちがどれだけ敵対的な発言をしても彼等は友好的なままで、彼がどれだけ友好的な発言をしても彼等は敵対的なまま。こんなの、間違ってる。
 ヴァジュラは己の胸に手を当てて、唇を噛み締める。己の気が弱い事を知っていたから。あの時からずっとアルドに慰めてもらっていたから、いざ自分がやろうとすると、その方法が分からない。いつだったか侵攻を本格的に開始する前、ユーヴァンが、


『男ってのはな。寂しさを紛らわせる為に女を抱くもんだ! どんな悲しい事があっても、一晩女と過ごせば大体次の日には立ち直ってる! つまりこの話から俺様が言いたいのは―――』


 後半はどうでも良かったので覚えていないが、彼の言葉に従うならば、自分はこの体を―――嫌という訳じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。彼と肉体的に触れ合えたのなら、名実ともに自分はこの身体も心も彼に捧げた事になる。ただ、彼がその手の方面に弱いのはヴァジュラも心得ている。
「デート…………誘ってみようかな」
 

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