ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

王龍の矜持

 誰にも漏らす事は無かったが、リスド大陸に戻ったらどんな事を言われるか。アルドには容易く想像がついていた。いや、出来れば想像などしたくなかったが、リスド大帝国を新たに復興させる際に『謠』からそれを言われた時から、アルドはずっと、想像していた。
『この大陸に居る魔人達を信用しすぎないでね。いつか酷い目に遭うよ』
 何もここまでの事象を『謠』は見通してた訳ではないだろう。『謠』が見ていたのは、最初期から気付きつつも、フェリーテとアルドがずっと見て見ぬふりをしてきた性質。アスリエルを葬った後、フェリーテは何と言っていたか。一連の会話をこの心内に再現しよう。
『妾も共存を理想としている。人間が許せない事をしてきたのは事実じゃ。じゃが、それを妾らがやり返しては』
『人間共と変わらないという事か』
『そういう事じゃの。魔人は下等種族ではないと。それを証明したいのならば、それぐらいの理性は持たんとの』
『まあ、そんな事を言ったって』
『そもそも共存という考えに辿り着く人間が、果たして何人おるか』
 何でもない発言だった。しかし、『皇』が死んだあの時から、アルドは薄々思っていた。魔人も人間も、ひょっとすると何も違わないのではないかと。両方の勢力に交流があるから良く分かる。魔人と人間に、大した違いは無い。強いて言えば見た目だけで、それだけで拒絶されるのならアルドはどれだけの人物に拒絶される事になるのだろうか。『覚』を持つ彼女はアルドよりずっと早くその事に気付いていたのだろう、彼女があんな発言をしたのは―――遠回しに魔人達も人間と同じだと言っていたのだ。より具体的に分解すれば、魔人は基本的に人間の事を下等種族と見下している。その上でフェリーテの発言の中をよく見てみよう。『魔人は下等種族ではないと証明したいのなら、最低限の理性は持つべし』と言っているが、これは遠回しに、『今の魔人は下等種族と見下している人間と大差ない』と言っているのである。これは一方の人間も魔人の事を下等種族と見下している事まで分かっていれば、詳しい事情を説明しなくても同類だという事が良く分かるだろう。アルドは以前、ルセルドラグとメグナの仲が悪い事について、同じ魔人同士どうして仲良く出来ないのかと考えた事がある。それについては同族嫌悪の一言で片が付いたが、魔人と人間の関係性にも、同じ言葉が当てはまるのではないだろうか。魔人と人間、その中間に位置するアルドが感じた違いは無く、強いて言えば外見程度。それなのにどうして仲が悪いのかと言われれば、同族嫌悪。ほら、説明出来る。
 負けた筈の魔人がどうして人間を見下しているかは言うまでも無い。過去の栄光、アルドによる保護、今までの仕打ちから湧き立った憎悪の変化。この他にもまだまだあるだろうが、やはり全ては同族嫌悪に過ぎない。魔王となり、全ての大陸を人間から奪い取っている自分がこんな発言をするのも何だが、魔人と人間は、本当に何かが違っていれば、アルドなぞ居なくとも共存出来ていたかもしれない。
 この話はそろそろ堂々巡りになるからやめておくが、結論を言っておくと、アルドは民衆に何と言われるか大体想像がついている。人間と全く変わらないのなら、リスド大陸に執行者の侵入を許したどころか、助けに来ようともしなかった主を迎える言葉は一つだけだ。それ以外の言葉を受けたのなら、アルドは直ちに今までの思考を謝罪しよう。
 『隠世の扉』によって暗転していた視界が明瞭になると同時に、アルドの意識は空間の内側へと帰還した。目の前の光景は、もう見慣れたものとなってしまったリスド大陸である。留守を任せたナイツの姿は無かったが、代わりに目の前で待機していたのは、憤怒を顔に浮かべた魔人達だった。
「裏切り者めッ!」
「信じた俺達が馬鹿だったよ!」
「どうして助けに来なかったのッ?」
 弁明の合間もなく、次々と飛び込む罵声。中には失望するような声まであった。ナイツに向けられる声は一つもない。あるとしてもそれは、労いか賞賛か。はたまた無力な主に良く仕えているとの同情か。二つの声は、どちらか一方に偏って浴びせられる。アルドを労うような声は、一つとして見当たらない。
 さしものナイツ達も言葉を失った。執行者を倒したのはアルドの手柄であり、アルド無くしてこの世界の存続はあり得なかった。民衆には何故かそれが分からないらしい。致命的な傷こそ再生しているとはいえ、死に至らない軽微な傷はそのままである。そしてアルドにとっての軽微とは、腹を半分以上切り裂かれている状態も含まれる。最早戦う力など残っていないアルドには、それを治癒する気合いすら残っていない。どんな素人にもその切り傷ははっきり見える状態だ。
「何だよその顔は! 何もしてないだろお前は! ナイツの方々がどれだけ頑張っておられたか!」
「無能な王様を持つと、ナイツの方々の苦労が窺い知れるよ……」
「許すんじゃなかったぜ、こんな奴」
 ドロシアの事なんて気にも留めない。民衆は己の語彙の限りアルドを罵倒する事に集中していた。時間にしておよそ五分間、黙したまま立ち尽くしていたアルドは、今にも倒れそうな体をドロシアから離して、ゆっくり民衆へと歩いていく。
「先生……?」
 呼び止める声など聞こえない。それ以上に聞こえる罵声がアルドの精神を犯し続けている。それでも歩くのを辞めない。
「裏切り者ッ!」
「役立たず!」
「お前なんか死んじまえ!」
「信じてたのに!」
 そんな罵詈雑言の中でも、ナイツ達は聞き逃さなかった。譫言うわごとの様に『ごめん』と呟き続けるアルドの声を。やがてアルドの姿が民衆から見えなくなっても、彼等の想いは留まる所を知らなかった。むしろ本人が居なくなった事で、表立って悪口を言わなかった者まで参加し始めた。
「……先生ッ!」
 ドロシアの姿が消える。今度こそこの空間には、魔人しか居なくなった。
「ほらな、俺達の言葉に言い返さないって事は図星なんだよ。『皇』様の存在があったから魔王になれたって事、分かってねえのかな」
「お前、アイツ尊敬してるか?」
「いいや、一度だってした事無いな。本当、良くあんな奴にナイツの方々が付いてきたよ。多分金でも握らせたんじゃねえかな…………」
「いや、女性方に関しては無理やり襲ってとかさ……」
 そこまで聞いて我慢できるナイツはディナントくらいなモノだ。全員が言葉を発さないのも、決して何も言えないとかではなく、あまりの暴言に呆然としてしまったのだ。暫くして、どうにかこの暴動にも思える民衆の愚行を止めんと、特にチロチンが声を上げようとした瞬間―――
「―――劣等種族如きが、あの御方を愚弄するな」
 濡れた鋼の様な声が、一瞬で民衆の声を沈黙させた。口調的にはルセルドラグが近いが、彼ではない。かといってチロチンでもなければ、ディナントでもない。魔人に向けて明らかな敵意を向けたのは、いつも愉快な口調で話している『竜』の魔人、ユーヴァンだった。今までの愉快な口調を全員が知っているからか、彼の向ける敵意には全員が静まり返った。
「守ってもらっている奴らの態度とは思えんな。それがアルドが居なければとうの昔に駆逐されていた弱者の取れる態度か? だとしたら、笑えんな! 確かに、『皇』がアルドを誘ったのは事実。それであの御方が救われたのも事実だ。だが、それ以降アルド様は頑張ってきた。独断行動を控えて欲しいという俺様達の願いも無視して、動く事もあるくらいな……それで、その間にお前達は一体何の被害を被った? 誰かが死んだのか? 住居が倒壊したのか? 何も起きていないのに、どうしてお前達はそうやって被害者面が出来るんだ? あの御方に守られて、俺様達は安全に生活出来ている。少なくとも今まではそうだった筈だ。その時点であの御方の魔王としての務めは完璧だ。あの御方が居るから、お前達は呑気に食べる事も、寝る事も、子作りも出来ている。その感謝を、お前達はどうして出来ない?」
「ゆ、ユーヴァン? い、一体どうしたのですか?」
「ファーカ、俺様はもう限界だ。これ以上アルドを馬鹿にされて黙っていられる程、俺様はあの御方を軽視していない。あの御方は俺様の代わりにヴァジュラの心を救ってくれた、俺様が見たかったアイツの笑顔を、あの御方が引き出してくれたんだ。アルドは俺様にとって親友でもあり、命の恩人以上の恩義を感じている。気が短いと罵ってくれても構わん。だが、俺様はもう我慢出来ない。むしろ、お前達はどうして怒らないんだ? まさか、お前達もそう思っているのか?」
「そんな訳無いだろん。だが、奴等に怒った所でアルド様の立場が―――」
 それだけの束縛で、ユーヴァンの言葉が止まる事は無かった。彼は改めて目の前を見据えて、沈黙する民衆へ、唾棄する様に言い放つ。
「何か勘違いをしている様ならば、言ってやろう。俺様達……少なくとも俺様とヴァジュラは、自らの意思でアルド様に忠義を誓った。民の義務をこなさず、権利ばかり主張するようなお前達が想像もできない旅路の果てに、俺様達は不滅の絆に繋がれた。金とか性交とか、そんな安いモノでは得られないのだよ」
「た、民の義務って何ですか? そんなもの、私達には……!」
 魔王は民を守り、導く事を義務としている。だからアルドは今までリスド大陸を守り続け、極力被害が出ない様に配慮してきた。被害が出そうな時こそあったものの、結局被害は出ていないのだから、彼の配慮は十分な効果を発揮している。その証拠に、この国が魔人の都として復興してから、倒壊や破損した建物は一つもない。
「……民の義務とは只一つ。生きる力だ。アルドに守ってもらわなくとも、状況を打開せんとする意志力だ。俺様はアルドと共に居たから分からないが、お前達。敵が攻め込んだ時、せめて自分の家族だけは守ろうと、或いは自分を守ろうと、欠片でも思ったか?」
 全員の表情が、露骨に曇る。
「玉座を降りてからアルドは一人で大陸の安定化に努めたが、それ以前にお前達は、アルドと交流を取ろうとしたか? 己の不満をぶつけて、改善を試みようとした事があったか? お前達自身が、この大陸をより住みやすい世界にしようと努力した事はあったか?」
 絶対王政だから、というのは通じない。王様が全てを決めるとは言っても、それは進言するなという意味ではないのだ。それにアルドは、絶対的な権力を持っている割には傲慢な所がない。魔人達も気安く発言出来た筈だ。彼は『皇』に魔人の今後を頼まれている。余程の事が無い限り、彼は魔人に罰を与える事はない。
「お前達は全てをこちらに任せっきりにしておきながら、少しでも不備があると人間の様に集まって非難する。それが気に食わない。アルドの前だから抑え込んだが、俺様は魔人の事も大嫌いだ。特に貴様らの様な奴等は、反吐が出る」
 一度枷の外れた感情は敵意に乗せられて一気に放出される事となった。ユーヴァンは同じように民衆の中心へと歩いて、鷹揚に手を広げる。その顔は愉快そうでありながら、何処か敵意を持たせるような表情である。
「さあ、俺様の事も罵倒しろよ! 遠慮する事は無い、罵倒しろ! 貴様らがアルドに浴びせた罵倒と同じくらいのモノを―――!」
「もう、いいよ」
 気づけば彼の手首に、一本の鎖が巻き付いていた。それを辿る様に視線を動かすと、虚ろ目になったヴァジュラが『魂魄縛』を使用してその動きを止めていた。彼女が何も求めない限り、その真の効果は発揮しない。だが怒りに狂うユーヴァンの動きを止めるには十分だった。
「……ヴァジュラ」
「もういいよ、ユーヴァン。途中から話は聞いてたけど、ルセルドラグの言う通りだから。僕達が何を言っても、アルド様の立場が不味くなるだけ。皆の顔を見てみなよ。今のユーヴァンの発言に、誰か怒っている様に見える?」
 言われた通り見回してみれば、彼女の言いたい事が直ぐに分かった。こちらは散々侮辱したにも拘らず、魔人の誰一人として明確な敵意を持っていない。持っているのは困惑の表情と、どうして急にそんな事を言ったのかという疑問的な表情だけ。
 あれだけ言ったのに、こちらは敵意を剥き出しにしたのに。何も言わずに何処かへ去ってしまったアルドの時とは、全く正反対だった。
「…………執行者ってのがこっちに来て、僕達は『剣』の執行者と一緒に戦った。戦って追い払った時から、もうずっとこんな調子。説得なんかしようとしても、アルド様が悪い方向に解釈されるだけ。メグナはこれ以上聞いていると皆殺しにしたくなるから、フェリーテはこれ以上アルド様に対する負の感情を見たくないから、城の中に閉じ籠った。僕だってユーヴァンの声が聞こえなかったら出てくるつもりは無かったよ……ぼ、僕がこんな事を言うのは憚られるかもしれないけど、説得するだけ無駄だよ。アルド様がどんなに努力したって、『皇』の遺した魔人は、人間を見下しているんだから」
 彼女の言葉に深い失望が垣間見えたのも束の間、鎖がユーヴァンから引き戻されると、ヴァジュラは身を翻した。
「……さっき、アルド様が何処かに行くのが見えた。僕はそっちに行くよ。もう誰か行ってると思うけど、僕は僕で、あの人の事が大好きだから」




























 ああ。やっぱり、こうなったか。あんな声を浴びせかけられるのも当然だ。執行者をリスド大陸に入れてしまったから、仕方ない。幾ら剣の執行者が強いと言っても、彼さえ居れば被害は出ないか最小限にとどめられると分かっていても、死の恐怖を感じてしまうのは当然だ。だから、あんな風に責められても自分は何も言い返せない。
「…………うッ」
 ここはリスド大陸西端にある海岸。あの速度でここに辿り着く事は不可能だが、自分を追ってきたドロシアの御蔭で、直ぐに辿り着く事が出来た。そんな彼女も、今は周囲の魔物を追い払っているから居ないのだが。
「………………うッ。うぐ、うッ…………」
 こんな情けない姿を見せたくなかったから、自分はあの森に涙を捨てたのに、全く彼のせいでおかしなものが戻ってしまった。また捨てに行くつもりはない。この感情があったから、自分は執行者に勝てた。これから先、また別の執行者と戦う事になるかもしれないと考えると、この感情を捨てる訳にはいかないのである。涙を拭って感情を誤魔化そうとしても、この情けなさは少しも止んでくれない。どれだけ心を奮い立たせても、この身体がそれをやめてくれない。
「私…………はッ。何の、タメ……にッ」
 言えば全てが事実になる。そうと分かっていても、やめられない。
「何の……為にッ」
 この胸より込み上げた思いは、かつて王様に言われた言葉の衝撃に、少しも引けを取らなかった。




































「何の為に戦ってきたんだああああああああああああああああああ!」
 

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