ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

次元終焉 死の刻 

 場所も移動して、後は彼がこちらに機会を渡してくれるのを待つだけだ。リスド大陸には行かない。あの大陸を戦場の中心地にする訳にはいかないのである。こればかりは誰かに任せなくては……より明確に言えば剣の執行者に一任する他ない。彼がリスド大陸に行ったとするならばまともに相手を出来るのは彼だけだ。フェリーテを連れてこなかった以上、自分達がどんなに素早く向かったって、執行者に逃げられる未来が見えている。最悪、入れ違うようにレギ大陸を取り戻されてまた振り出しに戻される可能性が高い。そこまで考慮したら、自分達は剣の執行者がこちらまであの男を吹き飛ばしてくれるのを待った方が、何よりも確実だ。
 多勢に無勢の理屈は執行者に通じないが、今回は執行者と同じ立場に居る存在が二人いる。本当はもう一人呼びつけていた筈なのだが、彼は一体いつ来るのだろうか。執行者が関わっている事を知りながら面倒くさがる性格ではないので、何か面倒事に巻き込まれて来られないのかもしれない。彼は自分の知り得る中でディナントの次に信頼のおける剣士なので、加勢に来られないのは残念だ。それでもドロシアと『謠』が居るので、不足はないと思われるが。
 闘技街から大きく離れて、何の障害も無い場所へ移動。普通の人間が見れば闘技街が点になって見える程遠く離れたので、意図して狙おうと思わなければ闘技街に被害が出る事はない。執行者を相手どるにはまだ不安だが、彼が本気で何かを壊そうと思ったら距離という概念が意味を為さなくなるので、そこまで神経質になる意味はない。被害に遭うのは足元に広がる草木と自分達だけ。それも死の執行者たる彼に勝てば全て解決する。そう言う意味でも、自分達は彼に勝たなくてはならない。あらゆる手段を用いても、卑怯だと罵られようとも。あれに一人で勝とうと思う方が間違っているのだ。
 しかして訪れる運命の時が来るのを予感して、アルドは剣を抜刀した。この剣は真理を体現した剣であり、その特性は『あらゆるモノを真理に帰属させ、葬る』力。どんなに特別な存在、超常的な何かであろうとも『そこに在る』という法則には抗えない事から、この剣はそれを逆手に取って、平等の条件の下、あらゆるモノを切り裂けるようになっている。
 そんな剣が状態変化を起こす訳など無いのだが、実際にこの剣は現在進行形で融けている。それが何を意味するのかは分からない。真理が融けたらどうなるのだろう、『そこに在る』という絶対不変の法則が消え去れば、それは『そこに無い』という事になる。いや、それは正しいのか。この剣が真理を体現していると言うのなら、これが融けている時点で真理が変化しているという事になる。つまり……どういう事だ?
 それについて結論が出たと同時に、前方の空間に形容しようのない歪が発生した。全員がそれに身構えると同時に、黒い魔力を纏った男が、空間の中から弾き出された。間もなくその歪が妖術によるモノだと気付いたのは、アルドとナイツだけである。
「……ッ奴め、最初から読んでいたか。道理で姿を見せなかった訳だ。こちらの行動も、これからどうなるのかも、全て……アイツの掌の上だったのだな」
 憎々しげにそう吐きつけるも、既に歪は正常に戻っているから声は届かない。彼の言い方から推察するに、彼との戦闘を全面的に剣の執行者が請け負い、その攻撃に合わせてフェリーテが妖術でこちらに転送。あまりにも都合が良い連携だが、『覚』を持つ彼女はその気になれば距離に拘らず心を読む事が出来る。こちらの考えが伝わったのだろう。という事は、目の前の男こそが―――全ての元凶、自分達に世界争奪戦を仕掛けてきた張本人。
 死の執行者。
「……やれやれ。狙いはこれだったか。アイツの気配が無くなったから何が起きたかと思ったら……やはり、罪人はこの執行者が裁かねばならない様だな」
 一目の限り外傷の見えない男は、少しばかり面倒くさそうに起き上がって、地面に手を触れた。その直後。
 世界は瞬く間に終焉へと誘われた。足元の草木は枯れ、自分達を内包していた空は暗黒に堕ち、大気に混じる魔力は……と、魔力はエリの槍によって消え去っていたのだった。しかし男の纏う魔力が人体に有害そうなのは明らかで、もしも消していなかったらと考えるだけで全身が戦慄いた。
「ファーカ、これは……」
「ええ、分かっていますアルド様。皆の者、よくお聞きなさい。この空間に居る限り、絶対に魔術を使用してはいけません。使用すれば……間もなく死に至るでしょう」
「ドロシア以外は、守るようにな」
 例外なのはドロシアのみ。この空間の詳細に見覚えがあるのは、ファーカを助ける為にアルドが深淵へと身を投げ込んだ際、全く同じ空間で『それ』と戦う事になったからだ。幸いにもアルドはそもそも魔術を使えない身なのであまり関係なかったが、だからと言って今回はアルド一人で戦う訳にもいかない。この空間に身を置いても何ら問題の無い人物はドロシアと自分だけだが、それだけでは、恐らく執行者には勝てない。執行者とはそういうモノであると確信している。
「ふむ……やはりあの時、出向くべきだったか。魔力を消されてさえいなければ、既に貴様らの大半は死んでいたというのに、全く。忘れ去られた男の遺したモノの、何と迷惑な事よ」
「…………その侮辱は、宣戦布告と受け取っても良いのだな?」
「残念ながら死刑宣告だ。お前はここで死ぬ。死の執行者たる俺に、その罪を裁かれてな」
 世界がより一層の黒に染まる。これが執行者の本気。世界的正義を背中に背負う者の、聖なる邪気。気を抜けば一瞬で呑み込まれてしまうだろうが、不思議と足は震えなかったし、勝てる見込みが無いと絶望する事も無かった。
「いいえ、それは無理です」
 死の執行者の言葉に、自分よりも先にファーカが前へ踏み出した。それに続いて、ユーヴァン、ルセルドラグ、ディナント、チロチンもアルドの前に進み出る。
「たとえ世界が敵に回ろうとも、この身はアルド様へ捧げられました。如何な存在を相手にしようとも、私はこの愛を胸に、全力を以て貴方の行いを阻止しましょう」
「……実力差は理解しているつもりだが、かつて世界を支配した『王龍』。その末裔たる俺様が恥ずかしい事なんて出来ないし、するつもりもない! だから俺様は……この忠義を死する時まで貫き続ける。たった一人俺様を赦してくれた、この世界の誰よりも偉大な御方の為に! その為にも、アルド様は殺させねえ!」
「アルド様は私に存在意義を与えてくれた御方だ。そんな御方を守る事こそ私の使命、そうでなければ、それは私自身の否定に他ならないん……それにな、非常に不思議な事だが、アルド様と共に居れば、どんな不可能も可能になると……私にはそう思えて仕方が無いのだ。例えば貴様を、殺す事とかな」
「……オレハヒトフリノ刀ダ。アルジノソバニ……タダ、アルノミ」
「―――全部言われてしまったな。改めて決意表明はしないとも、他の奴らが言ってくれたからな。しかし、だからと言ってアルド様に受けた恩は無くならない。この場では語らないだけで、私もまた、アルド様に救われた身。失うモノが無い訳じゃないが、私の全てに懸けて、その愚行は阻止させてもらう。
 カテドラル・ナイツの決意は今や鋼鉄の如く。如何な刃を以てしてもその表面に傷すらつけられないだろう。彼らの持つ決意は単純なる忠義では無く、アルドから与えられた愛情を、少しでも返さんとする意志も含まれているのだから。そしてそれは、ここに居ないだけで他の者も例外ではない。この決意こそが、地上最強の英雄によって集められた、カテドラル・ナイツ共通の矜持。
「やはりお前は罪深いな。真にこの者達の平和を願うのなら、お前は誰とも知り合うべきじゃなかった。お前が地上最強の英雄だと? 笑わせるなよ大罪人。お前は誰も救えないし救わない。罪なき者を須らく、地獄に叩き落しているだけだ」
「それは違う!」
 誰よりも早くその言葉に反発したのは、ドロシアだった。
「私は先生が居なかったら何も知る事が出来なかった。嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事、誰かを好きになる事。先生が居てくれたから私は、あらゆる世界の素晴らしさを知る事が出来た! この次元せかいにたった一人しか居ない先生が居てくれたから、私は……成長できた! 少なくとも、私は先生と出会って幸せになった。地獄なんかじゃ……ない!」
「お前も異常者だろう、小娘が。真理以外のあらゆる法則から解放されているなど想定外もいい所だ。お前という存在を生かした事もまた、アルド・クウィンツの罪である事は言うまでもないな…………一応、聞いてやろう。降伏する気はあるか?」
 それは最後の警告であると同時に、戦いの火ぶたが切って落とされる瞬間でもある。その問答が終わった直後、断れば執行者との戦いが始まる。断らなければアルドが死ぬだけだが、ここに居る殆どの者達は、何よりもそれを拒絶する。返事は聞くまでも無い。
「……そうか。残念だ。アルド一人を片付けられればそれで仕事は済んだのだが、そいつを庇う奴が居るならば同罪だ。まとめて粛清してやる。多数で掛かってくれば勝てるとは思わない事だ、俺とお前達の実力差はその程度で埋まるものじゃ―――」


「だったらもう一人増えてみようか」


 聞き覚えのある声が届くと同時に、その存在は出し抜けに飛びかかり、執行者の額を貫いた。その程度で執行者が死ぬ筈も無いが、牽制程度にはなったらしい。露骨に動揺した執行者は、反射的にそれを蹴っ飛ばして、無理やり間合いを作る。
「…………少々、遠回りをしてしまった様だな」
「遅いぞ、『  』ナニモノ
「あいや済まなかった。ファーカ、久しぶりだな」
「……『  』さんッ?」
 その『  』の情報を果たしてどう表現したらいいのだろうか。手に持っている武器は何の変哲もない刀だが、それ以外の情報―――『  』の情報は出せない。それもこれも、全て彼が『邂逅の森』で『自分』を捨てたからなのだが、それは決して見えなくなっている訳ではない。只、情報がないのだ。
 記憶に残らないと言った方が正確だろうか。目には見えている。声も聴ける。だが記憶に残らない。何度見ようと、どんな印象的な出会い方をしようとも、その姿だけは記憶出来ないのだ。その存在こそ自分が呼び出した最強の助っ人。『  』だ。あらゆる存在から自分を消失させながらも生き続ける奇妙で不可思議な男。知る限り、執行者に匹敵する強さを持つ男だ。その証明は、先程の一撃が命中した事で十分である。
「アルドと喧嘩はしていないか? この男は女の扱い方を心得ていないらしいからな、赦してやってくれ」
「……おい」
「あいやいやいやい。分かっている、加勢に来た。色々と話したい事はあるが、一先ずは執行者の相手をしなくてはな」
 彼を呼び出す事の何よりのメリットは、遥か前から『自分』を捨てている為に、世界からあらゆる記録を参照する執行者と言えどもその存在を探知できないという事だ。彼はこの世界で誰よりも長く生きている。寿命からも忘れ去られ、死にも見失われた彼は、そこに在りながら居ない。見方によっては真理からも外れている存在だから。
 予想外の勢力に、死の執行者は驚愕の代わりに微笑む。
「面白い。今まで隠れていた大罪人まで連れて来てくれて感謝するぞ。だが……今ので殺しきれなかった時点で、お前達の負けだ。世界を操作する権利は既にこちらが支配した。後はお前達を握り潰せば、それで終わ―――」




















「―――らない。お前はここで仕留める。剣の執行者の名に懸けて」


 今までの余裕が無くなった瞬間は酷く滑稽である。死の執行者が目視もままならぬ速度で振り返ると、彼をリスド大陸から追い払った筈の『剣』が、彼の首めがけて一閃を放っていた。『死』は咄嗟に刃を器用に逸らして受け流すが、その余波は遠方の草木に至るまで木端微塵に切り刻み、地面に深い傷跡を残した。
 思わず唾を飲んでしまう様な一瞬の光景。二人の執行者にしてみれば、至って普通の状態である様だ。劣勢であるにも拘らず、『死』は冷や汗一つ掻いてはいなかった。それから『死』は冷静に距離を取って仕切り直す。
「『剣』か。あんな真似しておいて、わざわざ介入してくるとはな」
 あんな真似と言うのは、フェリーテの力を借りて死の執行者をこちらに弾き飛ばした事だろう。剣の執行者は顔色一つ変えず、足元に剣を突き立てた。
「俺の世界を壊した奴を殺す機会に恵まれたんだ。アルドに花を持たせるなんて、そんなバカげた事が出来るかよ……なあ、死の執行者」
 現在の状況を振り返って見れば、死の執行者がどれだけ不利なのかが良く分かる。彼の仲間は確認出来る限り全て殺したので、彼の側は彼しかいないものの、こちらはナイツ五人と、特殊体質者のドロシアに、創の執行者こと『謠』に、『  』に、剣の執行者。そして自分(キリーヤ達には別の仕事があるので敢えて除外。執行者も頭数には入れていないだろう)。数的有利は大いにこちらが所有している。とはいえ自分達が烏合の衆であれば意味を為さない力だが、生憎と自分達の力が欠片たりとも執行者に届いていないとは……愚かな事に、全く思っていない。
「…………丁度良い分配だ。十対一なんて実に久しぶりだが、それくらいの不利が無きゃ勝負にならないからな」
「ほざけ執行者。この世界を壊そうと言うのなら、私はどんな手段を使ってでもお前を止める。私に全てを託してくれたアイツの為にもな。覚悟は良いか?」
 どんなに仲間を揃えた所で、そもそもこの問題を引き起こしたのはアルド自身。剣の執行者には悪いが、彼に止めを刺すのは自分でなければならない。魔人の為に、世界の為に。そして何よりも……彼の為に。
 融けた真理剣が仄かに揺らぐ。
「こちらの言葉を奪うな。お前こそ、執行者に楯突いて生き残れると思うなよ」
 融けた刃が僅かに滴る。
「私の罪は私だけのモノだ。誰が相手であろうとも、たとえ相手が執行者であったとしても……さあ、審判の時だ。どっちが大罪人なのか、断罪の刃を以て白黒つけようじゃないか!」


 融けた刃が再び凝固したその瞬間、神速の剣戟が、死の執行者に襲い掛かった。

















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