ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

骸と武の背中合わせ

 こうする方が一番手っ取り早いと思われる方法は幾つかあるが、ディナントとルセルドラグというコンビは、悲しいかな、まともな探索の手段を知らなかった。いや、ディナントは良識人なのだが、一刻も早くアルドを助ける為には尋常な手段を選んでられないという判断から、この時ばかりはその良識を捨て去っていた。
 街全体に散開してから三十分。五十数軒にも及ぶ建物はディナントの手によって根元から切り倒されていた。中にアルドが居る可能性とか、他にまともな存在が居る可能性とか、そういうのは全て無視。前者に関しては直接切っていないのだから居たとしても無事だろうという暴論から考慮されていない。こんな奴らが果たして本当に忠臣なのかと疑いたくもなるが……彼等は知らないにしても、アルドは実際に一刻の猶予も許されない状況に居る。多少の負傷は致し方ないと割り切ってひたすらに早く探すという方針は決して悪いモノじゃない。主の身を気遣っている暇など無いくらい、主を見つけるのに必死という訳だ。
「ディナント、首尾はどうだ」
「アル……ド、様。み……らナい」
 何となく勘付いていたが、適当な建物にアルドを隠しているという事は無い様だ。あったとしても、きっとその建物には尋常ならざる防壁が作られているだろう。五十数軒も切り倒したのだからまず間違いないと言っていい。その旨をディナントに伝えようと振り返ると、彼は切り倒しに快感を覚え始めたのか、建物を切り倒してその崩れた方向にある建物を更に倒壊させるという遊びまで行い始めた。現在の最高記録は三十二軒。このまま続けさせるとアルドを見つけるよりも早く街が崩壊するのでやめさせる。
「ディナント、やめろん。貴様街を壊す気か」
 こんな行為は自分の位置を相手に堂々とばらしているようなモノだ。早い所怪しい場所に探りを入れないと、ファーカ達に顔向け出来ない。そう思って何気なく振り返ると、虚ろな魅力を放った女性がそこに立っていた。こちらを見据えるその瞳に光は無い。
「野蛮な男は好みじゃないのだけれど、ここまでくるといっそ好ましく思えてくるわね」
 感じる魔力は平均程度。その筋肉も類稀なるものとは思えない。だが、そんな女性を見た時、本能が激しく脈動した。『骸』の魔人らしからぬ思いだが、その女性を犯したいと思考してしまったのだ。理性の方でそれを危険と感じ取ったルセルドラグが直ぐに目を逸らすと、そんな邪念は空の彼方へと消え去った。
―――何だ、今のは。
 ある筈の無い感情に、身体が震えている。まるで彼女を視界に収めた一瞬だけ、自分が自分でなくなってしまった様だ。女性の微笑みから、それが彼女の能力だという事は直ぐに気が付いた。
「ディナント。背後に女が立っているが、見るな」
「……なゼ?」
「その女、種族に拘らず異性を虜にする能力を持っている。見ない方が賢明だろう」
 しかし生殖能力のない『骸』にすら通用する能力とは思わなんだ。執行者の手先と考えるのが自然だが、第三勢力……より正確には第四勢力の可能性もあるので、決めつけは良くない。
「貴様、名は?」
「人に名前を尋ねるんだったら、まずは見てくれなきゃ。女性を前にして視線を逸らすのは男としてどうかと思うわよ?」
「……我が主であればその理屈に頷きもしただろうんが、私は女性に優しくするという言葉を知らん。よって質問を変えよう。貴様は執行者の関係者か?」
 傍らのディナントも視線だけは逸らしてこちらを振り返る。その様子に女性は悪戯っぽい微笑みを浮かべながら(笑い声からしてそんな感じ)、「ええ」と言った。
「執行者とは……そうねえ。最終的な目的地は逆だけど、今は手を組んでるから同盟相手って所かしら。貴方達の敵って認識で間違いないわよ。仮にも貴方達の主を奪っちゃった訳だし」
「何?」
「聞こえなかったかしら。貴方達の主を……ううん、私の夫を連れ帰っちゃったしね」
 その発言は男性陣が聞いたからこそ沈黙で済んだものを、女性陣が聞けばまともな精神を保てないだろう。例えばファーカ……いや、暫し待て。もしかしてこの女性は、あの時ファーカと対峙した女性では無いか? あの後、ファーカは『あの女性が本体では無い』と言っていたが……すると、この女性が本体か。そう考えればあの時、足を踏み入れようとした自分達をファーカが鎌を使ってまで制止させた理由に納得が行く。この女性の能力には、同性でありながらファーカも気付いたのだ。
「………………何故ここに来た。貴様はアルド様の記憶を消去しているとの事だったが」
「消してるわよ。でも中々上手い事行かないから、暇潰しに貴方達を消しに来たの」
 女性は腰から鉄にも似た鋼色の鞭を取り出して、地面にゆらりと垂らした。長さこそ彼女の胸元にも届かない長さだが、わざわざこんな時に取り出した所を考えるとかなり戦る気になっているようだ。彼女を視界に収めない様に注意しつつ、ルセルドラグは拳を構えた。ディナントも程なくして太刀を抜刀。彼女を視界を収めないように目を瞑って、正眼に構える。
「アルド様の忠臣である我らを、暇潰しで殺すと……殺せると本気で思っているのか?」
「伊達や酔狂で執行者と手を組んでる訳じゃないわ。私と対等に渡り合えるのは執行者と私の夫だけ。半端な強さと意志では、私を殺す事など出来なくてよ」
 そこまでの自信があるから当然だが、こちらの膨大な殺気を彼女は凪の様に受け止めて、ぴくりとも表情を動かさなかった。ともすればこちらを舐めているようにも受け取れる。
 彼女を視界に収めれば能力が発動する以上、彼女を見ずに戦わなければならない。鞭を相手にする以上、それは中々厳しい状態での戦いとなる筈だ。自分は愚か、ディナントにもそのような戦闘経験は無いのではなかろうか。見える所を斬るのではなく、見えない所を斬る。文面にしてみても無茶な話である。
「……いいわ、やる気なのね。本当は私一人で相手をしてもいいのだけど、暇潰しだもの。本気を出すのはおかしな話よね。だから―――」
 女性がその場で鞭を振るうと、たった一秒の間隙も無くそれは出現した。
 剣、槍、球、棒、弓、銃……様々な武器を装備した女性の分身である。瞬きもしないうちに出現した分身は二人を取り囲むように出現。その数は何と……分からない。あまりにも建物に隠れて見えない部分も含めて、あまりにも数が多すぎて分からない。遠く、広く、そして限りなく。数えようと思う事が馬鹿馬鹿しくなるくらいの数が居る。ここまで数が多いと最早この街を飛び出している者まで居るだろう。
 こちらの動揺を読み取った女性が、その戦意を殺ぐかのように官能的に呟いた。
「流石に私一人には及ばないけれど、それでも二億。貴方達に倒せるかしら?」
「ニオ………………!」
「…………ふん」
 まともに武器で攻撃して殺そうとは思わないし思えない。二、三万ならばまだしも、二億はそれを遥かに超える数だ。たった一人で相手をしようと思えばあらゆる方向から攻撃を喰らって死ぬだろう。数百人程度で行った所で数的有利は覆らない。やはりその数百人を全方向から叩かれて終わるだろう。一番おかしな発言は、数の暴力を体現したようなこの状態が、自分一人の際には及ばないと発言したことだ。単純にあの女性が嘘を言った可能性もあるが、自分達の全力の殺気を浴びて表情一つ変えない程度の実力がある事から、その線は薄い。
 アルドが捕まってしまった理由が何となく分かる気がする。彼はきっと、この女性と相対してやられたのだ。彼は百万の魔人、それも全盛期を相手に全てを葬り去った英雄だが、これ程の数を出されたらどうしようもない。まして現在、アルドの身体は……
「ディナント。貴様、あの女の本体を切り伏せられるか?」
「…………む、ロン!」
「そうかん。だったら、貴様は本体を狙え。俺は残り全ての相手をする」
 問題は本体の強さだけ。たとえこの場に二億居ようが五億居ようが、はたまた一兆居ようが十垓居ようが問題はない。自称した事は無いが、自分が一体どんな理由からナイツ最強と言われているのか。それはどんなナイツよりも圧倒的に多対一の戦いを得意としているからだ。どんなに強い存在でも超える事は非常に難しいとされる数的不利を、自分はその切り札によって解決しているからだ。
 この勝負に勝てれば、あの女性からアルドの情報を聞き出す事が出来る。彼の居場所に目星が付けられない以上、この闘いは不可避のモノとは言え、こちらとしても願ったり叶ったりな戦いだった。
「何を考えて居るのか知らないけれど、貴方達の死体でも見せてやればあの人も……アルドも私の事を見てくれるかしら」
「貴様如きが―――あの御方の名前を口にするな!」
 先制攻撃を仕掛けたのはルセルドラグ。『連鎖する死ペイルライダー』を発動し、一番手前に居た分身を殺害すると、それに伴って状態が伝染。直ぐにその後ろの分身が死に、今度はその左右と背後が死に……と繰り返し、数分も経たずして二億もの数は姿を消した。せっかく用意した軍勢なのだろうが、まさかこんな一瞬で消されるとは思っても居まい。しかし女性の驚きが伝わってくる事は無かった。女性はつまらなそうに首を回して、呑気に準備運動なぞを始めている。武士道に反する事だろうが、そんな悠長な事を言っている場合でも無い。左上段に構えなおしたディナントが、力強い踏み込みと共に一刀を振り下ろす。
 彼の切り札は特異性こそ地味だが、第三に至るまでの全てが武装だ。『神尽』もその一つであり、武器の位は終位。半端な武器では防ぐ事もままならない。女性はそれを明らかにズレたタイミングで凝視してから、だらしなく垂れていた鞭を一閃。『神尽』の軌道と交わる様に打ち放って、次の瞬間。
 とても済んだ金属音と共に、『神尽』が破壊された。
 動揺で腕の止まった男の首をすかさず一閃。鈍色の光がディナントの喉を掠めると、僅かに遅れて彼の喉が切断。大量の血を迸らせながら、ディナントは背中から倒れ込んだ。
「………………………」
 言葉が出ない。あのディナントをたった一撃で沈める何て、一体その攻撃力をどうやって口にすればいいのか。主以外には見えない筈の『骸』を、女性は口元の血液を舐め取りつつ悪意を持って見据えた。
「食うに値しないわ。まだアルドの方が強いもの。あの人ったら、今の今まで隠してた体力を限界まで使い切って、一人斬り殺すごとにドンドン強くなっていったものだけど、貴方達は駄目ね。数的不利を簡単に覆せる力があるのには驚いたけれど、アルドはそんな些細な不利なんてものともせず、必死に私を殺そうと追い掛け回してたのよ? 倒れるまでに大体二五六万回くらい首を斬られて、二三五六万回くらい胴体を寸断されて、三回くらい心臓を刺されて。その上で三千万人を撃破したんだから、本当に驚いちゃった! ……ねえ、一つ聞きたいのだけれど、貴方達。本当にあの人の臣下なの? 自分達でそう思い込んでるだけって事は無い?」
「………………………」
「あり得ないって顔してる。だったらこの世界には碌な所じゃないわね。最高の夫を見つけられたからもう言う事は無いけれど、そんな世界じゃいずれ滅びてたと思うわよ」
「……貴様は何のために、アルド様を攫った」
「子供を孕む為だけど?」
「孕まなければどうする」
「あり得ないわね。アルドの生命力は既に何者をも超越している。執行者や私みたいに、そもそも無い存在を除けば、あらゆる存在を凌駕してるわ。そんな人とまぐわって子が生まれないなんて、有り得ない」
 もし少しでも動揺を見せれば、そこから交渉をしてアルドを無傷で返してもらう約束を取り付けられたのだが、やった事もないのに一片の曇りも無く確信している女性にはお手上げだ。少し話をした事で冷静に戻ったが、こんな存在に勝てるかどうかが怪しい。話しの最中だったものだから突っ込まなかったが、自分が殺した二億人がいつの間にか再出現している。また殺すのは容易いが、今度はディナントが居ない。本体の方は誰が対処するのだろうか。彼が秒殺された様では、幾らナイツ最強と言ったって数分も持たないと思われる。
 ここの突破法について考えあぐねていると、女性の方から助言の様な声が聞こえてきた。
「最強の切り札を使えばいいんじゃないかしら」
 見透かしたような声に思わず彼女を……見る寸前で止めると、女性は間抜けなモノでも見たような愉快な笑い声を上げた。
「そんなに驚かなくても。あるんでしょう、何か。どうせこの時点で貴方達の敗北は決定しているんだから、使えばいいんじゃない?」
「…………成程。助言感謝しよう。だが、後悔しても知らないぞ」
「それはこっちの台詞。どんな切り札かは知らないけど、さっきの技を見れば大体想像がつくわ。使って見なさいよ。使えるモノならね」
 妙に引っかかる言い方をする女性に、ルセルドラグは一瞬だけ違和感を覚えたが、こんな所で逡巡しても居られないと思い直して、切り札の発動準備に至った。それが全て……女性の思惑通りである事も知らずに。
「……愚かね。自ら縋っている希望を自らの手で潰すなんて」
 誰にも聞こえない声で女性は言う。もうすぐ自分の事しか見えなくなる彼に告げるように、下腹部を撫でながら。



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