ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

混沌へと導いて

 避難所に訪れた男の顔を見て、人間達はどう思ったのだろうか。同じく避難してきた人間……いや、それは違う。男の纏う威圧的な雰囲気はとてもとても弱者とは言えないし、もしもそれを弱者と呼ぶのなら、自分達はクズとしか言いようが無くなってしまう。ではそんな自分達を逃がしてくれた人か……これも違う。自分達を逃がしたのは一人の少女であり、触れれば切れてしまいそうな恐ろしい顔つきの男では決してない。
 その男の存在が避難所全体に認識されるや、人々は数秒硬直した。動くべきではない、或いは関わるべきではない。本能的な部分からそう感じ取った人々は、男の望み通り、彼から興味を強引に逸らした。無論、人間達はその判断がどれ程賢明だったかを知る事は無い。避難所全体を見回すように男は首を巡らせると、程なくして踵を返し、避難所から出ていった。
 助かった、と皆は思った。まだ何もしていないのに助かったも糞も無いような気がするが、それくらい男の威圧感は凄まじかった。彼の正体について彼らが知るのは大分後の事になるが、その時になれば人々はこの時抱いていた気持ちをすっかり忘れている事だろう。気味が悪いくらい掌を返して、にっこりと笑顔を浮かべて。あまりにも都合の良い言葉を並べ立てるのだろう。












 アルドの心は動揺に支配されており、とてもではないが他人から一言言われたくらいでは落ち着きそうも無かった。いつもいつもいつも、どうして最悪な予感ばかりが的中するのだ。最善ばかりを求めて動いてきたのに、当たるのは最悪な予感だけ。では最悪を求めれば逆の結果になるのかと思えばそれも違う。最悪を求めれば求めた通り、最悪の結果だけがもたらされる。何と理不尽な世界だろうか、全く以て優しくない。
「アルド様」
 考え事をしている内に視線が下がってしまっていたようだ、声につられて視線を持ち上げると、大鎌を肩に掛けた少女が、怪訝そうにこちらを見据えていた。そんな彼女を見ていたら、ナイツ達には何も言わずに飛び出してきてしまった事を思い出した。した事と言えば、リーナを彼に渡して、それだけだ。様子を見にナイツの誰かしらが後を追って来たって不思議な事は何も無い。
「如何なさいましたか? 何かお気づきにでも?」
「ああ。気づいたと言えばそうだな……お前以外の全員はまだあそこに居るのか」
「ええ。チロチンが、『離れない方がいいかもしれない』と言ったので、今の所はあちらに」
「そうか。ならば私が気付いた事を共有しておきたい。様子を見に来たお前にこんな事を言うのは気が引けるが、直ちに先程の場所へ戻ってくれ」
 最悪とは、立ち向かう為に存在する逆境のようなモノだ。その予感ばかりが当たる事は褒められた事では無いが、ではそれを自覚した上で何の手段も講じないというのは愚かである。最悪な結果ばかり当たるという事は、それに対する策を用意する準備をしなければならないという事。未だに信じ難い事だが、あの腕が落ちている以上は事実として受け取らなければならない。
 先程とは一転。ファーカの背中を追うようにアルドは歩き出した。
―――せっかく上手く行き始めたと思ったのに、早速躓いてしまう事になるとは。元々作戦何て立てるような性格じゃ無いからかもしれない。或いは作戦を立てるにおいて基本的な、失敗した時の事を考えていなかったからかもしれない、と言えば語弊がある。考えていなかった訳じゃ無い。でも代替案なんか存在しないから、考えるだけ無駄だ。
 避難所とここはそう遠い距離ではない。歩き始めて間もなく、再び彼等の顔を拝む事になった。
「皆、アルド様が情報の共有をしたいそうです……アルド様、後は」
「ああ、有難う。後は私の仕事だ、任せてくれ」
 アルドは再び近くの塀に腰を下ろして、剣先を使ってディナントの持っている『手』を指した。
「私が入手した情報は只一つ。その腕の持ち主の事だ」
「モち…………シ?」
「ああ。その腕の持ち主はカオス・ウリューザナクという。それ程親しい仲では無かったが、刃を交わした事くらいはあるから分かるんだが。その腕……間違いない。かつて死剣で切った痕からも、そいつである事は……レギ大陸の王である事は間違いない」
 ナイツ達の殆どがその言葉に息を呑んだ事は、刹那に生まれた沈黙からも明らかだった。アルドですら中々信じられなかったのだから当たり前だが、カオスという人物についてそれなりの知識を持っていれば、ここに片腕がある理由も分かるだろう。犯人は考えるまでも無く死の執行者と見て間違いは無いが、彼がわざわざカオスの片腕だけを落としていった理由は、恐らく。
「……少し武器について話をしよう。異名持ちの武器は、最早私達の戦争においてはかかせないモノとなっているが、ではここで問題だ。異名持ちの武器とは何だ? どのように生まれるのだろうか。答えは単純で、『その土地の持つ魔力の特異性を引き継ぐ』事で生まれる。言い換えれば魔力によって発現していた能力だけを武器に込めるようなモノで、早い話、技術さえあれば個人でも作る事が出来る。異名ってのはまあ……通り名みたいなモノで、人々の間でそれなりに知名度があって生まれるモノだが、ファーカなんかは便宜上付けているだけだな……これはちょっとした前置きだ。本題はここからだよ」
 アルドは小さく嘆息した後、空を仰ぎつつ続ける。
「カオス・ウリューザナクは特殊体質だった。右手で持った武器を異名持ちの武器にする事が出来たんだ。どんな粗悪な武器であろうとも、彼が使えば一級品に勝るとも劣らない最高の武器となり得た。これを知った上でもう一度その腕を見てくれ。左手だ」
 そこまで言われてチロチンは何かを察したようだ。塀を飛び降りて、彼に顎を向けると、チロチンは謙虚な前置きをしてから、言った。
「合っているかどうかは分かりませんが、現在レギ大陸は無法地帯。加えてそのような体質の王が囚われたという事はつまり―――始まるという事ですか。異名持ちの武具を揃えた者達と、私達による戦争が」
「―――その可能性はある。決して低くはない確率でな」
 人間を頭数にすら入れないのが彼らしいが、実際フィージェント以外は足手まといになりかねないから言い返せない。彼の言った通り、恐らく『死』の執行者は『住人』達に異名持ちの武具を普及させている。そして再び穴を開いて、今度こそ、この大陸を侵略せんと襲い掛かってくるだろう。王の居ない国は治安の意味で攻略は容易く、また兵力の意味でも『住人』は圧倒的。アルド達が来なければ、レギ大陸は一日も経たずして『住人』達の巣窟と変貌していたに違いない。仮に自分達が今のように来たとしても……まあ、少しばかりてこずる、処では無さそうだ。下手すれば余裕すら出している暇も無い。
 彼の腕がここにある以上カオスは間違いなく生きている。しかしそれは同時に、アルドに前述の不安をもたらす要素になっている。それを潰したかったが為に避難所に向かって、そこでカオスの姿を見られればそれで良かったのだが―――あそこに入った瞬間に感じた。カオスは居ない、と。つまり自分は、一抹の不安に耐え切れず、それを潰さんと対処したら、潰すどころか逆に増幅させてしまった訳だ。滑稽極まりないとは正にこの事で、乾いた笑いさえ出てこない。
「見回りで異変が無いと言うのなら、本当に敵側は何もしていないのだろう。それ故に今回はここを拠点としていい筈だ。しかし気を付けろ。私の弟子が穴を塞いだとはいえ、もう一度穴をこじ開けてくる事は十分に考えられる。今日一日はここで過ごすとするが、一秒たりとも気を抜くなよ。私も気を研ぎ澄ませるが、何か異変を感じたらすぐに報告に来るんだ。いいな?」
 ナイツ全員の肯定を見送ると、アルドは強張った面持ちをふっと緩めて、天を仰ぐように大きく両手を広げた。
「しかし戦いばかりで疲れただろう、暫く自由時間にするとしようか。おっと、あの少女達には内緒だぞ。私の弟子には隠した所でどうせ見抜かれるが、あの少女には伝えた所でどうにも出来ないからな」
 自分もどうにか出来るのか、微妙な所だが。




















 

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