ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

心に報いて

「………………はあ」
 遊んだ日もあったが、それでも殆どの日にちを費やして、内部の安定化に努めた。アジェンタの事件以降目立った事件は無かったし、アルドが全力を出さざるを得ないような危険な人物も出てこなかったのは、奇跡と言っても過言でないくらいには幸運な事である。特に王剣によって無理やり退去させたリューゼイ達が来なかったのは、あちらで何か起こったのだろうか。まあ来たとしてもアルドが居ない間の大陸は剣の執行者によって守られていた。仮に来ようとしていたとしても、剣の執行者に船を斬られて失敗するだけなので、心配する必要は無さそうだ。
 それより心配するべきは、フルシュガイドに自分達の存在がバレたという事である。奇跡的にもこの一年は一度も攻められなかったが、それはもしかしたらアルドが大陸侵攻しているタイミングを見計らっているだけかもしれないので、これからも攻めてこない保障はない。いや、十中八九攻めてくる。そしてフルシュガイドの事だから、これ以上大陸を取られまいと他の大陸にも使者を送ってそれを知らせるだろう。『邂逅の森』にてこちらから『周りの者の記憶』を捨てたので、アルドと言われても人々はピンと来ないだろうが、だったら魔人が攻め込んでくると教えておけばいい話。何にしてもこれ以降の侵攻は難しくなる事請け合いである。
―――まあ、こんな事を気にするのは許されてからの方が良いんだが。
 日も昇らぬような時間に大聖堂を飛び出して、アルドは砂漠を歩みだす。街に着けば全てが分かる。許されていれば何も無く、許されていなければそこにはかつてアルドを殺さんとした十字架と薪が設置されている。
 出来る事はしたし、持てる力は尽くしたつもりだ。その果てに待っている結末が処刑であろうと、今度こそアルドは逃げない。幾千幾万の時間この身を焼かれても、大人しくその運命を受け入れて退場するとしよう。






 町に着く頃には、アルドの歩みは殆ど走っていると言っても良い程に早くなっていた。別に自信があるとかそういう事じゃない。不安なのだ。許されているのかどうか、自分の動きが無駄じゃ無かったのかどうか、考えられる限りのあらゆる要素が不安なのだ。だからこそアルドは歩みを早めて、その結末を目撃したい。その為にわざわざ早朝と深夜の間の如き時間に大聖堂を出てきたのだ、決してもしも処刑される事になった際にエルアやダルノアを悲しませたくないという事ではない。多分。
 大通りが見えたらそれに沿うように右に曲がって、後は道なりに足を進めるだけ。その先にあるのはリスド大帝国を崩壊させた際に魔人達が立てた帝城であり、もしかしたらその前には処刑場が作られている。
 進めば分かる事だ。歩みは止めない。
 自らの鳴らす靴音に心臓が反応して、今にも飛び出さんとその鼓動を早める。これ以上進みたくないという本能が心を支配して、その動きを止めようと全身を駆け巡ってくる。それでもアルドは理性にてその本能をねじ伏せて、強張り切った足を動かして進み続ける。手は緊張のあまり開けなくなって、目は焦点が合わなくなってきて、皮膚からは死を初めて間近で感じた時以来の嫌な汗が漏れ出ている。
 だが止まらない。止まってはいけない。後少し、後少しで全てが分かるのだ。アルド・クウィンツという男の結末が。堕ちた英雄の末路が。
 生きるべきか死ぬべきか。生かすべきか殺すべきか。与えるべきか奪うべきか。
 その全てが目の前に……広がった。








「待たせてくれたのう、主様」
 城門の柱に凭れていたのは、『妖』の魔人、フェリーテだった。いつものように鉄扇を開いて口元を隠し、雅な笑みを浮かべていた。この一年は殆ど交流も無かったが、仮にも彼女とは殺し合いをした仲。その目を見れば、どんな思いを持っているかくらいは直ぐに分かる。
「フェリー…………テ?」
「このような時間帯、妾とディナント以外が起きている筈もあるまい。他の皆は少し仮眠を取っておるよ」
 彼女以外には、処刑場も無ければこちらに殺意を向けてくる存在も居ない。今日に処刑を執行するという事であれば既に作られていて当然なので、これは―――許された、という事か?
 目の前の光景はあまりにも信じがたかった。この目の裏には常に処刑場のイメージが浮かんでいたのに、実際に映し出された現実は、己の妄想を完膚なきまでに否定している。それこそ、許されない訳が無い、とでも言っているかのように。
「肩の力を抜くといい。主様は許されたんじゃ、皆の者に」
「―――ッ!」
 言ってくれた。言ってくれてしまった。こちらの心情を見透かしたフェリーテが、アルドの内側で揺蕩っていた否定の妄想を打ち砕いてしまった。瞬間、アルドの全身から力が抜けた。開かなくなっていた拳はゆっくりと開いて、見るべきでないと警告していた本能は奥へと潜み、怯えていた心臓は正常に作動している。
「許された……?」
「ああ」
「許されたのか……?」
「そう言った筈じゃ」
 時間は流れゆく、風と共に。それが止まった事何て只の一度も無く、それはこれからも変わらず動き続ける。誰がどのような結末を迎えたとしても、世界は今日も廻っている。しかし今のアルドには、この一瞬が終焉にも等しい永遠に思えてならなかった。他の事に気を取られて魔人達を危機に晒した、それは本来、許されるべき事では無かったのに。許された。
「私は…………本当に許されたのか?」
「しつこいのう。そう言っておるじゃろうが。妾の言葉が信用出来ぬのか?」
「いや、そういう訳じゃ……いや、しかし。もう既に私は死んでいて、これは私の見ている幻覚に過ぎない可能性も―――」
 フェリーテは仕方なしと鉄扇を閉じて、こちらへと近づいてきた。そして―――アルドの身体を、しっかりと抱きしめた。その瞬間に身体が再び強張ったのは言うまでも無く、言葉はそこで途切れてしまった。
「主様は死んではおらぬよ。これがその証明じゃ。妾の体温が感じ取れるか? 妾には主様の体温が感じ取れる。妾の身体の感触は分かるか? 妾はしっかりと主様を抱きしめておる。ここまでしても主様は、己が死んでいるに違いないと、そんな戯れを口にするのかの?」
 彼女との身長差から生まれる上目遣いは、あまりにも純粋で美しくて。アルドは思わず目を背けてしまった。そして気付いた。ああ、何て情けない姿を見せてしまったのだろうと。男は……英雄は、特に女性の前では強く在らなければいけないのに。
「別に気にする必要は無い。妾は主様の弱い所も含めて主様を愛しておるからの……今は妾以外誰も見ておらん。たまには甘えてくれても、いいんじゃぞ?」
「あ、あまえ……いや、いいさ。甘え方なんてモノは、生憎と習った事が無いんでな」
 正確には恥ずかしくて甘えられないのだが、それは心情でのみ察していただこう。口に出してしまうと、自分が情けなくて仕方ない。フェリーテはニヤリと口元を綻ばせてから、一歩後退してその場に跪いた。
「……妾とした事が、言い忘れておったな。妾はずっとこの時を待っておったんじゃ。ずっと言いたくて、言えなかった。本来は他の者と一緒に言うべきなんじゃろうが、今回ばかリは先んじて言わせてもらおう。主様―――お帰りなさいませ」
 たった一言の、聞き慣れた言葉。その中にどんな意味が込められていたとしても、他人であるアルドには届く筈もなく、当然、『森』に捨てた涙は出てこない。代わりに出てきたモノはおよそ一言では片づけられない複雑な感情と、彼女に対する感謝。好きとか嫌いとかそういう問題ではなく、この言葉を聞きたかったが為に、自分は今まで頑張って来たのかもしれない。
 たとえそれがたった一言の何気ない言葉だったとしても、己の頑張りを肯定してくれる発言であったのなら。
「……顔を上げろ」
 アルドは片膝を突いてフェリーテの目線に高さを合わせてから、その瞳をしっかりと見据えて、たった一つの返すべき言葉を呟いた。








「―――ただいま」





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