ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

闇夜に潜む凶刃

 あの少女と顔を合わせる事は面倒だった故、彼女が早めに寝てくれたのは助かった。彼女も相当居心地が悪かったのだろうが、こちらとしてもそうしてくれるのは好都合だ。これで彼女の事を気に留める必要が無くなる。後はもう何をしようが、自分の勝手だ……とは言ってみたが、これと言ってやる事も無い。
 ツェートは家に入る直前に足を止めて、裏の方に回った。そして周りに誰も居ない事を確認すると、姿勢を整えて素振りを始める。
 船上ではアルドに大敗を喫したが、次に斬り合う時こそ勝利して見せる。そしてヴァジュラに、告白する。自分をいつも見守ってくれた彼女を、今度こそ自分の腕の中で守ってあげる為に。
「はッ!」
 隻腕だから勝てないなんて道理は無い。努力していれば必ず思いは報われる。必ずアルドを超えられる。一日が無理なら三日、三日が無理なら一週間、一週間が無理なら一か月、一か月が無理なら一年間、一年間が無理なら十年間、十年が無理なら百年間。
 彼女に好きだという思いを伝える為に、ツェートは絶対に、諦めない。今度こそ、本当の恋だ。レンリーとの間に起きたあれは、所謂叶う筈の無い恋で、ヴァジュラとのこれは、絶対に叶う筈の恋。自分が諦めさえしなければ、想いは必ず報われる。
「百回!」
 息はまだまだ続く。百回程度で疲れていては一生アルドには追いつけない。千回……いや、一万回は素振りをしてからでないと、話にならない。あの化け物に追いつくには、無茶苦茶な量の努力を重ねる以外に方法は無いのだ。
 それから三十分以上、ツェートは無心で、ひたすらに剣を振り続けた。さっきまでは意見の合わぬ少女や余計な不安に苛立っていたが、こうしてみると案外、それが非常にちっぽけなモノだった事に気が付いた。目の前の刃を見据えて、上げて、振る。たったそれだけの反復行動で、余計な感情は全て斬り払われた。
 この胸に疼く感情は、『強くなりたい』。只、それだけ。己の想いを貫く為に、この世界に生きる全ての強者を超えて、地上最強になる。ツェートが知る由は無いが、それはかつての『彼』が抱いた想いと全く同一のモノ。違うのは、それが己の為なのかどうかという事だ。
 ツェート・ロッタは、己が恋の成就の為に、地上最強を。
 『彼』は全てを守りたかったが為に、地上最強えいゆうを。
 どちらが正しい志なのかは分からない。いや、そもそも正解など無いのかもしれない。強さの形がそれぞれあるように、行きつく先が同じだったとしても、その道程は何も一本ではない。
―――俺は。
「……超えるッ」
―――全てを。
「師匠をッ」
 最後の一振りは、澄み切った風切り音と共に、停止した。途中から面倒になったので数える事を放棄してしまったが、大体千五百回程だろうか。流石に腕も痺れてきたし、息も乱れている。そろそろ家に戻って休息を取った方が良いだろう。いつアルドが帰ってくるかも分からないし、その時になって息切れも直っていないようでは、足手まといでしかない。ツェートが武器を納めて、家に戻ろうと足を踏み出した―――刹那。
 その凶刃は音もなく飛来した。
「な……ッ」
 もしも自分に瞬間移動の力が無かったら、その攻撃によって間もなく絶命していた事だろう。地面に突き刺さった物体を回収。攻撃方向と向かい合うように後退する。
 ……投げナイフか。
 自分が素振りをしている間に狙わなかったのは、その時には居なかったのか。はたまた敢えて攻撃を回避させる事で力量を計ったのか。いつの間にかツェートの目の前には、影のような(色が黒いという事ではなく、本当に言葉のままである)黒衣を身に纏った、不定形の何かが佇んでいた。
 反射的に武器に手が伸びるが、その行動を読んでいたように、不定形はツェートの手の甲めがけて投擲してきた。軌道が露骨なので避ける事は容易いが、これでは武器が抜けない。続いて右に動こうとするが、今度は右足の爪先にナイフを投擲。まるで『一歩も動くな』と警告しているかのように、不定形は的確にナイフを投げてくる。
「誰だッ?」
 答える代わりに、不定形はゆっくりと、しかし確実にこちらに歩み寄ってきた。足跡の大きさから考えると、魔人か人間か。こればかりは魔人の種族の問題があるのでどちらかに決めつける事は出来ない。
「何で俺を狙う? 俺は特に何か悪い事をしたつもりは無いんだが」
 やはり答える声は無い。このままでは動きを完全に封殺されたまま、この不定形の何かに急所を突かれて殺されかねない。
 ここは自分の故郷だし、あまり戦いたくは無かったのだが……このまま殺されるくらいであれば。
「―――へ。そっかそっか。だんまりかよ。まあいいさ、だったら一発ぶん殴って聞くだけだ」
 ツェートが一歩踏み出すと同時に、不定形はナイフを投擲した。狙いは足の爪先、少しずらせば簡単に躱す事が出来る。しかしそれでは、不定形に精神的圧力を掛ける事が出来ない。それが分かっていたからこそ、ツェートは敢えて、ナイフを蹴って弾いた。その直後に、今度は首めがけて投擲されれるが、この程度のナイフはアルドの剣戟に比べれば止まっているようなモノ。余裕をもって柄を掴み、逆手に持ち替える。
「殺しはしねえと言うつもりは無い―――痛い目見てもらうぞ」
 最後の警告のつもりで言うが、それでも答える声は無かった。ツェートは自嘲的に微笑み、ナイフを上空に放り投げてから―――『敵』の背後に回り込み、その頭部に先程放り投げたナイフを、力の限り突き立てた。敵は一度激しく痙攣した後、事切れたようにその場に倒れ込んだ。
「……え」
さっきまでの威圧感は見掛け倒しだったのではと疑う程、あっさりと敵は動かなくなった。拍子抜けというか何というか、何をされた訳でもないのに、ツェートの動きは数秒の間、完全に停止していた。
 目の前で起こった事態に、思考が追いつかない。
「一体何が……カッ!」
 突如全身を駆け巡った激痛。反射的に右肩に手を伸ばすと、そこに突き刺さっていたのは自分が現在保持している短剣と全く同一のモノだった。驚いて背後を振り返るが、もう遅い。既にツェートの額めがけて、次のナイフが投擲されていた。
 すんでの所で再びツェートは飛んで、先ほど死んだ筈の敵の足を払い、今度は自らの剣を左胸に突き立てた。手応えは確実。今、この敵は間違いなく死んでいる。
 …………………
 気配のする方向を見遣ると、そこにはまたしても殺したはずの敵が佇んでいた。驚いて足元の死体へと視線を落とすが、消えている訳では無い。先程殺した敵の死体も、ずっと残っている。
―――なんだ、これ。
 幾ら不意を突こうが何をしようが関係ない。敵を殺せば敵が出てくる。どんな手段で 殺したって、拘束したって、ぶん殴ったって、投げ飛ばしたって。その一回で眼前の敵は動かなくなり、次の敵が補充される。敵の攻撃は投擲のみと大したことは無いが、これが永遠に続くとなると話は違ってくる。
 あまりにも唐突に戦闘が開始して一時間。打開策を考えながら戦うも、次第に自分の体は言う事を聞かなくなってきた。ナイフの投擲こそ正確無比だが、相手は攻撃を躱す事も出来ない素人。勝てない道理なんてある訳が無い。なのに……勝てない。
 家の中に戻れば少なくとも籠城が成立するので、この疲れも癒す事が出来るだろう。だが、戦いに母を巻き込みたくはない。ついでにあの少女も。故に今の自分には、逃げるという選択肢は考えられない。幸いなのは、出てくる人数こそ果てしないが、一度に出現する人数は一人だけという事。もしもこれで一万人や十万人が一度に出ようモノなら、ツェートは即座に港の方に飛び、避難しただろう。母と少女を連れて。
「……………………どれだけ死ねば、お前は殺せるんだ?」
 薄々その答えに気付きながらも、ツェートは敢えてそれを口の中で噛み殺し、再び敵へと突っ込んでいった。
 だって、その答えを自ら口にしてしまえば……きっと、心が折れてしまうから。









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