ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

血塗れた想い

 一体どうしたモノだろうか。もう二度と会う事は無いと思っていた為、心の準備が何も出来ていない。すっかり忘れていたエルアとは違い、彼女の事はちゃんと覚えている。彼女が居なければ自分の記憶が戻る事は無かった。そんな恩人とも言えるような彼女の存在を忘れる訳が無いだろう―――こんな言い方をするとエルアが可哀想だが、ダルノアの方が良く覚えていた事は事実。だからこそエルアは自分を永遠に捕らえようと思った訳なのだが……それはもういいか。悪魔とは約束を交わしたし、エルアも現在は自分と共に生活しているので暴走する心配は無い。オールワークという師匠も獲得した事だし、もう掘り返す必要は無いだろう。アルドも十分に反省したつもりだ。もう忘れるつもりはない。これからも、それからも。
「……師匠」
 しかし不思議な事もあるモノだ。記憶を失っていた時代の話だが、ダルノアは男に未遂とはいえ襲われた事がある。年が幾ら下で体が未成熟でも、何の事は無い。美人でさえあれば男はそれに欲情する事が……出来るのだと思う。あそこが女に飢えていたからというのもあるかもしれないが、男ばかり乗っていた船で、良くもまあここまで無防備な体勢で眠れるモノだ。彼女の場合は特にあの時の体験がトラウマになっていそうなモノだが……カシルマだろうか。感化しやすいでは済まされない程カシルマは染まりやすいが、その本質までは染まり様がない。そうであろう、きっとそうに違いない。そうであると信じなければ説明がつかない。
 これがフィージェントであれば簡単に納得がいっただろう。彼は女運が無いが、それは本当に何とかする気が無いだけだ。彼が本当に良い女性と出会いたいと思っているのであれば、縁結びの権能なりを使えばどうとでもなる。それをしないのは偏に彼の優しさであり、自分の教育の賜物であると信じたい。彼は軽そうに見えて、案外真面目なのだ。
 別にカシルマと比較しているつもりはない。しかし彼は非常に集団に感化されやすい性格で、幾ら根が真面目で誠実とは言っても、あんな部下達と行動を一緒にしていたら確実に表の顔は酷い事になっている。少なくとも、少女に警戒心を抱かせるには十分すぎるくらいには。港での行動もそれを証明している。
「…………師匠ッ?」
「―――ん? あ、ああ。どうしたんだ?」
 思考を深める事に意識を向け過ぎて、呼ばれている事に気が付かなかった。慌ててツェートの方を見遣るが、彼から心配の表情は消えない。
「……大丈夫か?」
「ああ。しかし、どうしたモノかな。私はこの少女が誰であるかを知っている。知っているが……だからこそ、困るというか」
「何が困るんだよ。エルアみたいに引き取ればいいんじゃないのか?」
 事態がそう単純なモノであればどれ程気が楽だったか。言うまでもないと思っていたが、改めて説明する事にする。
「―――エルアとは『いつか外に連れ出してやる』と約束していたからな。それに、彼女の事を忘れていた罪滅ぼしの意味もある。一方でこの少女にそんな義理は無い。それにエルアと違って、この少女は一般人だ。魔人と人間の戦いに巻き込む訳にはいかない。初めてこの少女と出会った時も、そんな思いがあったから私は置いてきたんだ」
 しかし縁と言うものは簡単には切れないらしい。自らの記憶を取り戻すのに貢献した少女は、荷物という形で、自分との再会を果たした。今はまだ眠っているが、これが起きたとなれば中々面倒である。自分がどういう人間でどんな事をしているかも説明しなければならないし、更にこちらに引き取る気が無いので、彼女の引き取り先も探さなくてはならない(奴隷時代のよしみでナイツの誰かに娘として引き取らせるのもありか)。
 ああ、何と面倒な事だろうか。彼女が今も無事に生きている事は嬉しい事だが、こんな形で再び関わる事になるなんて。
「……なあツェータ。こいつを引き取ってくれないか」
「ええー。幾ら師匠の頼みでもそりゃ無理だな。レンリーの相手で精一杯、俺にはとてもじゃないけど面倒何て見切れないよ……失踪したりしたら、嫌だしな」
 最後の言葉には自嘲の意味が含まれていたが、アルドが気付く筈も無かった。「やはりか」と言って、額に手を当てる。彼としても特に期待はしていなかったらしい。
「だったら引き取る必要は無いんじゃないか? 師匠は、他でもない弟子の頼みだから出来れば聞いてやりたいんだろうけどさ」
「それもあるが、アイツの部下は男ばかりだ。それもアイツの性格が変わってしまう分にはガサツで汚い奴しかいない。そんな所にいつまでもこれを放置してみろ。終いには襲われるぞ」
 カシルマが守っていると考えればその心配は無いが、何にしても精神的圧力は大きい。たとえカシルマが守っているからその心配は永遠に杞憂のままだったとしても、それでも『襲われたら』と考えずにはいられない筈だ。
 廊下を行ったり来たりしながら思考を深めるが、自分の抱える問題を全て解決できそうな手段は思いつかなかった。船内の一室で無防備に眠るダルノア。それを見つけたツェート。悩む自分。少なくとも現状は打開しなければこの構図は永遠に続く事になる。






―――ここまで考えて何の解決策も思い浮かばないのであれば、やる事は一つだ。






「一応聞いておくが、船酔いはしないよな?」
 二人は少女が眠る部屋の扉を閉めて、甲板へと戻ってきていた。逃げるように空を見上げてみるが、大きな変化は無い。分かってはいたが、少しだけ安心出来た。
 ダルノアは結局どうするのかって? アジェンタに着いたら考える事にした。丁度彼女と出会った大陸でもあるし、宿屋等で考えた方が思考が深まると考えた結果だ。それに、今解決しないと大変な事が起きる訳でも無いし、悩むだけ無駄である。
 なので何の解決になるかと言われれば、何の解決にもなっていない。姑息な手段だが、この船が止まるまでは彼女の事など考えないで、船旅を楽しもう。
「馬鹿にしないでくれよ。師匠と出会った時も確か船の上だった気がするけど、その時も別に酔ってなかったぞ!」
「そういえばお前は先天性の千里眼を持っていたな。ならば酔う筈もないか」
「おうッ」
 ………………
 喋る事が無くなったが、当たり前である。解決していない問題を一旦解決した事にして逃げてきたのだ。ツェートも彼女の事が気になっているし、自分も気になっている。会話から中身と連続性が無くなってしまっても仕方ないだろう。これがナイツであれば―――ルセルドラグやメグナは少々疲れるかもしれないが、ユーヴァンは話のネタが尽きないし、ディナント、チロチン、フェリーテとは喋らずとも心地よい時間を過ごせる。ヴァジュラやファーカは……言葉には出来ないが、ここまで気まずい雰囲気にはならないと思う。
「……なあ師匠」
「何だ」
 気まずさに耐えかねたのか、ツェートが話を振ってきた。非常に助かる事だ、どんな話題であれこの雰囲気を変える事が出来るのなら―――
「師匠の昔の事。聞いてもいいか?」
 その言葉を聞いた瞬間、心臓が締め付けられたような気がした。体調は至極良好。何の病気も患っていない。しかし、息は喉を棒で貫かれたように詰まって、指先は紐で何重にも縛り付けたように固くなって。
 ぎこちない動作で何とか手すりに凭れ掛かるが、全く休めるような気分ではなかった。
「……お前が過去を気にするような奴だとは思わなかったが」
 ツェートには自分の過去なんて少したりとも教えた記憶が無いが、一体誰が教えたのだろうか。自分の過去を知る人物に、そんな口の軽い輩は居なかったと思うが。
「気にはしてないけどさ。確認したかったんだよ……師匠って、英雄だったのか?」
 露骨に嫌がる素振りを見せたのに、ツェートには少しも気にしている様子が見られなかった。このまま遠回しに拒絶しても同じ事だろう。諦めたようにアルドは息を吐いて、過去の記憶を見据える。
「……私は、英雄になりたかった。その為だけに剣を振るって生きてきた。そんな私が成し遂げたモノを英雄と呼ぶのであれば、そうなのだろうな」
 二代目『勝利』を冠ったあの時から、自分は負ける訳にはいかなくなった。誰かに超えてほしいと思う反面、誰にも負ける訳にはいかないと思うようになった。それが自分の価値、それが自分の生きている意味。負けた自分に価値は無い。負けるような弱い自分に価値は無い。
 自分は強くなければいけない。今もそう思っているし、そうでなければ誰も自分を愛してくれない。誰も自分を……見てくれない。
「で、英雄だからどうしたんだ? 私の事を尊敬でもしたのか?」
「いや―――師匠が百万人を一人で相手にしたって話、聞いたからさ。本当にそうだったのかなって思って」
「ああ……その事か」
 もう二度と引き出すまいと思っていた記憶。血塗れの引き出しに手を掛ける。魔人と過ごした大切な時間は、かつての自分を忘れさせてくれたのだが、やはり英雄は英雄。どんなに頑張っても、その柵からは逃れられないらしい。
「私がやらなければ人類が死んでいた、それだけの事だ」
「辛くなかったのかよッ。自分一人だぞ? 頼れる仲間も、背中を預けられる友人も……」
「そんな奴は居ない。私の力が認められてから出来た友人は……まあ、居たけどな。皆攻めようとはしなかった。自分の持ち場を守るので精一杯だった。だから私が攻めるしかなかったんだよ。山だろうと川だろうと平野だろうと……たとえ私一人でも、人類を生かす為には戦わなきゃならなかった」
 アルドは空を見上げて、自嘲するように微笑んだ。
「なあツェータ。誰からその話を聞いたかは知らないが、決して同情なんかしないでくれ。私の苦労何て労わないでくれ。全て私が選んだ道だ、後悔はしていない」
「師匠…………」
「この身は救われる為にあるんじゃない。誰かを救う為に存在するんだ。私が私でなくなるまで、私の体が限界を迎えるまで……ずっと。それが強者の義務、理だ。私は英雄になる為に剣を振るって、最強になった。ならば英雄らしく、誰かを助けるのが筋だろ? 魔人も人間も、特に深い理由すら持たないままな」
  子供は今日も、英雄を夢見る。少年は今日も、英雄を目指す。青年は今日、英雄になった。英雄は英雄のまま、やがて死に至る。それはきっと碌でもない死に方だが、それこそ本望。それまでに誰かを助けられたというのであれば、それに勝る喜びは存在しない。
 偽善者と言うのであればそう言えばいい。自分は他でもない偽善者に憧れた。否定をするつもりは無い。たとえ誰かを助ける為に取った行動が悪であったとしても、それでも自分はやるだろう。何せアルドは偽善者なのだから。
「きっと、碌な死に方じゃない。しかしまともに死んだ英雄なんて居ない様に、きっとそれが最上の死なんだろう。英雄は善を語る悪のようなモノだ。誰かが善で居る為に、必要な悪を背負い込む最低の人種だ。そんな人間でも、少なくとも他の人間と同じように死を迎えられるというのであれば、考え方によっては、幸せだと思わないか?」
















 

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