ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

主の片腕

 今更彼―――ネセシドを恨む気は無いが、やはり腕は二つあった方が良い。誰かを守りながら戦うという事が、非常に難しくなってしまうから。
 レンリーを軸に回りつつ、防戦。一見して成り立っているこの戦いは、実際の所こちらがかなり不利と言わざるを得ない。何せ片腕しかないのだ。それでいてこの量―――百は容易く超えるだろう数を切り抜けろというのは無理な話。だがここで諦めれば、死ぬ。
―――ほら、どうした? もっと俺を楽しませろよ人間。
 頭の中に響く声は、自分の戦いに感心しつつも挑発をやめない。言い方から考えると、この声が元凶なのは間違いない。だが、この影の集合体のような異形の者達を突破できていない以上は考えるだけ時間の無駄だ。今はそんな事よりも、この状況を切り抜ける策を考えなければ。
 影は攻撃を仕掛けてこない。一閃するだけで霧散する。だから一体一体は大した事はないのだが……どうにもこの影、レンリーを狙っているらしい。斬ろうと突こうと一向に狙いを変えない辺り、彼女をこの影に接触させるのはリスクが高すぎる。しかし移動しようにもこの影の数では、接触ありきでの突破が前提となる。それが分かっているからこそ、ツェートは終わりなき持久戦をする事を選択した。
「……ハッ!」
 手応えの無い敵にやりにくさを感じるのも何度目か。しかし、今はこれを続ける他ない。この戦いは、そもそも場所からして不可思議なのだ。何処を見ても柔らかい肉が詰まっていて、重力の概念は曖昧で、窓から見える景色は数分ごとに切り替わって。もう何が何だか分からない。
 声の案内を受けてツェート達は家に入ったのだが、その瞬間までは確かにここは普通の家だった。こうなってしまったのは扉が閉じられた直後の事。あまり魔術に詳しい訳ではないが、扉の動きを引き金に結界魔術でも組んだのだろう。そうでも説明しなければ納得がいかない。
「ね、ねえツェート―――」
「黙ってろ! 喋っている暇はない!」
 こんな奴らと正攻法で戦う必要はないが、この場所から脱出する為の具体的な案が思い浮かばない。あの窓をぶち破れば行けるかもしれないが、そこまでの道のりが分からない以上有用な案とは言えない。その―――刹那。上空から黒い何かが割り込んできた。
 異形の者と違って実体があるそれは、ツェートの目の前で着地して。
「一度は言ったと思うが、改めて。暫しの単独行動、申し訳なかった―――我が主よ」
「……フォーナッ?」
 その声を聴いた瞬間、何かによって蓋をされていた記憶が蘇った。






 「お前達はどうする? 協力してもらうとは言ったが強制はしない。もしも別行動を取るつもりがあるならこのリストを渡しておくから、代わりに少しでも消化しておいてくれ」
 そうアルドに尋ねられたが、残るという選択肢はツェートには無い。行った方が確実に何かを得られるだろうし、せっかくアルドと再会したのだ。もっと一緒に居たいという気持ちもある。
「我が主よ」
「……何だ?」
 レンリーには聞こえない様に小声で返す。姿が見えないから存在感が無いが、フォクナもちゃんと付いてきている。
「私は暫く、己の存在を隠匿しようと考えている。貴公の記憶からも私の存在は抜け落ちるだろう。どうか暫しの単独行動、お許し願いたい」
「記憶が抜け落ちる……? 何の事か分からないが、分かった―――」






「話を聞いていた時から嫌な予感が拭えなかった。故、極限まで己の存在を隠匿し、調査をしていた」
 フォクナは徹底して全身を隠しており、喋っている今も黒ずくめのローブに身を包んで肌すら見せようとしない。間違いなく味方の筈なのに、異形達と姿が大差ないのではツェートも苦笑いを隠せない。だが自らの『片腕』である彼女が来てから、防戦はずっと楽になった。
「私の隠匿術は少々特殊。その気になれば記憶からも姿を隠すことが出来るし、結界からも逃れる事が出来る。此度はその特性を有効に活用できる事態だった」
「……どういう事だ?」
「主の居る場所と、主の師が居る場所。私はそのどちらも訪れる事が出来たという事だ。貴公の元に現れたようにな」
 例外であるかそうでないか。それを振り分ける結界すらも、フォクナは欺いていた。いや、欺かなければならなかった。主の身に降りかかる危険を最大限減らす為には、この異常事態の真相を把握しなければいけない。それをあの時点で理解していたから、フォクナは単独行動という選択を取ったのだ。心身を捧げた主の下を離れたのだ。
「―――詳しい話は後にする事をお勧めする。今はこの状況を何とかしなければいけない筈だ」
「考えでもあるのか?」
 こんな手応えのない防衛線など続けたところであまり意味があるようには思えない。手ごたえが無いのでは学ぶことも無いし、一切反撃してこないのでは緊張感も無い。こんなレンリーを護るだけの攻防は、面倒だからさっさと終わりにしたいというのが本音だったりする。
 主の問いに、フォクナは期待通りの反応を示す。
「この世界は少々特殊な構成。全体的に肉っぽい壁にしろ、目の前で移り変わる景色にしろ、現実味が無い。それもその筈、そもそもここは先程まで主達の居た世界ではない。それこそこの世界の最大の特徴であり、主達がここを脱する―――」
「長い! 要するに何だ!」
「この影に捕まれ」
「え?」
「捕まれ」
 そこで思わずフォクナの方を振り返り―――ハッとする。一切戦っていないのだ。今まで自分はずっとフォクナと一緒に、この戦っているのかいないのか分からない防衛戦を続けているのだとばかり思っていたが、フォクナは一切動いていなかった。まるでそれ自体が無駄だとでもいうかのようだ。実際、フォクナが立っている所から、異形の者達は攻めようとしない。
「ねえツェート。この人って一体―――ツェート?」
 もしかすると、自分は試されているのかもしれない。終わりなき持久戦を続けるか、もしかしたら通用するかもしれない作戦に乗るか。言い換えれば、このフォクナを信じるかどうか。何せあまりにも都合の良い時に現れたのだ、簡単に信じようとは思えない。しかしここまで粘っても、フォクナに提案された以上の案は出なかったのも事実。これが地獄に差し伸べられた救いの手だというのならば、その手を掴まない訳には行かない。
 フォクナはどちらを選択しても何も言ってはこないだろう。『片腕』に選ばれたモノとして、じぶんの判断に身を委ねているから。
 一方でレンリーはフォクナの事をよく知らない。提案を受け入れてしまえば、彼女からの非難は免れないモノとなるだろうが……よくよく考えてみれば、それは別に珍しい事ではなかった。
 何だ、考える必要もなかったではないか。何も言ってこないとはいえ、自分に心身を捧げてくれたフォクナを信用していないかのような行動はしたくない。選択肢などあってないようなモノだ。
 ツェートは武器を納めて、大きく手を広げた。
「さあどこからでも掛かってこい! 俺はもう、逃げも防ぎもしないぞ!」
 するとどうだろうか。先程まで躊躇なくこちらに迫ってきた者達が、一斉にその動きを止めたのだ。先程と状況は変わらない。変わったとすれば、それは恐れなくなっただけ。たったそれだけの事で、異形の者達はその歩みを止めた。
―――お前を信じる事が出来て、良かった。
 自らの『片腕』への感謝を胸に、ツェートは彼女の手を引いて、異形の者達へと飛び込んだ。

















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