ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

歪で淡い現の夢は

「…………あ、有難う。何かごめんね、アルドにもう泣くなって言われたのに……私、泣いちゃった」
 それが恐怖による涙か罪悪感による涙か、或いは感極まった涙なのかは置いといて、約束を破ってしまった事は事実。大好きな人との約束を破ってしまえば、当然気分は落ち込んでくるものである。
「ああ……別に守る必要もないんだが、そもそもの原因は私だから気にするな。それより言う事があるんじゃないか? 主にゼノンに」
「……ゼノン、ごめんなさい! 嘘ついてると思ってた」
「い、いいよいいよー! 実際アルドが来るまで取り繕ってたのは確かなんだから、お互い様だよ」
 そしてエルアの事を忘れてずっと戦っていたのも確かである。これ以上やると無限謝罪地獄に陥るので黙っているが、二人が謝る必要は全く無かったりする。
「それでアルド! 何して遊ぶ?」
「あ、遊ぶ?」
「うん! せっかくアルドが来てくれたんだから、遊ばなきゃ損でしょッ?」
 その瞳には一欠片の歪みも見当たらない。自分を嵌めようとしている訳では無さそうだ。いや、それどころか……何かを知っているようにも見えない。前述した通り悪魔の力は弱まっているので、暴走もあり得ない。
―――何がどうなっている?
 ゼノンと顔を見合わせるが、彼女もまたそれを不思議に思っているようだった。
「ねえ、ねえ! 何する、何して遊ぶッ?」
「いや、遊ぶのはいいんだが……お前、体は大丈夫なのか?」
 病弱な体に反した性格であることは何度も言った通りだが、それでも病弱である事に変わりはない。室外で遊ぶなど以ての外なのだが……エルアの体勢を見る限り、彼女は外で遊ぶ気満々である。自分が病弱である事等忘れたかのようだ。
「うん! 悪魔さんがね、治してくれたの! この村の中だけでいいなら、病を消してやるって!」
 喜色満面の笑みでエルアはそう答えた。その言葉に偽りなしと証明する様に、彼女はその場で何回か跳躍をしてみせる。
 ……悪魔がそんな事を? 
 力を削がれた事で改心したわけではあるまい。何か企んでいるのは間違いなさそうだが、エルアはこれっぽっちも疑っていないようだった。あんな胡散臭い奴を信用するのはどうかと思うが、一つの肉体の中で共存していると思う所があったのだろうか。
「……ゼノン、どう思う?」
 小声で傍らのゼノンに尋ねたが、その反応はこちらと似たようなモノだった。
「……分からない。何か企んでいるのは確かだと思うけど。でも今は、エルアに集中した方がいいんじゃないかなー」
 エルアは『外で~遊ぶ♪』と一定のリズムで連呼しながらその場を動き回っている。意味は無いのだろうが、それ程動けるようになったのが嬉しいと見える。
「―――どうやら、一筋縄では行かないようだな」
「……私も居るから、そう気負わないで。彼女と遊びながら探っていけばいいんだから」
「……そう……だな」
 内部の安定化に努める。言葉上は簡単な事にも思えたし、実際楽だと思っている自分も居た。だが考えを改めよう。
 戦い、壊す事よりも、守り、治める事の方が遥かに難しい事であると。










「……ねえアルド、いつの間に外ってこんな風になったの?」
―――普段は聞き逃さない言葉も、目の前でこんな事が起これば逃してしまうもの。先程の景色はどうなった? 無秩序に広がる、生命を感じない住宅が広がっていた筈だ。だが一度家を出れば御覧の通り、燦々と照り付ける太陽と共に、何処までも広がる草原が存在していた。
「……あれだな。きっと私達が家に入ってる間に、悪魔が生やしたんだ」
「何の為にッ? じゃなくて、おかしいでしょ!」
 ゼノンの言う通りだ。明らかにおかしい。こんな簡単に現実が浸食されるなんて一体何が……待てよ?


 さっきまでの世界が現実である保証はあるのか?


 先程から変わっていない事があるとすれば、反転という性質だけ。動けない筈のエルアが自由に動けるようになり、『在った』筈の家が消えて、無い筈の草原が現れて。もう何処から現実で何処からが亜現実なのかが分からない。
 景色が変わった時に亜現実に捕らわれたと考えるのが普通だが、それを証明できる根拠は何一つない。それに捕らわれたとは言うが、自分達は効果の例外の筈だ。少なくともゼノン以外の同行者と別れた時点で何かしらの分類には入っている。この場合は『効果の例外』という分類に入っている訳だが、本当に例外なのだろうか。意識を失う事も操られることも無かったが、何かしらの影響を受けている時点で、それは果たして『効果の例外』と言えるのだろうか。
 言えるのであれば、自分達は一体何の効果の例外なのだ? 少なくとも何かを受けているからこんな事が起きている。この亜現実の効果の例外という訳ではあるまい。
 いや待て。そもそも例外がどうこう言いだしたのは……
「アッルド~! 何してるの、早く早く!」
 思考はそこで断ち切られる。自分を呼ぶエルアは草原の中心で手を振っていた。後少し考えさせてくれればこの妙な引っかかりも解消できたかもしれないが、エルアは待ってくれなさそうだ。ゼノンの手を引きながら、アルドは草原へと足を踏み入れる。
「早く来るのは良いが、一体何をするんだ?」
「稽古!」
「は?」
「稽古!」
 ……聞き間違えだろうか。
「稽古?」
「うん、アルドと!」
 意味を理解しているのかいないのか、エルアの表情には一切の真剣さというか、覚悟が感じられなかった。それこそ……只遊ぼうとしているだけというか。
「ほらほら、武器取って! やろうよー稽古」
 弟子に稽古を催促される事など珍しい事ではないが、これは何かが違う気がする。意図の読めないエルアの言動に困惑しつつも、ゼノンに待機を命じてアルドは死剣を抜刀。お望みとばかりに構えた。一方でエルアは何処から持ってきたかもわからない棒切れを手にして、自分と同じように構えた。
「じゃあいっくよー!」
「待て、そもそもこれはどうい―――」
 言いかけた、刹那。アルドの体は棒切れ同然に吹き飛ばされた。体格差など問題ではなかった。咄嗟に防御していなければ肩の骨が砕けていたかもしれない。
 先程の攻撃に驚愕するアルドとは違って、エルアはそれでも笑顔を浮かべている。やはり覚悟が感じられない。これは彼女にとって……遊んでいるだけなのか? いやそれ以前に―――
「今の力の入れ方―――もしかして私を真似したのか?」
「えへへ、当たり! 凄いでしょ?」
 先程の攻撃に妙な既視感を覚えたのはそういう事だったのか。幾万幾億と振ってきたから間違いない、あれはアルド・クウィンツの太刀筋だ。どうして彼女が真似出来るのかは分からない。それこそ悪魔の力でも借りるか、天才的な戦闘センスでもないと真似できないのだが。
「アルドッ!」
「……大丈夫だから、お前は待機していろ」
 この戦いにゼノンを巻き込む訳には行かない。この戦いはある意味自分達の戦いだ。エルアが真似している太刀筋は間違いなく自分のもの。であるならば、何としてもねじ伏せなければならない。『皇』を……リシャを喪った前の自分を、何としてでも越えなければならない。


―――過去の自分に負けるようじゃ、お前に怒られそうだもんな、リシャ。


「エルア。さっきは失礼したな。私はてっきり遊び……所謂ごっこ遊びか何かだと思っていたよ」
「私が妥協しないのは知ってるでしょッ! ごっこなんて半端な遊びは嫌! やるなら本気でやらなくちゃ」
「……成程面白い! ならば私も手加減はしない。お前が子供であろうが、棒切れしか使わなかろうが一切の容赦なしで……稽古してやる」
 彼女には教えてやらなければならない。地上最強に至る道程は、辛く険しいモノであると。










 村まで突っ走っていったツェートの後を追っている内に、オールワークも村に辿り着いたが、彼の姿は見えなかった。村に近づいた瞬間に違和感を感じたが、それが恐らく『村に一定範囲近づいたら意識を奪われる何か』の正体だろう。魔術に抵抗がある者ならば問題なくすり抜けられる。
「……ふむ」
 動く死人は見当たらない。そもそも人の形をした何かすらない。目視ではなく気配で感じ取っているので確実、とは言えないが。
「よう。お前も中々出来そうだな」
 姿が見えぬが、声が聞こえる。邪悪を含んだ醜悪な声だ。
「……一体、どなたでしょうか?」
 腰元から細剣を抜刀しようとするが、無い。何処かで落としたという事はありえないので、この声の主の仕業と考えるのが普通だろう。
「何の真似ですか」
「おっと怖いな。そう警戒するなよ。お前には王剣の加護がある。だから俺には武器を奪うこと以上の手出しが出来ないんだ、分かってくれ」
 クックックと不快な笑いを漏らす声。会って間もないとはいえ、この声の主には嫌悪感を抱かざるを得なかった。
「……ここに少年が走ってきた筈ですが、どちらに行ったかはご存じありませんか?」
「ああ、それならお前から見て右の家に居るけどな……その先は俺の作った異界だ。たとえこっちで力を失っていても関係ない。それでもいいってのか? 無駄死にするだけかもしれないぜ?」
 声の主は挑発的な物言いでそう問うてきた。試すように、愉しむように。その答えは勿論一つで、その答えが声の主の期待しているモノである事なのは大変不愉快なのだが……それでも敢えて言わせてもらおう。
「年長者として、未熟なモノを助ける。無駄死にするかもしれなかろうが、それ以上の理由など必要ありません。これは義務ですから」







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