ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

袖振り合うも

 満月がその刻の訪れを知らせる。訪れた場所は当然ながら教団の本部だ。
 この扉の先で下級信者の集会があるというのは、『見える暗殺者』ロンツ・ウィーンからの情報だ。アイツがどんな目的をもって行動しているかは大体の察しがついたけど、それは置いておいて。
―――あの状況での、この情報。示す事実は一つ、この先にレンリーがいるという事だ。
 無論取り返そうとすれば、相手からも反抗を受けるだろう。勿論レンリーを連れ去ったロンツも。でも俺の片腕にはロンツから譲り受けた一振りの剣がある。誰の為に振るわれる訳ではない、俺自身の為だけに振るわれる剣。レンリーを連れてきたのは俺の意志によるもの。出来ればアイツを幸せにしてやりたいっていう、俺の判断によるもの。だからこの剣は俺の為に振るう。俺がレンリーを助けたいから振るう。
 相手は全て無力化だなんて温い事は言わない。勝手に連れを浚った奴に掛ける温情なんてない。それが悪だってんならそれでもいい。誰かを守りたいこの思いを貫けないなら、正義が大切な人を見殺しにするというのなら、俺は悪だっていい。
 腕は切れても、縁は切れず。
 恋は冷めても愛は冷めない。
 裏切られようともこの手は離さず。
 それは少年を突き動かす、たった一つの得難き信念。
―――今、助けに行くよ。
 心の中でそう呟いた後、ツェートは本部へと歩き出した。






「………………ぁ……」
 実験においてあらゆる魔術に対抗する精神力というものは厄介極まりないが、だからこそ実験の日までには、被験者の精神を可能な限り壊す必要がある。
 だからまず、浚った翌日に彼女に薬を注射した。一日の時間を何倍にも感じられるように、思考を遅くする薬を注射した。そんな彼女が体感する一日はおよそ八〇時間。今までの時間を総合すれば優に二〇〇時間を上回る。勿論これだけでも辛いが、まだ精神の強靭な人物は耐えられるだろう。
 そこでこの被験者には、全身に拘束を掛けた上で目隠し耳当てをすることにした。これによって被験者は誰の声も姿も見えない無為な時間をおよそ二百時間過ごす事になる。念には念を入れてこちらは徹底的な無視を貫いた。
 それが最上であるとは言い切れない。しかし、存在の否定―――或いは自分以外の存在を感じ取れない孤立は、人間にとっては耐えがたい恐怖と言える。現に最初こそ暴れまわっていた彼女も、今ではこうして大人しくなっている。
「多少強引な手段には講じてしまいましたが、これもまた不老不死へと至る為。大丈夫、怖がらないで。この実験が成功さえすれば、貴方も晴れて不老不死。いつまでも若さを保てるのですから」
 と言っても、聞こえていないか。或いは聞いていたとしても、その意味を理解できるか。
「それでは皆の者。今宵はよくぞ集まってくれた。不老不死を探求する熱心な信者が居て、嬉しい限りだと私は思う。教祖様もきっとお喜びになるだろう!」
 今回こそ、今回こそ成功する。抜かりはない。ありえない。幾回もの試行錯誤を重ねて、ついに今日、不老不死は完成する。
「それでは、始めようと―――」


 その時だった。教団の本部の扉が、凄まじい勢いで開いたのは。予定外の事態に慌てる信者達。だが扉の先には誰も居ない。勝手に開くほど緩い扉ではないし、何より今日は強風など吹いているような日ではない。
 一体何が……


「……お前らか」
「何グッ…………!?」
 事態が理解できないのも仕方がない。その扉を開いた原因が、招かれざる客が居たのは……信者達の真後ろなのだから。
 背中を刺し貫かれた男はどうして死んだのかすら理解できずに絶命。それでいい。この男達の死に方なんてそれくらいでいい。一生解消されないままに死ぬといい。
「な、なんだお前は……!」
「こいつの保護者だ。人様の相棒を勝手にぶんどりやがって。覚悟は出来てるよな?」
「ふ、ふざけるな! これは不老不死へと至るための聖なる実験、そして彼女は聖なる犠牲だ。人が大いなる高みへと至るためには、然るべき犠牲なのだ! それを邪魔するとは貴様……覚悟は出来ているのだろうなッ」
 そう、これは然るべき犠牲。何かを得るためには何かを捨てなければならない。そして人類の存続と発展を願うならば、この聖なる実験を邪魔してはいけないのは自明の理。
「覚悟……? ああ、とっくに出来てるよ。こいつが次の恋を見つけるまでは、命を懸けて守る覚悟がな。そういうお前らこそ、覚悟は出来ているのか?」
 だが、ツェートは博愛主義者ではない。森の発展の為に木を一つ見捨てるような人間にはなれない。人類の存続だか発展なんて知らない。その為にレンリーが犠牲になる必要何て何処にもない。
「か、覚悟だと……」
「人が守ってる存在に手を出したんだ。当然報いは受けてもらわなきゃな……と言いたいところだが、少しばかり質問させてもらおう―――あんた等、今まで何人殺してきた?」
「……殺すなんて人聞きの悪い言い方を。我々は人類の永久なる発展の為に尽力してきた。それだけのことだ。数百の犠牲なんて大したことあるまい」
 果たしてツェートの質問がどういう意味を持っていたのか、それを知る術は信者達にはない。いや、それはむしろ幸運と言うべきだろう。何せそれを知ってしまって尚生き延びてしまったなら、彼らは死よりもひどい目に遭ってしまうからだ。
「……故にこれは救済であり、殺戮ではない」
 既に絶命した男の背中から剣を引き抜くと同時に―――始まる。能力で信者達の背後に飛んだツェートは、今度は首を狙う。当然この外道共に戦いの心得などある筈もないので、当然防げるはずもなく。
 三人の首が、刹那の一撃で切り落とされる。
「な―――」
 奴らの衣服には何ら防御対策がない。刎ね飛ばされるのは当然の事だ。身を翻して逃亡しようとした男の背中へ刺突。絶命を確認するまでもなく強引に死体を持ち上げて、反対方向に逃げようとした男にその死体をぶち当てる。
「た、助けて……!」
 『透身』を併用しているので、彼らがツェートの能力の詳細に気づくことはない。ツェートはゆっくりと助けを求める男へと近づいていく。
「く、来るなよぉ……来るな! 来るなあ!」
「助けてほしいか?」
「え?」
「助けてほしいかと聞いているんだ」
 間髪入れずに首肯する男。どうやらそれほどまでに我が身が大切らしい。
「そうか―――」
 男にのしかかっている死体目掛けて、ツェートは徐に剣を突き立てた。可能な限り全力で。急所は外して。
「イグアアアアアガグガアギアアアアアアアア!」
「お前はそこで苦しみながら死ね、クソ野郎が」
 無論刺しっぱなしはありえない。この男には己の仲間が虐殺される風景を見せ、己の罪を後悔させた上で、死んでもらわなくてはならない。
 もう何を言ってるかが分からないが、この男が出血死してしまうのも時間の問題だ。手早く済ませるとしよう。
「な、何が救済だ! こんなの只の……殺戮だろ!」
「殺戮……ねえ。ああそうだな、殺戮だ。だがそれがどうした? 救済という名目の殺戮。不老不死の探求という名の人体実験。どっちも似たようなモノじゃねえか。自分達の発言と行動を棚に上げておいて、よくもまあそんな言葉がでるなあ?」
 ツェートは一度目を瞑り、改めて敵を見据える。たとえこいつらの研究が人類に後々の利益を与えるものだったとしても、それでもレンリーを犠牲にしようとしたこいつらは、敵だ。
「……故にこれは殺戮であり、救済ではない。しかし、殺戮であるが故に、俺の行動に大義はいらない。お前達にムカついたから殺す。善いか悪いかじゃない、お前達が敵だから殺すんだ―――全員、生きて帰れると思うなよ?」






 レンリーを中心に死体の華が咲き乱れる。鮮血の花弁は時の流れによって色褪せてしまうだろうが……それでも、この花は美しい。
 仲間の死を見届けた男も絶命し、最早ここに敵はいない……ただ一人を除いて。
「———観察ご苦労、『見える暗殺者』さん?」
  黒い鎧に赤いマント。滲み出る魔力からは異名持ちの武具である事が分かる。あの黒い鎧も恐らくは上位と極位の中間程度の強さはある。今までのようにあっさりとは殺しきれまい。
「…………」
「ああ、分かってる。お前がこいつを連れ去った本人だよな。お前こそが一番に死ぬべき相手だよな」
「……私を殺してしまっていいのか? 私はこの町の監視者。私が死ねばこの街の犯罪は……きっと増加の一途を辿ることになるだろう」
「増加の一途? いや、それはありえないな。お前という存在が明らかになれば、町の犯罪は……少なくともここ最近のお前達による連れ去りの被害は無くなるはずだぜ」
 監視者は自分自身を断罪できない。だからこそツェートが断罪する。故にこれは救済であり、殺戮ではない。監視者という束縛を、ツェートがこの手で解放して見せる。


「お前に勝てば全てが終結する。こんな事件も……お前達の探求も!」
「監視者という名目上、あまり戦いたくはなかったが……」


 もう誰も何も背負う必要は無い。これで―――打ち止めだ!


 

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