ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

交わる道を

「ねえ赦してってばー」
「……用も無いのに呼びつけやがって。お前わざと襲われる気だったろ」 
印を刻んだ時から嫌な予感はしていたが、やはり用もなく呼び出されたか。きっとすると信じていたのでダメージは少ないが、分かっていても面倒くさすぎる。
「まあいいじゃない! そんな事より、泊めてくれそうな宿屋は見つかったかしら?」
「は? お前探してねえの?」
「何で私が探すのよ。こういうのはツェートの役目でしょ?」
 驚きのあまり言葉も出ない。こいつは数十分前に自分が言った事を完璧に忘れているのだろうか、或いは全然聞いていなかったのか。
 どちらにしてもこの女……ああ、怒りも沸いてこない。こういう奴だからもうどうでもいいと思ってしまう自分が居る。
 本当に美人である事以外は能無しの役立たずとは驚いた。辛辣な言葉だと思うが、ツェートはそれくらい苛ついている。
「宿屋に泊まるにはここに永住しなくちゃいけないそうでな。だからつまり……」
「ここを私達の愛の巣にしようというのね! ツェートったら強引なんだから!」
「違う。宿屋は絶対に使えないって事だ」
「そうよね。こんな汚い街の宿屋じゃ私達の愛の巣にはふさわしくないものね。ツェートの言っている事も分かるわ」
 うんうんと首肯するレンリーの顔を、ツェートは何処までも冷たい視線で見つめている。頭が幸せな奴との会話がここまでかったるいとは思わなかった。中途半端に話が通じるのも性質が悪い。まあ話が通じると言っても、明らかにレンリーに都合の良い様に、だが。
「取りあえず寝床を探すからお前も手伝え。今度は別行動なんかさせねえからさ」
 また用もなく呼びつけられたらたまったもんじゃないし。
「え……もしかしてツェート、私から離れたくないとかッ? やだ……! 私困っちゃう!」
「……いいから行くぞ。もうお前と話すの疲れたわ」
「私とは体で会話したいって? ツェートって意外に下品なのね……でも貴方のそういう所も好きよ?」
 こいつの人を苛つかせる才能は何なのだろうか。もう話してて怒り処か殺意すら沸いてこない。ただ会話したくないという感情しか湧いてこない。
 レンリーがここまでうざいようだと、彼女に対する義務を放棄しかねない。善意から始めた行為だが、ツェートは今、ものすごく過去の自分を殴りたい気分になった。






 結論から言って、夜になっても寝床に丁度いい場所は見つからなかった……と言えば語弊がある。正確にはレンリーの我儘につき合ったせいでどの場所も寝床になり得ないのだ。
『あそこ汚すぎない?』
『おっさんばかりの場所に行くなんてアンタ正気ッ? 私が集団強姦を受けたらどうすんのよッ!』
『ここ狭くて一人しか入れそうにないわよ? 私が入れないじゃない!』
 こいつ我儘言い過ぎである。付き合ってやってるこっちの身にもなってほしいくらいだ。こんなに疲れるのなら我儘につき合わなきゃいいと他人は思うだろうが、じゃあレンリーの我儘につき合わなかったとして、その時絶対にするだろう愚痴を延々と聞いた方がマシなのだろうか? それは個人に因るだろうが、少なくともツェートとしてはそれだけは勘弁願いたい。
 寝床で寝られない事程辛いものはないのだから。
「この街って本当に汚いわね! もう家を建てたほうが良いんじゃないかしらっ」
「どこに家を建てられるようなスペースがあるって? それにお前、家は誰が建てるんだよ」
「え、勿論―――」
「俺はやらないぞ」
 知っての通り、こいつの家は金をまるごと使った積み木みたいな家だ。あれはレンリーに惚れてる時ですらセンスが悪いと思っていたし、今では最悪だと思っている。
 ツェートの先回りに、レンリーが怪訝な表情を浮かべた。
「え、じゃあ誰が建てるのよ!」
「知らねえよッ!」
 既に町は闇夜に覆われている。にも関わらず二人の声は自重なしにぶつかり合う。
 恋人同士の痴話喧嘩―――ならまだ良かったかもしれない。これはもう喧嘩処か会話ですらないから。
「もう……もういいや。今日は外で寝よう。何かもう……疲れたわ」
 何処かの話が通じない女性のせいです。誰かこいつをどうにかしてください。
「えー外で寝るの……。私外嫌いなんだけど」
「あっそ。じゃあ街中で一人で寝るんだな。別に今に始まった事じゃないのに未だに野宿を渋るお前につき合う道理はない。じゃあまた明日な」
 多分こいつの思考回路からして『実はツェートにそんな気は無くて……』といった具合だろう。そんな気しかない事等分かるはずも無い。
 刹那の躊躇いすら抱かずにツェートは街の入口へと身を翻した。歩き出してみるが、一向に追ってくる気配はない。
 やっぱりか。
 後ろなんぞ頼まれても振り返ってやらない。ツェートは意地になったように駆け出した。




―――それが、誤った判断であるとも気づかずに。





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