ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

世界が私を許すなら 前編

 この世界は偽りの幻想。本来は存在する事すら許されない、別の世界。愛情を持つことも、価値を持つことも、本来は在ってはならない世界。所詮は現実の模倣物であり、現実とは幾つかの相違点が見られる出来損ない。
 故にこそこの世界は罪の浄化に用いられる。罪を生んだ現実と少し違うからこそ、罪を生まずにその者を作り直す―――『更生世界』。
 世界が変われば文化も変わるように。世界を作り変えれば人も作り変わる。死剣の真名解放の為に訪れたこの場所は、特性を持つ場所の中で、最も複雑かつ最悪な場所だ。
 罪の査定という特性は、この世界に人間として生きている者ならばまず突破できない壁だ。如何な聖人と言えども隠し事の一つや二つはある……そしてそれは隠匿に入る。隠匿に入るのならば、きっとこの世界に隔離される。
 逃げられない。人が人である限りこの世界からは逃れられない……そこに例外的な存在さえ、居なければ。
 例えば、剣の執行者。死にながらにして生きる超越者。その存在は最早『現象』と呼ばれるものになりつつある。
 アルドもそうだが、彼のような存在の手助けが無ければこの世界から逃れる事は叶わないだろう。記憶も何も失った状態で、第六の罪を犯すなんて考えられないだろうから。
「じゃあ、お兄ちゃん。行ってきますッ」
「ああ、行ってらっしゃい。気を付けてな」
 いつものように教会へ赴くイティスの背中を視線で送ったのち、アルドは大げさにため息を吐いた。
―――第六の罪、か。
 それ確かに、見方によっては殺戮でも背徳でも悪心でも暴虐でも隠匿でもない。魔境はアルドを許すためにこの世界へと導いた。罪の浄化とはつまりそういう事だ。
 であるのならば。第六の罪は自ずと分かる。そしてそれが、見方に/言いようによっては五つの罪のどれでもない事も分かる……問題はそれをアルドが一番望まない事、恐れている事でもあるという事だ。
「……只の自害だったら、まだ楽なんだけどな」
 その紛れも無い否定を、紛れも無い肯定を行う覚悟何てまだ決まっていない。ああどうしてこの世界は……強要してくるのだろうか。






 始まらない。何も始まらない。覚悟を決めればそれだけ済むのに、決める事は出来ない。……情けないかな、アルドは未だに、己の中の優劣を明確に出来ていないのだ。
 カテドラル・ナイツは大切だ。でも妹も大切だ。だがツェートも大切だ。そしてクリヌスも大切だ。優劣は分からない。
 今まではそれでも生きてこれた、戦ってこれた。だから明確にしなかった。そのままでも良いと思ったから変えてこなかったし、変えなくても何とかなるだろうと思っていた。
 だが、それもここまで。今ここで優劣を決めなければ、アルドはきっと覚悟を決められない。
 カテドラル・ナイツが大事ならば、ツェートやクリヌスが大事ならば、今すぐに―――
 妹が大事ならば、何もする事はない。何をすることも無く、この世界で平穏な一生を―――
 魔王の私を肯定するか。兄の俺を肯定するか。二つに一つ。
 アルドがリューゼイに勝ったことは、妹以外知らない。
 この魔境から抜け出る手段は、執行者とアルドを除けばナイツすらも知り得ない。最愛の者の為に最愛の妹を捨てるか、最愛の妹の為に最愛の者を捨てるか。
 …………もしも奇蹟があるのなら。このどちらdでもない道を示してほしい。
 …………もしも神が居るのなら、アルドの苦しまぬ道を示してほしい。
 …………もしも。
 …………もしも。
 …………もしも。
 …………奇蹟の光、神の後光はアルドには届かない。都合の良い道など用意されてはいない。どちらも救える道など存在しない。




 第六の罪―――『忘却』。この世界に居る自分を否定し、現実世界の自分を肯定する名も無き罪。どちらかしか選べないというのなら、私はそう―――選ぶだろう、魔王の道を。






 宵闇が辺りを覆い隠す頃、少々息を切らした様子のイティスが飛び込み気味に帰ってきた。
「お兄ちゃん、ごめんねッ。今日はちょっと遅くなっちゃって……!」
「いや、いい。俺もお前を待っていたからな」
 ぎこちなく笑うアルドの顔は、硬くなった表情をほぐそうとしているようにも見えた。まるでこれから訪れるだろう恐怖に耐えているかのようにも見えた。
「……お兄ちゃん、どうしたの?」
「………………………イティス、話がある」
 アルドはゆらりと立ち上がり、視線の曖昧な瞳でこちらを見据えた。幽鬼のような瞳に射貫かれた瞬間、イティスの全身が凍り付くが、相手が兄である為か、どうにか口は動いた。
「……………………ど、どうした、の」
 体が震える。その殺気は今まで感じたことも無い、魔物とか怪物とかが持っているような……人間のそれとは一線を画した黒い殺気が、兄の視線を通して、イティスに伝わってくる。
 アルドはその激しい殺気とは対称的な穏やかな声で、願うように言った。




「―――――――――――――――――――――――俺の為に、死んでくれ」























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