ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

勝利

 「では―――行くぞ」
 僅かな恐怖。それはリューゼイが感じたことも無いような、本能的な何か。今まで感じた事のない、或いはこれから感じるかもしれない、そんな感情。
 次の一歩も変わらない。アルドの踏み込みは決して早くも無く、簡単に受け流せる程度のもので―――
「……!」
 そんな筈はなく、アルドの放つ一閃を受けたリューゼイは、刹那。受け身もままならずに壁へと叩きつけられる。
 力は未だリューゼイの方が上。技術も……いや技術は……
 何が起きたッ?
 アルドの体の軸は数寸たりともブレていない。だがその体は常に揺れている。リューゼイの持つ膂力全てを受け流すその動き方。
「お前は……誰だ?」
「アルド・クウィンツ。知っている筈でしょう、団長」
 言葉が切れると同時に突き出される刺突に、リューゼイは咄嗟に足を上げて防御。跳ね上げられた刃が返されるよりも早く懐へ入り、その頬へ拳を放った。避けられる筈もない拳はアルドへと吸い込まれていったが、
「……温い」
 それでもアルドは倒れない。その拳に頬を歪ませながらも、それでも笑っている。血を求めるその笑顔。死を求めるその体。生を諦めたその心。アルドの右手が徐にリューゼイの手を掴みあげた、直後。
 アルドの右手の血管が全て浮き上がり、それと同時にリューゼイの片腕が悲鳴を上げた。
「ガアアアアァァァァァァ!」
 メギメギゴキなんていう酷い破砕音と共に、リューゼイの腕が原型を無くしていく。肘が二つ、三つ。筋肉は全て断裂し、腕全体は下手糞な絵のようにギザギザに。
「温い」
 腕を引きはがして、顎先に鋭い前蹴り。リューゼイの頭部が壁にめり込み、鮮血が壁を伝って流れていく。
「温い温い温い。団長の強さはそんなものか、裂剣を鞘に納めずとも良かったぞ」
 ―――裂剣の事を何故ッ?
 この剣の事を知るのは王と『勝利』、そして教会騎士団団長しか居ない筈だ。今日試験を受けたばかりの人間が知れるような情報ではない。
 埋もれた頭部を引き抜くことも無く、リューゼイは静かに尋ねた。「貴様、何者だ」
「アルド・クウィンツですが」
「だから何処のアルドだと言っている」
 その声は、己の存在を肯定する様に、己の今までを否定する様に。
「―――私は二代目『勝利』、アルド・クウィンツだ。貴方とは長い付き合いだったような気もする……そういうアルドだ」
 もう二度と冠る事は無かったその冠を、アルドは今再び手にする。アルド・クウィンツは魔王だ。魔人の為の王だ。彼らの為に戦い、彼らの為に生きる。そんな事はもうとっくの昔に決めていた。だからもうこの冠を取る事なんて、無いと。今まではそう思っていた。
 だが。それでも。
「本気で来い、リューゼイ。お前とこうして闘う機会なんて、そう無い」
 今だけは、今だけは。
 二代目勝利として戦いたい。
 この騎士団長と、命を賭けて。
「そう……か」
 リューゼイは頭部を引き抜き、立ち上がった。その眼はいつもと変わらず鋭いが、しかし今までのモノとは違う。その双眸は対等のモノと相対しているかのように、輝いていたのだ。
「失礼、アルド。私はどうやらお前を舐めていたらしい。手加減はしないつもりだったのだが、すまないな」
「先制攻撃を許してた時点で十分舐めてるじゃないか。次からは……いや、今からは気をつけろよ」
 アルドは大きく距離を取り、再び武器を構えた。仕切り直しという奴だ。加減はしない。加減したくないからこそ、敢えて仕切ったのだ。
 アルドの眼前にいる男が立ちあがった。感謝などしない、その行為こそ侮辱だと怒りもしない。目の前の敵を超えんという敵意だけが感じられる。
「……では、行くぞ」
 それはもう試練でも何でもない。お互いの命を捨てるだけの戦いが始まった。


















 男は言った。戦いとは、互いの命を捨て合って、そして拾いあう行為なのだと。
 男は言った。では敗北とは、命を取りこぼす事なのかと。
 男は言った。それは違う。敗北というモノは命を……捨てられない事だと。




 アルドの剣戟は一歩も引かない。同等或いはそれ以上の速度と技術で、向かい来る死を防いでいく。剣戟の嵐のその一閃一閃を見極めている人物は『悪夢』ただ一人であり、それ以外の人物が見ればこの戦い、二人の姿がぼやけているようにしか見えないだろう。
 どちらも、決定打ではない。斬って斬って斬って斬って突いて打って突いて斬って斬って―――
「ハッ!」
 刃を擦らせながら後方へ。その怪力を全て流す事と同時に身を翻して背後に一撃。狙っていたわけではない為、その斬撃は背後に回された裂剣によって防がれる……
―――その瞬間を、アルドは見逃さない。片足でブレーキを掛けるや、限界まで姿勢を低くし、
「覆影閃」
 リューゼイの足元に斬撃を放ちて地面を切り離し、その地面を蹴り上げた。当然リューゼイの重さも掛かっていた地面は容易く上がる事はなく、傾くのが精々。
 だがそれでよい。リューゼイの不動を崩せればそれで良いのだ。リューゼイはその攻撃にも即座に対応、僅かに横に飛んで体勢を保つが、少し甘い。
「片足が、浮いてるぞ」 
 アルドは蹴りで持ち上げた地面を全力で蹴り上げ、粉砕。砕いた土をリューゼイ目掛けて吹き飛ばす。その程度の事は分かっているかのようにリューゼイは軽く撃ち落とすが、やはり片足は浮いたままだ。
 一寸にも満たない程の姿勢の揺らぎ。それは素人からすれば、或いは熟練者だったとしても、気にも留めない些細な揺らぎだ。だがお互いが極限までその道を追求した者ならば? 話は変わってくる。それは些細な揺らぎなどでは決してなく……命の灯を揺らがせる敗北の兆し―――!
「……む」
 リューゼイが捉えたのは、こちらに武器を投擲するアルドの姿だった。回転と方向。そして速度からして、狙われた部分は心臓。
 剣は既に刃こぼれだらけ。恐らく後一撃でも加えられればそれで壊れる。投げられた剣は最早それ程までに消耗していた。
―――あの剣は囮か。
 熟練の者は武器に固執しない。真に大事なのはどんな手段においても一流を維持し続けられるその多芸さだ。拳大槌槍剣短剣長弓棒斧―――使える武器が増せば増すほど殺し方が増え戦略が広がり強さは成長する。
 この男はきっとそういうタイプだ。使える全てが一流ではないにしろ、明らかに二流以上の実力を持っている。少なくとも武器の性能程度でどうにかできるレベルではない。
 リューゼイは襲い来る武器の柄を完璧に見切り、キャッチ。武器を囮に突っ込んできたアルド目掛けて、一気に振り下ろした。
―――その程度で、俺を倒せるとでも?
 振り下ろされた武器はアルドに届かない……否届かなかった。その両手が武器の鎬をしっかりと包み込んでいたから。
「『白刃取り』」
 その両手が、力強く曲げられると、消耗しきった刃は難なくへし折れ、虚空を浮遊。アルドの片手がそれを素早く掴むや、逆手のままにリューゼイの首筋へと突き出した。
 不意打ち気味に放たれた刃だろうと、リューゼイは問題なく避けられる……避けられる筈だった、というのが正しいか。
 リューゼイ自身も気づいていなかった僅かな姿勢の偏りが、刹那の回避を許さなかったのだ。
「ッ……!」
 首筋へつきたてられるボロボロの刃。致命傷に違いはない。刃はその半ば以上を首に沈めている。常人であれば即死するだろう。
 だがリューゼイは無詠唱で全身から斥力のようなものを放って、無理やり仕切り直し。突き立てられた刃を一切の躊躇なく引き抜いた。
「やるな、アルド」
 首筋からは大量の血が滴っている。失血死は時間の問題だが、だからこそリューゼイはその道を選んだ。
―――終わらせる気か、この戦いを。
 諦めるように、試すように。苦悶の表情など少しも浮かべないで、リューゼイはこちらを見据えている。
 あの量で流れ続けるなら時間はおよそ一分が限界。それ以上経てばリューゼイは動けなくなる……が、魔術が使える以上何とも言えない。
「安心しろ。私は魔術を一切使わぬ。いや、使えぬ」
 魔術は大抵破壊できる。出来るのだが……厄介なモノである事には変わらないのだ。だからこそ魔術は一切使わせない。先程の緊急回避は見事だったが、次はその力ごと切り伏せる。
 諸刃に触れていたからか、片手は血にまみれている。こちらの腕で武器を握る事は難しいだろう。リューゼイにもさっきのような不意打ちが効くとは考えづらい。
「『悪夢』。武器を貸せ」
 手を伸ばしたその瞬間。懐かしい感触が掌に触れた。与えられたのは漆黒の長剣。暗黒に包まれた藍色の金属は驚く程アルドの手に馴染む―――刹那。
「はああああああああああああああああああッ!」
 猛獣のような雄たけびを上げながら、リューゼイが懐に突っ込んできた。首筋から漏れる血液など気にも留めない。自らの死の運命に抗いもしない。
 神速の十文字斬りを受け流しつつ、こちらも八連。あらゆる方向から可能な限り最速に薙がれた斬撃はすんでのところでいつも受け止められ、致命傷にはなり得ない。一撃一撃を防ぐたびに出血量が増えていくが、やはり彼はそんな事を気にしていない。
「らあああああああああああああああああああ!」
 だが彼は焦っている。訪れる運命に、着かない決着に焦っている。怒涛の連撃もきっとその焦りから生まれたのだろう。
 しかしそこには技術が無い。力任せに振り下ろされただけの剣閃などアルドには当たらない。気づけばリューゼイの剣閃を最小限の力と動きで受け流せるようになっていた。
 斜めから振り下ろされた斬撃を軽く流し、体勢を崩した所で顎に掌打。リューゼイの頭部が後方に大きく吹き飛んだその瞬間、無防備になった片腕を切断。一歩踏み込むと同時に刃を返し、袈裟斬りにする。
「…………ぁ!」
 血しぶきがアルドの全身を染め上げる。同時に聞こえた金属音は、裂剣が地面に落ちた音だ。刃を再び返し十文字に胴を切り裂くが、それは余計な追撃だったと言えるだろう。
 倒れこむリューゼイの体。もう既に余力など無い。その意識は朦朧としていて、いつ消失するのかも分からない。
 弱弱しい呼吸は、首筋の穴から全て抜けてしまっている。アルドが手を下さずとも死の運命はリューゼイを保護するだろう。
 持っていた剣を『悪夢』へ投擲。アルドは裂剣を拾い上げると、両手でしっかりと柄を握り―――彼の心臓へ突き立てた。
 肉に食い込む鋼の音。命を奪う死の鋼音。何もかも感じた事があるし、きっと忘れてはいけなかったモノ。
「………………有難うございました」




 この心は、この体は。闘いを嫌っている。出来れば平和に過ごしたいと日々嘆いている。だがそれは傲慢だ。一度血に染まった自分に平穏を迎える権利はない。戦って戦って戦い尽くす。大切な人の為に。
 ……現にこの記憶は、闘いの最中で蘇った。勝てる手段があるかないかなんて、たったそれだけの事をきっかけに思い出した。
 この体には、既に戦いが刻み込まれている。命の捨て合いが刻み込まれている。相手の圧倒的実力を体感して、だからこそ勝ちたいと願っている。
 闘いが絡んだからこそ、自分の全てが掛かったからこそ、アルドは全てを思い出した。
 心体の矛盾。平和を願いながらも戦う事を辞められない最悪のクズ。自分の為に強くなっておきながら、他人の為にしか戦えない男。
 それがこの―――アルド・クウィンツという男。魔王と呼ばれる事になったアルド・クウィンツの末路。







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