ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

現れた幻想

 体が揺れる。
 息が乱れる。
 意識は鮮明に、足はおぼつかず。
 視界に広がる顔には余裕など微塵も感じられない。
「…………ッ」
 青年の表情は苦痛に歪んでいて、後一歩踏みだしたその瞬間、限界になる事は明白だった。いや、もうこの青年は限界など通り越している。片腕で少女を抱える事等無理があるのだ。いつ振り落とされたとしても、全然それは恨むような事ではない。
 しかし青年は少女を見捨てない。片腕の負担など気にしない。失われた腕の痛みにあえぐことも無い。
「………ね…………え」
 青年の瞳は何処を見据えているのか。そして自分達は何処に向かっているのか。朦朧とした意識ではそれは分からないし、少年への呼びかけは殆ど意味を成さない。
「助けて見せる……絶対、絶対ッ」
 少年の声を受けながら意識は消え去る。消える寸前の僅かな感謝など、次に目覚めた少女は、きっと覚えてはいない。






 自分は決して発想力が高いわけではない。散々命がけで走り回ったあげく、辿り着いた場所は自宅であった。昼に彼女と遭遇したことは幸いだ。妹が帰ってきている時にこんな姿を見られたら、何を言われるか分かったモノではない。
 片腕を失った問題が消えている訳ではないが、それでも先に帰っていれば何かしら理由づけも出来る。この少女の事はどうやって言い訳すればいいか分からないが、それはもう成り行きに任せるとして。取りあえず片腕を止血しなければ。
 道中、太めの蔓と引きちぎった衣服で片腕を縛り上げてどうにか止血したが、それでも只の止血、応急処置であり、解決したわけではない。
 アルドはベッドに横たわる少女を見つめ、布団から露出した右手を静かに握る。
 薬屋は……アルドが関係している以上、まともに取り合ってくれるはずはなく、たとえ少女が死にかけていようが、アルドの片腕が消え去っていようが関係ない。即座に無属性魔術で吹き飛ばされた。
 薬屋の風上にも置けない行為だが、それはもういい。今更な話だし、そんな事を言い出せば他にも言いたい事が生まれてくるからだ。
「……ごめん。俺はお前を助けられない」
 もう間に合わない。もう助けられない。少女の命を繋げる事は出来ない。一年はおろか、一分一秒繋げられない。死の運命は阻まれる事無く訪れる。




 騎士でもない俺に、何かを助ける事なんて度が過ぎてた。才能の無い俺に、価値の無い俺に、害悪でしかない俺に、かけがえのない、唯一無二の命を救う事なんて。




「お兄ちゃんッ、どいて!」
 駆けこんでくる衝撃に抵抗する間もなく吹き飛ばされる。訳も分からないままに壁に頭をぶつけ、危うく昏倒しかけるが、どうにか意識を持ち直す。




「主よ
 死にゆく世界の灰の
 頽廃を与えし我が邪悪なる主よ
 逃れられぬ運命は今ここに、世界は今、加護を必要としている
 与えるがよい。奪うがよい。失うがよい。全ての摂理を獲得し、今ここに奇蹟を体現せよ
 全ての呪いは今ここに
 過去と未来を代償に、我が望みを叶えよ―――廻棄ゲシュテルン




 聞いたことも無いような魔術を唱える、イティス・クウィンツの姿がそこにあった。








「……ふう。良かった。これでもう大丈夫」
 イティスは肩で息をしながらも、既に死ぬことは無くなった少女を見て安堵の息を吐く。傍らのアルドに視線を向けたのは、息が整った後の事だった。
「全くお兄ちゃんときたら、一人で全部解決しようとするんだから……私を頼ってよ。私はお兄ちゃんの妹、だよ?」
「…………ごめん」
 怒ってるような、心配してるような、そんな表情を浮かべる妹に、アルドは申し訳なさそうに俯く他無かった。半身になって消えた片腕を隠す事も忘れない。姑息な手段でしかないが、今のイティスにばれたら色々とややこしい事になる。犯人について言及されたくも無いし、ここは隠すのが吉なのだ。今更退けないのでそう思っておく。
「でもお兄ちゃん……どうして真っ先に薬屋に行かなかったの? 薬屋さん、凄くいい人なのに」
 イティスはアルドが街でどんな扱いを受けているか知らない。イティスが居ると対応が一般の逸れに戻るので、彼女からすればアルドも普通の扱いを受けているように見えるのだ。聖女に好かれたいと思うのは、当然のことだし、イティスに好意以上の好意、つまり恋愛感情を持っている者は多い。
 例えば騎士、例えば何処かの店の息子、例えばイティスのお傍付き。
 恋愛感情でなくともイティスは基本的に街の人に嫌われていない。娘に欲しかった、等という幻想をもう何度聞いたか。
「……薬屋は、しまってたんだよ、多分」
「じゃあお城は?」
「しまってたんだよ」
「嘘つかないでよッ?」
 バレたか。まあまともな理由なんて騎士が犯人だった時点で作れそうも無いのだが。
「……ねえ」
 顔を背けて沈黙を貫く。只でさえ価値のない、役に立たない兄なのだ。魔術も使えず、剣術も使えず。只喰らっては消費するだけの生き物。イティスに迷惑しか掛けない。
 もう迷惑を掛けたくないのだ。この有望な妹に、これ以上迷惑なんて―――
「……ねえ。やっぱり本当なの? 皆から酷い扱いを受けてるって話」
―――どうして、それを……!
 今まで知られることの無かった真実。永久に闇に葬られていたもので、アルドもそれを良しとしていた真実。教えたところで広がるのはデメリットのみ。一体誰が教えたというのだろうか。外部の者がここの事情を知っているなど在り得ないし、所詮アルドは落ちこぼれ。慈善的行為で助けられていい人間ではない。
 ならば一体、誰が。
「答えてよ、ねえ!」
 詰め寄ってくる妹に苛立つアルド。このまま黙っている訳にも行かないので、強く言い返してやろうとその双眸を見つめ返したのだが、
「え……」


―――その瞳からは、涙が零れていた。




「私、お兄ちゃんが心配で心配で。おかしな人から警告されて、だからこうやって戻ってきて。そしたらお兄ちゃんが女の子をベッドに寝かせていて、それが死にかけでお兄ちゃんは片腕を失ってて。ねえどうして頼ってくれないの? どうして知らせてくれないの? 迷惑なの? 邪魔なの? 私の事が信用できないの? 私はお兄ちゃんの事が大好きで、お兄ちゃんの為なら何でもしてあげたいのに、ねえどうして? どうして? みんなからの事をどうして教えてくれなかったの、どうして私に何も言ってくれないの? 魔力が無くてもいいじゃない、才能が無くてもいいじゃない。どんなお兄ちゃんでもアルド・クウィンツは私の大切なお兄ちゃんだよ! 価値が無いなんて私が言わせない、お兄ちゃんは私の一番大切な、大切な家族だよ! みんなが何て言っても、みんなが何をどう思っても、私はお兄ちゃんの事、大好きだよッ? お兄ちゃんが私に迷惑を掛けたくないとか、私に心配を掛けたくないとか、足を引っ張ってるとか、そういう気づかいは要らないの! 何でも言ってよ、何でも押し付けてよ何でも掛けてよ何でも引っ張ってよ! 私は、家族でしょッ? 私だって完璧じゃないんだよ? いつも疲れて帰ってきて、それでもお兄ちゃんの笑顔がいつもあるから頑張ってこれる、いつもお兄ちゃんが心配してくれるから、話してくれるから、慰めてくれるから、労ってくれるから頑張れる! 私達家族だよ、兄弟だよッ? 一心同体二人で一つ、迷惑かけてもいいじゃない、気遣う必要なんてないじゃない。私は血の繋がった妹だよ? 義理でも何でもない、お兄ちゃんと同じクウィンツだよ? ……約束して、お兄ちゃん。何かあったら私にも伝えるって事。絶対、絶対力になるからさ―――お願い」
 今までの心配と苦悩と愚痴を全部吐き出したのだろう。涙を浮かべるイティスの顔は、何処か清々した様子だった。
「――――――――――分かったよ、約束する。ごめんな、イティス」
 もう何度吐いたかも分からないため息を、再び吐く。こんな事でまた迷惑を掛けるなんて、本当に全くどうしようもない……アニキだ。

































































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