ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

 権能使い

 アルドが捕まっていた二年間の空白は、やはり大きいと言わざるを得ない。
 確かに変わった事はあった。知らないうちにワドフは強くなったし、エリやキリーヤは固い絆で結ばれていた。フィージェントは只の協力者として送っただけだが、二年も過ごしたのだ。アイツはどうしようもない阿呆だが、彼女達への友情が欠片ほども芽生えていたらと思う。
 だが損失はでかい。アルドの存在がフルシュガイドに認知されたし、ディナントに負担を掛ける事になってしまったし、何より―――エヌメラ復活までの猶予を無駄にする事になってしまった。
 アルドは驚くほど澄んだ瞳で、エヌメラを見る。もうあの時の殺意はない。奴に固執する理由もない。
 だからこそ、勝てる未来が見えない。
 アルドはエリを守るように前へと進む。
「エヌメラか」
始祖女フェリーテの次は女騎士か。上等な女を侍らせる事には定評があるな?」
 エヌメラは愉快そうに口元を歪めた。不快だ。
「何の用とは聞いてやりたかったが、最初から言ってくれて助かるぜ。だがアイツの隣にはクリヌスが居る。殺せるものなら殺してみるといいさ」
 ……過去の者と相対するとどうにも素が出るが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。謠は居ない。 今は自分がキリーヤ達を守らなくては。かつてのように。
「貴様に劣る貴様の弟子に、私が負けると本気で思っているのか?」
「出藍の誉れという言葉を知らないのなら今すぐに立ち去れ。こっちはお前に用はない」
 エヌメラの言葉を察するに、イティスはこの大陸に来ているという事になる。一体どうしてこの大陸に居るのかは知らないが―――おそらく自分を探しに来たのだろう。不幸にもそれが彼女の命を危機に晒しているが、彼女は知る由もない。
「エリさん。今すぐにキリーヤとフィリアスを連れて逃げてください。私の行先はフィリアスが一番よく分かっています」
「え? フィリアスと貴方に何の関係が―――」
 エヌメラは―――動きを見せない。
「いいから早くッ。全員ここで死にたいんですか?」
 これは冗談でも何でもない。また誇張ですらない。むしろ過小評価とすら言えるかもしれない。玉聖槍を持つエリならば確かにエヌメラを殺す事は出来るだろう。だが地力が違いすぎる。魔力を持つ人間は、絶対的にエヌメラには勝てない。それは如何に英雄であろうとも変わらないし、この相性を無視できるのはこの世界においてアルドただ一人。
 何度でも言おう。エヌメラは人間が相手できるような相手ではない。
「……ご武運を」
 エリは身を翻し、宿へと駆け出した。エヌメラは特に妨害をするでもなく、宿へと向かうエリを見据えていた。
「妨害はしないさ。私が求めているのはお前一人だけだからな」
 その表情にはいつもの余裕がある。追えないのではなく、追わない。あの程度の騎士などいつでも殺せる。そう言っているようにも見えた。
「……で、何の用だ? フェリーテを求めるならばリスド大陸にでも行くのが無難だと思うが」
 不機嫌そうな表情で、アルドがそう呟くと、
「ほう? 教えてしまっていいのか」
 エヌメラは怪訝な表情で返してきた。アルドは極力殺意を交えずに脅す。
「そうなる場合、俺はあいつ等に第三切り札の開帳を許可するだろうな」
 ナイツ全員に開帳を許可するなんて、それこそ最終決戦までは取りたくない手段だ。下手をすれば五大陸が全て潰れる事になるのだから。
 だがそれでも……以前の失敗は繰り返したくない。
「―――安心しろ。今の私は愛に狂ってはいない。奴めがこの場に居るならば話は変わってくるが、わざわざ訪れようとは思わんさ。今の私は……そう。愚か者を断罪しに来たのだ」
 ……愚か者?
 こちらの考えを見透かすように、エヌメラが言った。
「キリーヤ、という子供に聞き覚えはあるかな」
「―――!」
 一体どうしてこいつがキリーヤを追っているのだろうか。キリーヤは特異体質も、エヌメラが目を付けるほどに強さを持っている訳でもない。
 ……心当たりが無い事はない。だがその程度で愚か者と言われるかはどうかは謎だ。彼女の努力はまだ、実を結んでいないのだから。
「その動揺は肯定、と捉えていいのかな」
 アルドは飽くまで冷静にエヌメラを見やる。
「仮にそうだったとしたら?」
「私は先程の女騎士を追うことになる」
 お前を通すと思っているのか、とは言えない。自分とエヌメラでは持っているモノが違うのだ。こいつに本気で逃げられればこちらは追う術がない。はっきり言えば、自分がエヌメラに勝てたのはこいつが逃げなかったお陰だろう。
 奴の視線から自分は外れている。不意を突く事も不可能ではない。
―――やってみるか?
「そんな奴は―――」
 アルドは力なく腕を伸ばし、
「知らねえよ!」
 王剣を取り出すと同時に、エヌメラへと振り下ろした。








 走れ。彼が足止めをしてくれている間に。
 手遅れになるその前に。
「……ねえエリ。私を何処に連れていくの」
「そんな事はフィリアスに聞いてよ! 私だって把握してないんだからッ!」
 エリ、キリーヤ、フィリアスの三人は、何処とも知らぬ場所へひたすらに疾走していた。目的地を知るはフィリアスのみ。しかしフィリアスは口を堅く噤んだまま話そうともしない。
 一体どうしろと言うのだ。
 幸いにも、フィリアスが殿を務めてくれている為、仮に追いつかれても直ぐに手遅れ、とはならない筈。
 尤もそれも確定ではない。フィリアスの強さ如何によって決まる事だ。
 この二年間、フィリアスを見てきた。フィリアスと戦ってきた。フィリアスと対話した。
 彼は強かった。エリよりも戦場を知っていて、死を見ていた。現実を知っていて、理想なんて持ち合わせてはいなかった。それは彼がいつか話してくれた過去からも、分かる。
 以前エリは、フィリアスに尋ねた事があった。
『所で貴方は、どうしてキリーヤに協力するのですか。誰かに協力を要請されたとは聞いてますが、その要請に応える義理はないのでは?』
 フィリアスは答えた。
『―――俺は特異体質だ。それ故、俺は皆から疎外されていた。親からも、他人からも、国からも、世界からも。誰も俺を必要としなかった、誰も俺を望んでくれなかった。悲しみを、喜びを、怒りを、憎しみを。どんな感情も教えてはくれなかった。誰も俺を見てはくれなかった。俺の存在を認めようとはしなかった―――只一人を除いて。その人だけは俺を見てくれた。感情を教えてくれた。存在を認めてくれた。俺を必要としてくれた。生きていてほしいと望んでいてくれた。……嬉しかったんだ、それが。誰よりも嬉しかったんだ』
 そしてそれは、彼の生き方にも影響を与えていた。
『…………確かに、お前たちに協力する意味はない。俺に理想はないからな。共存とか平和とか、勝手にやってろという感じだ。だというのに。お前達に協力する理由がどこにあろう……簡単だ。俺の目にはあの人しか映っていなかったから―――俺はそういう生き方しかできないんだよ。だから義理があってもなくても……俺の行動は変わらないさ。あの人の頼み事を引き受けてお前らの御守りをするだけ。それだけだよ』
 それは結局のところ、自分の為でも他人の為でもない。只そういう生き方しかできないのだと。そう彼は言った。一つの道しか見えていないというのに、一体どうして獣道を探すのか。行先の決まった道を辿ればいいだろうに、どうして方向もわからぬ森を通ろうか。
 その人とやらは他人の為にしか生きられない人物なのだろう。誰かを救い、助け続けてきた。そういう事をしてきた英雄なのだろう。
 だから義理があってもなくても。
 たとえ協力する意味がこれっぽっちも無かったとしても。
 フィリアスはそういう人の背中だけをずっと見てきたから、それ以外の行動は取れない。自分の為とか他人の為とか、それ以前の問題なのだ。
 だからフィリアスは助ける。キリーヤに協力する。意味もなく信念もなく理想もなく。ただ助ける。そこには何の感慨も無い、だからこそ―――彼は強い。
 助ける事しか知らないフィリアスだからこそ……何の葛藤もなく戦える。それがどんなに歪んだものであったとしても―――それは紛れもない彼の強さだ。
 彼ならばどんな障害が立ちはだかったとしても、きっと助けてくれる。
 絶対に勝てないとわかってて、どうして立ち向かおうと言うのか? いや、助ける事しか知らない彼に、一体どうして助けるなと言えようか。
 認めよう。エリはキリーヤと同じくらいにフィリアスを信用している。何か隠し事をしている節があるが、それでもエリは彼を信用している。不思議なくらい当然に。クウェイやパランナよりもずっと―――
「それで、フィリアス。目的地まであとどれくらい?」
「後十分くらいだと思うが。まあせ……アイツが破られるのも時間の問題だろ」
「……アルドさんの強さは私が保証します」
「んな事は誰だって証明できるぜ。だけどせ……アイツは魔術を使えないだろ。だから持ったとして、良くて数分、悪くて―――」
 フィリアスが足を止めた。
「今だな」




 

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