ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

自身の答え

 結果だけを口にするならば。あれから一週間、ナイツとの仲は如何なモノかと心配していたが、それはどうやら杞憂に終わったようだ。ワドフのやけに素直な性格もあって、特に軋轢なんかは生まれなかった。原因の一つに、年長者フェリーテが居る事もあるだろう。彼女はどうも仲を取り持つ事に(自分の中で)定評がある。彼女さえいれば大抵、その周りの仲は悪くならない。年長者である事もそうだが、一番はきっと、彼女自体がなんだかんだで皆に好かれているからなのだろう。
 ともかく、アルドの懸念していた問題はその殆どが杞憂に終わった。それはいい。仲が良いのはこちらとしても嬉しい限り―――なのだが。
 最近、チロチンの姿を見掛けない。おそらくは隠密行動をしているのだろうが、それにしても姿を見せない。自分の前にすら姿を現すなという旨の勅令は掛けていない筈だが……一体? ここまで徹底的に姿を見せないとなると、こちらとしても警戒しなければならない。
 裏切りとかそういう事を気にしているのではない。何か面倒な予感が……胸騒ぎがするのだ。一体どんな面倒事に付き合わされるのかと思うと気が気でないが、相手がナイツなのだし、その辺りは寛容にしようと思う。
 他のナイツに聞こうなどという気は微塵も起きなかった。だってそれは、ナイツを信用していないという事になるし、何より楽しもうとしていない。不測の事態は楽しまなければやっていけない。この世界は変わりなく変動し続けるのだ。一秒、半秒の休みすらなく振られ続ける双六だ。不測の事態なんてモノは測れないからこそ不測で在り、そんなモノは世界終焉の時まで絶え間なく起こり続ける。そんな現象にいちいち対処するのはバカのする事で在り、そんな事をしていればいずれ精神は摩耗するだろう。
 だからこそ、アルドは不測を楽しむ。自らの死角で起こる事態を楽しんでいる。最悪と嘆く事もあるだろう。予想すらしていなかったと愕然とする事もあるだろう。なんでこんな事が起きたんだと自らの無力を嘆くこともあるだろう。
 だがその根底にあるのはいずれも同じ。真に酷い話だが、エヌメラとの戦いのときでさえ、自分は微かに楽しんでいた。たとえその意識の大部分が怒りと殺意に塗りつぶされていたとしても、もう少し小さければ簡単に溶けてしまうだろう所で、その根底意識は残り続けた。
 詰まる所、何でもかんでも解明する事は実に愚かな事である、という事だ。これはナイツ達のサプライズという奴なのかもしれない、或いはまた別の何かかもしれない。でもそこにナイツの意図があるならば、おそらく危険な事でも最悪な事でもない。それだけはハッキリ言える事だ。
 最悪の事態ならば対処もしよう。だがそうでないのなら話は別だ。きっと面倒か、或いは素晴らしいかのどちらかしかないので、そこは敢えて静観。魔王の粋な計らいという奴だ。粋というより、無粋な行動の抑制かもしれないが。
「まあ同じ事か」
 どっちにしろ何かをする気は無い。只起こりうる時まで警戒をするだけだ。チロチンが果たしてどんな事をしているのか。種明かしを期待しつつ、静かに想像でもしておこうか―――






 周囲は闇夜に侵されていた。何でもない物体すらも一度引き込まれれば、或いは怪物をも凌駕する異形の物へと姿を変える……事だってある。壁の何気ないシミや罅。幼少の頃にそう言うモノに恐怖を感じた人も、少なからずいる事だろう。アルドにそう言った経験は無いが、自分の妹がその類の人間だった。よく勝手に奇声を上げてはこちらに飛びつき、いつの間にか自分のベッドで寝ている……なんて事もあった。
 そんな人間があの二人を見れば、それこそ物の怪か死神の類だと錯覚する事だろう―――ああ、前者についてはあながち間違っている訳でもないのだが……
「お疲れとでも言っておいた方がいいかのう? チロチン」
「このくらいは容易……くは無かったが、まあ想定の範囲内だ」
 本来はこんなくだらない用事に使いたくないのだが、アルドは気配を環境に溶かし、少し遠くの草むらに身を顰めた。
 黒すぎて良く分からないが、おそらくあの二人はフェリーテとチロチンだろう。
「アルド様は気づいていないのか?」
 自分の名前を呼ばれて動揺。心臓が跳ね上がった思いだ……が、それは杞憂であった。
「気づいているに決まっておろう。そも、お主が何日も姿を見せないのであれば、何かを疑うは仲間の道理じゃ」
 アルドの心境は案の定フェリーテに看破されているが、真実か温情か、自分が盗聴をしている事には気づいていないのだ。
 どうにかして冷静さを取り戻し、盗聴を続ける。
「何、誰にも口外はしておらん。メグナ如きに覚られる妾ではあるまいし、大丈夫じゃろう」
 流石に表情は分からないが、その声音からは確固たる自信が聞いて取れた。年長者故の配慮という奴なのだろう。フェリーテは実質のまとめ役みたいなものだ。ナイツの統率が取れているのも半分くらいは彼女の御蔭と言って間違いはないだろう。
 ナイツ内で密やかに行われている何かしらの計画すらも、例外ではないらしい。
「して、どれだけ調べられた?」
「十二件って所だな。好意で可能な限り絞っておいたが、問題はアイツの優柔不断さだな」
 優柔不断? ヴァジュラ関連の話だろうか。
「ふむ。奴が存外にこういった事には弱いのは知っていたがのう……いやはや、強がりも大概にしてもらいたいモノじゃ」
「むしろ存外に強いのがヴァジュラだからな。心理ってのは実に複雑なもんだ。実際目に見えている事が真実でない事もある……面倒だよ、ほんとう」
 チロチンのげんなりした表情が容易に浮かんでくるのは、長年の付き合い故だろう。アルドと出会う前から色々と苦労していたチロチン。苦労体質なのだろうか。
「ほら、これがリストだ」
 音は聞き取れないが、おそらく羊皮紙か何かをフェリーテに渡したのだろう。その渡されたであろう紙を黙読するフェリーテ。暫くして彼女が言った。
「ここ危ないのではないか? ただでさえ内柔外剛を体現したような奴じゃ。こんな所で二人きりなんて状況を想像してみい。―――死ぬぞ?」
「そこまでかッ?」
 アルドは恥ずかしいような、動揺するような表情を必死に抑え込んだ。ばれないようにと分かってはいたが、そんな事を言われてはチロチンと同じ反応をせざるを得ない。彼の「そこまでかッ?」と時を同じくして、アルドも同じ事を想ったのは秘密だ。
「うむ。乙女の心というモノは中々どうして複雑怪奇。精緻な工芸品のように脆く、儚く、美しい代物じゃ。ある種の豪胆さのようなもの、或いは覚悟を持ち合わせていなければ―――それこそ外柔内剛でないのであれば―――いきなりそんな状況にされた時の動揺は生半可なモノでは無い。特にあそこまで内外の差が激しい奴じゃ。これは別に冗談では無い故、仲間として言わせてもらおうかの。……ここだけは潰しておいた方が良い」
「……まあ、お前がそう言うのなら、潰しておくとして―――今日はもう遅いな。この続きはまたいつかにしよう」
「うむ、それではの」
 二人の気配が消えると同時に、アルドは隠密を止める。
―――成程。そういう事か。
 察しが鋭い事を、今ほど後悔する事もあるまい。大体の事が読めてしまった。フェリーテ達は名前を伏せていたが、消去法とその性格を考慮すれば、それは隠れていないも同然。誰の為に動いているか等、大体が理解できてしまった。
 それはいい。こちらが知らぬ存ぜぬを貫けばいいだけだし、最悪『影人』で反転した後に、自身に記憶の抹消魔術を行使すればいいからだ。アルドが考えているのは、もっと別の問題。
 今一度自身を振り返ってみる。恋に対して何も分からなくなった男。或いは、恋愛下手。そんな自分が彼女に対して何を返せるのか。アルドはそれだけが分からなかった。最善は何なのか、一体どんな言葉が在れば満足させられるのか。
 思案に暮れているその内に、アルドは人知れず眠りに付いていた。


 











「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く