ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

一日

 馬の嘶き。体が揺れる。地を蹴る蹄は心地よい音を立て、癒しとなって流れゆく。
 濁声の男の笑う声。気味が悪い。誰と話している訳でもないのに、何故に笑い続ける。
 少年少女の咽び泣く声。悲しみと苦しみと痛みで紡がれたそれは、聞いていられない程に痛々しい。
 ……ああ、分かった。
 男は目を開き、それを確信する。
 ここは馬車。それも、奴隷商人が綱を持っている馬車。少年少女は何処からか連れ去られた訳だ。親元から引き離される、或いは売却される形で。そう憐れんではいるが、自分もきっと同様の理由だろう。只一つ、周りの者と違う点としては―――記憶が、現在に至るまでの記憶の一切を喪った。それだけだ。
 知識はある。だが、自分はどんな人間で、何をしていて、どんな理由でここに居るか、分からなかった。心に空しい隙間を感じながらも、その隙間は埋る事が無く、むしろ拡がっていった。知る術はなし。
 この心の穴は、一体―――
 何なのだろう。


「ここがテメエらの新しい家だ。しっかり言う事を聞けよな」
 男はそれだけ言って、再び去っていった。子供達は涙をこらえながらも、必死に目の前の優しそうな少女を見つめた。
「君、誰?」
「私はね、君達の新しいお母さん。昔の親なんて忘れなさい。君たちの親だった人は、みーんな、君達を売ったんだからね」
 自分には向けられていない事だけは分かる言葉だ。
「嘘だもん! 僕のパパとママはそんな事しないぞ! お前はニセモノだ!」
 そうだそうだ、と子供達の半数は喚き散らす。少女はにっこりと穏やかな笑みを浮かべて、子供の頭を撫でた。
「そう。そういうのね。んふふ。じゃあ―――」
 少女の柔らかな手が、少年の頭を掴みあげた。「―――死ね」
 少年の頭は、まるで果実のようにあっさりと潰れた。頭蓋は骨の塊のようなモノ。咬合力とでも言うべき握力は、まるでそれを感じさせなかった。
 子供達の間に、絶望が巻き散らすのが狙いか。
「それでぇー、他に意見のある子は居る?」
 子供は良くも悪くも正直だ。自分の発言で相手がどんな事をするかなんて、考えていないし、考えていたとしても影響など皆無。子供とはそういう生き物だ。
「良い子ね。そんな良い子供には決断の時間をあげる。アジェンタ大陸首都、このフルノワ大帝国の騎士となるか、そこの男みたいに私達の奴隷になるか。どちらか好きなのを選んでね❤」
 アジェンタ、と言ったか。ならばここでは価値が逆転している。大人が子供で子供が大人。自分に選択の余地が無いのは、そういう事なのだろう。
 それにしても、まさか場合によっては子供すら大人と同じ扱いになり得るとは。基本的な知識はやはり価値の逆転の為、こればかりは驚きだった。
 子供は良くも悪くも正直。さっきも言ったが、その通りだ。現に、十秒経たずして子供達全員は後者を選んだ。あんなものを見せられては、この決断も仕方が無いと言える。
 というかこの子供達、どこの出身だ。この少女に発情(言い方が悪いのはあれだが)しているようなそぶりは確認出来ないのは確かなので、アジェンタ大陸の出身でない事は確か。
 ―――ああ、そういう事か。
 そもそも考えが矛盾していた。この子供達は他大陸からの輸入品のようなモノだ。だから奴隷という選択肢が存在する。だから発情しないし、自分にも攻撃的では無い。
「じゃあ、今からこの奴隷を放り込んでくるから、少し待っててね♪ ほら、糞爺。行くわよ」
 初老を迎えた覚えはないが、この大陸ならばそう呼ばれるのにも大して抵抗は無い。言われるがままに付いてくると、少女は気味が悪いとばかりに顔を歪めた。
 表情から察するに、ここまで従順な大人ゴミはかつて居なかったのだろう。そんなつもりはないが、そう感じるのも無理はあるまい。
 自分は、記憶と共に、言葉を失ったのだから。






「ほら。ここがあんたの寝床よ爺。食事は残飯だけど、食べられるだけ感謝しなさいよね」
 鉄格子に鍵が掛かる。少女は一言も喋らぬ自分をつまらんと感じたか、必要以上の罵倒はしてこなかった。
 残飯なぞ出されても食わない。別に腹は空かないし、極端な話、睡眠も大して必要ない。少女は面倒くさがりだろうと感じたので、それを告げようとはしたものの、どうやって言葉を紡げばいいか分からず、結局言えずじまいだった。
 ここに連れてこられてから一時間が経っただろうか。子供達の悲鳴が聞こえてくる。言い忘れたがここは地下。子供の居るところが真上なのも相まって、声は良く響いてくる。「もう無理」「もう帰して」「痛い」
 その言葉が飛び出した後、決まって骨が砕けるような鈍い音。それから何かを呟いて……と言った具合に、子供達は拷問に等しき苦行を強いられているらしい。アルドには関係のない話だが、辛そうな声だけは不快だ。落ち着かない。体が動こうとしてしまう。
 幸いにも、これから労働の時間だ。気が紛れて良い。少なくとも、こんな声を聞き続けるよりは、何百倍もマシだった。








 大人ばかりが奴隷なのは知っていたが、もう長いだろうに、そこに仲の良さは感じ得なかった。飽くまで業務的に協力しているようにしか見えず、その表情には明るさが無い。
 箱の陰に捨てられているのは少女の死体だろうか。裸である事を考えると、何かの理由でこちらと同じ待遇まで堕ちてしまい、労働をしていたら欲求不満な男どもに身体を犯しつくされた。だが何人もの男を相手取るにはいろいろ足りず、死んでしまったと言った所か。不幸であるとは思うが、それ以上の感情は抱けそうもない。
 任されている仕事は岩を運ぶ仕事。……何の意味があるか? 奴隷というモノは意味が無くても働くモノだ―――
 ―――なんて理不尽は冗談では無い。実はアジェンタ大陸における奴隷は、貿易方面に居るモノを除けば、殆ど無意味に働かされている。苦しめるつもりなのだろう。現に、あちらこちらに餓死したような死体が見受けられる。
 悪戯に奴隷を減らすくらいなら、別の方向に活用した方がいいと思うのだが、未来永劫変わる事はないだろう。救済は在るが、それでもそれは困難を極めるモノだ。
 それは、子供(大人)が奴隷の権利を買う事。それだけが唯一の救いだ。だが、自分も含め男の殆どは美男子という訳では無い普通の男。救いが来れば、一生分の運を使い果たしたと言ってもいいだろう。引き取られた後の待遇は知らないが、少なくとも無意味に働くことは無い。そういう意味での救済だ。
「ようよう。てめえ、新入りか? 新入りは先輩の仕事を肩代わりするってもんだ……オラ!」
 男が自分の目の前に置いてきたのは、自身の体格の五倍以上は在る岩石だった。先程までは所定位置にあるのを確認していたが……
「おら、運べよ新入り!」
 どうやら後輩を苛め抜くつもりのようだが……ふむ。
 その岩に軽く片手を突き、硬度を確認―――柔い。重量は想定範囲内なので、十分に可能だろう。
「え……はッ?」
 男は驚いた表情で見ているが、五指を喰い込ませて岩を持ち上げる事が、そんなに珍しいだろうか。不思議に思いながらも、再び所定位置へ岩を戻す。
 そこで気付くが、皆仕事を放棄したか、こちらに顔を向けたまま停止していた。業務の怠慢は極刑を容易に喰らうだろうが、何のつもりか。
「おい爺共、何仕事さぼってんだッ、あくしろ!」
 そんな男達をよそに、自分は業務をこなす。大した業務では無いから、十分もすれば休憩が許されるだろう。








 自由時間。奴隷達の憩いだ。娯楽も用意されているし最高―――娯楽―――人に因る。自分のような人間であれば、拷問そのものだ。
 まず、鋼の棘を纏った鞭を持つ少女が、数十人規模でこちらへと降りてくる。そして、無差別に奴隷を一人選び、一人の少女がそれに回復魔術を掛けつつ、残りの数十人がその奴隷に一斉攻撃を仕掛ける……というものだ。何をしたいのか良く分からない。利点はこちらには一切ないが、攻撃をしている少女達は愉しそうなので、やはり只の戯れか。
 この日、偶然にも自分が選ばれた。上半身の服を脱ぎ捨て、少女達に背中を晒す。数秒経たずして鞭の嵐が背中を虐め、肉が削げ骨が見えるまで続けられる―――筈だったのだが、
「この爺。つまんないねー」
「ほんと、まるで痛がりゃしない。本当に生きてるの、こいつ」
 肉が削げ始めたあたりから興が冷めたようで、さっさと帰ってしまった。背中は回復魔術で治癒されたため、何とも無い。
 それから程失くして自由時間が終わり、再び無意味な労働時間が幕を開けた。






 就寝時間。皆寝静まっているが、それも当然か。自分達に赦される睡眠は二時間。それが終われば、また労働だ。むしろ起きているモノこそ無謀な上に馬鹿なのだろう―――自分だが。
 子供達は既に寝たようだ。音が聞こえない。あの子供(大人)も、既に寝ている事だろう。本質的には何も変わらない事が証明されてしまったが、そこを突っ込むと後が面倒なので心に留めておく。
 思えば大した味も無い一日だった、労働労働労働。自由時間はあの少女共の愉悦の為にあるようなものだし、就寝時間はこうして静か。周りの奴らとは友達になりたくもないし、会話も進まない。というかしない。味の無い一日が永久に繰り返す。
 失った記憶は未だに戻らない。一度崩壊した建物が自力では修復できないように、自分の記憶もまた、誰かが介入しない限り戻る事はないのかもしれない。
 まあ。
 戻らなかったら戻らなかったで、それも良しと受け入れる自分も居る。気長に様子を見るとしよう。






 一年はあっという間に過ぎ去った。味気ない日々に時の流れを感じずにはいられなかったが、もはやそういうモノなのだと悟り始めてから、一日、二日、三日、一週間、一か月、六か月、一年。早いモノだ。
 自分が居た頃にでかい顔をしていた奴隷たちは皆死んで、気付けばアルドは年長者になっていた。自分の後に来る奴隷達が友好的なのもあって、昔とは正反対と言っていい程、奴隷達の繋がりは深まっていった。扱いは大して変わっていないが、バレれば極刑は免れない脱獄を、奴隷達は頻繁に繰り返していた。
 表で情報を入手。取り敢えずは何故か自分に報告し、その後は仲間内で盛り上がる、というのが通例だ。何故自分を通すかは分からないが、情報を貰えるのは有難い。ここ最近で気になった情報は三つだ。
 フェイリ―港付近にて、凄腕の剣士が居る。
 アジェンタ大陸北部の村の全てが、壊滅。
 レギ大陸に英雄現る。
 どうも心に引っ掛かるが、やはり何も思い出せない。記憶と何か関わりがあるのだろうか。或いは勘違いだろうか。気になった情報はそれだけだ。他の奴らは全然違う話題で盛り上がっているので、話す事もないだろう。
地下への扉が開く音。奴隷達はあわてて散らばり、さも労働をしていたかの如く動き始めた。それはあまりにも下手くそで、簡単に見抜かれ―――
「良く働いているようね。感心だわ」
 ―――意外とポンコツで命拾いした。
「そんな貴方達に朗報よ。今日より、ここに新米が入る事になったわ。―――入ってきて」
 そう促され入ってきたモノは―――袖がばっさり切り取られたボロボロの服を着た少女だった。
 ここ最近になって分かった事が一つ。大人には男性は居るが、女性は居ない。この大陸で最も年長なのは、王なのだ。その王ですら十五歳。つまり、大人の女性というのは、この大陸には存在しないのである。
 何が言いたいか、と言うと。
 奴隷になる前が幾ら通常でも、ここまで幼い女性に囲まれていると、普通の者ならば性的嗜好が変化し―――つまり、十年昇華恋慕錯覚症に陥るという事だ。自分は何故かそのような変化を受けないが、あの奴隷達は皆病気に掛かっている。
 その少女を見るや否や、彼等は興奮を抑えきれずに暴走した。
「ふぉおおおおおおおおおおおッ!」
「エェェェェェェェェェェェェェェェ!」
「じょじょじょじょじょじょじょじょじょじょじょじょじょじょ……女子ッ!」
 この反応を見るに手遅れと言わざるを得ない。それは子供(大人)も分かっているようで、
「爺の中でマシなのはあいつだけなの? 仕方ないわね。じゃ、ダルノア。あそこの牢に入りなさい」
「……」
 ダルノアと呼ばれた少女の瞳。僅かに垣間見えたその闇を、見逃す筈が無かった。









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