ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

魔王編 濡闇の巫女

 ツェートとの別れを済ませてから、約一週間、アルド達は北上していく―――ふりをしてはいるが、森を迂回し、南下していた。
 理由は一つ。あんな別れ方をしたというのに、今更どの面下げて村に行かなくてはならないのだ。気分とか、印象とか、そういうモノが全てぶち壊しになってしまう。道を間違えた事には、内心忸怩たるものがあるが、仕様が無いのでこうして迂回している。ナイツ達は嫌な顔一つしていないが、それでも面倒だろうという事は分かってしまう。
「済まないな」
「何。ジバルの山と比べれば大した苦行でもない。主様が妾達を気遣う必要などないんじゃよ」
「……うん。少し退屈かもしれないけど、でも、アルド様と一緒に居られるし……」
 どうやら杞憂だったかもしれない。やはり英雄アルドの名残は消えないようだ。少しでも罪悪感があると、何でも謝ってしまう。そのせいで、夜しかこちらに来られないワドフには、毎晩謝っているようなモノだ。最早口癖と言っても過言ではない。その度にワドフが笑って、それから修行……いつもの流れだ。一昨日は一度だけ遊んでたか。何をしていたかというのは……あまりに自分のイメージと違うから、言いたくはないが、要はじゃれ合いだ。何の裏もない、そのままの意味だ。幼少の頃友人と、体を触り合ったり、引っ張り合ったり、叩き合ったり、擽り合ったりする事があっただろう。それと殆ど同じである。胸と下半身だけは極力触らないように気をつけていた以外は、特に変わった事もなく、普通に楽しめた。一昨日はあちらから誘ってきたが、今度はこちらから掛けてみるべきか。
 ナイツには絶対にやらない。やっても愉しいと言えるかどうか怪しい。まず『狼』、『蛇』は胸囲的な問題でワドフ以上に苦労する。『雀』は小さすぎてじゃれ合いというか一方的に触るだけ。『妖』……そういうじゃれ合いの気は、彼女には起きない。『雀』より上で、『狼』『蛇』ワドフ未満の胸囲―――とはいえ、小さかろうが、大きかろうが、そもそも女性的な胸があるだけでまず苦労する。
 侍女達であればどうだろう。こんな事が頼めるのは―――『トゥイーニー』か『クローエル』くらい……いや、二人共体型に問題がある。やはりワドフしか居ない……というのもおかしな話だが、一度やってしまったし、気にしない事にする。
 何だか随分と平和ボケをしているのには、訳がある。ツェートの一件以降、これと言って変わった事が無いのだ。
 山賊に襲われても皆ヴァジュラが殺すし、この辺りの主のような魔物が出ても、ユーヴァンが灼く。たまには出てみようかと思っても、皆まるで手応えが無い。フィージェントとの戦闘があったからだろうか。自分はあの戦闘で一応全力は出したが、フィージェントはまだ奥の手を伏せているような気がする。「今回は」とも言っていたし、今度はもっと強いに違いない。
 だがフィージェントにも誤算はある。自分とフィージェントの強さが拮抗していたのは、彼の成長もあるが、手応えの無い戦いが続いてアルドの腕が鈍っていたというのもある。だから拮抗できた。
 だが、彼と戦った事により、勘が全て戻ってしまった。今出せる全力は、リスド攻略時、王剣による魔力解放時と同等くらいかもしれない。今戦えば五秒以下で殺せる自信がある。王剣を……それも最終手段を使えば、そもそも一歩も動かないで倒せそうだ。
 しかしそれは『以前の』フィージェントを想定しているに過ぎない。次に戦うときには、彼がそれ以上に成長している可能性だってある為、やはりまた拮抗の場合もあるが……そこは成長に期待と言った所だ。
 他の弟子達……後三人くらい居たか。彼等にも期待が持てそうである。弟子の一人である彼女は、仲間にしてほしいと言うかもしれないが、それはそれで大歓迎だ。女性として魅力的なのはそうだが……特に第三勢力に彼女のような者が加わるのは嬉しい。
「お、アイツは……上位の魔物だな!」
「……僕が行くよ」
 そう言えば、キリーヤはどうなっただろうか。謡からの連絡は無いが、フィージェントとは合流できたのだろうか。そして、エリとは仲良くなれたのだろうか。
 エリのような女性は意志を示せば分かってくれる場合が多いので、その辺りは問題ないと思うが、フィージェントがやはり分からない。仲良くやってくれればいいのだが。彼が居れば、取り敢えず体質の御蔭で戦力が大幅増強されるはずだ。彼が自分の体質を易々と明かす訳が無いが、そこは上手い事噛み合うだろう。アルドの予想通りに事が運んでいれば、三人旅になっている筈だ。
 そう言えば、何故南下しようと思ったか。それはナイツにも説明してはいないが、くだらない理由では無いという事しか、今の所は言えない。言えなくともフェリーテは知れるが、知ろうともしないので、結局知らない。
 アルドにだって優先事項はある。第一事項は勿論五大陸を奪還する事で、第二事項が魔人の安全で、第三事項が色々。未だ第一事項すら果たせていないので、第三事項まではまだまだ遠そうだ。
 そしてこれには、第零事項がある。
 アルドは、魔人より大陸を奪還する為、一人で戦い続けた。国の防衛は人類全てが行っていたが、攻めたのは自分だけ。
 そして、奪還した。
 だが、何を以て奪還とする? 魔人は根絶されていない。国は全て取り返したが、果たしてそれは奪還と言えようか。
 そう。魔王が居たのだ。実質はアルドの前代。彼を斃した事で、ようやく奪還となったのだ。前魔王の名はエヌメラ。魔術剣術全てが規格外の、間違いなく今まで戦った中で最強だった男だ。彼との戦いは壮絶という言葉すら生ぬるい。無限の死を紡ぎ続け、ようやく勝利へと至ったような戦いなのだから。勝因? さっぱりわからない。気が付いたら勝っていた。三か月は戦っていたような気がする。そして、その末に―――アルドは確かに打倒した。今でもこの手に残るあの感触。心臓を突き刺した時の、あの肉の感触。忘れようとも忘れられないあの時の高揚感。この世の悪を打倒したと感じたその時、自分は英雄になったのだと感じた。その未来が如何に暗く、廃れたモノであろうとも、その時は確かに幸せだった。
 しかし、ここ最近―――何か違和感を感じるのだ。
 自分の魔力は規格外。この世界の一流の魔術師を三十として、この世界で最高の魔術師と謳われる魔帝を百とすれば、自分の魔力は千。『影人』を使えば、世界全ての魔術を行使出来る為、その魔力を幾らでも無駄遣いが出来る。どうせ使っても使っても尽きぬ魔力だ。一年消費し続けたって、使用した魔力分、自動補給してしまう為、どんな速さで使おうと魔力は尽きない。数少ないアルドが自慢できる部分でもあるが、ここ最近、自分と同等の魔力を感じるのだ。
 エヌメラと対峙した時は『影人』が使えなかったため、魔力を量る事は出来なかったが、その違和感は、魔力で表せば九百と半分。尋常な魔力とは思えなかった。
 フェリーテも顔に出さないが、きっと違和感は覚えているだろう。この得体の知れない何かを。この異常な違和感を放置する訳には行かない為、アルドは謎の解明ついでにアジェンタ大陸を訪れた。これが第零事項だ。
 もし、魔王エヌメラが復活しているとするならば、大陸奪還以上の優先度を持つだろう。クリヌス以上の強敵が復活した事になるのだから当然だ。そうなればもはや偵察処ではない。全霊を以て相手をしなければ、こちらがやられる。アルドはもう英雄ではないが、魔王の相手を出来るのは魔王アルドしかいない。復活していないのが何よりだが、もし予想通りだった場合は―――殺り合う覚悟だ。
「フェリーテ。次の村までのおおよその距離はいくつだ?」
「ふーむ。一里程かの。只……これまでとは違う何かを感じるのう。今回ばかりは、気を引き締めた方がいいかもしれん」
 やはり気づいていた。流石はフェリーテといった所か。
「何かって?」
 ヴァジュラが首を傾げながら尋ねると、フェリーテは口元を鉄扇で隠し、答える。
「魔力解放をした主様と同じくらいの……寒気がするんじゃよ。気のせいでは済まないほどの悪寒がの」
 感知能力に優れているフェリーテがこう言うので、復活したのはほぼ確実だ。いやはや。魔王になってからは如何なる困難も楽しんできたが……今回ばかりは、流石に次元が違う。退屈とは言ったが、こんな事が起きるのなら退屈の方がましであった。
「どんな奴が来ようともなあッ! 俺様に掛かれば一息よ!」
「ほう……ユーヴァンよ。一息で奴が殺せるならやってもらいたいものだ。私からすれば二度と戦いたくないと言うのに、どうやらお前は私よりも強いらしい」
「え……そんなに、ですか」
 ユーヴァンの顏から笑顔が消えたが、当然だ。自分の顏は分からないが……多分、今の顏はとても恐ろしい。フェリーテ達すら何も言わない程だ。
 アルドは腰に差した死剣に手を掛ける。
「今回ばかりは気を引き締めて行かないとな。切り札の使用も許可する。只一つだけ―――後で詳細は語るが、もし、奴と出会ったら、切り札を何回使っても良い。逃げろ。私の所まで逃げられれば、後は私が相手をする。いいか、戦うな。たとえ三対一だろうが、相手が後ろを向いていようが、逃げろ」
 出来るだけ真剣に言ったつもりだが、フェリーテを除いた二人は、そのあまりに現実離れした強さに、信じられずにいた。無理も無い。こんな話は、自分を知っている者程信じないのだから。何故ならばそれらにとって最強とは自分であり、畏怖の対象もまた自分。アルドが最強になったが故の、致し方ない現実だ。
「しかし! 俺様達の強さがあれば……!」
「お前達の強さを疑っている訳では無い。奴は私と同じ規格外そんざい。私以外では奴に勝てない。フェリーテ、いざとなったらこいつら二人を連れてリスドまで逃げろ。お前達三人を守りながらでは、流石に勝算は無い」
「承った。つまり主様は、妾達を足手まといと言うんじゃな」
「……すまない。こんな扱いはしたくないんだが……」
 フェリーテは鉄扇を閉じ、淫靡な笑みを浮かべた。その笑みは、信頼の証。
「いいんじゃよ、主様。妾達を想っての事じゃろう? ならば妾は何も言うまいて」
 フェリーテはあらゆる事を理解してくれる。本当に助かるし、頼りになる女性だ。仲間にして、本当に良かった。自分を理解してくれる人物が居なかったアルドからすれば、フェリーテはとても珍しく、魅力的だ。
 魔王に命は奪わせない。絶対に。
「して、主様。二つほど悲しいお知らせがあるんじゃが……聞くかの」
 心なしか、フェリーテの表情は暗かった。が、
「是非も無い。聞かずして何が魔王だ、笑わせるな。で、何だ?」
 その一言は、彼女の言う通り、悲しいお知らせ、もとい緊急事態だった。
「一つ、オールワークからの連絡じゃ。リスド大陸を、突如正体不明の船が包囲。現在集中砲火を受けている。直ちに戻ってきてくれ」
 これだけで驚くのはまだ早かった。アルドにとって最も起きてはいけなかった事が、起きたのである。
「一つ。これはチロチンからの連絡じゃ。ルセルドラグめがフルシュガイドにて捕まった―――ナイツ最強が、囚われた」
 正体不明の船については見当がついているが、ルセルドラグが捕まったと言うのは……想定外だ。対抗手段など考えてきてはいない。それぐらいは信用していた。
 エヌメラが居るかもしれないが、リスド大陸が船に襲われている。向かいたいのは山々だが、ルセルドラグが捕まった。
 どうすればいい? 何を先に片づけるべきか? 不安要素か、仲間の危機か、仲間の救出か。
 悩んでいる暇はない。一旦偵察は中止だ。アルドは―――
「一度偵察を止める。直ぐにリスド大陸へ向かうぞ!」
  船を使っていては到底間に合わないのは知っている。故に―――
「フェリーテ、いや、『濡闇の巫女』。私達をリスドまで運んでくれ」
 その言葉に反応。フェリーテは鉄扇で口元を隠したが―――その眼は笑っていなかった。
「そう呼ばれてしまってはやらないとの。準備は良いか? 吐き気を催すかもしれんが、そこは我慢するんじゃぞ」
 感知できる人間は五人と居ないだろうが、フェリーテの妖気は瞬間的とはいえ、五大陸すらも軽く呑み込んだ。
「『飛葬』」
 四人の足元に、見た事も無い奇怪な陣が広がった。それは魔術でもなければ、陰陽道でもない、不思議な陣。妖全ての始祖である彼女のみが扱える、大妖術だった。




 









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