ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

忘却の剣士

 リゼル。それは唯一の肉親。自分が最も愛する家族であり、幸せになるまで守ると、自分の中だけではあるが、そう誓えるくらいは大切な存在。だからこそ牲に選ばれた時は、気が狂いそうになった。彼女を守る為なら死神と契約しても良かった。自分の魂を質に出してもまるで恐くなかった。彼女には、大切な人を見つけてほしい。そして、出来れば幸せになって欲しい。ずっとそう思ってきた。今でもそう思ってるし、これからもそう思ってる。
 だからカオスは許せなかった。無理やりにでも自分のモノにするカオスが許せなかった。本意でなくとも無理やりに娶る事が出来る権力。それを濫用する頭蓋。初めて塵一つ残さず消したいとさえ思った。
 だけど無理だった。実力は明らか。パランナが勝てる要素など一つたりとも存在しなかった。……リゼルへの想い? それでどうやってカオスに勝つと言うのだ。そんな思いがあった所でカオスとの力の差に変化はない。無意味ではないが、意味は殆どない。
 そう思っていた時、キリーヤという少女が来た。キリーヤは絶望のどん底に居た自分を引っ張り上げ、励ましてくれた。この少女が居れば、カオスに勝てるかもしれないと……根拠は無い。只、そう思えたのだ。
 キリーヤと二人旅では無かったが、何にせよこちらにも仲間が出来たのだ。カオスに勝てる可能性も出てきていた。
 そして―――今。パランナは最下層に居る。魂を削って、意識を削って、余計な思考を捨てて、とにかく走った。
 螺旋階段を駆け下りて、右から左。左から右へ。隠し通路を捜すのが面倒で床を破壊して。色々やった。とにかくやった。
 駆けている時、全く同じ穴が天井にあったが、パランナはこんな穴を二つも開けていない。クリヌスの仕業だろうか。という事は、クリヌスも最下層に? クリヌス達の側には何も邪魔は来なかったのか? どうも違和感を覚えるが、気にしてはいられない。パランナは走る。ひたすら走る。
 時に壁を破壊して。
 時に魔術で溶かして。
 時に牢獄を蹴破って。
 最下層は侵入者対策か、入ったら爆破する贋物の部屋が幾つもある。時に無秩序に、時に不自然に。どう考えても扉ではない扉―――例えば床に張り付いた扉など、どうやら最下層であるが故に、これ以上下はないだろうという先入観を利用しているらしい(勝手な想像だが)。現に床に張り付いた扉が本物の部屋だった。部屋から部屋に、部屋から道に。上にも扉があれば下にも扉があって、この階層はあまりにも立体的で、創造的だ。壁にあるのが扉。そんな概念を簡単に破壊した。上の扉は多分、上の階層との間隙に部屋を作ったのだろう。妙に狭いし、大体贋物。しかし先入観にとらわれてはいけないので、やっぱり入ってしまって、やっぱり爆発。
「どごだアアアアアアアアアアアッ!」
 返答を求めるが、声は無い。
 そうして三十分程探し続けた時、パランナはある方法を思いついた。
 しかし、それは諸刃の剣。何を失うか分かったモノではない。だが―――何を失うかなんてわからないし、今はなりふり構ってられない。後でたっぷり後悔すればいいだけだ。
 パランナは緋剣『孑震』を地面へと突き立て、目を瞑る。紡ぐは契約。灼くは贋物。
 死神と契約したっていいと、そう思えるくらいはリゼルの事が大切だ。だから―――この剣と契約した。
 自分が払える範囲で代償は変わる。何を払っても構わない。何を払っても―――
「リゼルッ!」
 扉を破壊。目の前には確かに、リゼルが―――クリヌスと、クリヌスに髪を掴まれ引きずられている瀕死のクウェイと共に居た。
「お兄様ッ! 助けてください。この者達が私を……!」
「何ッ?」
 パランナは二人を睨みつけ、ドスの効いた声で尋ねた。
「どういう事だ?」
「……」
「言ってみろ」
 こちらに憐みに類似した視線を注いだ後、クリヌスはゆっくりと語り出す。
「事情はキリーヤさんから聞いたとお察しください。では……事情は分かりませんが、クウェイさんはカオス側の人間でしてね。情報は全て筒抜けだった訳です。だからカオスは貴方が来る事を知っていた」
「……」
「信用はまあ、これから掴み取るとして、クウェイさんが何故内通者かという理由を添えつつ、このカオスの行動の真相をお伝えしましょう―――おかしいとは思いませんでしたか? カオスが本当にリゼルさんを貰う気なら、まず貴方が後の事を考えず特攻してきた時点で、殺す筈。いや、普段のカオスならばそうします。だというのに、貴方は生き延びた。生き延びて、ここまで来た。それは合ってますよね」
 そうだ。カオスに殺されそうな所をリゼルに刺されて、結果的に重傷で済んだのだ。
 自分の首肯で確認が取れ、「では」と続きを話すクリヌス。殺気をぶつけてもまるで怯む様子が見られない。
「普段のカオスなら、たとえ女性の頼みと言えど敵は生かしません。そもそも、女性を強制的に娶るなんて事すらしません。貴方達は知りようが無かったので分からなかったのも無理はありませんが、そもそもの前提が可笑しいんですよ。そして……パランナさんが二度目の衝突で敗北した時。やはり殺していませんね。色々可笑しいです。そして何より、話を聞く限り、クウェイさんが全く狙われていません。これもカオスには有り得ない事で、強者大好きの彼が一度も狙わない男なんてのは存在しません。貴方はリゼルさんを取り戻す事に必死。貴方自身が内通者では話そのものが破綻しているので違う。キリーヤさんやエリさんは旅人です。それに、カオスがシュタロド村に居た時、二人は遠くの洞窟に居たらしいじゃないですか。これでは接点が生まれないので、除外。残るはクウェイさん。貴方を押し通す為に体を張ったらしいですが、家の前でしょう? 貴方が気絶した後に接点が生まれてもおかしくはない。さしずめ、貴方を無事に返してほしければ協力しろとでも言われたんですかね。彼、元々カオスの部下らしいですし」
 そうだったのか。だから因縁があるのだと言っていたのか。とある事情で放浪者というのも、事情はそういう事だったのか。
 しかし、それをこの時より以前に知っていれば、間違いなくクウェイを殺していたと思う。パランナにとっては、カオスはそれほどまでに憎かった。リゼルを泣かせるような男が、憎くて仕方が無かった。
「まあ、私は自白を聞きましたし。理由はこれで解明としておいて。真相をお伝えしましょうか。この事件とも呼ぶべき案件の発端、所謂、犯人は―――リゼルさんです」
 色が、見えなくなった。時は崩れて崩壊し、事象は永久の停滞に見舞われた。リゼルが犯人なんて馬鹿げた話だ。一体どうして犯人なんて。クリヌスは気が狂ったのか、はたまた喧嘩を売っているのか。いや、喧嘩どころでは無い。殺す。それがもしも虚偽だったならば……殺しつくしてやる。
「女性の嫌な事なんて絶対にしない、或いはしても反省するカオスですが、例外はあります。例えば―――女性自身の頼み、とか。この計画、どっちが考えたか知りませんが、意外と良く出来てますね。カオスに隠す気さえあれば、それこそ何も分からないでしょう。何せ攫ったのはレギ最強のカオス。圧倒的実力者ですからね。そんな彼から女性を奪還した……ええ、それこそが狙いですよ」
「……どういう事だ」
「貴方をわざわざ生かしている。そしてここまで辿り着かせている。私の所に居なかったのはクウェイさんのせいですから、そっちにカオスが行ったんですかね。だとしたら話は簡単。カオスがその気になれば、私とフィリアス以外は、首を刈られて死にます。にも拘らず、貴方はここに来た。これ以上ない証明でしょう?」
「何故俺の所に? お前とも殆ど互角の実力を持つのだろう? ならどっちに行っても」
「クウェイさんを攻撃しなかったらバレるでしょう。それに、あなた一人だけに行かせる必要があった―――まあ、結果として私が先に着いてしまっていますが、そこは誤算でしょうね」
 いや、まだ突く部分はある。まだだ。絶対に認めない。リゼルが犯人だ何て、認めてたまるものか。
 必死なパランナをあざ笑うかのように、クリヌスは淡々と述べていく。それは無慈悲たる言葉の刃であり、こちらの心は既にずたずただ。妹に騙されていた。それを感じる度に、刃が深々と刺さっていく。
「リゼルが犯人だとして、目的は何だ? わざわざ俺を困らせる為にやっているとは言わないよな? リゼルはそんな奴じゃない」
「ええ、そんな人間じゃないですね。彼女はどこまでも自分を幸せにする為に生きている正直な人間ですから。貴方をここまで来させてどうするか。考えた所、ありえない答が出てしまいましたが、まあ、ありえない事が起こる事ほど、有り得る事態は無いと言いますし。理解は出来ないかもしれませんが―――お気づきですか。私が虚偽を言ってるとするならば必死で止めるべきのリゼルさんが……項垂れているだけなのを」
 リゼルの方を向くと……本当だ。口元を引き締め、項垂れている。「あれは嘘だ誤魔化されるな」の一言も無く、押し黙っている。
「「ええ、彼女は貴方の事が好きなんですよ、パランナ・ウィゼンガーさん」」
 重なる声の片割れが背後から聞こえた。凛とした響きを残す、女性の声。振り向くと、カオスに捕まっていた筈のエリ。噂通りの事は何もされていない事は、態度と服装で分かる。
「エリ……」
「カオスさんが、禁断の愛の成就に手を貸していると言ったものですから。流石に私でも分かりますよ。パランナさん、彼女は貴方に家族愛以上の情を持っている」
 エリの言葉を信じられる訳が無い、兄弟愛ならば分かる。家族愛でも分かる。だが……エリの述べたそれは、恋愛感情という事ではないか。
 信じられない。だが、信じなければ行けない。虚実であってほしい、だが現実だ。嘘だと言ってほしい。真である。リゼル以外の全ては敵だ。皆自分を案じての行動である……何故? 仲間だから。
「……お兄様。私は」
 リゼルは顔を上げた。だが、その顔は、喜色満面の笑み。もう嘘を吐く必要が無くなったからなのか、もはや清々しさすら感じる程に、リゼルは狂っていた。
「お兄様の事が、大好きなんですぅ!」








 彼の事を好きになったのはいつだったか。いや、二人きりになったあの時からか。パランナが自分を守ってくれる度に、その愛は一層深まっていった。パランナは納得しないだろうが、リゼルにとって一番幸せな事とは、パランナと兄弟の関係ではなく、夫婦の関係になる事だった。
 そんな時、自分は人身御供にされた。もう会えないのかと思った。一応は村の為という事で我慢してきたが、その想いが誰かにばれるのではないかと必死だった。
 しかし、一度目は失敗。パランナが守ってくれたのだ。二度目も失敗。三度目はパランナの御蔭ではなかったが、なんにせよ生き残った。パランナも喜んでくれると思った。
 だけど。心のどこかで気づいていた。自分がそう思っていても、相手がそうは思っていない事を。パランナは自分を愛してくれている。だがそれは、家族愛だ。唯一の肉親である妹に向けられるべき当然の感情だ。自分とは違う。
 だから、ある作戦を思いついた。自分を救わせて、なし崩し的に結婚する事を。カオスには人身御供以前に繋がりがあったので協力してもらった。完璧な隙の無い作戦だった。
 なのに。なのに。
 放浪者共に全て壊された。許せない。許せない。許許許許許許許許許セナイ。










 結果から言えば、リゼルは完璧に狂っていた。出てくる言葉は兄、兄、兄。体を重ねる事も厭わない何処か、是非もないと言える様は、両親亡き子供が歪んだ末路か。誰も、何も、その狂気には触れなかった。触れたくも無かったのだろう。理解したくもないのだろう。血のつながった兄弟に、ここまでの狂気を抱ける気持ちなど分かりたくも無いのだろう。
「……で、どうするんですか、この子」
 リゼルはパランナに抱き着き、自身の体を擦りつけている。パランナはあまりの衝撃に放心。クリヌスは慈悲を示す瞳でそれを見ていた。
「ねえ、お兄様ッ、ここで一つになりましょう? 子供を作りましょう? 何なら周りの方に見せながらでも……!」
 制止の声を掛けても聞く耳持たず。魔術で眠らせる他は、止められなさそうだ。
「……そういえばキリーヤさんが戻ってきてませんね」
「貴方の言葉を聞く限り、キリーヤはカオスと戦って―――」
 クリヌスは遅まきながら気づく。自分で言ったではないか。クウェイによって情報が筒抜けだったのだから、カオスはキリーヤ、パランナの所に行った、と。パランナが抜けてきたという事は、カオスと戦っているのはキリーヤ一人。会議でもその予定は造っていた。
 だが……遅すぎではないか。
 二人は顔を見合わせる。
「不味いですね」
「……緊急事態ですね」
 この場を離れても良いのだが、その場合性的な意味でパランナが襲われかねない。両者合意なら別にクリヌスは構わないが、パランナにその気が無いのだから、守らなくては。
 エリと視線でやり取りをすると、エリが様子を見に行くという事になった。クリヌスはリゼルの監視だ。
「では、この場は宜しくお願いします」
 エリが身を翻し、上へと上ろうとした、その時―――天井が崩壊。瓦礫を纏いながら、何かが落ちてきた。砂煙で姿は確認できないが、数秒後、その姿を見て驚愕するのを知っていれば、見ない方が良かったかもしれない。
「キリーヤ……!」






 手は尽くした。だが、それでも及ばなかった。圧倒的優位に立って、圧倒的に有利な武器を取って、それでも負けた。敗因は偏に経験不足。踏んだ場数が違い過ぎたのだ。
 負けた、というのは語弊がある。勝った事は、勝った。だが、こちらも重傷を負って行動不可能。リゼルの所に向かえない、それは、キリーヤにとって敗北を意味する。そういう事だ。殺す気で斬れば無傷だったのは確かだが、キリーヤにそのつもりは無かったため、こうなった。後悔はしていない。
「……及ばなかったか」
 カオスは地面に伏し、か弱い声で言う。内臓が焦げた筈だが、それでもまだ喋る辺り、カオスもかなり人外である。
「カオスさん……どうして貴方は……リゼルさんを?」
「……それを我の口から言うことなど出来ん。聞きたくば、本人から聞け―――しかし……私に勝ったのはお前で三人目だ。しかし……貴様と言えど……あいつには決して及ばない。名前は思い出せない……遠い日の……記憶」
 カオスが思い出せない人間はおそらくアルド。邂逅の森にて記憶を消した事で忘れさられた男。フィリアスやクリヌスは覚えているようだが、カオスは全て覚えているという訳では無いらしい。居たのは覚えているが、誰かは思い出せない。そんな感じだ。
「……行け」
 カオスは魔術を発動させたのだろう。キリーヤの眼前にある床が溶解し、穴が作成。無理やり身を乗り出して覗き込むと、どうやら最下層に繋がっているらしい。
「カオスさん……」
「勝者への褒美は敗者の責務。それだけだとも」
「カオスさん……この件が終わったら、話があります」
 キリーヤは地を這い、半身を穴へと投げた。それに引きずられるように全身が落下。傍から見れば投身自殺の様な、無気力、無抵抗な身投げ。
 カオスも魔力が無かったらしい。最下層一歩手前の階層の床は、溶かしきれていなかった。だが、位置エネルギーを纏ったキリーヤに圧され、床が崩壊。瓦礫を纏って、最下層に着いた。
 受け身を取る力すらない。だが……それでも、パランナの所へ、行かなくては。
「キリーヤ……!」
 自らを心配する声は、閉じ行く意識の内で、微かに響いた。












 体が揺れる。意識が揺れる。命が揺れる。周りは揺れる。
 キリーヤが目を覚ますと、そこは馬車の中。周りにはエリ、フィリアス、クウェイが居た。
「キリーヤ! 目が覚めたんだ、良かった……」
「眼を覚まさなかったらどうしようかと思っていたが、玉聖槍は違うな」
 フィリアスが感心した様子で言う。
「……どういう事ですか?」
「それは俺が話そう」
 クウェイがそう言うので、皆押し黙った。
 キリーヤが自殺行為としか言えない体で降りてきたため、エリはパニック。クリヌスも驚いた様子だったらしい。エリが近寄ってけがを見るが……生存は絶望的。どんな強大な回復、再生魔術を以てしても完治までに一か月はかかるらしい。そしてその間に……キリーヤは死ぬ。
 それでもあきらめなかったエリが、魔力供給をクリヌスに懇願。クリヌスの魔力を自身に収めつつ、玉聖槍へと形態強化。その特性を以て、キリーヤの傷を完治させたらしい。ついでに自分も。
「そうだったんですか。エリ。ありがとう」
「夢の果てまで一緒に居るって、約束したし。絶対に死なせないわよ」
 エリから敬語を抜くと残るは何か。可愛さだけだった。こんなくだらない事を考えられるのだから、自分は確かに完治したのだろう。簪は外れているが、見る限り傷も無い。感情も失ってないし、記憶も同様。大丈夫だった。
「あれ、そう言えば、パランナさんは?」
「それが……外見てくれれば分かるんだけど……」
 キリーヤは限界まで身を乗り出し馬車の横を見ると、馬車の速度に合わせて、パランナが歩いていたのだ。リゼルを背負って。
 状況説明を求めるキリーヤに、今度はエリが説明を担当した。これをキリーヤに伝えるのは中々酷だったが、それでも、英雄になる上でこういう理不尽を知っておいた方が良い、という言葉を前提に置きつつ、事の真相を語り出した。
「……そうなんだ」
 キリーヤの表情は複雑だった。悲しいような、嬉しいような。心なしか、疲れている様にも見えた。
「それで……その……申し訳ない! パランナを助ける為だとはいえ、お前達を裏切るような真似をしてしまった!」
 真相を全て教えてもらった為、クウェイが何をしたのかもキリーヤは知っている。常人ならば出てけと言うかもしれない。二度と姿を現すなとも言うかもしれない。
 だが、一部の異常な善人は、きっとこういった。
「気にしないでください」
 命を奪った訳でもない、パランナを助け出す為に、協力しただけなので、裏切りの内に入らないから良い、らしい。
 代わりに飛んできたのは、一つの質問だった。
「そう言えば、リゼルさんの計画を協力したなら、パランナさんが絶対に死なないって事も分かってたんですよね? だったら何で、協力したんですか? 安全と引き換えに、協力したとするなら、おかしくないですか?」
 指摘はもっともなものだった。そういう条件で協力したなら、明らかにそこは矛盾する。あちらにパランナを殺す気が無い事は既に分かっている。
「……俺はパランナを殺す気が無いとは知らなかった。それに、俺が協力したのは、お前等の動向を探るという一点のみ。それ以外は何も聞かされていないよ」
 どうも真相ありきで話したので、時系列がずれていたらしい。クウェイはその事を何も知らなかった。だから、協力しないなら殺すと脅されていた。辻褄は合う。
「成程」
「―――図々しいのは承知だが、お願いがある。無理にとは言わない。俺はそれだけの事をした」
 クウェイは改まったように座り直し、額を勢いよく地面に叩きつけた。土下座。それは謝罪法としては最上級であり、プライドをかなぐり捨てた謝り方だ。何度もやると効果が薄れるものの、普段まるで謝らない人がこれを使うと、反省の意がストレートに相手に伝わる。クウェイがやるのはこれが初めてだ。
「お前達と一緒に居させてくれ」
 キリーヤとエリは目を丸くしてその姿勢を見ていた。気にしないでと自分は言ったが、自分で自分を許せないらしい。
「分かりました。そこまで言うなら、条件を付けさせていただきます―――私の夢に協力してくれる事。これだけです」
「……! それだけでいいのか?」
「それだけで、良いですよ。それが私にとって、何よりの助ですから」
「……是非も無い」
 クウェイが滅多に見せない笑顔を浮かべ、喜んでいると、突如揺れが止まった。何事かとキリーヤが降りようとした時、パランナが顔をのぞかせてきた。
「村に着いたぞ。今日だけ宿屋はタダらしいから、そっちに泊まれ。俺は―――決着をつけてくる」
 その言葉を聞くや否や、無言を貫いていたフィリアスが、何処かから短剣を取り出し、パランナへと投げ渡した。
 それを無言で受け取り、村長の家へと向かって行くパランナ。その背中には、覚悟が宿っていた。
「エリ。パランナさんは何を……」
「キリーヤ。後で話があるんだけど。いいかな」
「え、はい」
 クウェイもフィリアスも何も言わなかった。しかし、不思議と悪い予感はしなかった。






 フィリアスには感謝しなければいけないだろう。こんな自分に、決着をつける好機をくれたのだから。
 リゼルがまさか自分を好きだったとは思っていなかった。嬉しくもあり、悲しくもあった。
 リゼルが幸せになるまで守ってやるとは言った。魂を質に入れても構わないとも言った。だが、この言葉には裏の意味がある。
 リゼルを幸せになるまで守る事は出来る出来ないではなく、して見せるが、リゼルを幸せには出来ない。
 パランナは『孑震』と契約した時、代償を求められた。当然の事だ。そして内容は―――不幸。近い未来、自分の周りに居る大切な人を、必ず殺すという代償だった。殺すのは自分では無い。世界が殺すのだ。
 それでも良かったから、パランナは払った。いずれリゼルの前から姿を消すと思っていたからだ。だが、その結果がこれだ。妹が幾ら自分と結ばれたいと思っても、体を重ねたいと思っても、パランナには何にも代えがたいリゼルの命がある。だからその要求に応える訳には行かなかった。
 だけど、リゼルは自分の事が好きで、幸せになるにはそれしかないという。だけど自分には叶えられない。
 パランナは扉を開け、家へと入る。迷いなく書斎へ入ると、クエイカーが驚いたような表情でパランナを睨んでいた―――いや、正確には、パランナが背負っている人物だが。
「貴様は……何故リゼルを」
「『お父さん』。お願いがある。バカ息子の最初で最後のお願いだ―――リゼルを幸せに出来るような奴を捜してくれ。カオスみたいな奴じゃなけりゃ、そしてリゼルが好きだって言うなら誰でもいい。頼む」
「何の話だ?」
「俺は所詮一夜の夢だった。ちゃんと現実で、好きな人を見つけてやってくれ」
 それだけ伝えると、パランナは書斎を出て、リゼルの部屋へと向かった。扉を開け、ベッドへとリゼルを下した。
 まだリゼルが眠っている事を確認した後、徐にパランナは服を脱ぎ始めた。上半身が終わったら、次は下半身。
 こうするしか方法が無いのは辛い。これは即ち最終手段。フィリアスが居る事で初めて使える手段だ。チャンスは一度。失敗は許されない。だが、妹の幸福を願うならば、こうする他無い。
「リゼル、起きろ」
 少し体を揺らしてやると、リゼルは直ぐに目を覚ました。パランナの裸体を見て、直ぐに状況を理解する。
「ああ、お兄様。遂に……私と一つになるのですね」
 耐えろ。大芝居だ。彼女だけには悟られてはいけない!
「ああ、そうだ。これが終わった後、俺も、お前も、新たな一日が始まる。今までと違って苦労もするかもしれない。だけど、お前ならきっと耐えられる。分かってくれ」
「はい。どんな苦難も……私は乗り越えていけます。そう、二人なら!」
 勘違いを最後までしているのが悲しいが、それは好都合。こんな形で自分の願いが叶うなんて、思ってもみなかった。
 だけど……それもまた一興かもしれない。自分だって、キリーヤという少女と出会えた。クウェイという仲間とも出会えた。フィリアスやカオスという強者と出会えた。パランナ・ウィゼンガーはここで死ぬ。
「リゼル―――さようなら」
 パランナは魔術で隠していた短剣を出現させ、リゼルの胸元へと突き刺した。










 帰り際にクエイカーにも短剣を刺し、パランナは外へ出た。他の住人には、フィリアスが予め刺しておいてくれたらしい。有難い事だ。
 この武器に異名は無い。異名を持つ程知名度は無い。強いて名づけるならば、忘剣。突きさした者の記憶を消し去るだけの武器だ。
 これでどう転ぼうと、リゼルが自分を思い出す事は無い。これで自分を好きだという事実は無くなった。後は……天に祈ろう。記憶を完全に封じる訳では無いので、自分がクエイカーに掛けた言葉くらいは、きっと残っているだろう。
 さて……次は何処に行くか。新たな出会いを求めて新大陸へと赴くか、レギ大陸を探索するか。何にせよ、自由に歩いてみよう。
 村の出口に差し掛かった時、大きな馬車がパランナの行く末を遮った。動きを素直に止めると、降りてきたのはキリーヤ。
「パランナさん」
「……泊まったんじゃないのか、それにその馬車は人のだぞ?」
「お礼と言う事で貰いました。これで長旅も安心です!」
 キリーヤは笑顔で馬を触っている。馬の気持ちなどパランナは分からないが、馬も心を許しているように見えた。
「パランナさん、何処か行く宛はあるんですか?」
 無い。しかし、キリーヤ達に迷惑は掛けられない。迷惑を掛けるのは今回限りで良い。もう誰にも、迷惑は掛けられない。掛けるわけには行かない。
「もし行く宛てがないなら、私と一緒に行きませんか?」
 キリーヤは優しい。きっと自分以外の男からも好かれるだろう。自分を連れて行くメリットは無い。
「……しかし、お前達に迷惑が」
「まさか。迷惑処か、パランナさんが如何に家族思いかってのがわかりました。パランナさんは、優しいんですね」
 それでもこの少女は自分を諦めない。理由は聞かずとも分かるような、そうでないような。……いや。分かってはいけない。分かってしまえば、自分は……
「いや……俺は……」
 キリーヤの事が、
「仲間にするなら、パランナさんみたいな頼れる人がいいじゃないですかッ!」
 好きだと気づいてしまう。
 キリーヤに触れたい。守りたい。彼女の夢を……叶えさせてあげたい。
 彼女がこちらに手を差し伸べてきた。手を取れという事だろうか、言われなくても―――取ろう。
「―――キリーヤ。俺はかつての名、パランナ・ウィゼンガーを捨てた。俺の名前は今日からレヴナント、だ。混乱するかもしれないが、宜しく頼む」
忘却の剣士レヴナントですか。いいんじゃないんですか? 私達やカオスを除けば、誰も貴方の素性を知らない。今の貴方にピッタリですよ」
 凛とした声が響いた後、エリが馬車から降りてきた。
「これからは同じ仲間ですからね。仲良くしませんと」
「エリもこう言ってますし―――改めて、宜しくお願いします、ヴァレントさんッ」
「レヴナントだ」
 二人は難い握手を交わし、笑い合った。キリーヤが誰よりも欲しかった仲間。即ち同志。
 英雄と持て囃される事など二の次。ただ、世界中の皆が、こんな風に笑い合えるようになってほしい。
 理想の実現の為、キリーヤは絶対に諦めはしない。自分を慕ってくれる仲間の為にも、絶対に、共存を、この馬鹿げた願いを、実現させてみせる。
 いつかの優しい風が、二人を通り過ぎた。それは未来への追い風であり、祝福。
 キリーヤは、今やっと、開始地点を踏みしめたのだ。


























 

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