ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

白を嫌いて灰を好け

 キリーヤ達が辿り着いた時、そこにパランナの姿は無かった。瓦礫の塊が一つと、カオスが一人。何処にもパランナは居なかった。さらに詳細に言うと、カオスの額から血が出ているので、何もしていない訳が無かった。
「カオスさん……」
「ん? 貴様らが話に聞いた愚者の協力者か。実に残念だ。見目麗しい女性が二人。だというのに、こんな男と共にくるなど……今から我の所に来ないか? 王の寵愛をたっぷりとくれてやるぞ」
 一見してカオスが只の女たらしだと思えるが、キリーヤには別の側面が見えた。この男、この誘いで応じさせる気が無い。いや、応じるような女はつまらないとでも言うのか。カオスの瞳からは、淡い殺気が滲み出ていた。
 別にそれが分かったからと言って、反対の事をする気は無い。キリーヤとエリは言葉こそ違ったが、意思そのものは共通だった。
「カオスさんに恋慕の情は持っていませんので」
「貴方のような男性は苦手でして」
 エリに関しては、フォーミュルゼンが関係している。自分を物としか見ていないような上から目線や、脅迫じみたお誘いは、言い方が悪いが、虫唾が走るのだろう。
 予想通り、カオスの表情が変わった。……たとえるならば、『自分が所有すべき価値があるかどうか』という顔から、『何が何でも手に入れたい物』へと変わった。そんな感じだ。
「ほほう」
 その欲の深さは、その辺りに居る下衆のそれとは訳が違う。洞窟に居たあの鬼以上の煩悩と、クリヌスに匹敵する恐ろしさが混じったような、どす黒いなんて言葉でも生ぬるい黒さ。しかしそれ故に、カオスは純粋に女性を欲する。
「ならば無理やりにモノにするのが、我」
 カオスは瓦礫の塊をこちらへと吹き飛ばしてきた。エリはすかさずその塊を薙ごうとするが、それよりも早くフィリアスが結界を発動させ、直前で瓦礫を受け止めた。
「フィリアスさん、何を……」
 キリーヤの困惑の声を無視し、フィリアスは淡泊に一言。
「弾けろ」
 瓦礫が爆散。驚いたが、瓦礫から出てきたのは、何とパランナだった。キリーヤもエリもクウェイも気づかなかったと言うのに、フィリアスのみが中身に気づいていた。……アルドの弟子だけはある。どうやったのかは知らないが、尋常ではない。
「パランナッ?」
 クウェイが急いで抱き起すが、反応は無い。口の中に瓦礫が詰まったせいで、窒息でもしたのだろうか。いずれにしても、この事象を引き起こした人物は一人しか居ない。
 キリーヤはカオスの方を視て、警戒を露わにする。
「キリーヤ、気を付けて。仮にもパランナさんをここまで痛めつけた人物です。无尽撃を使ったとしても、果たして当たるかどうか」
 エリが聖槍『獅辿』を構えると同時に、カオスは右の剣を構えた。
「我とやり合おうと? 戦姫よ」
「誰が戦姫ですか。私にはエリ・フランカという名前がちゃんとありますよ」
 平然と会話をしている二人だが、その話の裏側では、既に戦いは始まっていた。カオスは勿論気づいていない。戦っているのは、今の所エリだけだ。
 无尽撃の最大の弱点。それは工程の難しさゆえの貯め時間。全身の力を抜き、全神経を相手を視る事だけに使う。そして刹那の時間、无尽撃発動準備をしている使用者にのみ見える点を突く。その突きは絶対的な破壊の特異点であり、防御は不可能。刃鉄の特性を以てしても、それは変わらなかった。
 つまり、エリの戦いとはこの工程を完了させるまでの時間稼ぎだ。
『キリーヤ。クウェイさんはパランナさんと一緒に下がってと伝えて。それと……フィリアスさんに結界の準備を、と』
 石から聞こえてきた指示通りにキリーヤは言葉を飛ばし、周囲を納得させる。小声で行ったので、カオスには聞こえていないだろう。
「エリ・フランカ。良い響きだ。我の妾となるには相応しい」
「だからって、貴方に服従する気はありませんよ。貴方のような人物とは過去に色々あったものですから。故に、男性とのお付き合いは当分は勘弁願いたいですね」
「そうか。然らば諦めよう……などという我ではない。貴様を必ずや手に入れよう」
「無理ですよ。貴方では」
「では試すとしよう。感謝するが良いぞ。貴様の技を出すまでの時間稼ぎに、わざと引っ掛かってやったのだから」
「……!」
 カオスは……エリの技を見抜いていた。その詳細は知らないにしても、溜めが必要であると、初見で看破して見せた。
 カオスは今までの人物とは格が違う。観察眼だけならクリヌス以上だ。只の煩悩男では無い。この男の反応からして、エリやキリーヤ。つまり女性は絶対に殺さないだろう。男性のみを殺した後、エリとキリーヤを拉致。女性としての尊厳を破壊するような行為を何度もする。簪を付けたキリーヤには、それが見える。色んな女性が、そうなっている有様はまさに地獄で、言葉には表しづらい。その女性たちが、快楽に溺れ満更でもなさそうなのも、また原因の一つだ。
 しかしどういう訳だろうか。リゼルのみがキリーヤの目には映らない。まだ時期が過ぎていないだけか? それはおかしい。この男は時期を置いて行為に及ぶようなタイプには見えないし感じない。何故だ?
「行くぞ」
 エリの動揺が収まらない内に、カオスが飛び出してきた。その速さから点が見えるまでに肉迫されると思ったのか、エリも飛び出した。
「エリ。駄目ッ!」
 勝負の結果は何を使わなくても分かっていた。動揺しきったエリの突きなど、カオスのような実力者に当たる筈は無かった。カオスの右の剣がエリへと触れ―――
「……くっ」
 深々と切り裂いた。エリは勢いそのままに無様に地面に倒れ込んだ。まだ意識は残ってるようで、睨み殺すとばかりにカオスを見つめていた。カオスはその瞳に驚き、嗤う。
「圧倒的強さにひれ伏すのは、悪い気分ではないだろう? エリ。お前は今から我のモノだ」
 瀕死の者が如何なる思いを抱いていようと、この大陸では強者が正義。カオスが恐れないのは強さの差以前に、そういう大陸で育ったからというのもあるだろう。
『キリーヤ。フィリアスさん達と共に逃げて。お願い。カオスは今私に夢中みたいだから、逃げられる筈。私も後で合流するから。お願い』
 そんなお願い、聞けるわけがない。『後で合流』という言葉程、信頼出来ない言葉は無いのだ。
 キリーヤは魔力を全身に流し、反映。懐から短剣を取り出し、カオスへと斬りかかるが―――結界に阻まれ、行くことは出来なかった。
「何するんですかッ」
「行くな。アイツの剣の餌食になるぞ。言っておくが、命の話じゃない。あいつの右の剣は異名持ち、というか、アイツが右手で持ったものは特性持ちの武器になるからな。俺はもう詳細を看破したからいいとしても、お前までは面倒見きれないぞ」
「でも―――」
「仲間を裏切るな」
 フィリアスが言った一言には、何故か説得力があった。まるで自分が同じような目に遭ったか。それとも近い人物が……ああそうか。フィリアスにはアルドという前例がいるのだ。人類に裏切られ、魔人に味方した最強の男。彼を知っているなら、確かに重みが出てもおかしくない。英雄が魔王になった。裏切られた者がどう変化しても、最悪にしかなり得ない。エリだって似たようなモノだ。ここで裏切ってしまえば、エリからの信頼は落ちる。
 せっかく勝ち取った信用を、失う訳には行かない。
 エリに背を向け、涙をこらえながらキリーヤは走った。振り返らない。振り返ってはいけない。振り返ったらきっと、立ち止まりたくなる。
「ごめん、なさい……!」






「……行ってしまったか」
「私……なんかに、気を回すからこうなるんです。全く……馬鹿ですね」
「貴様を手に入れられるならそれでも構わん。分かってるだろ、エリ。私の剣は、『切りつけた物体の重力を操作する』特性を持っている。貴様は俺から離れられない」
 確かにそうだ。今、エリの体には体感だが、十五倍の重力が掛かっている。動くことなど出来る訳が無い。
 カオスは聖槍『獅辿』を取り上げ、まじまじと見る。
「上等な槍だな。私が貰っておこう」
「だ……め」
 エリの言葉に耳は傾けられない。代わりにエリは優しくカオスに抱き上げられ、その端正な顔立ちを見る事になった。
「汚い……顔ですね」
「その汚い顔と、貪るような接吻をする訳だが、どう思う?」
「………無理に……決まってますよ!」
 出し抜けにエリが両手を動かし、両耳を叩こうとしたが、直後に再び重力。耳に命中する直前の手は肩に落ち、形としては、カオスの首に腕を回したような形になった。
「な……!」
「ふむ。その体勢を取ってくれるという事は、貴様も満更でないと。良い良い。そうだ、己の煩悩を解放し、互いを貪る。それが正しいのだ」
「違……違う…………………!」
「では―――」
「嫌―――!」
 闘技街において、強者の命に逆らう事は、何よりも重罪である。たとえその命が生命に直結するものだったとしても、或いは女性としての、男性としての尊厳を踏みにじるものだったとしても、誰も罪に問う事は出来ない。
 強さが全ての街とは、それ即ち、背徳と汚濁で構成された街。

「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く