ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

混沌たる違和感

 カテドラル・ナイツ。詳しい事は知らないが、一応はキリーヤから聞いている。絶対たる魔王、アルドの忠臣。その力は一人で一国に匹敵すると言われているが、真偽の程は定かでは無い。エリがその言葉から分かる事は、そのナイツ二人を相手にするのは、どう考えても無謀であり、馬鹿の所業。この戦いが只の二対二と思わない方が良い。二対二十でもまだ足りない。二対二百、或いは二千だ。こんな戦いに意味などあるのか。負ける事が必至であるというのに、それでも抗う意味はあるというのか。
 ……いや。
 抗う意味はある。助けを期待している訳では無いが、それでも時間が長引けば長引く程、突破口は見えてくる。
「カテドラル・ナイツ。貴方達が……ですか」
「種族を教える訳には行きませんが、私についてはもう見た目で分かるでしょう」
 真黒な肌だか羽だか分からない男は、種族を見る限り、『烏』。飛行能力に優れた種で、幾ら飛行していても疲れないという異常な体質を持つ魔人だ。数年前、『烏』の種を生かしておくのを良しとしなかった人間は、強襲を掛けて根絶やしにしたらしいが、彼は、まさか……その生き残りなのだろうか。
「貴方達は……どうして私達を襲うんですか?」
「その質問は無意味だな。少なくとも、お前達がクリヌスを追う理由を話すまでは、私達は黙秘を続けよう」
 『烏』は、警戒を露わにしているかのように、言い放った。その証拠に、言葉は何処か刺々しい。他人なので当たり前だろうと、そう思う人も少なからずいるだろうが……流石に殺気までぶつけられてはその言葉もつっかえる。この男は本気だ。どう言いつくろっても、どう言い訳しても、絶対に黙秘を続ける。適当に受けた交渉学で聞いた程度だが、彼はギブ&テイクを信条としているのだろう。ギブ&テイク。何かが欲しいならば、相応の何かを相手に与える。交渉の基本らしいそれに当てはめてみれば、確かに彼が黙秘するのも分かる。こちらは一方的に情報を求めるばかりで、何も与えようとはしていない。彼はそんな状況が気に食わないからこそ、そんなに情報を欲しいのなら、そちらも相応の情報を開示するべきだ、と提案してきたのだ。
「……私はいつまでこうしてればいいのでしょう」
 口調こそ丁寧だが、今現在エリの額に、大鎌を。自身の喉に聖槍『獅辿』を突きつけられている少女は、苛立ったような口調で『烏』に話しかけていた。
 口にこそ出さないが、エリだって消耗している。そして―――『烏』は、完全にその事を見抜いていた。
「……私の連れがいらついてしまって申し訳ない。だけど―――貴方も消耗している筈だ。私と会話をしながら、どっちかが少しでも刃を動かせば刺さるその状況。一触即発を超えた一視即発。生死の境に身を置くその感覚。応じないのは勝手ですが、貴方だってなりふり構っていられる状況ではない筈。私は親切心でこの取引を持ちかけているんです」
 この男……自分達の状況、戦力。有利不利を考慮した上で、正気な相手ならば確実に取引に応じるように仕組んでいる。断るならばそれも良し。殺してしまえば済む話であり、あちら側には何の損もない。
 業腹だが、エリの答えは決まっていた。背中越しにクウェイに確認を取るが、クウェイからの返事は、どういう訳か無かった。見れば分かるかもしれないが、そんな時間は、刹那も許されない。沈黙は肯定と受け取る事にした。
「……この国の王様の事は、勿論ご存知ですよね?」
「ああ」
「私達はとある理由で王様―――カオスから奴隷を取り返さなくてはいけません。しかしながらカオスはレギ大陸最強と呼ばれているじゃありませんか。私達の所には確かに強者が居ますが、それでもカオスには程遠いので、偶然にもこの闘技街に来ていたクリヌスに、協力を取り付けようと思った……これで良いですか?」
 極限の緊張感が張り詰める中でも、エリは突破口を捜し続けるが、やはりこの『烏』の言う通りにする他は無かった。隙が無さすぎる。
「ああ。私達の理由と似たような理由で安心しました」
「え」
「私達は偵察の途中見つけた子供―――奴隷市場に居る、数少ない魔人を解放しようとしている。そしてその馬車を追っていたら、この闘技街に着いた……までは良かったんですが、クリヌスに見つかってですね。一度交戦したが、勝てる道理はないからこっちまで逃げてきた……ま、そんな所です」
 得られた情報は僅か。だが、お互い様。文句などいう訳が無いし、言える筈も無かった。驚きなのは、大鎌を持つ少女ならばまだしも、見る限り武装が笛しかない『烏』が、クリヌスと刃を交えて生還しているという事だった。こちらから見る限り傷一つ負っていないようだし、一体何をどうしたらそうなれるのかが理解できない。
 自分と相対するこの少女が、危険である事は直感的に分かる。この少女は絶対に敵に回してはいけないタイプだ。たとえるなら、相手に復讐をした時は、その末代まで恨み、復讐を行うような……そんな感じだ。
 しかしながらこの男はまるで掴めない。只の情報収集の役割かと思いきや、クリヌスからも逃げおおせる力。この少女程強さは感じない。だというのに、少女以上に感じる悪寒。実力的に、ではないのだが、それでも戦ってはいけない。少なくとも、無策な今は。この男はかなり頭が切れるというのに、馬鹿みたいに突っ込んでは、それこそ本当の馬鹿。クウェイがそんな馬鹿でなくて、本当に良かった。
「……そろそろその鎌を下してください。私も槍を下したいので」
「……分かりました」
 少女は鎌を持ち上げて、距離を取った。それは一歩では踏み込みようがない距離なので、エリは安心して武器を―――下せなかった。
「武器を収めてください。たとえ私達の大半が一歩で踏み込めない距離でも、貴方達なら分かりません。私を信用させたいなら、今すぐ武器をしまってください」
「……収めてくれ」
 『烏』がそう言うと、少女は大人しくそれに従った。その直後、大鎌が消える。目を離したのは僅か数秒の為、魔術で不可視化させたのか、それともどこかに収蔵したのか。
 その疑問は、僅か数秒後に解消される事となった。エリが聖槍『獅辿』を下し、何気なく上を見上げたその時。こちらに落下してくる巨大な影を見た。人間とは思えない回転。まさかとは思うが―――あの数秒で上空に鎌を放り投げたのか。ご丁寧に落下地点は自分達の真上とみた。おおよそ重量は五百キロのあの物体を受けられる力と技量は、エリには無いし、クウェイも同様。玉聖槍を使えば話は変わるかもしれないが、あの薬でも使わない限りは、魔力を全てを捧げる条件は自殺行為。使う訳にはいかない。
 普通に避ける事も出来ない事は無いが、あの鎌は確定的に異名持ち。避けた所でどうにかなるとは思えない。
 あの鎌の位も問題だ。下手をすれば極位の『獅辿』ですら、へし折れてしまうかも……
 突破手段が思いつかず、エリが死を覚悟した時だった。
「虚空よ」
 三百六十もの術式が眼前に出現したかと思いきや、姿を現したのは左腕以外を布で覆った男、フィリアス。そしてその後に出てきたのは、どういう訳かキリーヤだった。
「キリーヤッ?」
「エリッ! 良かった。どうにか間に合った……」
 キリーヤはほっとした様子で座り込んで、息を吐いた。クリヌスと交戦中だと思ってたのだが、彼女までが逃げおおせたのか。
 いや、そんな事はどうでもいい。
「キリーヤッ、どうしてこんな間の悪い……もう直ぐ落ちてくるわよ!」
「落ちてって……何が? 私は少し用が―――」
 そうか。自分の眼前から現われて、そして自分と話しているのだから、上空に視線が行かないのも当然だ。上空の鎌に気づいているのは、フィリアスとエリのみ。キリーヤはきょとんとした表情でこちらの顔を覗き込んでいる。
「いや、だから上空から鎌が―――」
 え、とキリーヤが上空を向くまでの、僅か五秒の間。エリは見てしまった。フィリアスはこちらに背を向けた後、自身の懐に左手を突っ込んだ。直後、取り出したのは、こちらに落下してくる大鎌と、全く同一の形をした大鎌。形から大きさから刃の反り具合まで、一見して全てが同じ。一体、体の何処にそんなモノをしまっていたのか、いや、そもそも偶然にも同じ鎌を用意していること自体がおかしい。
 フィリアスはキリーヤが上空にある鎌を認識する寸前、取り出した鎌を投げつけ、相殺。キリーヤが上空を見上げた頃には、既に鎌は何処かに落下していた。
「上空……? 何処?」
「いえ。何でもないです」
 フィリアスがあれをキリーヤに見せたくないならば、自分も黙っておいた方がいいだろう。
「……ほう」
 その声を聞いたキリーヤは、目を見開いて、驚いた。「チロチン様……」と漏らす辺り、やはり魔人であった頃に出会っていたのだろう。『烏』ことチロチンは、キリーヤの姿を見て、目を顰めた。
「お前は」
『ここは私に任せてください』
 キリーヤはエリを一瞥しただけだが、エリにはキリーヤの言いたい事が良く分かった。少し前ならその良く分からない自信は信用に欠けたが、今ならば信用出来る。
 思う存分、話すといい。エリは、大鎌の少女に警戒を露わにした。鎌はどこかに消えたが、彼女が何かをしない保証はない。フィリアスも警戒してるし、自分が参加する必要は無いと思うのだが……念の為だ。
「私の事を覚えていらっしゃいますか、チロチン様」
「覚えているよ。それで、お前は何か用なのか」
「はい。実はとある情報を入手しまして。それを魔王様にお伝えしようと思ったのですが、私は追放された身。会うことなど叶う筈もありません。しかしながらどうしてもお伝えしなければいけない用件なので、せめてもとカテドラル・ナイツの誰かしらにと思った次第です」
 キリーヤの言葉の流れ方はとても滑らかだった。まるで以前やったことがあるような。そんな。
 チロチンは、目を伏せ、小さく頷く。
「追放されても、尚揺らがぬその忠道。真に大義だ。それで、その用件とは?」
「はい。それは―――」
 キリーヤの話に対して、チロチンも、あの少女も信じられないとばかりに目を見開いていた。フィリアスの表情は分からないが、フィリアスもおそらく驚いている。エリや、さっきから反応の無いクウェイには、まるで訳の分からない話だった。
「本当か、その話は」
「はい。紛れもなく事実でございます。この話の報酬と致しましては、私は何も望みません。ですので、どうかこの場は見逃してくれないでしょうか」
「言われなくても分かっている。それは私達としても緊急用件だ。行くぞ」
 チロチンは予備動作無しに飛びあがって、大鎌の少女の肩を掴むと、そのまま飛び去って行った。エリの視力を以てしても見えない距離ならば、流石に安全だろう。
「助かりました……ね」
「チロチン様は話の分かる御方だから、大丈夫だよ」
 キリーヤは歳相応の笑顔でそう言うが、苦笑いしか返せなかった。
 詰まり切った空気が緩み、エリはほっとしたように座り込んだ。キリーヤやフィリアスが来なければどうなっていたか分からない。今は利益よりも、取り敢えず生きていた事に感謝するべきだろう。
 ……さて。
「クウェイさん」
「……」
「クウェイさん」
「……」
 埒が明かないので、エリは獅辿を振り上げ、柄でクウェイの背中をどついた。すると、地面が陥没しただけはあるのか、クウェイからの反応は在った。
「ぐふぁっ! 痛ったいじゃないか、何するんだ」
「貴方……どうして今まで反応が無かったんですか?」
「へ? 何の事だ?」
 信じられない。まさかクウェイはあの状況を覚えていないと言うのか。気を失っているならば話は分かるが、クウェイが気を失っているようには見えなかった。
 ……キリーヤも、フィリアスも、勿論誰も疑っちゃいない。気を失っていたのか情けないと笑っている。だが―――釈然としない。何かが。何かがおかしい、ような……
「あ、そう言えば」
「どうしたんですか?」
「いえ……エリさんの所に行くときに、一足先にパランナさんを行かせたんですが……姿が見当たりませんね」
 そういえばとエリも辺りを見回すが、姿が見当たらない。
「探した方がいいな」とフィリアス。その危惧について何か信用でもあるのか、キリーヤが一番に「何故ですか?」と尋ねた。
 すると。
「都合が良いとも言えるし悪いとも言えるが……パランナは一人で交戦中だ。カオスとな」


 

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