ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

道程での彼女

 時間的には少々遅れたかもしれないが、二人は若干息を弾ませながら、村長の家の前へと集まった。以前は百人を連れて行ったという話なので、一体どれ程の群衆が家の前でごった返しているのかと予想していたが、どうやら今回の護衛の人数は、一度目を踏襲したモノらしく、エリと、キリーヤと、それにもう一人しか居なかった。少なくとも、クウェイでは無いようだ。むしろこっそり付いていくという言葉を聞いていた手前、ここで堂々とクウェイが立っていたら、流石に滑稽であると言わざるを得ないだろう。どこに居るかは分からないが、今は無理に探さない方が良いだろう、流石に村長達に疑われるのは不味い。
「今回は依頼を受けてくれて、誠にありがたく思う。何、心配はいらない。君達が居れば無事に儀式は完遂される。娘が私の手元から居なくなってしまうのは大変心苦しいが……それこそ断腸の思いで諦めなければならないのだろう。ともかく、だ。無事娘を牲として捧げてほしい。頼む」
「……はい」
 やはり実の娘が居なくなってしまうのは、父親としては辛い事らしい。その証拠に、目蓋に泣きはらしたような痕が見られる。一晩泣いても悲しみは晴れなかったのか。であるならば、あの時の怪物とのやり取りは何だったのか。
 気になる事は多々あるが、今全てをひもとける訳では無い。時間が無限にある訳では無いが、それでもゆっくりとひもといていければいい。
 ふと、キリーヤは先程まで考えていた事を想いだした。
「あの、この方は?」
 キリーヤが気になっていたのは、エリと自分の他に居る、ダークブルーの衣に身を包んだ『男』だ。露出部分が、左腕しか無い為、男か否かは特定しづらいのだが、その左腕の筋肉から、『男』だと推測した。間違っていないとは思うのだが……
「ああ、彼はフィリアス・フライジェント。昨晩ここに訪れた旅人でな。君達の腕を信頼していない訳では無いのだが、やはり強者は大いに越したことはないのでな。急遽雇わせてもらった。問題はあったかね?」
 合っていたようだ。
「ああいえ。心強い味方が増えて、私は嬉しい限りです」
「……何か胡散臭いですね」
 エリは男性が胡散臭く見える呪いにでも掛かっているのだろうか。苦笑いをしつつエリを見ていると、男が膝を曲げて、キリーヤに視線を合わせてきた。
「初めまして、だな。俺はフィリアスだ。今回限りの縁かもしれんがよろしくな」
「あ、こちらこそよろしくお願いします」
 男の表情はこちらに向かって笑ったように見えたので、キリーヤも応じるように笑う。
 この人とは仲良くなれそうだ。どこか雰囲気があの人に似ている。似ていると言うより、影響を受けていると言った方がいいかもしれない。
『キリーヤちゃん、油を売っている時間はありませんよ。確かに現在は早朝で、期限は今日の真夜中ですが、洞窟とやらに辿り着く時間を考慮すると、何の妨害も無かったとしても夕方頃になるかと思うので』
『測ったんですか?』
『目測ですよ』
 今更ながら思うが、騎士団は異常者の集まりではないのか。やたら視力の良いエリだったり、どこか常人とずれた精神を持つアルドだったり、或いはフィネアだったり。騎士団は本気で訓練をすれば誰でも入れると言われているらしいが、そんな事は無い。それを容認するという事は、この世界の人間は例外なく異常者という事になってしまう。
 キリーヤは村長の前へと立ち、ハッキリと告げた。
「それでは、行ってまいりますッ。優勝者の名にかけて、必ず任務は果たして見せます!」
「うむ。感心だ。娘は村の外で待機させているから、連れて行きなさい」
 キリーヤは身を翻し、洞窟へと歩を進めた。
「それでは皆さん、気を引き締めて頑張りましょう!」
 一人で拳を上げ、突き進むキリーヤだが、二、三歩歩いた所で止まり、こちらに振り返る。飛ばしてきたのは来ないんですか? という視線。
 貴方のノリについてこれないだけですよと言うのはやめておこう。彼女に言った所でどうせ直さないのだから、ならば言わない方が良い。
「今行きますよ」
 少々面倒くさい少女だが、内に秘めている意志は、とても得難いモノだ。自分の命の続く限り、彼女を全力で守り抜くのが騎士という者だろう。
 背中に背負いし槍は、守るためにある。エリは少女の成長を見守るが如く、歩き始めた。時には見守り、時には一緒に悩む。別にまだキリーヤの理想を認めた訳では無い。だが、キリーヤとは、そういう関係で居たいものだ。






「貴方達が、護衛の方でしょうか?」
 村を出て待っていたのは、村長の娘だ。後ろ髪を一本に束ねている上に、素朴な服装。村長の出す報酬と言い、あの態度と言い、どんな尊大な態度の女性がいるかと思いきや、とても庶民的で、好感が持てる。庶民的、というのは格好もそうで、村長とは違って、村民が着るような質素な服を着ている。
 少なくとも、あの村長よりは村民と交流がありそうだ。
 キリーヤは小さく頷く。
「貴方が村長の娘さんでしょうか?」
 それ以外有り得ないが、一応は聞いておく。女性は「はい」と答えた。
「私はリゼル。リゼル・ウィゼンガーです。名前で御理解は頂けるでしょうが、私はお父様の実の娘ではございませんが、実の娘同様の寵愛を頂き、今日まで大変満足しておりました」
 それは彼女にとってある意味の覚悟なのかもしれない。牲、つまり自分の命を差し出されたというのに、ここまで冷静な女性は珍しい。
「あの……」
「はい」
「怖くないんですか?」
「……私とお兄様はこの村に育てられたようなモノですから。この村の為になる事は、即ちここまで育ててくれたお父様の為になるという事です。私は捨てられた身。もはや思う事はありません。村の為に犠牲になれるならば、私はそれで良いのです」
村の為に命を差し出す。村の為とはすなわち村長である父の為にもなる。それだけで命への恐怖を断ち切れるなど並大抵の事ではない。この女性が一体どういう経緯で捨てられたのかは分からないとして、仮にその経緯がどれ程異端だったとしても、やはりこの覚悟はそう簡単に見に付くものではない。
「……でも、貴方のお兄さんは」
「……兄は唯一の肉親である私が人身御供になる事が許せないんだと思います。私が人身御供になると決まってから、でしたか。お父様への当たりがきつくなったのです。原因は勿論分かっています。兄は自分と、そして唯一の肉親である私以外をとても嫌っている。そんな人達に、勝手に私を選ばれて、腹を立てているのでしょう」
 リゼルは飽くまで冷静に語った。兄への怒りなどの感情は一切感じられない。とても肉親に対する感情があるとは思えない程、淡泊で、ある意味冷淡な言葉だった。
「怒ったりはしないんですか?」
「……確かに村の人々には返しきれない恩があります。しかし、お兄様の考える事も分からない事ではないんです。私がもし、兄と同じ立場だったら、同じ強さを持っているかは別として、きっと同じ事をしたでしょうし」
 感情の起伏が薄いが、単に顔に出づらいだけなのだろうか。それとも、無理やり抑えている……?
 未熟なキリーヤにはその判別は付きそうにない。リゼルの顔を注視するが、それでも分からない。
 そんな時、会話を断ち切るような声が飛んできた。
「いつまで話してるんですか。こんな所で油を売っていてはたとえ妨害が無かったとしても間に合わなくなりますよ」
 エリは大層イラついたような表情でこちらを睨んでいた。本来の依頼は護衛なので、元騎士の言い分は正しい。皮肉のつもりはないが、本職なだけはある。
「あ、すみません。ではリゼルさん、改めて行きましょう」
「はい」






 護衛といっても、道中に盗賊が来るような事もなければ、パランナがこちらまで出向いてくるわけでもない。やる事は一つだ。道中襲ってくる魔物と、こちらが最重要事項なのだが……リゼルの話し相手だ。
 話し相手を求めるくらいなら護衛という体は要らないような気がするが、今更の事だから特に何も言わない。
 むしろ有難いくらいだ。キリーヤ自身に戦闘能力は無い(簪を使った場合は別だが、あれは他人の力を透写しているだけだ)ので、護衛という面では落第。だが、話し相手、というならば別だ。
「リゼルさんは、御兄さんの事をどう思ってるんですか?」
「私の事をとても大切にしてくれる優しい御人です。今回はそれが過ぎたようですが……それでも」
「お兄さんの事が好きですか?」
「ええ、大好きです」
 道のりはまだまだ長いが、それでもこの数時間の間に二人は仲良くなっていた。魔物の襲撃も無いし、今の所は首尾は上々だ。
 エリが羨ましそうな目線をこちらに向けているが、気にしたら負けだ。
「ねえ、今度は貴方の家族についてお話しいただきたいんですが」
 何も知らないが故の無邪気な質問だが、それはキリーヤの心を深く抉った。鋼鉄の矢が刺さったとも言い換えてもいい。
「私の……家族ですか」
「はい」
 暫し逡巡。しかし、過去と割り切り、やがてゆっくり語り始めた。勿論、魔人云々に関しては伏せておく事にする。
「私は……そうですね。自然の豊かな所で、生まれました。四人家族でしたかね。兄と母と父と、そして私。父は……家を飛び出してしまいましたが、それでも兄とは母がいましたから、私は幸せでした。ですが……突然の災害で、二人共失ってしまって……それでも優しい村の人達が、私を育ててくれましたが……夢を叶える為に飛び出しました。自分の境遇はきっと不幸の類にあるんでしょうが、まあ……後悔はしていません」
 御蔭で共存という夢を持つ事が出来たし、後悔をしていては死んでいった者に失礼だ、という言葉は伏せておく。エリの方を見ると、呆れたとばかりの視線をこちらに向けていた。よそ見をしている辺り、まだ危険は無いらしい。
 リゼルに語った言葉は、幾つか暗喩のような言い回しになっている。突然災害は人間の襲撃で、時間の経過こそ嘘だが、村の人達はカテドラル・ナイツとアルド。飛び出したというのは事実上の追放。エリが気づく辺り、分かりづらい訳では無いらしいが、それでもこの情報は伏せておくべきと考えた結果だ。
「……すみません」
「いえ、私こそすみません。雰囲気を暗くさせるような過去で」
「いえいえ、こちらこそすみません。雰囲気を暗くさせるような過去を聞いてしまって」
「いえい―――」
 出し抜けにエリが槍を地面に突き立てた。振り返ってみると、「いつまでやってるんだ」と言わんばかりの貌で、こちらを見ていた。怒っているのかと思ったが、違う。呆れているのだ。
 リゼルもまた目を丸くしてエリを見ていた。視線を戻すと、キリーヤと視線が交わった。そして―――
「フフフッ」
「あはっははは!」
 お互いに笑い出した。最初こそどうも他人行儀だと思ったが、そんな事は無かった。出来れば友達になりたいが、生きていようといまいと、彼女とはこれっきりの関係になるだろう。彼女は只の一般人。旅に出る必要も無ければ、意味もない。全く持って残念だが……限られた時間、彼女と話す事にしよう。話の引き出しは多くないが、少なくも無い。夕方位は持つだろう。
「魔物が迫ってきてます」
 エリが言った事なので、間違いはないだろう。キリーヤは素早く斧を取り出すが、エリが素早くそれを手で制す。
『今の貴方では戦えないでしょう。ここは私とフィリアスさんに任せてください』
 確かに今のキリーヤは簪を挿していない。ここは確かに本職に任せるべきだろう。
「ではお手並み拝見と行きますよ、フィリアスさん」
 フィリアスは身体の何処からか、処刑刀を取り出した。






 訪れた魔物は、両の爪が発達した二本脚の獣。名称は分からないが、あの爪は軽く木々を引き倒す切れ味を持っているので、差し詰め『アイアンクロウ』といった所だろうか。普通の戦士で、普通の装備ならそれなりに立ち回りというモノを気にする必要があるらしいが、エリは聖槍『獅辿』を持っているので、木々程度を軽く引き裂ける程度の爪ではびくともしない。よって、只の獣と相違なかった。それは分かり切っているので、どうでも良い。問題はフィリアスの方だ。
 フィリアスという名前はまるで知られていない、つまり数ある傭兵の中の一人だ。つまり殆ど無名だ。
 無名というのはつまり、知名度が皆無だという事、或いは、実力が無いという事だ。あの爪の強さは、大体上位程度だが、無名の人物が上位を超える武器を持っているという事は、有り得ない。世界の各地にある『迷宮』と呼ばれる、魔術的神聖領域を攻略しているというなら話は……別では無い。迷宮を攻略した人物は一般に知られる限り三名。それら全ては皆有名な人物で……アルドもその一人だ。アルドは無名か? 否、無名では無い。
 だと言うのに、この無名フィリアスは、爪に切り裂かれるどころか、爪を切り裂く程の武器を所有しているのだ。その戦闘風景は、エリすらも目を瞠るものがある程。『獅辿』も全力で薙げば切れるとは思うが、フィリアスは軽く振るだけでそれを事も無げに成してしまっている。御蔭で、三分ほどで二十は居た魔物が全滅。ロスは大幅に短縮された。
「フィリアスさん……貴方、何者ですか?」
 フィリアスは小さく呟く。
「何処にでもいる只の傭兵」
「そんな傭兵が極位、終位相当の武器を所持していると? それに、どうして左腕を使わないんですか?」
「左腕はこの大陸に来る以前に負傷しただけだ。それに……これが終位である証拠が何処にある。技量次第では中位が極位の武器を破る事だって出来るぞ」
「そんな人物を、貴方は知っていると?」
「そいつと戦って負傷したからな」
 フィリアスは左腕を優しく撫でる。
 魔物から噴き出る血すら避けているフィリアスに重傷を負わせるとは、果たしてどんな人間だろうか。それはもう、かなり腕の立つ人間に違いない。
「魔物は殲滅した。早く行くぞ」
 エリが問い詰めようとするも、フィリアスは速足でさっさと洞窟へと向かってしまう。
「お強いですね、彼」
「そんな事より早く追いかけないと置いてかれますってッ」








 魔物の襲撃は本来はあったが、五十メートル程先で歩いているフィリアスが、全て葬ってしまったため、そんな現象は発生しなかった。
 洞窟までもう少しだ。日はいよいよ沈み始め、宵闇が辺りを包む。真夜中まであと六時間。それまでに何としても、洞窟には辿り着きたいものだ。
 キリーヤとリゼルは会話をしているだけだから良いとして、エリは歩く、という単調な行動の繰り返しに精神的に疲労。フィリアスは大分先に居る為、会話すら出来ない。洞窟まであと少しだというのに、これでは精神的に参ってしまう。まだパランナにすら出会っていないのに、この雰囲気は不味い。
「エリさん、パランナさんは?」
「……パランナの気配はありません。同時に、何故か魔物の気配もありません」
 魔物の気配が無い? フィリアスが全て葬っていても、気配はあったはずだが、今度はそれすらない。その原因とは、一体?
「フィリアスさんッ そっちはどうですかッ?」
「ここに来てから一度も遭遇していないッ。様子がおかしいのは確かだ」
 この世界で最も栄えている種は人間だが、それ以上に数が多いのは魔物だ。雪が降ろうが雨が降ろうが、砂漠だろうが、隕石が降っていようが、魔物は存在する。何処にでも、大抵は数百数万の集団を組んでその地域のどこかしらに潜んでいる。そしてそんな魔物を根絶させる事は、並大抵の手段では不可能だ。
 方法としては二つ。一つは、概念操作の魔術でその魔物の種を消し去る事。これに関しては、そもそも魔術のレベルが終位である為、使える人間が限られる事と、使えたとしても一回。たとえ一つの種を消した所で、一週間もすれば新たな種が数十程生まれるので、これは効率が皆無で、実用的でないと最悪の手段だ。
もう一つは根絶ではない。飽くまで、魔物の攻撃性を一時的に抑える方法だ。これに関しては、ある程度魔物を狩り、狂暴化してきた魔物をさらに狩る事で、魔物に命の危険を覚え込ませて、魔物を住処に抑え込むという方法だ。近くに魔物が居ないという状況は、この二つでしか造りだせない。
 エリやフィリアスは飽くまで防衛に徹している為、この状況は造れない。村も魔物狩りは行っていないそうだし、有り得ない。ではあり得させるモノとは何か。それは―――
 五十メートル程先で、金属音が響いた。まるで剣戟がぶつかったような音。直ぐに見ると、フィリアスが誰かと剣を打ち合っていた。
 誰かとフィリアスが剣を打ち合い、刹那。
 フィリアスが凄い勢いでこちらまで吹き飛んできた。靴と地面との擦過痕も並のモノでは無い。それに、何より―――フィリアスをここまで吹き飛ばしている。その事から分かる相手の強さ。心当たりはリゼルが言ってくれた。
「お兄様……!」
 向こうに居たのはパランナ・ウィゼンガー。リゼルの兄である。宵闇の中でもはっきりと分かる白銀の鎧と兜。その手に握られているは両手剣だが、パランナは片手で軽々と扱っているようだ。
 それでもあの筋力。普通に戦えば、苦戦は必至だろう。
「フィリアスさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。そんな事より、誰が戦う? 俺に任せてくれるなら、殺さない程度には加減できるが」
「私がやります」
 エリは槍を背中から引き抜き、穂先をパランナへと向ける。そうだ。パランナはこの計画を知らない。知らないモノにこれを任せる訳には行かないのだ。
「丁度退屈でしたし、私がやるので、フィリアスさんは二人に付いてあげてってください」
「分かった」
『キリーヤちゃん、後は任せましたよ』
 石から流れる信頼の言葉に、キリーヤは簪を取り出し、髪を纏めて、髪に挿した。
「……じゃあ、フィリアスさん、リゼルさん。行きましょう」
 合図はなし。だがそれは不要という意味だ。エリがパランナへと駆け出すと同時に、三人もまた走り出した。パランナの剣がキリーヤへと薙ぎ払われるが、直前、エリが穂先で鎬を叩いて弾き落とす。
「私を無視して、彼女達を狙えるとは思わないでくださいね」
 エリの事だ。きっと勝てる。そう信じているので、キリーヤは洞窟へと着くまでの道のり、一切振り返る事は無かった。











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