ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

犠牲

 クウェイの後を追って、キリーヤが扉を開けると、日は既に落ち始め、宵闇が辺りを包もうとしていた。そうか、あまり意識はしていなかったが、もう直ぐ夜か。時間が経つのは早いモノだ。後数時間もすれば夜空に星が見えるようになり、見る者を魅了するだろう。この話し合いが終わったら、夜空をゆっくりと眺めるのもいいかもしれない。もしかすれば、アルドも同じ空を見ているのかもしれないのだから。
 自分がアルドに感じている気持ちとは、どんなものだろうか。好き―――アルドの事は確かに好きだ。だけどそれは恋ではないような気がする。かといって憧れとも違う。その中間―――この人の隣に居られたらというような、そんな感情。自分だけを見てくれなんて事は言わないし、言えない。只アルドと一緒に、平和な時を過ごす事が出来るならば……
 ……あやうく自らの夢を理想とする所だった。出来るならばではない。アルドはやってみせろと言ったのだ。出来る。そう、やるのだ。
 この話とは一切関係がない決意が固まった所で、クウェイに尋ねる。
「それで、クウェイさん。話とは?」
「いや……こればっかりは君の連れありきで離せないからさ。ここで話させてもらう……周りに人は居ないよな?」
「はい」
 クウェイは余程気にしているようで、再び『魔力遮断杭ハイドラ』を取り出すと、足元に突き刺した。ハイドラは周囲の魔力を全てかき消す。これで魔術による盗聴は不可能になった。つまりこちら側に見つかる覚悟で無ければ、会話は聞き取れないので、実質盗聴不可能だろう。
「実はな。内部からの妨害は不可能と言ったが、一回だけ、それも確実的な妨害は出来るんだ」
「えッ」
 エリには言えないような確実な妨害。それは一体何なのだろう。すると、クウェイは一度周囲を見渡した後、キリーヤの頭に手を置いて魔術を発動。透視の魔術のようだ。
「え?」
「東の方角だ、見てみろ」
 キリーヤとしては、無詠唱処か名前すら唱えずに行使した、クウェイの強さに驚きだが、それよりも東だ。
 そこには二人……二人……二人? 何かが二つ在った。一人は村長であるクエイカーだ。だがもう一人……一人……一人? 一つは、身長が『ディナント程もある大きな生物』だった。最初は村長が襲われていると思って、向かおうとしたが、直後にクウェイに肩を掴まれ、止まる。振り向くと無言で頭を振った。
「あれは?」
「あれが生贄を求めてるやつ、まあ元凶って奴だわな。何を話してるかは知らんが、何かあるのは確実だ」
「その元凶とつながってる村長って、一体……?」
「度重なる儀式の失敗でも詫びてるんじゃないか。今度こそ確実に捧げます、って感じか」
 村長は跪き、そのでかい奴に何回も頭を下げていた。立場的には明らかに村長が下で、でかい奴が上という感じだ。クウェイの言っている事にも信ぴょう性がある。
「所で、どうして私にこれを?」
 クウェイは言いづらそうにしていたが、こういう場を整えておいて、言わない訳は無い。クウェイは申し訳なさそうに口を開いた。その蒼き双眸は、君にしか頼めないと告げていた。
「娘の代わりに君が生贄と名乗る事。確実性の高い唯一無二の策だ」
 この言葉は本来、出会って間もない他人に言うべき事では無い。だが言わざるを得ない。唯一の策がそれだけなのだから
 キリーヤは言葉を失ったまま立ちすくんでいた。これは犠牲の犠牲。替え玉とも言える気がする。どうして自分に言ったかは言うまでもないだろう。自分の年齢は十四歳。そして生贄にされている者達は、十四歳前後の少女。今この場において、自分程適任な人物は居ないから、クウェイは頼んできた。
「勿論そのまま生贄になれって訳じゃない。俺もこっそりついてくし、パランナに勝ち次第、エリも向かってくれる筈だ。君を生贄なんかにする気は毛頭ない。でもかなりの危険は伴う。やれる―――」
「やれます」
 言い切り。誰しもが出来る事では無い。言い切る事に必要なのは圧倒的自信と、目的への思いが必要だ。キリーヤには今、それがある。
 生半可な覚悟では、英雄になどなれない。それをキリーヤは知っている。言われて出来る事ではないが、それでも知っている。
 英雄になる者に共通する点は、他人とどこかずれた想いや信念を持っているという事だ。最初の英雄も、英雄になった動機は、好きな女の子を守るためだったという。そして何より、自分の近くに居たアルド。アルドを英雄へと至らせた理由については、その異常なまでの強さへの執着が起因しているだろう。自分自身が弱く、才能が無かったが故に、歴代の英雄達の強さに憧れた。そして他の騎士達よりもずっと、ずっと、ずっと。英雄になる事を。最強になる事を目指してきた。どんな人間に馬鹿にされようとも。どんなに無理と言われようとも。それでも自分を信じて、理想へと歩んだ。
 その結果が、人類史上最強の英雄。そして現在の魔王。もう一度言おう。生半可な覚悟では英雄にはなれない。
 だがアルドのような力はキリーヤには無い。最初の英雄のような一途さを持っている訳では無い。そもそも恋をした事がない。だが覚悟だけならば―――ある。
 たとえ何度裏切られようと構わない。困っているなら助けて見せる。死にたくないなら生かしてみせる。キリーヤは自分を犠牲にして、他人を生かし続ける。それがいつか自分に返ってくると信じて。
 だから危険など今更怯えていられない。危険があるからどうした。無謀だからどうした。無駄だからどうした。目的を遂げられない事が、キリーヤには一番怖い。
 きっとそれくらいの意志がなければ、魔人と人間の共存など不可能である。今の所共存に至る詳細な策は無い。だが、もし、自分が人類において大切な英雄になった時、自分が魔人を受け入れていけば、もしかすれば、民衆も受け入れてくれるかもしれないという事だけは考えている。だから当分は、英雄になる事だけを目指す。きっとその途中で恋もするのだろうし、しないのならもしかすればアルドへの気持ちが恋なのかもしれない。いずれにしろ、キリーヤにこの旅をやめる理由はない。死ぬ理由も無いから死なない。だけど、困ってる人を助けない理由はそれ以上に無い。助けて見せる。目の前の人だけは。自分の手が届く限りは。たとえその人の手が悠久の彼方に在ったものだとしても。助けて見せる。
「私は、やります」
 クウェイはその瞳の奥に在る感情に圧倒され、何もいう事は出来なかった。
 キリーヤは簪を外した。纏まっていた髪がそよ風に流された。それはまるで、キリーヤという少女の決意を、示しているようであった。
「今ここでは、誰も死なせません。妹さんも。パランナさんも。貴方も。エリさんも。そして私も」
 その決意の瞳は、誰に似たのだろうか。








 あの少女に対して非協力的なエリだが、それはきっと間違って無い筈だ。だってそうだろう、魔人と人間が共存なんて馬鹿げてる。実に、実に馬鹿げてる。そんな事が出来るのなら苦労はしないし、犠牲も出ない。それが出来なかったから戦争は起きて、犠牲が生まれて、アルドが魔人から世界を取り返して……
 今思えばアルドのやっていた事もまた、馬鹿げた事だった。その頃、魔性の消えていなかった魔人に対して、決して恐れずただ一人で立ち向かい、魔人達を蹂躙。遂には勝利にまで至ったのだから。何より印象深いのが、アルドに仲間は一人も居なかったと言う事。部下は居て、上司も居たが、やはり防戦が手いっぱいで、侵攻に踏み切ったのはアルド只一人だった。
 この前例を考えれば、キリーヤの言う事も決して不可能ではない事が分かる? そんな事は無い。前例があろうがなかろうが、不可能なモノは不可能だ。だからアルドも人間から世界を奪還するという方法を取っているのだろう、多分。それに気づかない辺り、キリーヤはまだ子供で、周りの行動の意図が理解できていないという事が分かるが、子供故仕方ないだろう。
 馬鹿にしているつもりはない。子供故にあそこまで真っ直ぐに理想を追えるのだし、自分の行動に疑いを持たずにいられるのは、それこそ利点という奴だ。だが……エリには理解に苦しむ。平和を目指す点では変わらない二人。だがその本質は、まるで違っている。
 エリは争いの無い世界。その為にアルドの侵攻は、他国に密告するなり、色々方法はあるが、とにかく止めたい。
 キリーヤは世界の平和。魔人と人間が共存し、お互いに笑いあっていける世界。そこに争いは無い。
 重なっているようで、微妙に違う二人。光と白、或いは人と魔人。
 分かり合える日……もしそんなものが来るなら……自分は……
「エリさんッ。エーリーさんッ! 起きてくださいよー朝ですよー!」






 寝ざめが悪い、とか、或いは目覚めが良い。そんな言葉を聞いたことは無いだろうか。起きた後の気分が良いとか、悪いとか。その原因というのは、大抵が夢だったり、或いは気分が優れなかったりするというものだが、エリはそのどちらにも当てはまらない。いや、こんな事を言っては語弊が生まれるか。寝ざめは良かった。だが……その後が最悪だ。
「きゃあッ!」
「ひゃあ!」
 確かにエリは騎士として立派になるために、あらゆる事に動じないように訓練してきた。だが、目の前に少女の顔があるというのは、想定外だった。こればかりは流石に訓練をしていないので、思わず女の子のような声を上げてしまう。
 しかし間近で声を張り上げられてはもう一方も驚くというモノ。キリーヤは驚いて後方に飛び退いたが、ここがベッドだと言う事をすっかり忘れていた。キリーヤはベッドから落下し、尻餅をついた。
「あいたたた……。全くもー。エリさん、急に大声を上げないでくださいよ」
「あ、ああ……あんな距離で直視されたら、それは驚きますよ!」
 それにエリは昨日、話し合いが終わってから、早々に風呂を済ませて、先に床に入ったのだ。別に一人で入った訳では無く、キリーヤと一緒だったが、それでもキリーヤは早く起きているため、それなりに外装は整っているが、自分は完全に寝起き。髪を梳いている訳も無し。完全に無防備な姿を人に晒したのは久しぶりの事で、それもあってエリはかなり戸惑っている。
「まあまあ、いいじゃないですか。私達同性ですし」
「それは……そうなんですが……」
 自分以外に晒した事のない自分の無防備な姿。それをキリーヤに初めて見られてしまったかと思うと、ほんの少しだが……情けなく思う。
「ほら、そんな事よりエリさん。早く支度してくれないと、時間に遅れますよ」
 そういえばそうだった。今日の為に昨日の話し合いが在ったのだ。そもそも特別な用事でも無ければ、あんな胡散臭い男と話し合いなど、する気にもなれない。
 キリーヤは信じ切っているようだが、それはそれで危ないだろう。自分がキリーヤを守らなければ、もしかすると、寝首を掻かれるかもしれない。警戒は怠らないようにしなければ。
 しかし表面上は仲良くしなければいけないので、エリは無理やりに笑った。
「すみません。行きましょう」

























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