ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

平和な街

 人ごみが少し減ったような気がするので、キリーヤは人ごみに自らを押し込み、それを見る。
 そこでは二人の男が戦っていた。人の群れの円陣の、その中心で二人は戦っている。そしてこの戦いの名前をキリーヤは知っている。
 そう、闘技だ。古来より民衆の娯楽、奴隷達への救済処置としてあり続けている、一種の競技。これはそれの縮小版と見て間違いないだろう。
「さあ、クウェイ・フロキートは瀕死の重傷ッ! ウランベ・フロイラはど一体どんな手段で殺すのだろうかッ?」
 司会らしき男が感情の昂りを扇動するかのように叫んだ。その狙いは見事と言う他無く、観衆達はまるで偉業を成し遂げたかのように騒ぎ始めた。
 クウェイという名前らしき男が、血まみれの体を必死に動かし、未だ鋭い剣戟を斧で受ける。ウランベの方は力で押し切ろうとするが、瀕死にも関わらずクウェイは負けていなかった。観衆達は皆ウランべの方を応援している為、士気的にもいずれクウェイは負けるだろう。そしてあの傷から察するに、負けたその時、クウェイは死んでいる。
 誰にも死んでほしくないのが理想だが、今のキリーヤにそんな力は無い。だからこそ、せめて目の前にいる人だけは―――せめて死なせたくない。
 ならばどうすればいい? 自分が飛び込んだところで無駄なのは知っている。おそらく彼の命を伸ばせても五秒であり、たとえそれで彼が勝ったとしてもキリーヤが死んでしまっては元も子も無い。ここで死ぬ気は自分には到底ないからだ。
 キリーヤは髪を整え、ずっと大切に持っていたモノ―――簪を髪に挿す。意味は無い。これは所謂、真面目か否かスイッチの切り替えだ。
 髪を纏めたので、より一層子供っぽく見られるだろうが、関係ない。確かに自分は十四歳だが、それがどうしたというのだ。意志の強さに年齢は関係ない。それを理解しているのは、きっとアルド達だけだろう。そしてそれを理解しているが故に、自分を追放という名目で送り出したのだ。実は別の意図が働いていて、キリーヤの考えている事が全くの的外れだったとしても、構わない。自分だけはそう信じている。
「くそッ……」
「ヤアアアアッ!」
 三度の打ち合いにより、遂にクウェイの斧が音を立てて砕けた。それと同時にウランべは勝利を確信。深い笑みをその顔に刻み、再び鉄棒を振るった―――
突如手首に鈍痛を感じ、ウランべは思わず鉄棒から手を離してしまう。それを見たクウェイは素早く鉄棒を引き剥がし、鳩尾を蹴ってウランベとの距離を取る。
「オッ」
 息が詰まった事で、ウランべの動きが刹那の時間、止まる。それを好機と見たクウェイは最後の力を振り絞り、鉄棒を拾ってウランべの両足を打突。ウランべが転倒し気絶した事を確認すると、クウェイもまた崩れるように倒れた。
「え……あっ、両者―――引き分けェッ!」
 そのあまりに陳腐で平和でつまらない展開に、最高潮に達していた観衆の熱は一気に冷めてしまった。司会の男もつまらなそうな顔をしている為、大多数にとっては望まれぬ結末と言えるだろう。
 だが自分にとってはその限りでは無い。キリーヤは暫くその後を見守っていたが、どうやら三十分の休憩になるらしく、二人はその間に集中治療だそうだ。
 キリーヤはホッと胸をなでおろすと、観衆達の中を抜け、宿屋へと戻ろうとした。しかし、戻ろうとするキリーヤの肩を、恐ろしく強い力で掴む手があった。
「キリーヤ……ちゃん」
「あ……エリさん」
 エリだった。どうやら自分の単独行動に気が付いたらしく、急いでここまで追って来たらしい。ならばどうして自分の邪魔をしなかったのかとも思うが、おそらくキリーヤが小さすぎて見つける事が出来なかっただけだろう。それが結果としてあの試合結果を招いた為、幸運と言えば幸運だったかもしれない。
「『私のいない所でおかしな行動は取るな』。聞いてませんでしたか?」
「いえ……でも、今回『変』な行動は取ってませんよね?」
 エリの額に青筋が刻まれた。大抵の人はそうかもしれないが、彼女もまた例に漏れず揚げ足を取られるのは嫌いらしい。
「……確かに『変』な行動は取ってませんね。だから今回は何も言いません。しかし、単独行動がどれだけ危険か、それを十分に考えてから動いてください。……って、何ですかその髪型?」
 キリーヤの髪は後ろで纏めた所に簪を挿している感じだ。これはジバルと呼ばれる国(フェリーテの故郷らしい)で生まれた髪型らしく、フェリーテは一度か二度やっていたのを見て、可愛かったので真似てみた。只の見様見真似なのでどこか違う部分があるかもしれないが、髪を纏めるには十分だろう。
「友達の髪型を真似たんです! ……似合ってますか?」
 純粋に疑問に感じただけなのだが、エリは照れくさそうに頬を掻き。
「ま、まあ……似合ってますよ、それ」
 キリーヤは無邪気に笑ったが、エリはその顔を見ようとしなかった。アルドと同じで人を褒めるのに慣れていないのだろうか。いずれにしても、彼女は堅物では無いという事が分かったので、良かった。
「……まあ、取りあえず戻りましょうか」
「はい」






 せっかくエリと打ち解けてきたのに、それを台無しにする事を故意にするのは本意ではない。キリーヤは言いつけ通り、エリが戻ってくるまでは部屋から出ない事にした。さらになりすましを防ぐために、エリは扉を魔力を放出しながら叩くそうで、その徹底ぶりから、まるで護衛されているような気分になる。……キリーヤ自身に戦闘能力は皆無の為、似たようなものかもしれないが。
 エリが戻ってくるまでとは言ったが、何も最初から離れていた訳ではない。最初は二人で一旦戻って、それから買い出しなんかをしようと計画していたのだが、そんな時、司会の男がエリに声を掛けてきたのだ。おそらくエリの槍を見ての事だと思う。
 曰く、勝負があの有様だったので、観衆からの批判が大変に多く、二人は失格となったそうだ。そしてそれが起こった事によって、試合人数の調整が崩壊。このままでは色々厄介な事になるそうで、途中棄権をしても良いから参加してもらいたいのだそうだ。
 棄権を許しているのは、おそらくエリが女性だからだろうか。司会の見下すような顔が、エリと、キリーヤもまた気に喰わなかった。
 勿論それだけならば断わる所なのだが、断れなかった。その理由は商品にある。
 金貨百五十枚、そしてこの村の村長の娘との結婚。
 後者がどうでもいいのは言うまでも無い事だが、前者はこれからの旅路の為にも必要だ。そういう訳でエリは参加の手続きをするべく、一旦キリーヤと別れたという訳だ。
 ちなみに聖槍『獅辿』は使わないらしいが、武器は貸し出してもらえるのだろうか。一応連絡用に『転信石』は貰っているが、果たしてこれを使う時がくるかどうか。
 そう思っていると、石が仄かに光りキリーヤの顔を照らした。急いでこちらも魔力を流し込み、通信に答える。
「キリーヤちゃん、申し訳ありませんが、、暫くは動けそうにありません。出来ればもう暫く待っててください。宿屋の中ならば自由に動いて構いませんから」
 キリーヤは魔力放出をやめ荷物を肩に掛けると、部屋の扉を開き、外へと躍り出た。宿屋の中を自由に動いた所で利も意味も無いが、害も無い。目的もなく宿屋内を歩きながら、これからの行動について考えるくらいなので、エリも赦してくれるだろう。
そんな事を考えながら、キリーヤが階段へと向かおうとした時―――目の前の扉、階段に近い自分の部屋の隣だから……二番の扉が開いた。それだけならば只の日常の光景だが、問題は出てきた人物だ。
「クウェイさん……?」
 男は振り返り、驚いたように一歩引いた。
「君は……俺を助けてくれた人か」
 その発言にキリーヤが目を見開く。
「見えてたんですか?」
「まあね。君が石を投げてくれなかったら、今頃俺は死んでいた。感謝しているよ、本当」
 あれは誰にも気づかれない賢策だと思ったのだが、普通に気づかれていた。しかしながらそれは当然。只石を投げるだけの作戦のどこに、賢い点があるというのだ。それを考えると、むしろ気づかない皆が馬鹿という事になるが……
「そうだ。お礼がしたいんだけど、何処か行きたい所はないかい?」
「え―――? いいんですか?」
「どうせ会えるのは今回限りかもしれないんだぜ? お礼位はしないと」
 成程、それは確かに。しかしエリには宿屋を出るなと言われている故、行けるところなど……
 いや、彼を護衛役にすれば外にだって出ていい筈だ。何せ一人で行動しなければいいのだから。そう考えると、居ても立っても居られなくなって、キリーヤは興奮気味に目を輝かせた。
「じゃあ、じゃあ! 商人達の所、あるじゃないですか。あそこ、あそこ行きたいです!」
「決まりだ。このクウェイ・フロキート、受けた恩は必ず返す! 君が満足するまで俺は護衛役として君を守ろう。さあ、行こうじゃないか」








 商人にはどうしようもない類の者が二種類いる。一つは奴隷商人、これはどうしようもない種類だが、ならざるを得ない境遇の人間も居る為、何とも言えない。
 もう一つは万事商人。これは性格の話とかそういうのではなく、あらゆる商品に出鱈目な金額を付けて売りつけるどうしようもない商人なのだ。悪い例を言えば、魔力を流し込んだら壊れる、という性質を持つ剣を、『異名持ち』とだけ記し、金貨一〇〇から二〇〇の幅で売りつける、といった感じだ。
 そんな商売がどうして成り立っているかというのは、金貨一〇〇枚や二〇〇枚では足りない超値打ちモノやらをも、商人はどこからか入手してくる為、見る眼のある人間は、通常の商人よりむしろこちらの商人との繋がりを作りたがるのだ。勿論そういうお客は所謂『常連』となる訳で、結果としてこの商売は潰れない。
 しかしどうしようもない事実は変わらない。前述したような事もあるにはあるが、大抵は極々一部層を除いて需要がゼロのモノばかり。良くも悪くも両極端な商売で、商人としては異端者の類に入るだろう。
 キリーヤには勿論そんな目は無い為、大人しく普通の商人を利用する事にする。『目を付けられた』というエリの言葉が不安を煽ってくるため、一応クウェイと一緒に買うようにする。ちなみにお金に関してはクウェイが全面負担してくれたり。
 曰く、『後で返してくれればそれでいい』らしいので、有難く使わせてもらう事にする。といっても、浪費はしない。少しばかり買いたいモノがあるだけだ。
「これ、ください」
 買ったのは羽ペンと日記帳。そう、キリーヤは昔から日記を書きたかったのだ。自分の英雄としての軌跡を後世へと残す為というのもある。
「銅貨二十枚です」
「ほら」
 クウェイが銀貨を一枚弾き飛ばし、商人に渡す。商人はにっこりと微笑み、それを奥の袋へと納め、キリーヤにそれを渡す。
「有難うございます」
 胸に袋を抱えながら去ろうとするキリーヤに、制止の声が飛ばされた。
「ああ、お嬢ちゃん、待った」
「はい?」
「超過分、おまけだよ」
 商人がこちらに投げてきたのはチョーカーと呼ばれる装飾品。小さな十字架が掛かっているため、装着した場合、首の真ん中に十字架が来る形になるのだろう。
「有難うございます」
 深々とお辞儀をして、キリーヤは去っていった。











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