ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

世が開かれし時

 リスド港。フルシュガイドには及ばないが、活気と人情にあふれた、リスドにおける最大の貿易港だ。
 しかしながら、その活気は港のどこにも存在しなかった。夜だから、ではない。夜であれば民家の灯りが着いているし、何より酒場がにぎわっている筈だが、今の港にはその灯りすらない。それ所か、生命の気配すら感じない。
 原因は……目の前に、給仕服と鎧を掛け合わせたような不思議な服装の女性と、背中に木製のハープを背負った男性が居るが……恐らく彼らの仕業だろう。女性の両手には血塗れの斧が二丁握られているし、男の方は何も持っていないが、血の一滴すら浴びていないというのは逆に怪しい。
 二人はこちらを見つけると、道を阻むようにゆっくりと歩いてきた。オリヴェルも、エリに「待っててください」と指示を出した後、二人に近づいて行った。
「よ、おー……リヴェル。ちゃんと邪魔な奴らは排除しておいたからな」
「彼女は今日も、死力を尽くす。我と我自身が愛する王の為に。そして其の為ならば犠牲は問わず、障害は排除していく」
「助かりました、トゥイーニー、謡。本来なら私が全うすべき職務なのですが……ええ、非常に助かりました」
 正直な話、会話が成り立っているとは思えないが、彼女達三人の間では普通の会話のようだ。エリ自身、この話の輪には入りにくいので、それまで『謡』と呼ばれる男の通訳でもしているべきか。
「彼女は常に悩んでいる。その見目麗しき仮面の下で、苦悩と苦痛を感じながら、自らの意志と規律の相反に悶えながら。それでも彼女は表に伝えない」
 そんなに職務職務って固くなってたら心労がたたって、いざという時に力が発揮できないぞ? 規律を守るのは構わないが、疲れているのなら俺達に頼めよ―――おそらくこんな意味なのだろうが、非常にくどいというか、分かりにくいというか。それが悪いという訳では無いのだが、もっと、こう普通に話せないものなのか―――この言い方も回りくどいので率直に言おう。話し方を正してほしい。
 エリの思いに気づく者など当然いない。三人は会話を続ける。
「俺、早く帰りたいんだけど、アルド様の言う人物ってあれか?」
 気づいていないふりをしているエリに、トゥイーニーと呼ばれる女性が指を向けた。
「いえ、違い……それ―――これ……」
 オリヴェルの声は、二人と違いやけに小さかった。どうやらエリが聞いている事に勘付いているらしい。
 或いは中途半端に会話を聞き取らせて、混乱させる作戦かもしれないが。
「成程。それで、どうするつもりだよ? お前の話を聞いている限りじゃ、ここも相当危ないと思うんだが」
 トゥイーニーが、大帝国の方を見た。戦火が広がっている事が、ここからでも分かるし、もう手遅れなのではないかという事も、エリは薄々気づいていた。
「然らば無限の航海へと往こうと宣い、果てる始末。どうやら語り手の力は物語に及ばないようで、彼女は救われない。ならば語り手は書き手となり、その道を閉ざさんとする世界を、退けるべきなのか」
「頼まれてくれるのですかッ?」
 オリヴェルが軽く頭を下げた。謡は満更でもない表情を浮かべながら、得意げに言った。
「承諾が如何に転ぶかなど誰にもわかりゃしない。しかし書き手幸運な事よ。どうやらこの物語は二人の模様、書き手も語り手も人手不足やあら大変。騎士の力も借りたいもんだ」
 謡は身を翻し、おそらくは他人の者と思われる船に、軽い足取りで乗り込んでいった。何を話していたのか、結局の所少しくらいしか分からなかった。
 トゥイーニーに何かを告げた後、オリヴェルがこちらへと戻ってきた。
「私が貴方の味方ではない理由、ここを見て頂ければ御理解頂けたと思います」
 開口一番、オリヴェルはそんな事を言ってきた。エリが自分を味方だと思っていると考えての対処なのだろう。自分で敵だと進言してくれるのはとても有難いが、突き放されたようで、とても悲しかった。
 エリは唇を噛みしめ、悲しみを殺した。彼女は敵、彼女は敵、彼女は敵―――
「はい。十分すぎる程に……分かりました」
「結構です。それでは貴方には、これからあの船に乗ってもらいます。奴隷商船などではございませんので、その辺りはご安心を」
 オリヴェルの言葉に、エリは眉を顰める。
「貴方が嘘を吐いていないという保証がありません」
「自由と命の保証くらいは出来ますが、それでは駄目でしょうか」
 ここでオリヴェルからワドフを返してもらった後、逃げ去るという手も無くはないが、自分の命と引き換えなのは自明の理だろう。団長の連撃をあれほどまでに容易く受け流す彼女だ。勝率はゼロに等しい。
 それに今はオリヴェル一人ではない。トゥイーニーという、強さが未知数の女性もいるのだ。非戦闘の方ではない事はあの斧から滴る血で分かっている。それをエリ一人が相手取るなど、あまりにも滑稽で、御笑い話にもなりはしない。
 ここは一つ、乗っておくべきか。
「分かりました。ここで貴方と争っても無益である事は承知しているので、大人しく乗る事にします」
「賢明な判断でしょう」
 エリとオリヴェルの肩がすれ違った。そのままエリは船の方へと歩いていく―――
「……おや、どうしましたか?」
「……そちらこそ、どうしてワドフさんを返してくれないのですか?」
「ああ、それで。私はてっきり、会話の内容を全て聞き取っていたと思っていたのですが」
 オリヴェルは一度咳払いをしてから、改まったように切り出した。
「私の任は貴方の護衛、及び国外追放ですが、もう一つ、というよりこちらが本命なのですが、魔術によって眠っている彼女……ワドフさんでしたっけ? ワドフさんを、アルド様の下へ送り届ける事。それが私に課せられた任務です」
「……え?」
 予想すらしなかった答えに、思わず聞き返す。
「私は聞こえるように言ったはずですが……聞き逃してしまいましたか」
「い、いえ、そういう事ではなくてですね……何故ですか?」
 ワドフを浚った所で、アルドや魔人に利など無い筈だ。ワドフは人間で、特別な血統を持っている訳でもない。であるなら、エリを浚った所で変わらない筈だ。
「何故と言われましても……ワドフさんを助ける為ですよ」
「え?」
「ワドフさんに掛かっているのは魔術ですが……命を対価とした厄介な契約、『命刻』なんですよ。魔術位相で表せば極位。貴方達にそれが解けるというのならお返ししますが―――果たしてそんなアテはあるのでしょうか」
「……そんなの、他の大陸に」
「貴方は随分と博打が好きなようですね。居るかも分からない人に、彼女に掛かっている魔術を解かせようと?」
 オリヴェルの言葉は耳に痛かった。確かにそうだ。居るかも分からない奴に魔術を解かせるくらいなら、確実に解けると思われる彼女達に預けた方が、エリとしては最良で、ワドフにとってもきっと最良なのだろう。
 エリは振り向き、オリヴェルを見据えた。オリヴェルはこちらに背を向けたままだが、視線は確かに感じ取っているようだった。
「何か反論でも?」
「反論、というか質問なんですが……その契約とやらが解かれたら、ワドフさんは返して頂けるのですか?」
「返す、ですか。元々貴方のモノではないような気がしますが―――」
「話を逸らさないでくださいッ! ワドフさんは人間ですよ、オリヴェルさんのような魔人では無いんですッ」
エリは感情を昂らせて、オリヴェルに詰め寄るが、彼女に怯んだ様子は見られない。それどころか、オリヴェルは平淡な調子で返してきた。
「ほう、それで?」
 そんな返され方をされたものだから、エリは何だか肩透かしを食らった気分になり、勢いを失ってしまう。
「そ、それでッ? え、えーと……」
「。貴方は存外に種族差別をする。過激派といってもいいくらいに。……良いですか、魔人だろうと、人間だろうと、助けられるならばそれに越した事はないんです。騎士団であるなら、そのくらいは習うのでは?」
「……ッ」
 どこまでも感情を感じさせないその言葉は、エリの胸に空虚な刃を突き立てた。偏見を持っているという自覚はなかった。しかし、その偏見など持っていないという言葉こそ、偏見を踏まえて言っている言葉なのだと、そう気づかされた。
 その言葉にエリは頭を殴られたような衝撃を覚えた。同時に、自分がとても情けなく思えてきた。普段なら魔人にそんなことを言われるなんて、と思ったかもしれないが、今の自分にはとても出来そうにない。  
 魔人オリヴェルの方が人格者なのだから。
「……何か反論は?」オリヴェルがワドフを下して、トゥイーニーへと引き渡した。トゥイーニーは「あいよ」という声の後、軽々とワドフを背負い、その場を立ち去ろうとした―――
「待ってください」
 エリの声に、トゥイーニーが気怠そうに振り返った。「何か用かよ」
「ワドフさんを―――返してください」
「ハァ? 話聞いてたのかよお前」
「無論、その上で。至極身勝手だという事も承知の上でのお願いです」
 たとえどれ程正しくとも、どれ程それが最善だろうと、エリはワドフを渡す気は無かった。本当に勝手な判断だが、エリは自分の力で、ワドフを助けたいのだ。
 トゥイーニーの瞳が殺意を宿す。それは本来、死んでいる筈のエリへの、最後の警告。  
「無責任な正義感は……ロクな事にならない。それでもお前は、自分の力で彼女を助けたいと思うか?」
 彼女自身その正義感とやらで被害にあったようだ。そうでなければ、ここまでの生々しさと、説得力は出ないだろう。
 だからこそ、彼女はエリに忠告をしてくれている。人間とか魔人とか、そんな小さな境界などあっさりと跨いで、ただ純粋に。誠実に。
「……はいッ」
 それにはエリも誠実に答えなくてはならない、これ以上彼女達を失望させてはならない。自分の為にも、彼女の為にも。それがエリに出来る唯一の対応、そして人間の誠意だ。
 少し間を置いた後、トゥイーニーの口元が不気味なまでに吊り上がった。
「なあ、オー……リヴェル。―――いいよな?」
「仕方ありませんね……トゥイーニー、貴方にお任せします」
 オリヴェルは後ろへと一歩下がり、目を伏せた。
「少し死んでろ―――偽善者」
「……えっ」
 その言葉を聞いた直後、エリの首を死が通過した。エリは反射的に回避する事すら出来ず、その場に倒れ込んだ。
 痛みは感じないが、エリは意識が離れていくのを、確かに感じ取っていた。
 エリが最後に見た光景。それは彼女の―――








 港にはエリが横たわっていた。心臓は動いているし、血も巡っている。だが彼女は『死んでいる』。少なくとも、後二時間は。
「ありがとうございます、トゥイーニー」
「俺は偽善者の頭を冷やそうとしただけさ。気にすんなよ」
「頭ですか。今の彼女の意識は肉体から離れているのですから、冷やすも何もないとは思いますが」
 オールワークはエリを抱き上げ、船へと歩いて行った。
「それでは、ワドフさんの回収はお願いします」
「あいよ」
 人間は実に愚かだ。覚悟さえあるなら何でも出来ると驕り、偽善を謳い、異種族を否定する。それが人間じぶんたちに近い容姿ならば、尚の事否定しようとする。一度存在してしまったモノなのだから、それはもう在り続ける事しか出来ないというのに、それでも人類は、我こそは頂点捕食者であると胸を張って宣う。
 全くもう実に愚かな種族だ。そんな風に驕り高ぶっているから、人類史最強の男に見捨てられたのだろうか―――いや、見捨てたのは、人間の方か。
 そんな人間が最強であることは癪に障るが、認めよう。今世界を支配しているのは人間なのだし、何と言おうが、今は人間が最強だ。
 しかし未だに理解が出来ない。
 人間に叶う者など、殆どいなかったというのに、何だって人間は、人間アルドを敵にするような真似をしたのか―――
「怒られそうだな、俺」
 トゥイーニーの背中を、強い潮風が嬲った。



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