ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

災い廻って厄となる

 リスドアード砦をやすやすと飛び越え、彼―――クリヌスは、大帝国に存在するだろう魔物よりも多く存在し、時には鬱陶しさすら感じる人々の群れを見据えた。この距離から見る人々は、もはや塵芥が蠢いているようにしか見えないので、人間至上主義兼少数至上主義のクリヌスからすれば、酷く不快なものでしかなかった。
 しかし、自分が不快か否かなど、今はどうでもいい。この中に彼が居るかもしれないのだから。
 先程まで感じ取っていた魔力は消失。どんな手段を使ったかは知らないが、彼の事だからクリヌスに気づいたのだろう。
 彼―――つまり、ワルーグ・クウィンツは、あまり自分自身の事を好いていなかった。もしかしたら、もう騎士ではない自分には気づいてほしくないのかもしれない。
 しかし、クリヌスは彼を見つけてしまった。偶然か必然かはさて置いて、じっとなんてしていられない。彼を葬り『勝利ワルフラーン』の名を真に冠らなければならないのだ。そうでもしなければ、クリヌスは―――
 自分を好きになる事など出来ない。






「幾らか質問を交えながら、話をしますが、準備は宜しいですか?」
 フィネアの部屋には、ワドフを除く四人が集まっていた。ウルグナがフィネアに視線を移すと、それに気づいたようにフィネアが首肯。
「ああ、大丈夫だ」
 お返しのようにこちらも頷いた後、エリへと視線を移した。エリは一瞬戸惑ったが、直ぐに首肯して姿勢を正す。
「私も、大丈夫です」
 エリの意思も聞いて、フィネアも聞いた。異論は特にない。
 ウルグナもまた首肯。改めて話を切り出そうとした時、
「あのッ……デュークさんが奴隷商人なんて、何かの間違いじゃないんですか?」
「有り得ないな」
 キリーヤの言葉に躊躇もなく一蹴。冷徹な否定の言葉は、彼女の心に何よりも深く刺さった。
 数秒立たずしての返答に、怒りを覚えたのか、キリーヤは声を荒げた。
「どうしてですかッ、ウルグナ様が良く私に言うじゃないですか、絶対は無いってッ!」
「……アイツが奴隷商人なのは事実だからな。未来に絶対はなくとも過去は絶対だ」
「そんな……でも、デュークさんが―――訳」
 どこまでも人を信じるキリーヤを見、ウルグナは密かに感動を覚えていた。
 事情を知らないキリーヤには、デュークが奴隷商人である事と、自らを浚った犯人であるという事だけは教えておいた。想定通り、最初はキリーヤも聞く耳を持たなかったが、それでもそういう可能性がある事自体に落ち込んでいた。余程デュークに好意的な感情を持っていたのだろう。
 キリーヤが彼を信じたい気持ちは分からないでもない。場を和ませる性格、誰に対しても優しい態度。初めて人間と接したキリーヤが、そんなデュークに好意を抱くのは、決して間違った事ではない。
 しかし、種族を捨て人間になったのならば。共存を目指すのならば。人間にはそういう裏があるのだと、キリーヤには知っていてもらいたい。
 理想だけの理想はありえないのだ。残酷な現実すらも受け入れなければ、彼女の望む『共存』には、到底たどり着けないだろう。
 ウルグナから発される圧に、キリーヤは沈黙。その表情には悲痛な思いが見え隠れしていた。
「では始めるとしましょう……まずフィネアさん。奴隷商人は、馬車を遠くに置きますか?」
 フィネアは目を伏せて頭を振った。
「いや、ありえない。出来るだけ身近で且つ安全な場所に隠すのが常だ、奴隷市場内部は例外としてな」
 ……………………成程。
「では、奴隷商人とは、何人程子供を馬車に積んでるのですか?」
「ああ、七十人くらいだと思うが……それがどうしたんだ」
―――そうなってしまうか。
「ええ……まず、私はとある事情から、以前あの森に入った事があるのですが、あの森には魔物はいなかった。というより、今もいなかった。ですが以来の通り、あの森は魔物の湧出地点と化しています―――さて、これはどういう事か」
 ウルグナはフィネアに左手を向け、話を振る。
「フィネアさん。奴隷商人は性格がどうしようもない事で有名ですが、例えば奴らはどのような魔物と融合させる事が多いでしょうか」
 そこで気づいたように、フィネアが声を上げた。「あっ………………まさか」
「一人で思考を進めないで、答えてください」
 顔を真っ青にしながら、フィネアが固まった―――という事は、この推測は当たっているのだろう。
 まるでまとまっていない思考を言葉にしながらフィネアは呟く。
「拡散力を高める為に、苗床―――つまり無限に子を生成出来る魔物と、掛け合わせる輩は一番多い。そして生まれた子供は無差別に雌を襲うようになる………襲われたものは植え付けられたものもまた苗床となり、また無限に子を拡散していく。そして―――ここ、で恐ろしいのが、生まれた子、同士で……種子を植え付け合って、増殖してい、く事が出来るって……」
 フィネアは口元を抑え、後ろを向いた。微かに聞こえる嘔吐の音は、聞こえなかった事にすべきだろう。
 目を瞑り、言葉の続きをウルグナが担う。
「そしておそらく、生まれる子とやらに統一性はない。リーフウルフだったり、フォレストゴブリンだったり、或いはゴーレムだったり。そうやって増殖していったんですよ。その商人の馬車の中だけでね。つまり、あなた方女性陣が戦っていた魔物は、全て―――言い方は悪いですが、生殖行動のために、襲ってきた訳です」
 そこまでが限界のようだった。エリは気分が悪そうに胸の辺りを摩っているし、キリーヤにおいては涙を流して耳を塞ぐ始末。
 あくまで推測なので、もしも外していたら、彼女達の精神を嬲るだけ嬲ったド畜生になる訳だが、自信はある。おそらくそれこそが噂と現実の差異の真相。
 まだ話は続けるのだが―――聞き手の方が持ちそうにない。ウルグナも少しばかり気分が悪いし、少し休憩を取るべきだろう。
「……休みましょうか」
「はい……お願いします」
 この時ばかりは、エリも弱気な表情を覗かせていた。






 話を始めて一時間。それ程中身があった訳ではないのだが、内四十五分は休憩に費やしたので、この経過時間も仕方ないと言えるだろう。
 所で途中退場した者がいる。キリーヤだ。子供には少々刺激が強い話だとは考えていたが、まさか酷い頭痛と吐き気を催すほどに気分が悪くなるとは……
 ウルグナとしても予想外の事で悪い事をしてしまった。こう言った話は表現を控えめにしてから彼女に話すべきだろう。
「であるからして。つまり本来の筋書きなら、キリーヤも苗床の仲間入りをしていたという事です」
 平静を取り戻したフィネアが、すかさず突っ込む。
「ちょっと待て。邂逅の森に馬車があるとして、本来の筋書き通り邂逅が起きていたなら、キリーヤも仲間入りをするんだろ? 縛られてるキリーヤは動けない。つまり邂逅しそうだったという事は、キリーヤの近くに馬車があったって事だ。それが無いってのはおかしな話じゃないか」
「……フィネアさん、『邂逅』を意図的に操作できるとしたら、どうですか?」
「……何」
「えッ」エリの声が、僅かに揺れた。
 聞こえませんでしたか、と呟いた後、時間を巻き戻したかのようにウルグナは、全く同じ言葉を言って見せた。
「『邂逅』を意図的に操作できるとしたら、どうですか?」
「どういう事でしょうか?」
「つまりですね、あの森は、二度と出会えない者と運命的に再会する所である処―――つまり、入った物同士を別の空間に飛ばして、会えなくする森という訳です。そしてその『同士』が会う事の出来る唯一の手段こそ―――『邂逅』」
 その『邂逅』のおかげで、キリーヤにあの決断をさせてしまったので、ウルグナとしては複雑な気分だ。
 しかしながら、キリーヤが人間になる事に対して、ウルグナは特に悲しいとは思っていなかった。子供とは色々な世界を見て、考え、己を作っていかなければならないものだ。その程度の自立は許して然るべきだし、ウルグナは狭量な魔王ではない。
 だから正直に言えば―――あの発言は悲しくもあったが、それ以上に嬉しかった。
「『邂逅』を狙って起こすだと? 一体どうやって」
「かなり簡単に起こせますとも。まあ、条件は今の私を見れば何となく分かるかと」
 遠回しに促されたような気がしたので、二人はウルグナの体をじろりと見つめる。
 足、腕、腰、服装、どこにも違いは見当たらない。一体どこが変わったというのだ。特に身体部分に異常何て……
「杖か」
「ええ」ウルグナが頷いたのを確認し、二人は直ぐに視線を上げた。その二人の行動を見送り、ウルグナも話を再開する。
「……まあどうしているかは分かりませんが、馬車は定期的に何かを捨てているのだと思います。そうすれば獲物と高確率で遭遇でき、遭遇できなくても同種交尾で増殖できますし、そうでなくとも、生まれた魔物を外に出せますからね。どうでしょう。こういう風に考えれば、一匹も魔物がいない森から、無限に湧き出る魔物の説明がつきます。後は―――まあ、何故デュークは、あそこまで善い人を演じていられるか、という事だけですが、もうじき解決しますよ」
 その言葉と同時に、後ろの扉が開いた。驚いた二人が後ろを振り返ると、そこには白い石を持ったキリーヤがいた。
 まだ気分が悪いのだろうが、無理をしてきてくれたようだ。キリーヤは弱弱しい足取りでウルグナへと近寄り、白い石を渡すと、ウルグナの半ば倒れるように座り込んだ。
「助かった、キリーヤ」
「……申し訳ありませんが、ウル……様。体を預けても……宜しいですか」
 返事をしようがしまいが、その行動は変わらなかっただろう、キリーヤはウルグナに寄りかかると、そのまま脱力。糸の切れた人形のように眠り始めた。
「気分が悪いから退場したんじゃないのか」
「確かにそうですが、私はついでにお使いを頼んだだけに過ぎません。するかどうかは彼女の自由でしたよ」
 深い眠りに落ちているキリーヤを起こさぬように注意しながら、ウルグナは白い石を翳した。
「これは魔力喰の石と言ってですね。触れた個所に魔術がある場合、それを解析してくれるんですよ。……ああ、やっぱり合ってましたね」
 二人を一瞥した後、ウルグナは改めて言った。
「さっきも言いましたが、どうしてデュークさんが善人としてこの表社会に居続けられるかって事、私はずっとそれが分からなかった。奴隷商人なら下衆すぎる考えの一つや二つ、酒かなんかで漏らしてしまうでしょうに、彼は絶対に漏らさない……森との関連性に気づけば、これくらいの発想は出るはずなんですが、どうしてもっと早く出なかったのでしょうね」
「もったいぶらないで言ってください。一体何なんですかッ?」
 エリが苛立ったように口調を強めるが、気持ちは分かる。
 本当に、最初から気づいておくべきだった。今まで迷いの森ではない事だけを知っていると思っていたが、彼は『邂逅』を知らなかった訳ではなかった。


「デュークさん、『邂逅』を利用して、『素性』に関する記憶を捨てているんですよ」





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