Heat haze -影炎-

石の森は近所です

第40話、子供のパン

 雪が乗った飛行機は、途中で飛行タイプのヒートヘイズに襲われる事も無く、順当に目的地へと着陸した。


 2020年以降、砂漠化が進んだ首都から移転した新たな首都である。


「何事も無く着陸出来て良かったわね」


 そんな普通に考えたら安全に着陸しない飛行機になど誰も乗らない。


 だが暴徒と化したパンの中には当然、飛行タイプのヒートヘイズを操る者もいて、稀に面白半分で旅客機を撃墜したりもしていた。


「一般人に対して攻撃するパンなんか居るのかよ?」


 雪が見た報道では、主に政府に反抗する目的のパンが多く見受けられた。


 他の国と同様にこの大国もそうだと思っていたのだが……。


「あなた軍に所属している割に、何も知らないのね。この国の国民は既に政府を見限っているのよ。パンを宿さなくても大衆は事ある毎に政府に対し反抗しているわ。そんなストレスを抱えた人民が、人ならざる力を手に入れればどうなると思う?」


「強大な力があるなら正しい事に使うだけだろ?」


「ふふ。あなたは本当に平和な国で育ったのね。いや、平和な世の中しか見ないようにしていたのかしら? 人は他者に無い強大な力を手にすれば、弱者を甚振り己が最強だと力を誇示するの。かつてこの国の指導者がそうやって人民を押さえつけた様にね」


 今は見る影もないけど、と微笑みながらこの女は語った。


「あんたもその指導者の仲間なんだろ? 何でそんなに楽しそうなんだ?」


 まるで自分の国が破滅に向かっている事が嬉しい、楽しいと思っている様な態度に思わず雪が尋ねた。


 だが帰ってきた答えは――。


「楽しいに決っているじゃない。弱い者は死ぬ。そんな事自然界の常識だもの」


 目の前に置かれた光り輝く宝石を、うっとり見つめるようなそんな視線を雪に投げ掛けもっともらしい摂理を語った。


「あんた狂っているよ」


「ありがとう。その言葉は何よりの賛辞だわ」


 この女はやばい。


 こんな女の元に雛をいつまでも置いてはいられない。


 そう覚悟を決めた雪であったが、肝心の雛の行方に関しては一切この女は語らなかった。


「それでこれから僕は何をすれば良いんだ?」


 気は乗らないが従順な素振りを見せていれば、その内に襤褸を出すと踏んで尋ねたが、帰ってきた回答は呆気ないものだった。


「あなたの役割は伝えたわ。後は待つだけね。調子に乗ったパン共は退屈すると街を襲ってくるわ。その時が来るのをあなたは待っていればいいのよ。そして奴等が来たら――皆殺しにして頂戴」


 空港から暫く車で移動したホテルの一室で、監視も付かずに軟禁状態に置かれた。


 ホテルはこの首都の中心部に程近い場所にあり、ここが日本ならば郊外まで見渡せるだろう。だが大国は2000年以降大気汚染問題が深刻で、ここから100m先をも見渡す事が出来なかった。


 近くにヒートヘイズが発現すればファウヌスが知らせてくれる手筈になっている。


 にしてもここは沖縄奪還作戦の対戦国だよな……その割に、ホテルに到着した時に言葉すくなに交わしたベルボーイやウェイターの接客態度は悪くなかった。


 それもその筈で、沖縄を占領したのは人民軍で国民の多くは普通の人民なのだ。
日本を嫌い、抗日運動を行っているのも、人民軍であるのだから。


 人口が20億近く住んでいる中でたった1%が人民軍なだけでも2000万人の兵があつまる程、人口が多いのだ。


 そんな如何でも良い事を考えている内に、夕食の時間になる。


 ある程度の自由は認められていても、軟禁である。


 レストランにこちらから出向く事は出来ず、ウェイターが直接部屋まで運んできた。


 雪が大国に来るのに持って来た物は、天羽々斬と、スマホ、財布だけだが、戦時中故に日本円は使えない。


 普通はチップを渡すものだが、この国のお金は生憎持ち合わせていなかった。


 ご機嫌でサービスしたが何も貰えないとなると、途端に態度も変わる。


 これもこの人民の特徴である。


「せめておもてなしの心を身に付けて欲しいものだね」


 1人きりになった部屋でポツリと言葉を零す。


 油濃い独特の料理を食べた雪は、ベッドに転がった。


 すると――。


 雪の胸から黒い煙が立ち上り、声を発する。


『ご主人、ここから200mの所に現れたぞ』


「ここからだと見えないんだけれど、ファウヌスだけで戦う事は出きるのか?



『我が戦う事には問題が無い。だが今回も敵のパンを殺すのだろう?』


「一応そういう契約だからね」


『それが幼い子供でもか?』


 流石にそんな年のパンを想定はしていなかった。


 日本では臨床試験を受け、学校を卒業しないと普通、戦闘には出てこないのだから。


「まさか……」


『あぁ、この気配は子供のそれだな。この前の大群は全員大人であったが、子供を殺すのは我でも躊躇うぞ』


 ファウヌスの言葉を聞き、雪は頭を抱えた。


 雛を助ける為だとはいえ――相手が子供だとは想像もしていなかったのだ。


「分った。僕も行こう」


 雪は小さい犬に発現したファウヌスを連れて、一気にホテルを飛び出した。


 ホテルのフロントには監視役の女が待機していたが、ヒートヘイズの出現を既に連絡で受けていた様で、出かける雪に向けエールを送られた。


 ファウヌスの言葉通りならここから直ぐだ。


 ホテルを出た雪は、ホテルの裏手にある高級百貨店付近を目指す。


 8階建てビルの前に来ると、窓を割りビルに潜入しようとしているハーピーが飛んでいた。


 ハーピーの背中に乗る形で、小学校中学年位の子供も確認出来た。


「あんな子供がヒートヘイズを操ってんのかよ!」


 雪は憤慨しながらも、殺さずに生け捕れないか考える。


 だが生け捕りにしても、殺す手段を持たない人民軍にとってはいい迷惑だろう。
殺さずに捕まえても、傷一つ付けられないのでは反省を促す事すら出来ない。


 牢屋にぶち込んでも、脱走されてまた暴れられるだけだ。


 雪が考えあぐんでいる内に、ハーピーはビルの中に侵入していった。


『どうするのだ?』


 このまま放置していれば、被害は増えるだけだ。


 そして放置した事がばれれば、雛に身の危険が降りかかる。


「くそっ!」


 雪は短く言葉を吐き出すと、ビルの中に駆け込んで行った。


 ハーピーが入ったのは恐らく5階付近だった。


 エレベーターを使うのは危険だ。そう咄嗟に考え雪は階段を探し、見つけると一気に駆け上がっていった。


 5階の表示の所まで上がると、そのフロアーは既に大勢の客達の悲鳴で塗りつぶされていた。


 通路に倒れ血を吐き出す者。


 首が千切れ飛んでいる死体。


 子供をおんぶしたまま息絶えた母親。


 この世界の地獄を垣間見た様であった。


「何で子供がこんな残虐な殺しをするんだよ!」


 平和な日本でぬくぬくと育ってきた雪には、理解できない惨状が目の前にはあった。


『奴が来るぞ!』


 ファウヌスの補助を受け、雪は自分の身を守る為に天羽々斬を抜いた。


 低空飛行で背中に子供を乗せたハーピーが、一直線に襲い掛かる。


 だがそれはファウヌスの操る、子犬形のヒートヘイズによって止められる。


 まさか簡単に殺せると踏んで襲い掛かれば、相手もパンだったとは思わなかった様で、子供は呆けた表情を浮かべる。


 雪は少年に近づき、


「これ以上無抵抗の人間を殺すなら――俺が殺す」


 精一杯の怒気を込めて語りかけた雪だったが、子供は怖いもの知らずとはよく言ったもの。


「へー、お兄さんも出せるんだ。コレを――」


 そう言ってハーピーを指差したと思ったら、ハーピーが雪へと突っ込んできた。


 雪は富士演習場で何度もヒートヘイズ戦の訓練を受けている。


 襲い掛かるハーピーと接触する刹那、袈裟懸けに天羽々斬を振り下ろした。


 悲鳴と共に霧散するハーピー。


 自分のヒートヘイズが呆気なく倒され、逃げ出そうとする子供。


 そのタイミングを待っていたとでも言う様に、あの女が飛び出し彼女が操る狼のヒートヘイズが子供の首に齧りついた。

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