Heat haze -影炎-

石の森は近所です

第18話、栗林 珠恵

 翌日も、学園長のスパルタ特訓は続き、今日は土曜日だというのに、僕の身体は悲鳴をあげていた。
 それでもお腹は空く訳で、食事を取りに学食まで行こうと部屋を出ると――。


「雪君も大変ね、学園長の地獄の特訓を受けているんだって」


 リビングの椅子に座り、紅茶を飲んでいた燈と目が合うなり同情するような口調で話しかけられた。
 朝から会いたくない人に会ってしまった。


「ええ、燈さんも学園長の特訓を受けた事が」


まさかスルーする訳にもいかず、学園長の特訓を知っていそうだったので聞いてみると――。


「私は無いわよ。元々運動は得意だったからね」


 如何にも優等生顔で、言葉を投げかけられた。


「さいですかぁ」


雪はげんなりしながら返事を返す。


「所で、澪は見なかったかしら」
「いえ、見ていませんけれど……」
「そう、土曜日だからショッピングセンターに行くのに誘おうと思ったんだけど、居ないのよねぇ」


 前回の水楢との買い物を思い出し、一瞬苦笑いを浮かべた雪だったが、すぐに表情を取り繕い心当たりを告げた。


「1人で、買い物に出かけたんじゃないんですか」
「そうね。私もそっちに行ってみるわ。じゃぁね」


 僕は燈さんから解放されホッとした気持で学食へ行くと、そこには澪と、珠恵が2人で食事をしていた。


「あれ、澪、さっきお姉さんが探していたけど……」


 意外そうな面持ちで水楢に尋ねると、


「多分そんな事だと思ったわ。どうせショッピングセンターに行こうって話でしょ」


 憤慨しながら水楢が話し出す。既に燈が言っていた内容を知っていたようで、


「うん。そうだけど何か問題でも」
「お姉ちゃん、こっちには2日程度しかいる予定じゃ無かったから、着替えとか持ってきてないのよ。それで昨日、買いに行くから、付き合いなさいって言われていてね――分るでしょ」


 全く荷物を持たずにこの島に来たなら、水楢の話にも納得出来る。
 雪が荷物持ちをさせられたのは先週の事なのだから。
 まして雪とも水楢とも違って高給取りの現役公務員様だ。
 買い物の量は先週以上かもしれない。
 自分は雪に荷物持ちをさせたくせに、分るでしょうといいながら嫌そうな顔をする水楢であった。


「あ、なるほど……荷物持ちが嫌だった訳だ」


 僕が気持を代弁して伝えると――。


「ぶっちゃければそうね」


 はにかみながらそんな言葉を吐かれた。


「僕は、先週、荷物持ちさせられたんだけれど」
「その分の食事とデザートは奢ったでしょ」
「デザートは食べてない」
「あなたが食べた様なものじゃない」


 僕が溜息を付きながら、隣の席に座ってランチを食べ始めると、


「雪、施設、逃げた、見てた」


 そうボソッと、正面に座る珠恵に言われた。


「あぁ、珠恵ちゃんもあの場所に居たんだ……」


 施設から逃げたのを見られていたのかとバツが悪そうに尋ねると、


「窓、壊して、逃げた」
「はは、ばっちり見られちゃっていたんだね」


 それって最初からじゃん。と格好悪い所を見られた恥ずかしさから、雪が苦笑いを浮かべて珠恵に返事を返す。


「うん」


 珠恵は言葉少なに頷く。ゆるふわの髪が首肯する度にテーブルをなでる。


「でも珠恵ちゃんは、ヒートヘイズとかパンの事は最初から知っていたんだろう」


 水楢が姉から説明を聞いていた様に、珠恵も最初からパンの事を知っていたのだろうと当りを付け確認する。


「知ってた」


 コクリと小首をかしげ頷く珠恵。


「なら、最初に体から煙が出た時にも焦らなかったのか」


 雪は自分の胸から黒い煙が湧き出した時に激しく動揺したが、他の人はどうだったのか興味から問いかけるが、


「うん」


 やはり姉のヒートヘイズを見た事があった様で、この問いにも首肯された。


「僕も知っていたら、あんな無謀な事はしなかったよ、お陰でバイト代がパァーだしな」


 こんな弱そうな少女でさえ動揺しなかったのだ。
 雪も最初から知っていればと溜息を吐きながら、身振り手振りを交えながらあの時の自分が起した行動を後悔する発言を漏らすと――。


「残念、可哀そう」


 珠恵から痛ましいものを見るような視線を投げかけられた。


「だろ。同情するなら金をくれ。ってフレーズが昔、はやったらしいけれど、そんな心情だよ」


 雪が冗談の中に本音を交えて吐露すると――。


「いいこ、いいこ」


 テーブルに身を乗り出した珠恵に、何故か頭を撫でられていた。


「珠恵ちゃんも、澪と同じで自分からなりたくて志願したのか」


 頭を撫でられ気恥ずかしくなった雪は、それを誤魔化す様に続けて珠恵に問いかけるが……。


「違う」


 この質問も首肯されるんだろうなと思った、雪の予想ははずれ否定された。


「それって、お姉さんに言われてという事なの」


 自分が望んでいないなら何故、そう思い心当たりをついてみると――。


「そう」


 今度は首肯された。


「それも、災難だったな。パンにならなければ、こんな島に来る事も無かっただろうに」


 自分の場合は、パンになりたかった訳では無い事から、同情して自分の気持を混ぜ込み言葉を紡ぐと――。


「いい」


 何故か……短いながらも語気を強めて言われた。


「いいって、パンになっちゃったから諦めたって事か」


 気が弱そうだから成り行きに任せる事にしたのかな、そう思い漏らした言葉だったが、その回答は予想を裏切った。


「違う、楽しい、見つけた」


 茶色い瞳をキラリと輝かせ、雪を見つめながら珠恵は言い切った。


「楽しい事なんて、この学園にあったっけ」


 この学園に来て1週間、そんな楽しい事は雪の記憶には無い。首をかしげながら教えてもらおうと声に出す。


「ある」


 珠恵が破顔しながら語気を強め頷く。


「どんな事だ」


 雪がその表情を見て、興味を引かれ確認すると――。


 何故か珠恵は、テーブルを回り込み、座ってランチを食べていた雪の背後に回ると――後ろから強く抱き締めてきた。


「「えっ」」


 雪と水楢は呆気にとられ思わず声を漏らす。


「な、何をなさっておらっしゃいますで……」


 雪はいきなりの事で、驚いて言葉もおかしくなっていた。隣で食べていた水楢も同様に驚いている。


「すき」


 いきなりの告白に、赤面する所か、口の中の物を吐き出してしまう。


「な、な、なにをいきなり」


 16年童貞だった雪にはこの突然の告白は刺激が強すぎた。動揺しながら何とか声を搾り出す。


「そ、そうよ。一昨日初めてあったばかりじゃない」


 水楢にしても先日初めて会ったばかりなのだ。思わず席を立つと珠恵を宥めようと説得を始めるのだが……。


「違う、施設、会ってる」


 水楢の説得は虚しくも崩れ去った。


 僕は、椅子に座っている状態で、目の前には固定されたテーブル、逃げ場は無かった。
 成す統べなく、好きに抱き付かれてしまっていたが、慣れてくると緊張よりも背中に当っている柔らかな感触に気づき、そこで漸く僕は、赤面した。というか……鼻血を出した。


「ちょっと、なんで鼻血とか出しちゃっている訳よ。珠恵さんもいい加減離れなさい」


 赤面し鼻血を噴出した雪の様子を見て、水楢が汚いものを見る様な面持ちを浮かべてついに怒り出すのだが――。


「いや」


 気が弱そうだと皆が思っていたのは勘違いで、珠恵は強情であった。


「雪くん、貴方からも何とか言ったら」


 珠恵の説得が無理なら雪の方をと、矛先を雪へと向けた水楢だったが――。


「それが、背中が気持ちよくて……」


 珠恵の体温にのぼせ上った雪はもはや、正気ではなかった。
 いや、心根を曝け出しているという事はこれが本心であった。


「ばっ、ばっかじゃないの。何こんな朝っぱらから欲情しちゃっている訳。時間と場所を考えなさいよ」


 雪を罵倒しなじると優等生らしく、正当な理由をつけ苦言を呈する。
 水楢の顔色は既に熟れたトマトの様である。


「そうしたいのは、山々なのだけれど……押さえ込まれて逃げ出せません」


 水楢の説得を受け、体をゆすり現状から逃げ出そうと試みた雪だったが、どこからこんな力が漲ってくるのか……全く動かない。


「柔道、3段」


 雪を押さえ込みながら、水楢と雪に見えるように指でVサインを作りニヤリと笑う珠恵。


「ぶっ、とてもそんな風には見えないんですけれどねぇ」


 楓先生ほど低くは無いが、水楢よりも10cm以上は小さく小柄な珠恵からは想像も出来ずに雪は噴出しながら感想を述べた。


「得意」


珠恵は、頬っぺたを雪の頬にくっ付けながら小さく声を漏らす。


「いいわ、あたしが離して上げる」


 遂に見るにみかねた水楢が、珠恵の両脇を掴んで引き離そうとするが、ガッチリと絞め付けられた珠恵の絞め技は外せない。そうしていると、思わぬ援軍が現れた。


「貴方達、朝っぱらから何をイチャイチャしているのかしら、タマちゃんもいいから早く離れなさい」


 起きたら珠恵の姿が見えず、探しに来た栗林だったが、妹のはしたない姿を見て呆れ口調で忠告した。


「嫌、ここ、落ち着く」


 だが……栗林の忠告も虚しく、珠恵は自分の思うままに行動する。


「タマちゃん、こんな男の何処がいいの。一昨日、会ったばかりでしょう。お姉ちゃんがもっとカッコいい男の子紹介してあげるから」


 ヒートヘイズ遣いとしては最強であるが、雪が醸し出す雰囲気はオタクそのものである。交換条件を提示して珠恵の説得を試みた栗林だったが――。


「可愛い、嫌」


 珠恵は小さく言葉を漏らすと、雪の首に顔を埋めた。


「栗林さん、妹さんっていつもこうなんですか」


打つ手なしと立ち尽くしていた水楢が、呆れた面持ちで栗林に問いかけると――。


「貴方は確か、燈ちゃんの妹さん」
「はい、妹の澪です」
「そう、宜しくね。タマちゃんは気に入った猫とか動物がいるといつもこうなのよ」


 軽く挨拶をかわすと、栗林の口から思わぬ珠恵の情報が齎された。
 どうやら自分が気に入った物にはいつもこんな感じらしい。水楢は少し安堵の表情を浮かべ、核心部分を訪ねた。


「じゃぁ、異性として意識して抱きついている訳では……」
「うーん、どうでしょう。違うと思うけれど」


 栗林も確証は持てず、小首をかしげ珠恵は性の対象として雪に抱きついている訳では無いと水楢に告げたが――。


「好き」


 雪に抱きつきながらその会話の様子を窺っていた珠恵から心の内を吐き出され――。


「ぶっ、タマちゃん、そんな事はお姉ちゃんが許しませんよ」


 栗林は肺中の空気を噴きだすと、いつもの淑女顔からは想像が出来ない程に取り乱し、声を荒げて叫び半ば力ずくで珠恵を剥がしにいったが……。
 その締め付けは固く、少なくとも食堂の利用時間が終わるまでその光景は続いたのであった。


 食堂から締め出され、漸く解放されたと安心するも、寮への帰り道も一緒な訳で……珠恵はずっと雪の後ろからシャツを掴んで付いてきた。


 寮に戻って来ると――。


「で、何でこの部屋に珠恵さんがいるのかな」
「さぁ、それを僕に言われても……」


 何故か雪のシャツを掴んだまま雪達の部屋まで付いてきた珠恵は、リビングで雪の隣に座るとまた雪の体温をむさぼるように抱きついたのである。


「好き、一緒」
「そ、そ、それって、ど、どういう……」


 珠恵は雪を憂いのある瞳で見つめ、本日最大の爆弾を落した。雪は顔面真っ赤に火照らせきょどりながらその内容を問いかけると――。


「男、女、一緒、寝る。おk」


 いつもより正確に伝えようとしたのだろう。珠恵にしては珍しく長い文句で説明してくれた。


「いや、確かに軍の上層部では認めているらしいけれど、それしちゃったら僕が最前線送りにされちゃうんじゃ」


 童貞の雪としては恥ずかしいが、嫌では無い。むしろお願いしたい位なのだが、万一を心配して平常心に戻ると、最悪の処分に関して苦言を漏らすのだが……。


「大丈夫、子供、ない」


「いや、僕だって男だよ。こんな抱きつかれた格好で女性と一緒のベッドにいたら……理性を保てる自信が無いのだけれど」


「避妊する、問題ない」


 珠恵の言葉が子供を作るような事はしない。そういう事だと受け止めた雪が、自分は理性を保つ自信が無いと告げると、珠恵は嬉しそうな面持ちを浮かべ、本日最大の爆弾発言を落したのであった。


「ちょっと、珠恵さん。まさかあなた――経験済みなの」


 珠恵の発言は、処女の女性が軽々しく口にする台詞では無かった。
 水楢が椅子から身を乗り出し大きく瞳を見開いて珠恵に問いかけた。


「無い」
「驚かせないでよ。中学でも経験した事がある子はいたけれど、皆、そうなのかと焦っちゃったじゃない」


 珠恵が処女と知り肩を撫で下ろした水楢は、以前通っていた学校の同級生から聞いた話をかいつまんで説明するのだが、それに食いついたのは雪だった。


「えっ、じゃ、澪はしょ」
「ちょっと、それ以上言ったら分っているでしょうね」
「あ、はい。でもしかと心に刻みました」
「そんなもの心に刻まなくていいから」
「雪、私に、刻む」
「ぶはっ、珠恵ちゃん……何を刻めと言うんですかね」
「女の証」
「いや、それしちゃったら最前線に……あれ。子供出来たらだっけ」
「雪くん、今、子供さえ出来なかったら何してもいいとか考えたでしょ」
「えっと……少しだけ。少しだけね」
「止めてよね、あたしと同じ部屋で、そ、そんな事認めませんから」
「雪、したい」


 雪が何故かモテモテになり、顔を真っ赤に火照らせながら焦りまくる2人であった。





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