子猫ちゃんの異世界珍道中

石の森は近所です

第222話、城門前の戦い。その2

「にゃ―」
「うぉー!」
「きゃぁぁぁぁー」

 超音波の波動によって吹き飛ばされた石の壁は無防備なミカちゃん達に襲いかかります。
 大小様々な石の粒が白磁の様な綺麗なミカちゃんの全身に傷をつけます。
 フローゼ姫は剣を前面へと突き出し盾の代わりにします。
 エリッサちゃんは咄嗟に後ろを向き、頭を押さえながらしゃがみ込みました。
 王子や他の面子にも同様に石の破片は襲いかかりますが、さすがは騎士団といったところでしょうか、持ち寄っていた盾を器用に使いこなし王子の防備に努めます。
 ミランダさんは……王子の背後に回り込み騎士達を人柱にして難を逃れました。
 この場で立っている者は誰一人としていません。
 怪我が軽度の者は擦過傷で済んでいますが、石が肉をえぐりジワジワと血がにじみ出している者が大半です。
 ミカちゃん達の中で一番軽度の者はフローゼ姫ですが着用していたフルプレートは傷だらけで元が綺麗な銀色だったとは思えないほどにくすんでいます。
 次に怪我の度合いが軽いのは意外にも後ろを向いたエリッサちゃんで、背中に背負ったバックパックが盾の役目をしていました。
 そして一番酷いのは――。

「うぅ……」
「おい! ミカ殿しっかりしろ」
「ミカさん今ヒールを掛けますから気をしっかり持って!」

 フローゼ姫の斜め後ろにいたにも関わらず、運悪く普段から軽装なミカちゃんに石が飛んでいました。
 咄嗟に目を両手で庇った為か両手と額、頭、しなやかで細い腕、成育途中の体軀、ほっそりとした両足、目と口の部位以外のほぼすべてが深く抉られていました。

「ヒーリング! ヒーリング! ヒーリング!」

 必死にエリッサちゃんがヒールを掛けますが、魔法は個人が持つ魔素の最大量で効果は決まってきます。彼女が2度、3度掛けてようやく血が止まる程度の回復しか見込めないほどミカちゃんの怪我は酷い有様でした。

「さぁ、これで力の差がはっきりと分かったでしょ? 分かったなら諦めて降伏しなさい」

 渚さんが城壁の狭間から姿を現し、ミカちゃん達に睨みをきかせながら告げます。その表情はアッキーの様に隙だらけでは無く、敵が動けばすぐさま反撃出来る体勢を維持しています。

「ミカさん……すみません。これ以上は……」
「妾が回復魔法を使えていたら……」

 エリッサちゃんが自身の使える限界までヒーリングを掛け続けましたが、完全回復にはほど遠くミカちゃんに謝ります。
 この中で最大の魔法を使えるフローゼ姫もさすがに中核ともいえるミカちゃんの容体を考えると即反撃に転じる事が出来ずにいました。
 すると背後から、ハリケーン! と詠唱が聞こえ、次の瞬間には渚さんが立つ城壁目掛けて竜巻が襲いかかっていきました。

「何をぼんやりしているんですか! 早くガードを!」

 王子の背後からフローゼ姫達に喝が飛びます。
 ミランダさんの叱咤を受けてエリッサちゃんが残り少ない魔素を振り絞りストーンガードを唱えます。
 渚さんを襲った竜巻は周囲の塵、埃を巻き上げ完全に視界を奪っています。
 すると――。

「エアフロー!」

 渚さんに襲いかかった竜巻は短い詠唱の後、何事も無かったかのように彼女を素通りすると上空に吹き上げられ消滅していきました。

「無駄な悪足掻きね。こんな弱い威力のハリケーンで私がどうにかなるとおもっているのかしら? どうせ行使するならスーパータイフーンかトルネードでも撃ってくるのね。最もそのどちらもあたしのエアフローの前では意味を成さないけどね」
「アーン!」

 ご高説を賜っている今がチャンスとばかりにエリッサちゃんの腕に抱かれていた子狐さんが魔法を詠唱します。子狐さんの頭上には氷の鏃が3本浮かび上がり、尻尾を渚さんへ向けると猛烈な速度で発射されました。
 鋭利な氷の塊が発射される寸前、渚さんはカイパーベルト! と魔法詠唱を行います。氷の鏃が彼女に接触すると思われた瞬間――彼女をフラフープの様に取り囲む粒子の塊が発生し子狐さんの放った鏃がすべて粉砕されフラフープの輪に飲み込まれてしまいました。

「アーン」
「この子が頑張っているのに私たちが怯んでいてはお話になりませんわね」
「ああ、妾達も反撃するぞ! ミカ殿を後方へ……王子、ミカ殿を頼むぞ」

 子狐さんの行動がミカちゃんを倒され反撃を躊躇していたエリッサちゃんとフローゼ姫の心に火をともします。
 フローゼ姫にミカちゃんを託されると王子は嬉しそうな面持ちを浮かべて、

「任せてくれ!」

 この場に僕がいたら王子なんかにミカちゃんを託しませんが、現状では仕方ありません。フローゼ姫がミカちゃんを両手でお姫様だっこして王子へ手渡します。
 王子はそれを恭しく受け取ろうとしますが、何分非力な王子です。ミカちゃんを落としそうになり騎士団長が代わりに後方へと連れて行きました。

「ミカ殿はあんなにも軽かったのだな……」
「仕方ありませんわ。魔法の練度から忘れがちですがまだ10歳の子供ですもの」
「そうだったな……ミカ殿と子猫ちゃんに助けられてばかりでは妾も立つ瀬が無い。ここは意地でも守り通して見せよう!」
「わたくしも限界まで戦いますわ」

 二人が闘志を燃やし気持ちを一新させていると既に渚さんは魔法の詠唱を終えていました。

「サンドレイン!」

 天空に黄色い粒子が現れるとそれが砂粒へと変化し豪雨となってフローゼ姫達へと襲いかかります。が先程エリッサちゃんが行使したストーンガードが頭上に移動し砂の豪雨を凌ぎきります。
 それでも今の一度の魔法でその盾も破壊され尽くし、形を保てなくなった盾は海に浮かぶ泡のように消えてしまいました。

「サンダー! ですわ」
「アイスライトニング!」

 エリッサちゃんが残りの魔素を使い切りサンダーを放てば、これまで温存してきたフローゼ姫が先程のお返しとばかりに氷の豪雨を仕掛けます。
 すると――。

「アルテミスの傘」

 二人同時に魔法を行使した事を察知した渚さんが即座に魔法詠唱。
 自身を巨大な傘の盾で覆います。
 その様子は虹色のピラミッドの中央に立つ神様のようです。
 エリッサちゃんの放ったサンダーは目映くスパークを発しながらその傘に降り注ぎますが、傘に触れた瞬間に誘導先を失った高圧の塊は一際輝きを増して消滅します。フローゼ姫が放った氷の豪雨は傘に触れるとその傾斜角に沿って地面へと落下していきました。

「くそっ、これでは埒が明かん」
「あんた達、その程度なの? あなた方があの子猫の仲間だとしてもたかが数ヶ月。この世界にやってきて数年の私では――相手が悪すぎたわね」
「何を――貫通のバフ、ソードウェッジ!」

 フローゼ姫が渚さんの挑発にのり、バフで強化した剣先を渚さんの胸元目掛け突き出しました。
 フローゼ姫の魔素を帯びた剣先がぐんぐん伸びていき渚さんが立つ場所へ届こうとした時、渚さんの口元が僅かに動き次の瞬間には剣先は空振り。渚さんの姿は先程まで立っていた場所の1m右へ移動していました。

「あはははっ。瞬間移動はアッキーだけの専売特許じゃないのよ?」

 大口をあけて豪快に笑う渚さんをジロリと睨みフローゼ姫は有効打になり得そうな魔法を思いつきますが、その考えを首を左右に振って消し飛ばします。
 ミカちゃんが元気であればある程度殺傷能力の高い魔法を使うことも出来ます。しかしミカちゃんはこの戦線を離脱、という事は大けがならばまだしも万一殺してしまったら、渚さんの肉体の損傷具合によってはミカちゃんが回復してから蘇生魔法を行っても魂の復活は望めません。
 苦々しい面持ちを浮かべて次策を考えていると、城壁の上に立つ渚さんが鼻先に指を立て魔法の詠唱を開始します。

「さぁ! まだやるっていうならここで全員死んで頂戴。灼熱の豪雨!」

 渚さんが魔法を詠唱すると空が真っ赤に染まり、それが一気に降り注ぎます。
 鉄をも溶かしかねない高温を伴った雨は空気を振動させフローゼ姫が居る場所はおろか、後方で寝かされているミカちゃんをも範囲に収めそれが頭上に差し掛かった時――。

「う、わぁぁぁぁーいっけぇぇぇー」

 この為だけに待機していたと言っても過言では無い人物、ミランダさんが慌てた様子で酸欠魔法を放ちました。
 ジリジリと焼け付くような熱の滴がその魔法を受けて完全に無力化。
 皆の全身には質量も熱も無いただの粒子となった魔法の残滓だけが降り注ぎました。

「なっ、なんですって!」

 驚いたのはもう駄目だと諦めたフローゼ姫達一行だけではありません。
 これで全てが終わると高をくくっていた渚さんも同様、いや――その驚きはフローゼ姫達以上に彼女に衝撃をもたらしました。
 この異世界で炎を一瞬で消せる魔法を開発したのは渚さん自身です。
 そして今の彼女には弟子であるアッキーにすら教えた記憶が無い魔法。
 でもたった今、目の前で行使された魔法はまさしく彼女が使用する魔法そのものでした。
 渚さんは瞼を大きく開きそこから現れた黒い瞳で今の魔法を詠唱したと目される人物を探します。
 フローゼ姫の後方、騎士とおぼしき複数の異性に守られた弱々しい男性。
 その背後に長いブロンズ色の髪を後ろで一つに縛り、自身をジッと見つめる紫の瞳。
 歳は自分と左程変わらないと思えるミランダさんを発見した時、渚さんの脳裏を激しい頭痛が襲います。

「うぐっ、うわぁぁぁぁ」

 突然、両手で頭を押さえしゃがみ込んだ渚さんに驚き、皆は何が起きたのか分からずにただ呆然とその様子を見つめていました。









「なっ――」

 いつものパターンではあのまま霧はアッキーを包み込み、擬音と共に彼女の生命を絶ったはずでした。しかし目の前にはまだ足首を押さえぜいぜいと激しく呼吸を繰り返すアッキーの姿が転がっています。
 僕が瞳を細め観察していると――。

「はははっ。本当に猫の姿なんだね。それも生後何ヶ月って――」

 突然上空に現れた膨大な魔素に反応し首をあげるとそこには、今発した声の主と思われる白髪に病身的とも取れるほど肌の色素が薄い、灰色の瞳の少年が浮かんでいました。
 彼は白のローブで頭から膝下まで身を包み込み、足首は漆黒の艶を伴ったブーツ。腰には黄金に輝く剣を差し、剣の持ち手には真っ赤な宝石がちりばめられています。
 見る者が見なくてもこの少年がただ者では無いことが分かりますが、そんな事は僕には当てはまりません。

「せっかく悪者を退治する所だったのに、今邪魔したのはきみかい?」

 僕の言葉の何処に気を良くしたのか少年は、くすくすっと小さく笑い声を漏らし少年らしい幼い笑みで僕を見つめます。

「邪魔しておいて何様ですか?」
「おっと、気を悪くしたなら謝るよ。でもくすっ、君があんまりおかしな事を言うから悪いんだよ」

 戦いの邪魔をしておいて悪びれもせずにまるで世間話でもするようなノリの少年に僕は警戒心を引き上げます。
 その外見だけを見れば少年は育ちのいいお坊ちゃんの様にもみえますが、問題は外見ではありません。彼を包み込むように漂っている魔素の量。
 人の形を成しては居ても魔力探知に長けた僕には、少年に覆い被さるようにある漆黒の魔素が見えます。
 山の中で巨大な熊に遭遇した子供を離れた場所から見ているような感覚と言えば分かり易いでしょうか。
 少年の背後に霊体と言っても差し支えない魔素の塊がある以上楽観視は出来ません。
 僕は少年の出方を窺うように低く腰を下ろします。これで咄嗟の攻撃にも瞬時に対応出来る筈です。

「あはっ。そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。心配しなくとも僕は君を殺したりしないよ。君と一緒に来た者達は別だけどね」
「はぁ? ミカちゃん達をどうするって?」

 僕はミカちゃん達を殺すと言われ咄嗟に爪を3つ少年へ向け放ちます。
 3つの爪の一つは少年の首を、もう一つは心臓を、残りの一つは足首を狙いましたが爪が当たると思われた瞬間、少年の体はその場から消え失せ、

「あははっ。それが君の武器かい? 子猫が爪を飛ばしたらもう爪とぎも出来ないんじゃ? あ……現物の爪じゃなく魔素で形取った爪か。面白い技を覚えたものだね」

 出現したのは僕の頭上10m。
 姿を見せると同時に何がおかしいのか僕の両手を遠目で検分し考査を口にします。

「くっ」

 僕はこれまでの魔族と同様、少年の背後でも1m頭上に転移し落下速度を伴った爪をおみまいしようと腕を振り下ろしますが、爪が当たる瞬間空中でダンスでも踊るように軽やかなステップを踏んでターン、紙一重で爪から逃げられます。
 僕の体は重力に逆らえず城壁の上へと落ちていきますが、僕にも重力を自在に操る事は出来るんですよ!
 城壁に着地する寸前で自身に重力操作の魔法を掛けて再度の転移。
 今度も少年のさらに上へと移動すると、爪で切りつける素振りを見せながら振り下ろす直前でそれを飛ばしました。
 今度こそ少年の体に突き刺さるかと思われた爪ですが、少年が優雅な仕草でマントを翻すとマントに当たった爪はギャン、と甲高い音を立ててはじかれてしまいました。

「あははっ。本当に間抜けな子猫だね。そもそもそんな爪が僕に当たる訳が無いじゃ無いか。自慢じゃないけどこのマントは白竜の鱗をコーティングして作ってあってね、勇者が使う神剣でなければ傷すらつけられない代物だよ? 君の脆弱な魔素で創造した爪など……はぁ?」

 少年は自慢のマントをまじまじと見つめながら先程僕の爪がはじかれた場所を見つめます。
 そこにははじかれはしましたが真新しい傷がしっかりと残されていました。

「へぇ、僕の残滓の分際で……ん? 残滓だからって力が無い訳じゃないのか。それとも異界渡りを経験したこれが効果なのか……」
「何をブツブツ言っているんです。まだ勝負は終わっていませんよ!」

 少年が独り言のように呟いている間に僕は鋼の体の上から結界魔法を上掛けし、次の魔法を放ちます。選んだのはアッキーに使おうとした重力圧縮の魔法です。
 しかし僕の右手に纏わり付いている漆黒の靄を目にした瞬間に少年が片手を振るい、それだけで発動状態にあった魔素が消えてなくなりました。

「一体何が――」
「言ったじゃないか。君は僕の残滓。という事は同属性の魔法を放てば無力化出来る」
「さっきから残滓だの、何のことです!」
「あーそこからか。というか同じ質の魔法、魔素くらい一目見ただけで分かるんじゃないのかい? それとも残滓だけに頭が足りていないのか?」

 少年は嫌そうに、本当に嫌そうに台所にわく黒い生物でも見るかのような視線を僕に向けます。
 僕は生まれて直ぐに捨てられた子猫です。
 世間では野良猫は汚く不潔のイメージがありますが、捨てられて直ぐにお婆さんに拾われた僕はそんな視線を向けられた事は一度もありません。
 悔しくなって少年との距離を神速を使い一気に縮めます。
 少年の肩に乗っかり爪を少年が被っているローブのフードに落とします。
 しかし結果は先程と同じ。
 ギャン、という虚しい音を響かせるだけに止まります。

「君は本当に聞きわけが無いね。人がせっかく穏便に対話で解決しようとしているのに――」

 少年は瞳を細めると目にもとまらぬ早さで僕の足を掴み、シャラール、リリースと二つの魔法を同時に僕に掛けると、少年のどこにそんな力があるのかと思えるほどの威力で僕を地面に投げつけました。
 僕は咄嗟に転移を試みますが、全身が硬直していて動かせません。
 そうこうしているうちに落下速度をつけ加速した僕の小さな体は白磁の城壁へとたたきつけられます。
 ドーン! と全身を堅い白磁の塊に強打された僕は内臓が痙攣を起こし呼吸困難に陥ります。

「ぐっ……な、ぜ……」

 僕が仰向けになり苦悶の表情を浮かべていると少年はゆったりとした動作で隣に着地してきて言います。

「悪いけど君が自身にかけた魔法を全て無効化させてもらったよ。その上で逃げられないように全身に麻痺の魔法もね。何、悪いようにはしないさ。君には僕を殺せない、代わりに――僕にも君は殺せないんだから。君には事が済むまで大人しくしていてもらうよ」

 少年は身動きの取れない僕の両足を左手で鷲づかみにすると、まるでバックでも背負う様に肩に担ぎあげ、視線を未だ足首を押さえているアッキーとミカちゃん達がいる方向へと向けました。

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