妖精の羽

ささみ紗々

白黒

朝だった。相当疲れていたのだろう。ぐっすり寝ていたようだ。
部屋を出て、シャルロットさんを探す。どこからか声が聞こえてきた。
「おはよう、客室にいるわ」
まるで見られていたみたい。少し怖かったけれど、私は客室へ向かう。

ドアを開けると、昨日のようにソファに座ったシャルロットさんは私の顔を真っ直ぐに向いて、私に聞いた。

「それでお嬢ちゃん、あなたのお願いって?」
「……私、人間になりたいんです」
「まぁ……人間に?」
「……はい!」

俯いていた顔を上げて、シャルロットさんの目を見る。赤い髪をかきあげて、シャルロットさんは再び聞いた。

「どうして?」
「それは………………人間に、恋をしたからです」
「……人間に恋をしたから、あなた人間になりたいの?」
「そう、です」
「ふぅん……まぁ確かに、妖精のままじゃ恋なんてできないものね。でも彼は?あなたの事を好きなの?」
「好きだって、言ってくれました……たった数日間だったけど、彼に出会えて私は変われた。もう一度、彼に会いたいんです……!」

シャルロットさんは少し笑う。
「たった数日間ですって?それで恋をしたっていうの?なんてこと。あなたはたった数日間の思い出のために、妖精という人生を捨てるの?」
「それは……っ」
「愛を知らないわね、あなた」
「……っ違います!私はあのとき、この人しかいないって思えた!後悔したくないんです、出会えたことをただの偶然にしたくないっ!!」

シャルロットさんの言葉が、私の胸に棘のように刺さる。……確かに、そうかもしれない。愛を知らないだけで、恋に溺れているだけなのかもしれない。
でも私は、彼が好きだ。この気持ち、手放したくない……!

ぎゅっと拳を握り、シャルロットさんを正面から見据える。伝われ、この気持ち。
「……ふっ」
口元を抑えて、シャルロットさんは少し困ったような顔をする。
「あとで妖精に戻りたいって泣きついても、知らないわよ」
「……はい」
「今までにもいたんだからねあなたみたいな人。……遊ばれて後悔するなんてこと、あってはだめよ」
「……はい!」
「あなたの気持ちが確かなら、あなたの願いを叶えて差し上げましょう。……もちろん見返りはいただくわ」
なんでもやってみせる。私の中には、まるで赤い炎のようにやる気がみなぎっていた。
シャルロットさんは私を心配してくれていたのだ、とわかる。過去になにかあったのだろうかと、こちらが心配したくなるほどの辛そうな笑顔を一瞬浮かべ、でもその後には強気な顔に戻って、言った。

「あなたへの見返りは」

「その羽と、記憶」


──記憶……?どういうことだろう。
「私の、記憶?」
「いいえ?あなたが失うものは羽だけよ。あなたの言う人間、春山柊二とやらの記憶を……あなたに関するものだけ、頂くわ」
……それはつまり、柊二君が私のことを忘れてしまうということだ。
先ほどまで優しい言葉をかけてくれていた女性とは思えないようなことを言い出すもんだから、私は驚いてしまっていた。
すると、シャルロットさんはこう続ける。

「記憶を頂くと言っても、彼の頭にちゃんとあなたの存在があれば、思い出せるわ。そんなに強い魔法はかけない。安心して」


「愛が確かなら、あなたのこと思い出させてあげなさい。あなたがいくら頑張ってもあなたのこと忘れたままだったら、その時は戻っておいでなさい。
……羽をまた授けてあげるわ」

きっと……きっとシャルロットさんは、心が優しい人なのだろう。
真っ赤な髪の毛が象徴である彼女は、そのまま彼女の性格のよう。強気であって気ままな猫のように、けれど人に添うことの出来る明かりのようで。
私は気づく。彼女は本気で心配してくれているのだろと。
やっぱり、たった数日間の種別違いの恋なんて、客観的に見ても応援なんてできないのだろう。……けれど私は、彼と一緒にいたい。その想いが強すぎて、何だってやってみせるって、拳を握った。

「わかりました」

返事をすると、私の髪がゆっくりと浮かび上がる。私はゆっくりと目を閉じた。
頭の中に、柊二君の顔が鮮明に浮かび上がる。
出会ってすぐのら変な人を見るような顔、氷で滑って怖そうに叫んでいた顔、冗談を言って笑った顔、夜空を見た次の朝の辛そうな顔、離れたくないと泣いていた顔……あの数日間、いつだって真っ直ぐに思いを届けてくれた。
今度は、私が彼に会いに行く。私が彼に思いを届けるんだ。たとえ彼が私のことを忘れていても。

目を開けると、私の白かった髪が、だんだん柊二君の黒髪のように、色をつけていくのが見えた。
まだ生えたばかりの羽がうっすらと光をなくしていく。光の玉が飛んでいき、じわりじわりと、私は妖精でなくなっていった。

涙が一粒こぼれた時、
「終わったわよ」
シャルロットさんが短く呟いた。
ぱちり、ぱちり。瞬きを繰り返す。ぐっと力を入れても、もう体は浮かび上がらない。
さらり、髪を撫でる。艶のある黒髪は、確かに私の頭についていた。ほんの少し前までの白かった髪の面影はどこにもない。
本当に人間になったのだ、と実感する。

涙が出そうになった。大丈夫かな、私本当に柊二君の記憶を戻してあげられるのかな、もしだめだったら?もし柊二君が私を思い出してくれなかったら?……そんな不安が今更私を襲う。

腕組みをしたシャルロットさんが眉をひそめて立っている。怒っているようではなく、私に同情するような顔だった。
「……あとであなたのいた山まで送ってあげるわ」
ぼそりと言ったシャルロットさんの声が私の耳に入ってくる。

「私がいた場所……どうして知っているの?」
「魔法使いだもの、そのくらいわかるわ」
「そう」
なんだか続ける言葉も思いつかなくなって、私は俯く。
「あなたが人間になりたいって言ったのよ?信じなければ、叶う夢も叶わないのよ……前を向きなさい、お嬢ちゃん」
ゆっくりと決して大きいとは言えない声で、でも力強く、シャルロットさんは言った。

ぴくり、心が跳ねる。『前を向きなさい』その言葉が、一瞬で私の後ろ向きな気持ちを払い除けた。

顔を上げ、私は言う。
「ありがとう!」
精一杯の笑顔で。


「さて、準備が出来たら言ってちょうだい。まだやり残したことがあるなら今のうちにね」
そういってシャルロットさんは外へ出ていく。
私はしばらくそこから動けないでいたが、頬を叩いて足を一歩踏み出す。
私はどうしても好奇心に抗えず、昨日行けなかったエントランスの2回、左側の黄色の扉の部屋へ行ってみることにした。
ギィッ……と鈍い音をさせながら重い扉は開く。

中からは古い紙の匂いが漂ってきて、天井まで高く伸びる棚の中には、ぎっしりと本が立てられていた。
「う、わぁ」
見回せば、本、本、本!芳しい本の香りに包まれて、私はあることを思いついた。
奥へ行ってみると、カウンターのような所があった。そこで本を調べる。
「えっ……と」
数多くの本の中から、"記憶に関する本"を見つける。調べていると、"動物を飼う"とか"服飾について"とか、いろんなジャンルの本があった。なんでもあるなぁと感心していたが、そんな場合ではない。
やるべき事はただ一つ。柊二君の記憶を、戻すこと。

「B-2、B-2……あった!!」
本棚はK-8まであって、私が探していた本は比較的最初の方にあった。
本棚まで向かい、目的の本を探す。タイトルは『記憶の深海』。
なんだか座るのも惜しくて、その場で本棚にもたれかかって本を開く。


『記憶とは曖昧なもの─』

『失うことも、取り戻すことも簡単なものである』


冒頭を読んで、私は目次に移る。
「この本だ」と思った。せめて少しでも、役に立てば……。
人間になってしまった今、頼れるものはなんでも頼っておかないと。彼とずっと一緒にいたいと願った私のあの時の思いを無駄にしてはならない。
目的は「人間になること」ではないでしょう?……そう言い聞かせ、本を持つ手を強める。

第2章のところに、「記憶を呼び起こす」という項目があった。
パラリパラリとめくり、求めている文章に近い部分を探す。
「……これだ」


『記憶喪失や何かの記憶操作により、記憶が大きく消えてしまうことがある。そんなとき、周りの人々はどうすればよいか?──答えは簡単である。彼らの思い出の深い部分にあるものを引き出すのだ。
忘れ去られた記憶は、実は引き出しにしまわれているだけで、本当は簡単に思い出すことが出来る。
彼らの思い出の品であったり、音楽、景色、言葉……それらが記憶を呼び起こす大きなもとになる…………』

『しかし、記憶を失くした人に対する対応は少し考えなくてはならない部分がある。無理に記憶を呼び起こす様なことはしてはならない。
本人達は何らかの力により記憶を失っているか、無意識に心の奥底の引き出しに嫌な思い出をしまっている、その二パターンに分けられる。
前者の場合は彼らの思い出から探ることが可能になるが、後者の場合はそれさえも難しくなる……』


何らかの力により……思い出の品……柊二君の記憶を戻してあげるための、手がかりになりそうだ。

シャルロットさんが外で待っている。私は本を返し、足早に外へ向かう。
エントランス1階、大きな扉の前に立つ。来た時とは違う私が、キラキラ光る扉に映る。
真っ直ぐ立ち、前を見る。顎を引いて、堂々と。

「前を向きなさい」

シャルロットさんの言葉を思い出し、深呼吸をして、扉を押す。

外に広がる景色は来た時と変わらないのに、室内から一気に開放されたような気がした。目の前に開けた青く壮大な空。
あたたかい、と思った。空は高くて、本当は寒いはずなのに、私は何故か暖かさを感じた。
「あら、もういいの?」
シャルロットさんが私を見て言う。
私はにこりと笑って、大きな声で続けた。

「はいっ!」

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