妖精の羽

ささみ紗々

シャルロットの館

「さて、と」
里の離れには丘がある。セツナはそこに向かっていた。
できるだけ、空に近いところへ。そうやって探しているうちに丘を見つけた。母がいる家やムッシュさんがいる池が一望できる。

眼下には里の真っ白な景色が広がっている。もう春真っ盛りだというのに、ここは一年中冬だ。
空を見上げて呟く。頭に思い浮かぶのは、たった数日前に別れたばかりの男性の顔。

「待っててね、柊二君」

強気な笑みを浮かべて、羽をはためかせる。息を吸いこんで、空へと飛び立った。
何度も何度も、振り返った。もしかしたら、もうここには来れないかもしれないから。
手を振る母の姿が、見えた気がした。

高度が高くなってくると、上昇気流の流れを見つけた。まるで追い風のよう。誰もが私を応援してくれている、そう思った。
不安なんて何も無かった。里から見る空はいつも灰色だったのに、今の空はこんなに青々と輝いて、私を照らしてくれている。

すでに雲は近くて、目的の場所が目前に迫っている、その時だった。

目を細めると、大きな黒い塊が遠くに見えた。いや、遠くにっていうか……だんだん、だんだんそれは近づいてきていて……

「鷹だ、」
黒い塊の正体がわかった時には、もう鷹は近かった。


山にいた時に、1度鷹に出会ったことがある。その時鷹が目をつけたのは、ちょうど餌を食べている途中だった狐。私は木の影に隠れてその様子を見ていたのだが、無残にも狐は食べられてしまった。

羽を、さっきまでよりもずっと早く動かす。しかし思うように飛べない。そうこうしているうちにも鷹は近づいてきていて、ますます焦る。
待って、ちょっと待ってよ……息が苦しくなる。一生懸命羽を動かしているのに上には上がらず、下から物凄い風を感じる。
私は下降していた。近づいた雲が遠くなる。羽は動かない。あぁ死ぬな、と思った。
目の前にはもう鷹がいた。ぎゅっと目を瞑る。落ちるままに、体を風に乗せる。
鷹が翼を広げる音が聞こえた。ごめんね柊二君……会いに行けそうにない……


「ぎぃぃ!キッ!キッ!」
遠くで何かが鳴いている。
目を開けると、そこは絨毯の上だった。
「あら、起きたの」
美しい声が耳を揺する。
体を起こすと、前に乗っているひとりの女性の後ろ姿が見えた。

「全く、世話の焼けるお嬢ちゃんだこと」
振り返りながら言う女性は、今まで見た誰よりも美しかった。
真っ白な肌に真っ赤な唇、整った鼻筋に綺麗な二重の目、ふわふわと風になびく真っ赤な髪……

「あなたは……?」
聞くと、彼女は答えた。
「シャルロットよ。あなた、私を探していたでしょう?」
コクリと頷く。

その時、目の前に鷹がいた、あの光景が頭に浮かんだ。
「たっ、鷹は!?」
「逃げたわよ?あなたが食べられちゃいそうだったから、ちょうど通りがかった私があなたを乗せたの。これ、そんじょそこらの鳥さんたちとはスピードが違うから」

ホッとして、胸をなで下ろす。
サラさんが「シャルロット様」と呼んでいた、魔法使い……その人が今目の前にいて、2人きりで絨毯の上。何が何だか、分からなくなってきた。

感じる風が、自分の羽で空を飛ぶ時とは全然違う。頬が微かに撫でられる。思わず目を閉じると、甘い香りに包まれて、私は眠くなった。
しかし、前にいる美しい魔法使いに遮られる。
「でもねお嬢ちゃん、あなた見当違いよ」
後ろを向いて座り直した彼女は、美しい顔を台無しにしてもっしゃもっしゃと何かを食べながら、私に言った。

「見当違い?」
「ええ。あなた空へと飛んできたのはいいけど、私がどこに住んでいるか知らないでしょう?」
「空の上でしょう?」
「……あなた、空がどれだけ広いか知ってる?」
「えっ」
そんなこと考えてなかったとは言えず、頬を掻く。
「あは、あはは……」
「お嬢ちゃん、あなた私が通らなかったら死んでたわよ」
「うっ……ありがとうございます」
いたたまれなくなって顔を下げる。

「さて……もうすぐ着くわよ」
顔を上げると、目の前には城……と言うよりは館に近い建物がそびえ立っていた。見た目によっては城にも見えるのだろう。サラさんは城だと言っていたようだから。


「ふうん…あなた、あの子を知っているのね」
館に入れられた私がサラさんの話をすると、シャルロットさんは私に彼女のことを話してくれた。

「あの子、面白い子だったわよ」
「覚えているんですか?」
「もちろんよ!お客様ですもの……あの子は、羊になりたいだなんて言ってお願いしてきたの、面白いでしょう?」
「……私も初めて聞いた時、驚きました」
「そうよねえ、それほどまでに……きっと、大変だったのね」
「?」
「植物の妖精って、一年中働かなきゃいけないのよ?それをあの子は1人で全てこなしていた。それって想像するよりもずぅっと大変なことなのよ」
ハッ、とした。
「だから羊になりたいってのも少しはわかるわ。あの子、羊は自由だって言ってたから。自由になりたかったんでしょう」

自由に、なりたかった……か。考えていると、大きなソファに腰掛けたシャルロットさんは私に続けて言った。

「ま、話は明日しましょう?私、今日は疲れたわ」
シャルロットさんはふわぁぁとあくびをする。
口元に当てられた右の手首には綺麗なブレスレットが通されており、真っ赤に塗ったマニキュアがキラキラと光を反射している。指の1本1本、体の先まで美しいだなんて罪だ。これは重罪だ。

「お嬢ちゃん、この館はあなたがいる間は自由に動いていいわ。泊まるのは……そうね、エントランスの奥の大きな扉の先に、お客さん用の部屋が沢山あるの。その中からだったらどれでも好きな部屋を使って」
「わかりました」
「OK、じゃ、私はこれで!」
と言って指を鳴らすと、彼女は猫の姿になってどこかへ走り去ってしまった。
えええ……びっくりして、何も言えなくなる。色んなことがありすぎる……

私は、屋敷の中を少し見てみることにした。
目の前にはシャルロットさんが座っていた大きなソファ。ここは客室だという。大きな丸い机が置かれてあって、客が来た時にはこれを囲んで話をするそうだ。フローリングには暖かいカーペットが敷かれてあって、奥には暖炉がある。落ち着く雰囲気の部屋だった。

エントランスに戻る。屋敷の顔ともいえるエントランスは、サンライトイエローに輝いていて、豪華なシャンデリアが飾られている。まるで日の出の光のよう。
2階へと繋がる階段の手すりは黄金で、手を触れてしまうのすら恐れ多い。階段を登り終えた先には低い柱が二本あって、猫をかたどった彫刻がそれぞれに置かれている。

階段から右へ行くと緑の扉があり、左へ行くと黄色の扉がある。どちらも気になるが、後で行ってみることにしよう。

階段を降り、もう一度エントランスを見回すと、階段の左側に奥へ続く道があった。そっちへ行ってみると、右にも左にも数え切れないくらいの部屋があった。この中ならどこでも使っていいのか……ここは天井が低くて、少し薄暗い。照明は上ではなく下にあって、わずかに足元が照らされる。


私は右側2番目の部屋を使うことにした。ドアノブには草のリースが飾られていた。
中に入ると、右側に洗面台、トイレ、お風呂、奥には机と椅子、ベッドがあった。生活するための最低限のものは置かれているようだった。机の上にはポットとティーカップ、それにピーチティのティーパックが置かれてあった。
「なんておしゃれな」
独り言をつぶやく。
私にはお風呂やトイレは必要ないけど、きっといろんなお客さんが来るのだろう。
ベッドの近くには窓があった。近づいて開けてみると、冷気が入ってきた。そういえば、この部屋は無駄に暑い。冷たい風が私を癒してくれた。
外の景色は広大で、それはそれは美しかった。辺り一面真っ白な雲、遠くには太陽が輝き、私の未来を明るく照らしてくれているようだった。
「……ふぅ」
息を吐き、部屋の外へ出る。さっき見つけた部屋に行ってみようかな。

階段を登り、まずは右側の緑の扉がある部屋に入る。
スゥッ……と独特な匂いが鼻をつく。目の前が真っ暗で、何があるのかわからない。
手を動かしてみると、左手がなにかに触れた。スイッチのようだったので押してみると、部屋が明るくなった。

「うっ……わぁぁ……!」
思わず声を上げる。真っ暗だと思っていたけれど、私の目の前に広がるのは一面の緑。
「ここは……?」
「植物園よ」
いつの間にか、後ろにさっき猫になったはずのシャルロットさんがいた。
「ここは四季折々の植物を置いているの」
「四季折々の……」
進んでみると、私の知らない植物がたくさん置かれてあった。
「これは?」
と聞くと、全て教えてくれた。
「薔薇、向日葵、秋桜、水仙……どれも綺麗でしょう?」
「ええ、とても……」
見入っていると、シャルロットさんは言った。

「これ、サラが持ってきてくれたのよ」

「サラさんが?」
「ええ、私にお願いをしに来る人には、私見返りを求めているの。あの子に求めたのは、美しさ……サラにとってこの花たちは、植物の妖精としての最後の仕事。だから、美しいの。
反対側の部屋はまだ行っていないんでしょ?もう明日にしたら?今日は遅いわよ」
「えっ、でもさっき外は明るかったよ?」
「日が登っていたんじゃあないの?……私はもう寝るわね、おやすみ〜」
そう言ってひらひらと手を振り、シャルロットさんは部屋を出ていった。私もその後に続く。

部屋に戻り、ベッドに横になる。なにか考え事をしていたような気もするが、ひどい眠気に襲われて寝てしまった。

その晩、私は初めて夢を見た。
私が人間になって、柊二君に会いに行く夢だった。柊二君は私を抱きしめてくれて、私も抱きしめ返した。私たちは幸せだった。いろんなところへ出かけた。柊二君は私に、指輪を渡してくれた。その時なにか言葉を言っていた気がするけれど、その言葉が聞こえなくて、曖昧なところで私は目を覚ました。

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