妖精の羽

ささみ紗々

ムッシュさんに会うため

    一人で歩いていると、母がやってきた。

「やっと、見つけた」

私を見るなりそう呟いた母は、駆け寄ってきて、私の体をきつく抱きしめた。……抱きしめた?突然のことに頭が混乱して、どうしたらいいのか分からなくなる。

「どこへ行っていたの」
「……山よ」
「山?」
「おばあちゃんがよく行っていた山よ、ここから少し行ったところにある」
「なんで勝手に行ったの」
「私なんていなくてもいいでしょう!?」
「どうしてそんなことを言うの!」
「いつもそうだったじゃない!私のことなんてどうでもいいくせに!」
「誰がそんなことを言ったの!子供のことをどうでもいいなんて思ってる親がいるもんですか……」

涙ぐんだ母は、さらに強く私を抱きしめた。小さな声で泣いている。私はそっと抱きしめ返した。

「あら……?」
母は今までと違うことにようやく気づいたようで、私から腕を離し、背中をまじまじと見る。
「羽が、生えてるじゃない」
「カシューから聞かなかったの?」
ブンブンと首を振る。聞いていないのか。カシューの事だから、母にも言ったと思ったのに。

「そういえば何か言っていたような気もするわね」

首を傾げる母を見て、なんだか笑みがこぼれた。そこには初めて感じる、優しい母の温もりがあった。


    母の話によると、カシューから私が帰ってきたことを聞かされ、慌てて私を探しに出たらしい。
羽が生えているという情報をカシューが口にした時にはもう母は遠くて、聞こえなかったのだろうと。
……つまり、母は娘に羽が生えたから探しに来たのではなくて、ただ単に私を大事に思っていてくれていた。ただそれだけなのだと思った。
実際、私が里からいなくなってから既に数カ月はすぎていて、何も言わずに出ていった子供のことを、普通の親だったら心配するものだろう。
私の方が親を大事にしていなかった、ということか。


   ちゃんと気持ちは言葉にしないと伝わらない……大事だと思われていないだなんて勝手な被害妄想。
確かに冷たい時もあったけれど、母は私を大事にしてくれていたのだ。すれ違いが起こる前に、気持ちを確かめることが出来てよかった。
    そんなことをしみじみ考えていると、私はいつの間にか自分の世界に入っていたようで、母から肩を叩かれてびっくりして我に返った。
「ところで、どうして急に帰ってきたのよ」
「ん、ちょっと用があって」
「用?」
そう、私は用があってここに来た。……ムッシュさんに会うためだ。
人間になりたいと願った時、彼の事が真っ先に頭の中に現れた。彼なら何か知っていると思ったのだ。


    おばあちゃんが亡くなる前、本当はおばあちゃんよりもずっと先にムッシュさんの方が早く亡くなるのだと思っていた。見た目も相当なおじいちゃんだし、むしろおばあちゃんなんてまだ若々しくて綺麗だったのだ。
しかし不思議なこともあるものだと思った……なんて言ったらきっとムッシュさんは怒るだろう。だからこれは秘密。

「ああ、ムッシュさんなら今ちょうど里に来てるわよ」

    あら。なんてラッキー!私は走り出そうとした。しかし足を1歩踏み出したところで母に引き止められ、
「待ちなさいよ、どこにいるか知らないでしょうが」
と静められた。

「このまま真っ直ぐ進んだところに、池があるでしょう?今の時期は池に氷が張っていないから、ムッシさんは魚釣りに行ったわよ」
「??魚釣り?」
「ええ、知らなかった?あの人結構なんでもするのよ」
「ムッシュさん、魚を食べるの?」
「うーん、食べないでしょうね」
「じゃあなんで釣るのよ」
「キャッチアンドリリースよ。ムッシュさんは年だけど、寝てばかりも苦なんじゃない?趣味よ、趣味」
「ふーん」

私はまず、里の池に魚がいるなんてことを今初めて知った。単純に感心。
とにかく、私は急いで池に向かうことにした。


    歩き出すと、おばあちゃんの家が見えてきた。おばあちゃんがいなくなってから、どれだけの時が経っただろう。
里を出た頃の記憶はすっかり色あせていて、それはきっと柊二君と居た数日間が濃すぎたから。
もちろんおばあちゃんとの思い出はたくさん、たくさんあるけれど、なんだか本当に昔のことのよう。

    今もまだあの時の形のまま残っているおばあちゃんの家からは、木のいい香りがした。おばあちゃんの匂いはあまり分からない。"木"って感じ。
    そっと触れてみると、木のぬくもりが感じられた。生きているって、すごいことなんだ……なんとなく考えた。おばあちゃんが「頑張れ」って、微笑んでいる気がした。
   
    ゆっくりと歩みを進める。小道で小さな子供たちが遊んでいた。雪に命を吹き込ませておままごとでもしているのだろう。私の幼い頃よりも、ずっとずっと幸せそうで、少し寂しくなった。
けれど、今の私はあの子達が知らないくらいのたくさんの幸せを抱えているんだから。
……こうしちゃいられない。私は走り出した。


    しばらくして、私は池にたどり着いた。静かで心が安らぐ場所だった。以前ここに来たのは、まだ私がすごく小さい頃のことだった気がする。おばあちゃんに連れられてやってきた。
池が凍っていなかった時に、ここの水をこっそり凍らせて、スケートをした。そのあと来た老夫婦がびっくりして大声をあげかけたので、急いで隠れたのを覚えている。
    目を瞑ると、おばあちゃんのいたずらっ子のような顔が思い出される。……大丈夫、まだちゃんと、ここにいる。

    というか、池に魚がいるんだったら、私たちが池を凍らせた時、魚達はどうなっていたんだろう……?ふとそんな考えが頭をよぎる。口元がひきつる。なんてこったい。申し訳ない、手を合わせて心の中で謝る。

    すぅっ……息を深く吸い込んで、私は口を開く。
「ムッシュさぁぁん!」
池全体に響き渡る私の声は、びぃぃぃんと耳に残った。
魚達は驚いてあっちへこっちへ泳ぎ回る。木々はざわざわと枝を揺らし、安らいでいた人々は私の方を睨む。

「すみません……」
小さく謝ると、今度は
「なんじゃああああああ!」
とどこからか叫ぶ声が聞こえた。

あぁムッシュさんか。やっちまったな。今度はムッシュさんに視線が集まっている……多分。そのお陰で、私はムッシュさんの居場所がわかった。
    少し走ると、ムッシュさんが木陰で本を読んでいるのが見えた。

「ムッシュさんっ、」
「おや、お前さんは確か」
「釣りはっ!?」
「お??……あぁ、釣りならもうやめたさ」
はっはっは、とムッシュさんは高らかに笑う。
私が幼い頃会ったあの頃よりも、ずっと年老いたムッシュさんの笑顔。本当に不思議だなぁと思った。
「お前さんの声で魚達が逃げてしまったからな」
恨めしそうに見られても…自分だって大きな声を出したくせに。
「そうだそうだ、お前さん……ロレンダのお孫さんじゃろ?」
「あっ……そうなの!聞きたいことがあってきたの!」
「なんじゃ?」
「動物として、生きるようになった妖精がいるって、おばあちゃんから聞いたことがあるの。それについて知りたくて」
「ほほぉそうか、ロレンダそんなことを教えておったのか。いいぞ教えてあげよう……」

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