妖精の羽

ささみ紗々

2日目

  結局眠れなくて、私はずっと外にいた。明日は何を話そう……そう考えていると、ある考えが思いついた。
助けが来たら、彼は私を忘れてしまうかもしれない。というか、いずれは忘れてしまうだろう。彼の世界は広いんだから仕方ない……。
「セッちゃん?」
「ん?」
「何してんの?」
「少しだけ考え事、かな。
ねえそれはそうとさ、今日……」

△▽△▽△▽

    目覚めると朝。やっぱりそこは薄暗い洞窟で、ひんやりとした空気を感じた。でも不思議と寒くはなかった。
外に出てみると、セッちゃんが一人で佇んでいた。空を見ながら。曇った空、びゅうと吹く風を受けて、天気が悪くなるんじゃないかと思う。
セッちゃんの横顔はなんだか少し物憂げで、声をかけていいものか迷った。

「セッちゃん?」
声を掛けると、驚いたような顔をして彼女が振り向いた。
ふわっと髪が揺れる。笑顔はなんだか春の花のようで、雪の妖精だなんて本当か?と疑ってしまうほどだ。だが、彼女の白い髪と肌が冬を連想させるというか、清廉さが感じられた。
もっとも、喋ってみれば清廉のセの時もないのだが。たった1日で、彼女の明るい性格がわかったような気がする。

「ねえそれはそうとさ、今日一緒に外で遊ばない?」
「へ?外?」

「うん、そう!なんだか眠れなくて、ずっと考えてたの。うろうろしてたらカシの木見つけたから、そり遊びでもどうかなって思って」

そう言って彼女は木の板を取り出した。正確に言うと木の板を何枚も重ねて作ったそりのようなものだ。

「どう?なかなかいいと思わない?」
「え、これ作ったの?」
「そうだよー、すごいでしょ!シラカシの木の板なんだ!固くて頑丈なんだよ、知ってた?何枚もはいで、カッチカチの氷で固めたんだよ。この気温だったら多分今日は遊べると思うんだ〜」
「へぇ……」
見てみると、確かに薄い板の間に氷で固めた跡がある。
すごくひ弱に見えるのに、皮をはいで1人で作ったのか……それも2つも。俺と遊ぶために。
触ってみると、少しヒヤッとした。なんだかお尻が冷たくなりそうだ。でもすごく嬉しかった。今すぐ使いたい!と思った。


    簡単に着替えて、缶詰をひとつ開ける。伸びをして外に出た。

「準備はいい?いくよ?」
「おうっ!」

シラカシの板を持って、坂に向かう。一応怪我をしないように、坂の一番下にはセッちゃんが雪を敷いてくれた。
    板を置き、その上に腰掛ける。
目の前には坂。とりあえず坂。あれ、待てよ。だんだん怖くなってきたぞ。

「セッちゃんこれ、ほんとに行くの……?」
「はぁ〜?何言ってんの!怖いの?」
「や、怖いわけないよ!そっちこそビビってるんじゃないの?」
「もー、つべこべ言わずに早く行きなさい!」
トンッ……背中を押された、小さな衝撃。「わっ」と声を上げたのもつかの間、ぐんぐんスピードをあげて、坂を下っていく。

「うわぁあぁあぁあ!!!」
「アッハッハ!ヒィー!柊二くん面白すぎ!」
となんだか見た目にそぐわない笑い方をしながら、俺の横にセッちゃんが並ぶ。
俺の後に来たくせに、追いつかれるなんて速い。怖くないのだろうか?というかもう余計なことは考えられなかった…怖いって!
バサバサとなびく白い髪を横目で見ながら、俺は少しだけ彼女を恨む。なんでそんなに楽しそうなんだよ……!!

   2周くらい回転した後、ズサァッ……板と雪が擦れる音がして止まる。1回滑っただけなのに結構な疲労感。
横を見ると、楽しそうに口許を抑えて笑う白い妖精。
なんだか腹が立つような目でこちらを見ながら、時折ぷぷっと声が漏れている。
「柊二くん、怖がってたね」
「うるさいなー、なんでセッちゃんはそんなに平気なんだよ!」
「そりゃあ怖くないよ!山に来ていろんなこと体験したんだから!動物追っかけたりとかしてると、なんだかもうこんなことじゃ怖いって思わなくなったよ」
「なんだよそれ……ドヤ顔すんなって、ははっ!」
「あはっ!いいじゃあーりませんか。まぁ弱っちぃ柊二さ〜ん」
「おーまーえー!!」

馬鹿にしやがって!絶対見返してやる!
「ほら、もう1回!」
「えっやるの?大丈夫??倒れたりしない?」
「うっせばーか!まだ全然大丈夫だし!」
「ほんと強がっちゃって〜!おもしろすぎ!……そうだなあじゃあもっと氷張っとこうかな??滑りやすいように!」
「!?やっぱ氷張ってたのかよ!」
「あれぐらいでビビってるなんてことはないよねぇ?」
「うっ……もちろん!」

まるでいたずらを考えた子供のように、首を傾げて笑う。俺が強がるってわかっててわざといじわるなこと言い出すもんだから侮れない。
坂を登る時にセッちゃんが前を歩きながら、小声で「やっぱ強がってんじゃ〜ん」と笑っていたのは、聞かなかったことにしよう。

△▽△▽△▽

   あーおもしろい!柊二君はものすごく強がりなんだなーと、一度目を滑り終わった後に思った。
なかなか素直にならないから意地悪してしまう。だけどそれが妙に楽しくて、言いようのない幸福感に包まれた。
誰かと楽しく遊ぶことがこんなにも楽しいなんて、知らなかった。

△▽△▽△▽

    あれから結局3回も滑らされた。鬼畜だ。
だんだん氷の量が増えていったんだから。滑るわ滑るわでもう無理。おえ。

「あれ、もうおしまい?」
セッちゃんがこう言うもんだから、ついには妖精なのに鬼に見えてきた。
「あーごめんって!でも楽しかったでしょ?」
申し訳ないなんて絶対思ってない笑顔で聞いてくる。
今にも吹き出しそうな顔をしてるんだから、バレバレだ。

「うん、楽しかった」
「ちょっと、棒読みすぎだよー!」
「もう無理疲れたもん……」
ばたり。その場でバタンキュー。
どこか遠くで奇声が聞こえた……気がする。死んでないから寝かせてくれ。

△▽△▽△▽

    あっ!目が覚めた!!
「よかったぁ〜生きてた!」
「や、生きてるわ。……ん?ここ洞窟?」
「そうだよ?」
「え、一人で運んできたの?!」
「うーん、まぁそうだね。私力持ちだし」

別についていない筋肉を見せつけようと、腕を横に出してポーズ。
「ドヤ顔やめろって……」
半笑いで止められた。私のお遊びが過ぎたみたい。ここに遭難させてしまったことさえ申し訳ないのに、またやっちゃった……。
「あ、今申し訳ないって思ってるだろ」
むにっ……ほっぺに感触を感じて横目で見ると、枝でツンツンつつかれていた。

「ありがたいって思ってるよ?本当は遭難したらこんなんじゃないと思う、もっと心細いと思う。けど俺は、今楽しいよ。遭難したことを忘れられてるのは、セッちゃんのおかげだから、な?そんな顔すんなって!」
優しい顔で私に笑いかけた。

「でも、、やっぱり倒れちゃったじゃん」
「…………倒れてないし」
「倒れたもん」
「倒れてない!寝ただけだし!」
「あっそうか!」
「納得すんのかよ!」
カラカラと笑う。私もつられて笑った。
「やっぱ笑顔がいいって」
そうやって微笑む彼を見ると、胸が痛くなった。
離れたくない。いつ救助が来るかわからない。でもずっと一緒にいたい。
この気持ちをどう伝えたらいいかわからなくて、黙ってたけど……それでも彼は気づいたように、私の顔を覗き込んだ。

「セッちゃん……?」
「柊二君……」
「なんで、泣いてるの」
「……え、」

ぽろり。零れた一粒の涙が引き金になったようで、次から次へと溢れてくる。
そして、つい。
「離れたく、ない」

私が彼を遭難させたのに。彼を最初から最後まで困らせるの?私は早く彼を帰してあげなきゃいけないのに。だ
けど初めてだったから。こんなに楽しいのも、いたずらして笑いあったのも、初めてだったから……。

「一緒に、いたいの。こんなのダメだってわかってる。
だけど、だけどさ。こんな幸せなの知っちゃったら、もう一人になれない、なりたくないの。ごめんっごめんなさい。わがままだから……っ」
「セッちゃん……」

△▽△▽△▽

  まだたった少ししか一緒にいないけど、俺の中には確かな情が湧いていた。それは、きっと……愛情だと思う。目が覚めた瞬間、そう思った。
周りに誰もいない、いつまで生きていられるかわからない、そんな中で出会った真っ白な髪の妖精。
コロコロ変わる表情は少し幼くて、でも彼女は俺が考えられないくらいの辛い思いをしてて。
ほら、言うじゃないか。つり橋効果とかさ。まぁそれは全然別物だけど、きっとそんな感じで。
彼女のことをもっと知りたいと思って、彼女のそばにいたいと思って。少し一緒にいただけでなんだかもう離れられない気がした。
それは今までの経験からして、きっと……恋だと思う。何もかも俺達は違うのに、たった1日2日で…。
…そう、俺は。────妖精に恋をしたんだ。


    夜。彼女は泣き腫らした目をこすって俺の元に来た。

「星が出てるよ」
「見に、行こっか」
「うん」

無言が続く。何を話したらいいんだろう。何も話すべきじゃないんだろう。ただただ黙って歩く。

───どうして、出会ってしまったんだろう。

   昼間に出ていた雲がもうすっかり晴れて、頭上には綺麗な星空が広がっていた。
空を見上げると、中学の時にクラスの仲間と眺めた春の星が見えた。明るい星が少なくて、かえって大きな星座が目立つ。
「ねぇ、私ね」
不意に。

「おばあちゃんから星のことたくさん聞いてたんだぁ」
黙っていると、セッちゃんは続けた。
「里からは絶対に見えない星をね、おばあちゃんはたくさん教えてくれたの。空中に雪の魔法で空の星を描いて。この山に来たら本物が見えるんだもん。びっくりしちゃって」
「……俺もさ、中学の時星が大好きで」
「うん」
「クラスのやつ誘って丘まで見に言ったんだ。親が望遠鏡持ってたから、親に頼んで貸してもらって」
「望遠鏡?」
「そう、星がすごい綺麗に見えるんだよ」
「へぇ……」
「そしたらみんなが自由に使っちゃって、壊しちゃったんだよ」
「えっ、それでどうしたの?」
「もちろん親はカンカンだよ、すっげぇ怒られた!」
「それは災難だね…」
「だろ?」

なんだかやっぱり変な距離を感じるけど。話が弾む。笑えてる。
離れなきゃいけないなんて考えたくないんだ。俺も、セッちゃんも。
    草が服に付きそうだったけど、気にせず寝転んだ。隣でも同じ雰囲気がして、横を見るとセッちゃんも寝転んでいた。二人で空を仰ぐ。

「あれが春の大三角形だね」
「しし座のデネボラと……なんだっけ?」
「アルクトゥルスとスピカだよ」
「綺麗な名前だよね」
「だな」

また、無言が続く。
だけど今度は、この無言が息苦しくなかった。
星が瞬いている。春は明るい星が少ないと言うけど、さすが山だと思う。綺麗に星が見えた。
頬を撫でる風が気持ちいい。思わず眠ってしまいそうだ。……このまま時が、止まればいいのに。

△▽△▽△▽

    何も、喋らない。やっぱり困らせたのかな。今まで1人だったのに、優しさに触れてしまったから。だから、困らせた。彼は帰ってしまう。私が帰らないでとせがんでも、帰らなくてはいけない。
だめだ、もう考えたら。……頭の中に渦巻く悪い心を抑え込むように首を振った。
目を開いて空を見ると、星が瞬いていた。
頭上に広がる満天の星空は、私の悩みなんてちっぽけに思えてしまうくらいの、それはそれは綺麗なものだった。

「すぅ、すぅ」
隣から聞こえたので、思わず隣を見ると、柊二君は気持ちよさそうに寝ていた。寒くないのだろうか、私は寒さなど感じないからわからないけれど。
周りを見回してみる。私が降らせた雪はもう結構消えていて、そういえば洞窟の周りも、土が見えていた。
だけど彼が帰れないのは道がわからないからで、きっといずれ救助も来る。……そう、明日にでも。

   昔、里で一人の男の子に恋をしたことがある。なんだか知らないうちに目で追ってしまって、寝る時も歩いてる時もずっと彼のことを考えていた。
最初はその気持ちがなんだかわからなくて、戸惑っていたけれど、そんな私におばあちゃんが教えてくれた。

「セツナ、それは恋だよ」

そんな思いは当の本人に気づかれることもなく終わってしまったのだけれど。
その時のおかげで、今私の胸の中にあるこの気持ち、私はすごく良く知ってるんだ。その時のおかげでっていうか、その時よりもすごいかもしれない。

    彼の寝顔を見ながらつぶやく。
「好きよ」
そう、私は。────────人間に恋をしたんだ。

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