妖精の羽

ささみ紗々

セツナの話─後半

   あれから1ヶ月後、母から聞いた突然の知らせに、私は思考が追いつかなかった。

「お母さん、亡くなったって」

───────おばあちゃんが、死んだ?
ぶっきらぼうにそういう母の顔は、悲しそうに歪んでいた。涙が出るのをまるで必死に抑えているみたいに。
母が泣くのを、私は今まで見たことがない。
そうか、本当なんだ…………理解に何分も時間を要した。

いつも明るい里が、なんだか暗い雰囲気だったのはそのせいか。
おばあちゃんは、みんなに愛されていた。自由奔放だが、いつも誰にでも優しかったおばあちゃん。まだまだ元気いっぱいで、まだ死なないって思ってたのに。どうして……!

    気がついたら、おばあちゃんの家の前だった。1ヶ月前、最後にここでおばあちゃんと話した。
あぁ、もっと話しておけばよかった。もっとぎゅうって抱きしめればよかった。おばあちゃんがどこかへ行くのを引き止めていれば、まだ生きていたのかな…考えれば考えるほど後悔と寂しさが襲ってくる。それでも不思議と涙はこぼれなかった。

    家の中に入ると、いつも嗅いでいたおばあちゃんの香りがした。それは旅の香りだった。旅先での、いろんな香り…おばあちゃんはそれらを全部持ち帰って、部屋にばらまいていたのかな。きっと素晴らしい人生だったんだろう。

    ふと、何かを見つけた。
拾い上げてみると、それは手紙だった。封筒には、綺麗な字で『愛しい孫娘、セツナ』と書いてある。セツナは私の名前だ。
ゆっくりと開けてみる。すると……


『セツナ、元気かい?
この手紙はね、ずっと誰にも内緒で書いてきたんだ……セツナだけに。
ねえセツナ、お前さんはいつも私の話を熱心に聞いてくれたね。私がお前さんを元気づけることが出来たなら良かったよ。今までたくさんの場所を旅してきて、セツナみたいな人に出会ったことがあるんだ、羽のない妖精にね。そんな人たちはみんな少しずつ憂いを抱えて、それでも笑顔で頑張っていたよ。
セツナ、この世界は、まだまだお前さんの知らないもので溢れてるんだ。そんなに悪いものじゃない。もしこの里のことがどうしても好きになれないなら、セツナ……どうかお前さんはお前さんの好きなように生きてほしい。
大丈夫。お前さんなら、セツナならきっとなんだってできる。好きなように生きなさい。』


という内容の手紙と、地図が入っていた。
地図はここから近い場所を表しており、山のように見えた。おばあちゃんが最後に残してくれた、私へのプレゼント。

ふと空を見上げる。木のてっぺん、うっすらと入ってくる光が、今は私1人だけに降り注ぐ。
ポロッ……涙が1粒こぼれ落ちた。それを合図にしたように、次から次へ溢れ出てくる。
「うっ……うぅ、」
声を押し殺して、誰にも見つからないように。私は、泣いた。


    その日の夜、里のみんなが寝静まった頃に私は家を出た。地図にあった山へ向かうために。
羽のない私は、歩くことしか出来ない。それは非常に困難だった。しかし、一切の疲れも感じずに歩くことが出来た。おばあちゃんが背中を押してくれている……そんな気がした。


「ここかな…」
夜も明けてきた頃、私がやっとたどり着いた場所は、洞窟のようなところだった。空が明るくなってきているため、視界が広がる。
改めて立ち止まり、周りを見回すと、見える景色は里とは全然違った。里の空とは違う綺麗な青空で、太陽が今まで見たこともないくらい大きく輝いている。
足下を見れば動物の足跡とか、見たことのない植物の葉だったりが落ちていて、私にとってそれらは新鮮でしかなかった。

   ここになにか、あるのかもしれない。そう思い中に入ってみると、ほんのり外から入ってくる光のおかげで、やっと見回せるくらいだった。
何か白いものが落ちている。近づいて手に取って見てみると、それはまたもおばあちゃんからの手紙だった。
カサッ…狭い洞窟に、封筒を開ける音だけが響く。


『セツナ、見つけられたかい??私は面白いものが好きだからね、こうやってお前さんを遊んでみたよ!
ここは……この山は、私の思い出の場所さ。あなたのおじいちゃんにあたる人、私の夫と、初めて出会った場所なんだ。おじいちゃんは早くに死んでしまったからお前さんはおじいちゃんのことを覚えていないだろうけどね。いよいよあの人が死ぬってなった時、私はここで最後を看取ったんだよ、たった1人で。だから……私はこの場所に今でもよく来ているんだ。ここへ来るとあの人と会える気がしてね。そしたらとうとう連れてかれちまったよ。笑っておくれ。
私はこれからおじいちゃんと幸せに過ごすからさ、お前さんは好きなようにお生き。お前さんになにか辛いことがあった時、ここへ来るといい。私とおじいちゃんがいつも見守っているよ。じゃあね、元気でおやりよ。
                                                       ロレンダ』


   最後まで綺麗な字でしたためられた手紙は、涙のあとが滲むおばあちゃんの名前で締めくくられた。
私はもう泣かなかった。深い悲しみに襲われた以上に、おばあちゃんに愛してもらった日々が蘇ってきたから。
この思い出は泣くためのものじゃない。私が私らしく生きるための糧になる。だから私は……

「ありがとう、おばあちゃん」
   そう言い残して、洞窟から出た。天を仰ぐと、おばあちゃんと、今はもう思い出せないおじいちゃんが、二人仲良く並んでいるように思えた。そうか、ここがおばあちゃんたちの、思い出の場所……。
   手紙を戻すと、急に疲れが襲ってきた。今日のところはもう寝よう。そう思い、もう一度洞窟へ戻った。そして横になった。


   目が覚めると、もう昼らしかった。一度里へ帰ろう。そう思い、再び歩き出す。
   私がいなくても、きっと誰も心配なんてしていないんだろうなぁ、きっと。
    頭がボーッとする。あぁ、このまま1人であの山にいた方が、楽しいのかもしれない。戻ろうか……いや、でもまだ何も持っていないし。それにおばあちゃんのお葬式もしなくちゃ。
そんなことを考えているうちに、里へついた。まだ重い空気が里を包んでいる。
   家の前には、母が立っていた。

「あぁ……どこへ行っていたの、セツナ」
「え」
「どこでもいいわ、これからおばあちゃんのお葬式するから。あなたも出席しなさいよ」
「あ、うん」

    雪の妖精のお葬式は、自分たちで棺を作り、空へと運ぶ。ある程度空へと飛ぶと、棺が勝手に太陽に向かって飛ぶようになる。すると棺は音も立てずに消えて……地上に妖精の羽が落ちる。その羽でテーブルクロスを作り、皆で晩餐をするのだ。家族や親戚のみの晩餐もあれば、里全部でするような大きな晩餐もある。
おばあちゃんはたくさんの人に慕われていたから、きっと里の多くの人が参加するのだろう。

   里に雪がパラリ、パラリと降り出した。お葬式が始まる合図のようなものだ。1人、2人と空へ飛び立つ。
空へ飛び立った妖精が、氷の魔法で棺を作る。不思議な紋─モノノケから里を守るとされている─を描いて、棺が形作られていく。
中には雪が敷き詰められ、おばあちゃんが好きだったものを入れる。おばあちゃんが長年使っていたペンや、旅先からとって帰ってきた花など、いろんなものが次々と入れられていった。それらを見ていると、「本当にもういないんだ」と思い知らされた。

   棺が完成すると、母と父がおばあちゃんを棺の中へ入れる。安らかに眠るおばあちゃんの顔は、彼女の人生がいかに素晴らしいものだったかを物語っていた。幸せそうに微笑む彼女を見て、私までなんだか幸せな気持ちになった。

   そっ……と、父が棺の蓋を占めた。そして、親戚数人と父が持ち上げ……空へと飛び立った。ゆっくり、ゆっくりと、上昇していく。何人か妖精が後に続く。最後まで見守るために。

私は地上で見ている事しか出来なかった。だんだん、だんだん、棺は小さくなっていった。父たちが手を離すと、棺はひとりでに高く高く上がっていって、最後には……消えてしまった。

   グスングスンと、鼻をすする音が聞こえる。見回すと、誰もが涙を流していた。おばあちゃんは、本当にみんなから愛されていたんだな、そう思った。単純に、ただ羨ましかった。

    はらりはらりと羽が落ちてきた。それは見事な羽だった。この空から落ちてくる羽は、背中に生えていたものとは違う。なんていうか、妖精だった証、のようなものだ。身体が光と羽になって消えていくのだ。
それらを急いで集め、里の女性達はみんなでテーブルクロスを作る。早々に作業が開始された。
私は、少し離れた場所で作業を見ていた。きっと除け者にされるから。なんだか少し心の中がざわざわしていた。なんでだろう。

   晩餐が始まった。できたテーブルクロスはとても美しくて大きくて、そのままおばあちゃんの笑顔のようだった。
食事はとても美味しくて、普段話さない人とおばあちゃんの話をした。なんだかんだ私はおばあちゃんと仲が良かったから。いろんな話を教えて、教えてと聞いてくれた。でもなんだか寂しかった。周りにはたくさん人がいて、いつもの私とは大違いなんだけど、でもなんだか虚しかった。
違う。嬉しいはずなのに、だめだ。
私は1人なんだってことを思い知らされた気がした。だってきっと明日からは、また。


   私は里を出ることに決めた。おばあちゃんのようにいろんな場所へ旅に出たい。なんだかもう他の妖精のそばにいたくなかった。
今は一人になりたかった。一人が嫌だったはずなのに、自分がよくわからなくなった。そして、そんな自分が嫌になった。
あの山へ向かおう。

翌日の朝早くに里を出た。覚えのある道を再び通る。あぁ、私は私の好きなように生きるんだ。私の好きなことも見つけられるかな。見つけられるといいな。あの洞窟にたどり着いた時、もう昼だった。


   それからのこと、私は日にちが経つことも忘れて、いろんなことをした。
見たことのない動物を見つけて追いかけ回したこともあったし、初めて本物の花を見つけて感動したこともあった。おばあちゃんはこんなに楽しい思いを今までたくさんしてきたんだ……里で暮らすのよりも全然いい!毎日が楽しくて、新鮮なことだらけだった。


   そんなある日、山に侵入するものがあった。何だろうと思い、見に行ってみると、それは人間だった。
人間は他の動物よりも意志を持っていて危ないんだって、おばあちゃんが言っていたのを思い出した。

なんだか急に怖くなった私は、思わず雪の魔法を使ってしまった。久しぶりの魔法で加減がおかしくなり、ひどい吹雪になってしまった。大変だ、どうしよう。死んでしまったら私のせいだ。

    心配になり付いて行くと、3人は一緒にいるのだが、1人はいつの間にかいなくなっている。慌てて探すと、あの洞窟の近くにいた。ゆっくりと歩みを進めて洞窟へ向かう。
良かった……。
でも、私はどこに行こう。あの洞窟に住んでいたのに、人間に出会ってしまったら大変だ。何されるかわからない。
とりあえずあの人が眠りにつくまで待っていよう。そう思い、洞窟の外で様子を伺う。
彼はすぐに寝た。相当疲労が溜まっていたのだろう。申し訳なかった。私のせいで……。

私も洞窟に入り、いつもより奥の方へ行き、音を消して横になる。なんだか悪くない人のような雰囲気がする。話しかけて、みようかな……。

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