武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅨ

 夕食を食べ終えた後、シェリルは総一郎を住宅街の方へと連れて行った。
 図書家のあるような一戸建ての並ぶエリアではなく、マンション系の集合住宅が密集している地域だ。建物に入る段階で、総一郎は勘付く。
「……あの、シェリル。悪いけど、ここにはお姉様は居ないと思うよ」
「いいの。だって、私にばっかり付き合ってもらっちゃ、ソウイチに悪いから」
 口を閉ざした。互いに無言で、自ずと知れた場所へ向かう。目的地は、進入禁止を示すテープで封鎖されていた。その向こうには、片付けもされていない部屋が。
「ソウイチの記憶で覚えてるよ。ここ、無口な人が襲撃したんでしょ? ナイがへたりこんでて、珍しくムスッとしてたの」
「そうだね。懐かしいような、まるで映画の内容を思い出すような、妙な感覚だ」
 改めて見ても、この破壊痕は苛烈としか言いようがなかった。ウッドが白羽とウルフマンを拉致していた、昔の拠点だ。ハウンドの襲撃で、引き払わざるを得なくなった場所でもある。
「本当に、妙な感覚だ。何でだろう。それなりの期間ここで過ごしたはずなのに、現実感がない」
「多分、ここにいる間はずっとウッドだったからじゃない?」
「――ああ、そうか。だからここにいると、右手の奥がざわつくんだ」
 修羅は右手から始まった。右手は奥手、刃を秘める手。一方左手は大抵の人にとって利き手ではなく、晒す手であり、そして盾をかざす手だった。
「ソウイチ、何か中二っぽい言い回し」
「シェリル、君もしかして俺の前世まで覗いた?」
 表現が長らく聞いていなかったそれで、一周回って面白く感じてしまう。
「うん。かなり昔の記憶でびっくりしちゃった。でもそんなに変わんないね。亜人が居なくてロボットが少なくなったアーカムって感じ?」
「そうだね。でも昔の日本の記憶は中々興味深かったんじゃない? 文化とかに大きな差があるでしょ」
「うん。一番印象に残ってるのは、花咲か爺さんって絵本。犬は可哀そうだけど、桜が綺麗だったから」
 そういえば、と思い出す。シェリルの共有した記憶でも、彼女は桜を好ましがった。
「桜、好きなの?」
「うん。まだ少し肌寒いけどね。楽しみなんだ」
 えへへ、と笑う。シェリルの笑い方は、特徴的だ。普段は意地悪なのに、笑うときだけははにかむように口端を持ち上げる。
「ちなみにざわつくって、どういう感覚なの? 右手に宿る化け物がッ! くっ、早く離れろ! 暴走を止められない! みたいな?」
「んー、欲求とか勝手に動く感じではないかな。ほら、体のどこかが痒いのに、痒いところがよく分からなくて適当に体を掻くんだけど、そこは別に痒くないからただただもどかしい、みたいなことってない?」
「たまにある」
「アレの強いのが右手に起こってる感じ。掻いても多分痒みおさまんないしいいやとも言い切れないもどかしさ」
「結構庶民的な感覚なんだね」
 単純に不快なだけだ、こんなもの。
「……少し、見て回ってもいいかな。疼きの高まりで右手をどこかに叩きつけない内に」
「中二病でなくそういう挙動してる人って大変そう」
「めっちゃ痒いのに掻けないだけだしねこれ」
 冗談めかして、総一郎は木くずや破片だらけの部屋を歩く。
 さして思い入れ深い場所と言うのではなかった。ウッドは碌にここにいなかったはずだし、居たとしても暇をつぶしていたくらいのものだ。図書の家の方がよっぽど思い出がある。あるのだが。
「何だろうな。まるで、先月に見た映画のスタジオにでも潜り込んだみたいな気分だ」
 右手の疼きが、強くなる場所がある。歩き回って、探り当てた。当時は鍵をかけていた部屋。開けると、ここだけは荒らされていない。家具も何もない、真っ白で殺風景な内装だった。
「ウッドが、絵を描いてた部屋だね」
 いつの間にか背後に立っていたシェリルが、何の気なしに呟いた。総一郎は彼女の頭に手を置いて「そうだね」と頷く。
「絵は、回収しちゃったんだっけ。今の家にあったよね」
「いや、あんなもの誰かに見られると敵わないからね。異次元袋に入れて、常に携帯してあるんだ」
 木刀のように、あるいは、かつての仮面のように。
 袋を置いて抜き出す。写実めいた、我ながらよく出来た絵だと思った。三枚。ウルフマン、ハウンド、ヴァンパイア・シスターズ。
「狼さんは、首切り。無口な人は、頭を白で塗りつぶし。私たちは――」
「……まだ、何も描いてないね」
 何かを描こうとして、判断に困り、結局止めたのを覚えていた。あの時すでにウッドは、シェリルたちが単なる双子ではないことを見抜いていたように思う。だから片方を殺すことは意味がないと見做し、そのようにはしなかった。
 シェリルとシスターの絵に触れる。電脳魔術を頼りに、模写したのだったか。闇に潜み人々を襲う、猟奇的な双子である。今のシェリルの印象とは大きく異なった像だ。
 シェリルが、尋ねて来た。
「これ、どうする?」
「どうするって」
「どうしてもいいよ。これはウッドが描いたものだから、私は何も言わずに見てる」
 シェリルはちょこんと、絵の近くに体育座りだ。それから、呆けているとも、集中しているとも分からない目で、絵に視線を向け続けている。
「……」
 総一郎は袋に手を突っ込み、絵の具がないか探した。いっそのこと無くていい、とさえ思った。しかし見つかった。取り出し、パレットを持つ。
 絵に向かい合って、初めて気づいた。当時は見分けも付かないと思っていた双子の姿が、その絵が、今では一目見ただけで、どちらがどちらか分かってしまう。どちらも悪戯っぽくこちらを見る目は同じだったが、心なしか片方が庇い、片方が隠れていた。
 シェリルは口を閉ざしていたので、総一郎から問いかけた。
「他人を庇えるのは、強い証かな」
「私は、優しい証拠だと思うな。強いだけじゃ、庇ってくれないこともあるから」
 総一郎は、筆に絵の具を混ぜ始めた。直近のナイの言葉を思い出す。
「そうだね。人は孤独で強くなる。他者といると弱くなる」
「それは、そうかもしれない。けど弱いって悪いこと?」
「悪くなんてないよ。弱いから集まる。集まるから笑い合える」
 パレットの上で、基本の色が出来つつあった。黒、赤、肌色、茶色、あとは、必要になったら作ればいい。
「でも、強さって必要だよね。私、強くなりたい。ソウイチみたいに、強く」
「強くなっても、面白いことは何もないよ。俺だって、ここに至るまでどれだけの罪を重ねたか分からない」
「……シルバーバレット社の人が言ってたね。罪の上に強さを重ねる。でも、私分からないよ。自分の命を守るために他人の命を奪うのが罪なの?」
 黒の絵の具で、庇う方の周囲を塗り始めた。強さは罪。強さは孤独。似合うのは黒以外にないだろう。たとえ優しくても、それは変わらない。
「ソウイチは、確かにいろんな人たちの命を奪ってきた。けど、ほとんどが必要に駆られてだったと思う。唯一の例外は『ハッピーニューイヤー』があるけど、あれはウッドがやったことで」
「シェリルは、錯乱状態で言ったことを覚えてない?」
「アレは、ソウイチの意識が混ざりすぎちゃっただけだもん。私の意見じゃない。ソウイチが責任を取っても仕方がないよ」
 食い気味な反論に総一郎は苦笑する。筆は庇う方のシスターズの背後に、肌色で人影を描き始めていた。服装は適当。特徴もなくていい。顔に茶色の仮面を作り、右手に赤の血をたらせば、それで。
「でも、シェリル。逆に聞くけど、シスターが君の代わりに罪を犯したとき、君は知らんぷりできる? アレは私がやったことじゃない、って」
「……出来るわけない。だって、どんな罪だったにしろ、それは私が望んだことだから。私が望んだから、起きたことだから」
「それと同じだよ。『ハッピーニューイヤー』も、よく分からないけど、きっと俺が望んだことだったんだ」
「本当に、望んだの? 私は、ソウイチがそんなことをやったなんて……」
 総一郎は、その呟きを黙殺する。分からないから。だが、きっと望んだから。
 話題を変えると、シェリルはそちらに乗ってきた。
「――そう思うと、力っていうのは余計なことしか起こさないね。単なる精神病患者だったなら、考えても、実行に移す能力はなかったのに」
「……そう、かな。でも、力がなきゃ何もできないよ。私は魔法こそソウイチに近い能力があるけど、戦いがなきゃ役立たずだもん」
「役立たずじゃないよ。君は俺にとって、もう掛け替えのない人の一人だ。年の離れた妹って感じ」
「恋人に立候補したいです」
「あはは、身の程」
「ひどい……」
 次に総一郎は、庇われる方の背後にもう一つ人影を描き始めた。光魔法を付け加えた電脳魔術で、簡単に自撮りをする。その映像データを見ながら、描き進めていく。
「……ソウイチ、描くの早いね。もう完成に近いんじゃない?」
「かなり雑に進めてるからね。あとは、そう。カバラがあるから、意図した風にしやすいんだよ」
「私の背後に、ソウイチ。お姉様の背後に、ウッド。背景は、私たちが白、お姉様たちが闇」
「分かりやすいでしょ」
「……お姉様とウッド、どうするの?」
「そうだね、どうしようか」
 聞きながら、とうに決めていたのかもしれない。キャンバスも仮面も、木で出来ているのだ。
 そして木は、良く燃える。闇の中でこそ、煌々と光を放つ。
「ねぇっ、ソウイチ!」
 総一郎が準備を始めようとしたとき、シェリルは声を上げた。
「何? シェリル」
「……ウッドの事、どう思ってる?」
 言葉を選んで紡いだ質問だった。総一郎は、少し考えて答える。
「許されないことを、俺の代わりにやってくれた。俺とは別の存在として振る舞ってくれた。だからこそ、責任は押し付けられない。彼には――感謝しかないよ」
 魔法で、闇に油をしみこませた。そして、手でなぞるように火魔法で点火する。
 カバラで調節したのもあって、くっきりと火は闇だけを焼いた。炎にまかれて、ウッドもシスターも分からなくなる。残るのは、白の中にいる総一郎とシェリルだけだ。夜の薄暗い部屋を、実物の炎が照らしている。
「温かいね、この火は」
「うん……温かい」
 シェリルは、炎を見ながら一筋涙を流していた。総一郎はそれを見つめ、近寄って拭う。
「ここでは、もうやることはないよ。次に行こう」
「……うん……」
 シェリルの拳が、強く握られた。油の所為か、魔法の特殊な火の所為か、ウッドとシスターの絵は早々に燃え尽き、総一郎とシェリルの部分だけを残して鎮火していた。









 二人が次に向かったのは、案の定というか、シェリルの生家だった。
「あ、来たね。待ってたよ、二人とも」
 玄関扉を開けると、そこには壁に寄りかかってこちらを見るシスターの姿があった。シェリルは肩を跳ねさせ、それからどうしていいか分からないのか、手をもがくように伸ばす。
「……すごいね、ソウイチは。少し預けただけで、シェリルがこんなに成長してる。ちょっと前なら私に抱き着いて、『寂しかったよー!』とか言って泣いてたよ」
「そんなことしないもん!」
 語調を合わせずに会話する二人の姿は新鮮で、しかしあるがままのように見えた。総一郎は家の中に入りながら、「お褒めに与り光栄だね」と肩をすくめる。
「しかし、シスターの逃げ足の速さったらすさまじかったね。お蔭で助かったやら憎らしいやら」
「吸血鬼の魔法なんて、八割は逃げるためにあるんだよ。知らないの?」
「……二人とも、何の話してるの?」
 シェリルが問うてくるから、警察に捕まった件を彼女にだけ話していない、ということに今さらになって気付いた。
「シェリルには、ひ・み・つ♪」
 そしてシスターはそれをネタにシェリルをからかう算段でいるらしい。
「えー! 何々? 教えてよお姉様~!」
「うふふ~、やっばりシェリルは可愛いね~。ギュッ」
「あっ、えへへ……」
 シスターに抱きしめられたら、それだけで目を閉じて、シェリルは何もかも投げ出してしまう。それはある種総一郎とウッドの関係に似ていた。総一郎が限界だった何もかもをウッドが担い、総一郎は奥深くで死んだように眠っていたのだろう。
「じゃあ、姉妹の感動の対面は済んだし、ソウイチと一緒に屋根裏部屋に行こっか。ソウイチも血のワインはいかが?」
「遠慮するよ。毎日のようにシェリルに与えてきたから、血はもう見飽きちゃってね」
「そうなの? 勿体ないね」
 クスクスと笑うシスターに、総一郎は訳知り顔で「その手には食わないよ」と。
「……お姉様。ソウイチと話過ぎ。もっと私と話して」
「「……」」
 総一郎とシスターは、そろってキョトンと目を丸くした。それから顔を見合わせて、声をあげて笑う。
「えっ、何? 何で二人とも笑いだすの!?」
「だって、シェリルがあんまりにも可愛いんだもの! ああ、あなた初恋をしたの? でもダメだよソウイチは。色んな意味でシェリルには釣り合わないから、もっと大人になっていい人を探してね」
「お姉様までそう言うの!? 私ってそんなにダメ!?」
 ちょっと泣きそうな顔で問い詰めるのだから、シスターも「あーもう! シェリル可愛い!」と抱きしめて笑うしかない。総一郎は総一郎で、「逆だって分からない辺りがお子ちゃまなんだよ」とシェリルの幼さが眩しくも恨めしい。
 ぶーたれたシェリルを連れながら、総一郎とシスターは階段を上がり屋根裏部屋を目指した。総一郎はちょっとした疑問をぶつける。
「にしても、本当に姉妹としか思えない関係性だよね。とても同一人物とは思えない」
「シェリルの記憶は、私に伝わる。でも、私の記憶は違う。ウッドほどじゃないけど、シェリルのために何度か死んでるからね」
「大人びるわけだ」
 ウッドとは違い、痛みは感じるだろう。死の苦痛は、総一郎でも味わったことがない。
 屋根裏部屋に着くと小洒落た机が一つ、そして椅子として使うのか棺桶が置かれていた。シスターは総一郎に手本を示すように棺桶に腰掛けて、「どうぞ?」と手で向かいに着席するように促した。
「ごめんなさいね。さっき血のワインって言ったけど、今日は品切れだから今度来てもらえる? 次にはきっと飲ませてあげられるから」
「俺はいいって。どうせ君の首筋を差し出して、さぁ飲めってなるんでしょ? 一般人の俺からすると、それはちょっと倒錯的すぎる」
「ソウイチ……私に毎日飲ませながら、そんな風に思ってたんだ」
「思ってたよ」
「お姉様~!」
 シェリルは総一郎の軽口に、傷ついたふりをしてシスターに抱き着く。だがそれを止め、「今はダーメ」と言われて、シェリルは瞬きを繰り返した。
「え、ダメ……?」
「ひとまず、シェリルはソウイチの隣に座って。シェリルが私と話したいことは、真面目なことなんでしょ?」
 問い返され、小さな吸血鬼は瞠目した。それから静かに、しかし重く首肯する。
 シェリルはシスターの対面に、総一郎の隣に腰掛けて、シスターと向き合った。シスターはにっこりと笑って「良い顔になったね」とほほ笑む。
「……お姉様。単刀直入に、話すね」
「うん、どうぞ」
「お父様とお母様の仇に会ったよ。でもね、その仇は『誠実』とか言って、正直に『私のお父様とお母様を殺したことを、何とも思ってない』って、……そういう風に」
「うん」
 シスターは頷くだけだ。半面、シェリルの語調は急激に苦しさを増していく。
「わた、私、ね、許せ、なかったよ。でもね、それじゃ、だめ、ダメなの。ああいう場所で、我を失っちゃ、ダメ。あいつ! 殺したくせに、死ねって言われると眉をぴくってさせるの。言われて当然のことしたのに! なのに、あいつ、あいつ……!」
「うん」
「あの場で殺してやりたかった。でも、そうしたらきっと殺されるのは私だったし、ソウイチも、ボスも、怪我をすることになった。でも、だけど、あの場で一発でも殴りに行けなかった自分が、悔しいのッ! お父様のために、お母様のために、私は、理性を捨てられなかった! それが、情けなくて、私、私……」
「うん」
「どうしたらいいかなんて、知ってるよ。私が、我慢すればいいだけだよね。そうすればソウイチもあいつも、仲良く手を取っていける。ナイに対しての切り札にもなる。けど、私は、許せないの。ごめんね、ソウイチ。私が、身勝手だったから」
「身勝手なんかじゃない。シェリルが怒るのは、当たり前のことだ」
 シェリルは、机に頭を抱え込んでいる。その隙間から漏れ聞こえるのは、呻きと嗚咽か。ルフィナ――辻への憎しみと、憎しみにまっすぐになれない自分への嫌悪で、身動きを取れなくなっている。
「私は、私が嫌い。私が許せば全部うまくいくのに、それでも許せない私が嫌い。お父様、お母様、何で私一人を置いて行っちゃったの……? 私もいっしょに連れて行ってくれれば、こんなことにならなかったのにぃ……っ」
「シェリル」
「言われなくても分かってる! 今さら私が死んでも仕方ないのは、私が一番、分かってる……ッ!」
 シスターに名を呼ばれ、シェリルは激高した。顔中に涙の軌跡を作った彼女は、顔を上げて歯を食いしばる。
「でも、でもッ! でも私ッ、どうしようもないの! あいつのことは絶対に許せない! けど、許さなくちゃいけなくて、私、ソウイチも、ボスのことも好きで、二人の為ならって思うのに、ダメなのッ……。あいつを許したら、私、お父様にも、お母様にも、顔向けできない……ッ!」
「……うん」
「ずっと自分の殻に閉じこもって生きて来た、罰が当たったんだよ……っ。そうすれば楽だって、憎しみなんてくだらないって、忘れたふりをして、逃げて……」
「うん」
「私もう、どうすればいいのか、分からないよ。許せない相手を、どうやって許すの? 私は、どうすれば」
 相槌を打つばかりの相手に、人間はずっと喋っていられない。抱えていたものを全て吐き出して、その後は黙するばかりだ。そうすることで自分の道に辿り着ける者もいよう。しかしシェリルは、吐き出し切ってなお、葛藤を続けている。
 そういった相手にこそ、助言は与えられるべきだ。
「シェリル、俺の意見、言って良い?」
「え……? うん」
「許さなくて、良いんじゃないかな。許す必要なんかない。気の済むまで、恨み続ければいいと思う」
「……えっ」
 シェリルの唖然とした表情に、総一郎は言葉を重ねる。
「例えば俺だって、カバリストを許しちゃいない。あいつらにはいつか復讐してやるってつもりで、今も生きてる。ARFのみんなだってそうだ。事情を知ればシルバーバレット社を憎むだろうけど、それはそれとして協力はするはず」
「そう、なの……? で、でも、ソウイチって、カバリスト達の船でアメリカに来たんでしょ? それに、ついさっき行ってきた部屋だって、カバリストから」
「貰ったものだからね、有効活用はさせてもらうさ。けど、それで許されたとは思うなよってね」
「え、それ……いいの?」
 総一郎の提案を受けて、聞くばかりだったシスターも口を挟む。
「私は良いと思うよ。勝手に貢いできたんだから、とりあえず受け取っとけば。でもだからって、こっちが許すなんてこっちの気持ち次第だし。何なら一生許さなくたっていい」
 その言葉は、不思議な情感を伴ってシェリルの中で反響したように見えた。シスターが、シスターだけの経験を基にして紡いだ言葉だ。
 小さな吸血鬼は、口元だけで反復する。
「……許さなくて、いい」
「何せ憲法で思想の自由は保障されてるからね」
 総一郎はおどけて口にする。シェリルはそこで、やっと僅かに口端を緩めた。総一郎は涙を拭いてやり、「いいかい?」と指を一つ立てて言い聞かせる。
「シェリルが真似するかどうかは任せるけど、俺はカバリストをいつだって敵視してる。だからあいつらがすり寄ってきたら困るように仕向けるし、それを宥めるようにプレゼントを贈ってきても、とりあえず貰って、態度を変えるかどうかはその場の気分で決める。あいつらが窮地に陥って助けを求めて来たら、チャンスだ。俺は嬉々としてトドメを刺しに行く」
「……流石にひどすぎない?」
「そう? でも、それだけのことはされたつもりだよ。その事を一生忘れないし、根に持つ。本当にそうするかどうかは、その場の気分かな」
「その場の気分って」
 シェリルの呆れた顔を総一郎は両手で挟み、ニッと笑いかけた。
「でもこういう考え方は、とても自然で、心を抑圧しない。だって、被害者の俺たちが気に病むなんておかしいじゃないか。悩むなら加害者の奴らであるべきだ。悪いことをして罪を免れるわけはない。だから俺はウッドの罪を抱えて生きるし、カバリストは許さない」
 ――それでいいんだ。と結んだ。シェリルの目を細められ、涙が滲み始める。
「……それで、いいの? それで、本当にいいの? 私、あいつのこと、恨み続けていいの? 憎いって、殺してやるって、思い続けていいの?」
「いいんだよ。でも、今じゃない。その考え方も大事だ。『今殺したら、罪に問われるのは自分だ。あいつのことも利用しきれてない。そんなのは損だ。だから今は殺さない。けどいつか覚えてろよ』って。俺はカバリストの事をそう思ってる」
「……えへ、へ。ソウイチ、思ったより小さいね。恨み、ねちっこく覚えてるんだ」
「そりゃ、俺も人間だからね。無理に許して心をぐしゃぐしゃにする必要なんかないんだ。あるがまま、自然なまま。感情は拗れない限り、時と共に風化していくものだから」
 シェリルは自分で涙を拭きながら、可笑しそうに笑っていた。シスターに視線を向けると、彼女はすでに立ち上がって、シェリルの横に立っていた。
「あ、お姉様」
 シスターはかつてのように、いつものように、何年も前に“発生した”時のようにシェリルを抱きしめ、シェリルの背中を優しく叩きながら繰り返す。
「大丈夫だよ、シェリル。大丈夫、大丈夫……」
「……うん。ありがとう、お姉様。いつも、ありがとう」
 これはシスターズにとってのルーチンなのだろう。シェリルはシスターに抱きしめられ、「大丈夫」と繰り返されることで冷静さを取り戻す。けれどこれは歪な依存だ。その事に気付いているから、シスターはシェリルの前に姿を現さなくなったし、シェリルはそれを受け入れようとしている。
 シスターの抱擁が終わって、シェリルは総一郎に向きなおった。そこにはもう子供のように泣きじゃくる彼女は居ない。強い瞳でもって、小さな吸血鬼は言う。
「ソウイチ、もう、私決めたよ。あいつにアポ、取ってくれる?」
「分かった。きっとすぐに、また話し合う席を用意してくれるよ」
 総一郎は電脳魔術より連絡先一覧を展開し、あらかじめ作っていた下書きをルフィナに送信する。

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