武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅧ

 待とう。そう決めていた。
 シェリルは商談が終わっての帰宅後、ずっと総一郎の部屋を占拠して眠っていた。総一郎がたまに様子を見に行くと、うなされているようだった。
「お父様……! お母様……!」
 寝ているシェリルの涙を見ると、胸を締め付けられるような思いがした。だが、こういった寝言の類は、精神魔法の影響が抜けて来たことの証左でもある。シェリルが自分自身と向き合ったと分かるから、総一郎は髪を撫でつけ「頑張れ」と密かなエールを送った。
 総一郎はその後もしばらくいつも通りに過ごした。つまり通学したり、グレゴリーから隠れたり、仙文やヴィーと出かけたり、ウルフマンをからかったり、ということだ。その中のいくつかはシェリルが混ざりたがったから、無理のない程度に都合をつけた。
 白羽は総一郎が報告した情報をもとに、アーリと連携を取って調査を進めているようだった。曰く、「マナちゃんの場所ならそろそろ特定できそうかも」とのことだ。
 シェリルが思いつめた顔で総一郎の下に訪れたのは、そんなタイミングだった。
「どうしたの、シェリル」
 総一郎は読み途中の本を置きながら、とうとう来たか、と思っていた。きっとシェリルはシェリルなりに答えの見つけ方を考えて、その手伝いを総一郎にしてもらおうとしてきたのだろう。
 急かしもせず、信じて待つ。思えば、ウッドを通して総一郎の理解者となった白羽たちは、全員がそうだった。そして総一郎が戻って来たとき、全員が笑って受け入れてくれた。ならば、総一郎だって――
「あの、あのね? ソウイチ……、私と、えっちして?」
「ハッ」
「鼻で笑われた!」
 ショックを受けたらしいシェリルの反応だが、残念、それくらいは想定の範囲内である。
「ひっ、ひどい! ソウイチそれはひどいよ! 女の子が勇気だしてえ、えっち、だなんて、それを鼻で笑うとか!」
「いやぁ、シェリルの行動って大半が俺の真似っこなところあるし、ついでに俺と違ってちょっとサドの気があるじゃないか。となればウッドから俺に戻った過程と君の性格を鑑みれば、自然と『色仕掛けでも来るのかな』っていう結論に」
「どの口が『俺と違って』!? 私のサドッ気は十中八九ソウイチ譲りだもん! それにその材料だけでここまで想定しちゃうってどういう事!? あーもう、これだからカバリストは……!」
「でも最近のシェリルは俺の人生で唯一俺の想定内におさまってる存在だから、そういう意味では特別だし可愛いよ」
「えっ、ホント」
 チョッロ、とは流石に言わなかった。
「ま、何はともあれ、その要求には答えられません。俺は白ねぇ一筋だし、白ねぇも焼き餅焼きだし、シェリルはちんちくりんだし」
「年齢はソウイチと同じくらいだもん!」
「多分シェリルの方が上だけど、精神年齢が追い付いてないでしょ。外見年齢はナイ以上だよ、良かったね」
「プライマリスクールと比べられるレベル……」
 余談だがナイは今も九歳くらい、シェリルは十歳から十二歳のどこか、といった印象だ。昔のローレルも小柄ではあったが、ここまでではない。
「……ダメって明言されなかったら押せるだけ押そうと思ってたのに……女性遍歴的に可能性はゼロじゃなかったはず……」
「シェリルはお姉様を見習って魅力的な女性に育ちなさい。そうすればきっと君に似合う誰かが現れるよ」
「これからの人生でソウイチ以上運命的な出会いをするとは思えないもん」
「俺は君以上に運命的な出会いを何度かしてるけど」
「そうなんだよね……、やっぱりソウイチは絶対おかしい。のは置いといて」
 やっと本題に入るらしい。軽いお仕置き用に上げていた腕を下げる。
「お姉様をね、探したいの」
「探したい?」
「うん、会えてないから。絶対にどこかにいる。なのに、見つからないの」
「……ふむ」
 総一郎は顎に手を当てて熟考し、それから尋ねた。
「前に俺が言ったことは覚えてるね? その、厳しく言いすぎたあの時の」
「ソウイチがボスに平手打ちされてた?」
「覚え方に悪意ありすぎだけど、それ」
「――ちゃんと覚えてるよ。ソウイチが何を言いたいのかも、分かる」
「その上で、探しに行きたいって言うんだね?」
「うん、行きたい。多分、こうしてても会えないから」
 答えを見つけつつある。そういう声色だった。ならば総一郎が拒む理由もない。立ち上がり、支度を始める。
「そろそろ日暮れ時だね。シェリル、温かい恰好をして玄関に来るんだよ」
「……えへへ。何だかソウイチ、お父さんみたい」
「それは、俺くらいの年頃にはちょっと刺さる言葉だね」
 胸を押さえてうめき声。冗談めかした総一郎の仕草に、シェリルは可笑しそうに笑う。
 前世を含めれば十分なくらいだが、総一郎の実感はもはや総一郎として生きた記憶の中だけだ。前世は思い出せるが、あやふやだし、やはり他人のような遠さがある。
 支度を終えて総一郎はリビングに居りてくる。白羽や図書はおらず、どちらも仕事らしい、と清とウルフマンから聞き出した。
「そっか、ならどっちかが帰ってきたら、俺とシェリルは夕飯は要らないって伝えてもらえる?」
「了解だ、総一郎」
「何だよ、心配した割に二人とも最近仲いいじゃんかよ。まるで妹だな、イッちゃん」
「残念ながら、シェリルにさっきお父さんって言われたよ」
「ははははは! イッちゃん落ち着いてるもんなぁ!」
 馬鹿笑いするウルフマンにカチンと来て、その辺に落ちていた玩具の覆面を雑に被せる。目や鼻用の穴の位置が微妙のずれていたため、Jは苦し気にモガモガ言い始めた。
「こら! 総一郎、意地悪しちゃダメだろう!」
「清ちゃんの言い方ってパパっぽいよね」
「えっ」
「じゃ、行ってくるよ二人とも」
 思いがけない評価に呆ける清と、モガモガ中のウルフマンを置いて、総一郎は玄関に向かった。すると様子を伺っていたらしいシェリルが、苦笑気味に「ソウイチ、大人げなーい」と言う。
「そりゃ俺はまだ華のティーンエイジャーだからね。お父さんなんて呼ばれるのは的外れって事さ」
「この微妙に小庶民な感じもソウイチらしいっちゃらしいけどね~」
 クスクス笑うシェリルは、いつもに増して気合いの入ったゴシックロリータを身にまとっていた。ルフィナのそれに比べると黒が多く、フリルが派手な印象を受ける。
「シェリルなりの精一杯のオシャレってとこ?」
「意地悪なソウイチには教えませーん」
 舌を出すシェリルが可愛くて、彼女の頭を優しく撫でた。最近、こうすることが多い。にもかかわらずシェリルは慣れないようで、撫でられると頬を赤くして黙り込む。
「シャイだね。恥ずかしがり屋さんだ」
「うるさい。早く行こう?」
 先んじて扉を開けるシェリルについて行く。スタスタと道を歩いていく彼女に並んでから、尋ねた。
「それで、何処に行くの? 何だか目星を付けてそうな歩き方だけど」
「お腹すいたの。ご飯食べたい」
「血、ではなくって感じだね。じゃあメインストリート行こうか」
「ソウイチの羽振りのいいとこ、私好きだよ」
「何だかカモにされてるみたいで、その『好き』には応えたくないなぁ」
「えへへ、ホントだ。ソウイチ、甘えてくる相手には優しいね」
 いったいいつの話をしているのか。撫でながら、「シェリルも人の扱い方が分かってきたみたいだね」と皮肉を返してやる。
 メインストリートに行くと、以前に比べて売人めいた怪しげな影は減っているように見えた。何故だろう、と思って見回すと、どこの店も割引などして活発に宣伝を行っている。よく見れば、JVAもそこかしこに歩いていた。総一郎は納得する。
「こうやって復興していくんだね、人間ってのは」
「ソウイチも人間の癖に、妙なこと言うね」
「ちょっと思うことがあってね。そういえば、三百年前から日本っていうのは復興が得意なお国柄だったっけ」
 テレビの向こうの縁遠い話だったが、総一郎とて多少の身銭を切って支援した覚えがあった。今も、アーカムの店のほとんどはアメリカ人が運営しているものだったが、そんな事は日本人には関係ないのだろう。
「さて、にんにく料理を出してるところは……」
「ソウイチはホントドS」
「あはは、冗談だよ。あの辛さは身をもって知ってるからね。まかり間違ってもそれだけは避けるさ」
「そこまで必死になられるとそれはそれでちょっと戸惑っちゃうけど……えへ、嬉しいかも」
 嫌そうな顔をしたり、頬を緩ませたり、シェリルも当初のイメージよりずっと表情豊かに総一郎の横を歩く。年長者の責務として「何が食べたい?」と聞くと「デートなんだからソウイチが決めて!」などと小生意気な返しをされる。
「吸血鬼の好きな料理って何だろう。フレンチとか?」
「えっ、い、いいの?」
「俺もそんなに食べたことないしね。お金の心配はしなくていいよ」
「ソウイチ格好いい……!」
「その反応はこっちが不憫になってくるから止めなさい」
 とはいえ、総一郎はドレスコードに似合った服装ではないし、シェリルも華美すぎるため高級店には入れない。白羽が経営しているとかいうビルに飲食店が多かったのでそこに向かうと、いくつかビストロを見つけたので入店した。
 店員に案内されて席に着くと、メニューを渡される。店員に「この子ニンニクがダメなんですが」と説明すると、いくつか示されたのでその中から一番面白いのを選んだ。
「……ソウイチが意地悪な顔してる」
「してないよ」
 店員が去っていく。それを待っていたかのように、シェリルは口を開いた。
「それにしても、さっきの店員さん、ソウイチのこと変な目で見てたね。ロリコンと思ってるのかも」
「そうかもね。まったく不名誉な話だよ。俺たちは二人ともティーンエイジャーだっていうのに、シェリルを小さなお子様扱いするんだから」
「冷静に考えてみればソウイチに皮肉で勝てるわけなかった」
「分かればよろしい」
 シェリルは自分にだけ付いてきた水の中のストローを咥え、ぶくぶくと泡を立てる。
「下品だから止めなよ。それとも、シェリルはやっぱりお子様かな?」
「素直にやめるからイジメないで~……はぁ。何だか今になって落ち込んで来た」
「何かあったの?」
「ソウイチに振られた」
「当然」
「ひどい」
 シェリルは机に突っ伏して、また深いため息を吐いた。総一郎は気まずさに唇を歪め、頬杖を突く。
「え、アレ本気だったの?」
「……悪い? これでも私の初恋だよ」
「うっわー、男見る目ないねシェリル」
「それ自分で言う!?」
「ローレルには言ったかな。いや、言われたのかも」
「あー……。そういえば」
 思い出す素振りをするシェリルを見ると、今さらながらに不思議な感覚だった。そのとき総一郎とシェリルは知り合ってもいなかったのに、思い出だけは共有しているのだ。
「けっこう本気だったのに……。何ならあの場で散らしちゃう覚悟だって決めて、ボスの居ないタイミングを狙ったのに……」
「思った以上に計画的な犯行で引く」
「成功するとは思ってなかったよ、もちろん。でも……あ~」
「はいはい、ほら、美味しい料理がそろそろ来るから、早いところ機嫌直して」
「キスの一つでもして欲しい」
「十年早いよ。ほら、来た」
 運ばれてきたのは、ゼリーに似たフランス料理だ。透明なゼリーの中に、サイコロ状にカットされた野菜や魚の切り身が透けて見える。それは時が止まったかのような不思議な料理だった。
「ズッキーニとカニのテリーヌ仕立てです」
「おぉ、美味しそうだ」
「え、カワイイ」
 目をキラキラさせて、シェリルは料理を見つめた。食べるのも勿体ないという手つきで、フォークの先で軽くつついている。
「やっぱり子供だよ、シェリルは。恋なんて早い」
「初恋くらいいいでしょ」
「そうだね、初恋は実らないものだっていうし」
「……ごめん」
「謝ることじゃない。それに、実りはしたんだ」
 ただし、成就したとは言い難かった。ローレルとの仲は修羅とカバリストの間で弱り細くなって、首の皮一枚のところで総一郎自身が断ち切った。
「それで、シスターの居場所。見当はついてるの?」
「シスター? お姉様の場所は……どうだろ。でも、ソウイチと一緒にいれば、多分出てくる気がする」
「ならいいけど」
「それにね、行くところは決めてるの。まずはご飯だけど、その後行くところ、二つあるから」
「二つ」
「うん、二つ」
 シェリルはゼリーを崩しては口に運び、美味しそうに目を細める。総一郎も爽やかな味に舌鼓を打っていると、二品目が来た。
「あれ、いっぱい来るね」
「それだけじゃお腹いっぱいにならないからね。二品目はちょっと面白いよ」
「ふーん?」
 店員がテーブルに置いたのは、小動物の肉料理だ。シェリルは首を傾げ、総一郎は店員さんに料理名を言わなくていいと告げて、厨房に引っ込ませる。
「……毒じゃないよね」
「俺のことどう思ってるのさ。噂に聞いたけど、美味しいらしいよ」
 総一郎は手本を見せるように、自分の小皿に一塊うつし、ナイフとフォークで切り分けて食べる。シェリルは疑わしげだったが、総一郎を見習って同じように食べた。
「あっ、おいしーい! トリっぽい味」
「でしょ? 昔っから興味あったんだよ、蛙の肉」
「もうソウイチのこと信じないから」
 フォークを机に投げつけてすごい目で見てくるシェリルを宥めすかして完食させるのは、総一郎にとってさして難しいことではなかった。

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