武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅦ

 商談における誠実性とは、何だろうと思う。
「私にとってそれは、嘘を吐かないこと、隠し事をしないことだ」
 ルフィナは語る。そうすることこそが最も重要視する相手への態度であると。
「元々我々にとって、君たちは被害者的立場にあり、恩があり、侮りがたい敵対組織でもある。そんな私に、ブシガイト君は誠実に接し、かつ“ナイ”という共通の敵を示してくれた。もはや我々に取れるのは、君たちに譲歩するか、無理難題を吹っ掛けられ逆切れをするくらいのものだろう。もっとも、後者は君たちがそうしない限りは実現しないがね」
 総一郎たちは、彼女の口ぶりに逆に飲まれかけていた。白羽でさえどこか考え込む素振りがある。シェリルなど眼中にもない。令嬢が見ているのは、どこまでも総一郎だった。
「……俺は、虎の尾を踏んでしまったのかな」
「いいや、虎児を得る為に虎穴に入ったというのが正しい。それも、腹を見せて寝転ぶ虎だ。君たちはいくらでも虎児を得ることが出来る。ただし、寝転んでいる虎とて殺されて皮を剥がれようとしたら抵抗せざるを得ないだろう」
 致命的な要求以外は飲む。そういう宣言だった。しかし要求が致命的だった場合にのみ、交渉は決裂するとも言っている。
 総一郎は、強張った笑みを浮かべた。
「これが、ルフィナの誠実性か」
「そうだ。普段なら柔和な態度でボーダーラインをぼかし、少しでも相手が日和るのを期待する。今回もそのつもりだったが、止めた。ナイを相手取る仲間との同盟は、我が社の命運を左右しないなら絶対に逃せないものだ」
 ――君にもそう思ってもらう必要がある。だから、裏をかくような真似は決してしない。
 ルフィナは前のめりになって、向かい合うソファの間にあるテーブルに手を突いた。気持ちは分かるが、素直にそうされては圧倒されてしまう。
「ひ、ひとまず、冷静になろう。この二人も、事情がよく分かってないみたいだし……シェリルなんか、怯えてしまっている」
「そうだね。威圧するつもりはなかった。謝罪させてもらおうか。確かに今、私は冷静さに欠いている」
「というか、すごい喋り方だね。まるで男性みたいだ」
「前世は五十前の中年男だったものでね。異性の体に生まれるというのは違和感に戸惑うものだ。その点で言えば、ブシガイト君は同性の体に生まれ付いたと見える。羨ましい限りだな」
 総一郎は言葉に詰まる。いかにもなお嬢様といったこの美貌この服装で、前世が中年男とは恐れ入る。いや、逆に、だからこそこの外見なのか、と訝っていると、白羽がぺちぺち叩いてきた。
「総ちゃん、説明プリーズ」
「詳しいことは今度話すよ。とりあえずは、ルフィナの中身はいい年したおっさんで、ナイと敵対関係にあるってことだけ押さえてくれれば」
「……私しばらく黙ってるね。頭がついてこないから」
「無理もないよ。俺だって勘が外れて誤魔化すことばっかり考えてたんだ」
 シェリルを見る。彼女も事情がよく分からないようで、スカートを握りしめながら、じっとルフィナを睨んでいた。
「話を続けてもよろしいかね?」
「ああ、うん。どうぞ」
「いやなに、前世の話など信じて貰えるわけもないから普通黙っているのだがね、こうして話すと中々爽快だ。君もそうしてみ給えよ。相互理解にも役立つはずだ」
「ああ、はい。と言っても、大した話はないんだけどね。小さな研究所の研究員を務めていたよ。その癖読書が好きで、我ながら平凡な人間だった」
「研究所、というだけで私としては縁遠く興味深いのだがね。今はどうだい? その若年で私とこうして話しているんだ。波乱万丈の人生を送ってきたと思っているが」
「……ええ。送ってきましたよ。人と争ってばかりの半生でした。戦うべき敵が、多すぎた」
「差別かね」
「大半の敵は、そうです。ですが、それだけじゃなかった。今は、あなたがその中に含まれるのか否かを見極めようとして来ています」
「恐ろしいものだな。下手をすると、ナイを敵に回すよりも厄介そうだ。あるいは、ナイが我々を敵対させるべく動いたのかな」
「いえ、それはないと思います。むしろ、接触させないように立ち回ってきたんじゃないかなって。だから、俺もここであなたと手を組むことが、ナイに対する痛恨の一撃になるんじゃないですか」
「そうありたいものだ。では互いの事も多少分かってきたところだし、君たちが何を求めているのか、結論的な観点から述べて欲しい。そこから補填の方法を探っていこうじゃないか」
 ルフィナの言葉に、総一郎はシェリルの背中を押した。
「俺が望むのは、この子……シェリルのことです。先ほど言った意味は、今なら分かりますか?」
「覚えているよ。アルノが銀剣で貫いた多くの亜人の一人だ。今の私と普段のルフィナは、事情があって記憶を部分的に齟齬させている。彼女の言った通り、彼女に悪意があって忘れていたのではないと思って欲しい」
「そうですか」
「だが、不思議だ。我々はこうやって後々に禍根を残さないためにも、利用した亜人は一族郎党根絶やしにしてきたつもりだった。だから吸血鬼根絶キャンペーンなどと謳って積極的にバウンティーも行ってきたのだ。君、どうしてアルノに貫かれて尚生きている?」
「ッ」
 シェリルの肩が怯えに跳ねた。総一郎も、非道の二文字をルフィナに当てはめたくなる。けれど、復讐の芽を摘むのには最適だ。民族浄化も、完璧に為せば誰も怒らない。
「シェリルは、分身して殺されたふりをしたんです。だから生き延びた。つまり、シェリルにとってあなたは両親や一族の仇となる」
「そうだね。では君、君は私に何を望む?」
 加害者とは思えない、堂々たる問いかけだ。悪びれる様子など一切ない。シェリルは震える声で、俯きながら、絞り出すように言う。
「……あや、謝って、ほしい。お父様と、お母様を、殺したこと」
「そうかね」
 ルフィナはそう告げて、しばらく上を向いた。ついで目をつむり、開いて、やはり率直に告げる。
「誠に申し訳ない話だが、それは出来ない」
 殴打音が部屋に響いた。白羽がテーブルを叩いたのだと気付いた時には、彼女は机に片足を乗り上げて、ルフィナに詰め寄るようにしていた。
「ねぇ、さっきから聞いてて思ったけど、何? ふざけてるの?」
 総一郎は一瞬止めようかと思って、結局止めた。腹に据えかねているのは総一郎とて同じだ。
「ルフィナ・セレブリャコフ。あなたの姿勢は正直に言って、私たちを見下してるとしか思えない。さっき言ってた誠実の正体がこれだって言うんなら、私たちは正式にあなたを敵対する。商売も潰して路頭に迷わせるだけじゃ済まさない。こっちは亜人の中じゃ一番に名の通った反社会組織だ。舐められてるんなら、命を取りに行くよ」
「それは最も避けるべきことだ。だがね、君一人が凄んでも怖くはないのだよ。私が本当に恐れているのは、『無貌の神』とブシガイト君を始めとする転生者の関連の人間のみでね」
「なるほど?」
 総一郎が驚くほど瞬時に怒りを引っ込めた白羽は、すぐにソファに座り直した。それから営業スマイルさえ浮かべて、「じゃあ、謝ることすらできないのはどういう事?」と尋ねた。
「先ほども言った通り、今回私は何よりも誠実性を重んじてこの場に臨んでいる。そして、謝罪とは誠実性を示す最も普及した試金石だ。だがブシガイト君、そしてその姉である君も、恐らく他人の嘘を看破する能力を有している」
「俺の解釈が間違っていたら言って欲しい。――つまり、心にもないことでは謝れない、って言いたいのかな」
「まさしくその通りだ。私は、何よりも君たちに『虚偽の謝罪を行う輩である』と見做されるリスクを避けるために、謝ることが出来ない」
「……なっ、なら」
 シェリルが、全身を怒りに振るわせながらルフィナを見つめた。目を剥いて、彼女は甲高い声で問い詰める。
「ならッ、あなたは私のお父様、お母様を殺したことを、何とも思ってないのッ? 悪いことをしたって、そんな事、まったく!」
 ルフィナの返答を、総一郎も、きっと白羽も分かっていた。
「その通りだ、君。私が謝れるとしたら、君にまんまと騙され、君を殺せなかったことくらいだろう。私の不手際と言えば、そのくらいだ」
 総一郎は白羽を見たが、彼女は眉を顰めるばかりで何も言わなかった。自分の脅しが効かないと分かっているとき、白羽は怒りを面に出さないのだろう。
「そっ、そんな、そんなッ……」
 シェリルは今にも我を忘れて、ルフィナに掴みかかってしまいそうだ。そうしては交渉が決裂する。すでにアルノもゆっくりと手を下ろし、いつしか剣の鞘を握っていた。
「……シェリル、落ち着いて。ここでルフィナを殴っても、誰も得をしない」
「でも、だって!」
「繰り返すようだが、私はこれ以上にないほどに誠実でいるつもりだ。誠実にする必要がない相手だったなら、平素のルフィナの演技力でもって謝り、騙して追い返していた」
「ッ」
 シェリルは、その一言で黙り込んだ。子供故の涙腺の弱さか、歯を食いしばってボロボロと涙をこぼしている。
「なら、ならお父様とお母様を、返してよぉ……! 謝ることもできないなら、そのくらいしてよぉ……!」
 無理難題だ、と総一郎は思う。それだけに、切なかった。総一郎も親を失った身だ。白羽も、共感せずにいられない。
 だからこそ、ルフィナの次の言葉に、全員が動けなくなった。
「それは出来ない相談だ。技術的には不可能ではないが、そのとき我々は君たち以上に敵に回したくない相手を敵に回すことになる」
「……は?」
 今、彼女は何と言った? 技術的には不可能でない?
「え、その、君たちは、死者を蘇らせることが」
「出来る。そうだね、我々の限界を説明せずして、何が誠実だ。心から謝罪させてもらおう、済まなかった」
 ひとまず聞き給えよ、とルフィナは一つ咳払いをして、語って聞かせた。
「我がシルバーバレット社には、私が想像するあらゆる何もかもを製造する技術とそれを実現させるだけの製造能力がある。前者は『無貌の神』のいう祝福であり、後者はこれまで積み上げてきた資産とコネクションだ」
「祝福、って何ですか。ナイから祝福されし子供たち、って文言は聞いてるんですが」
「推測だが、あの事件の転生者は総じて、『異形の能力』を持つ。それは一点豪華主義的で、しかし限界を有しないがために想像しうる限りの汎用性を有する。ブシガイト君は……どうやら、その能力が何であるのか気付いていないようだね」
「その、何が何だか」
「私の『能力』は『平面の支配』だ。例えば……アルノ」
「はっ」
 アルノはルフィナにメモ帳を手渡した。ルフィナはそれを受け取り、テーブルに一枚だけ千切って載せる。
「見給え。これが異形の能力だ」
 ルフィナは軽くメモ帳に指を触れた。すると罫線が自発的に動き出し、伸び、濃さを変え、最後には総一郎の写真になった。総一郎たちは、呆気にとられるばかりになる。ルフィナは続けて紙に触れ、その度に絵は白羽になったり、シェリルになったりした。
「自分の想像した絵を描く能力……ですか?」
「私も最初はそう思っていた。だがそう表現せずに『平面の支配』と言ったのは、それにとどまらないためだ」
 さらに絵が変わる。今度は写実的なものから、もっと無機質なものへと変わっていくのが分かった。設計図、だろうか。総一郎は息をのむ。
「……自分が想像したあらゆるものを製造する技術って」
「お察しの通りだ。私は、世界でも未発見な技術を内包した製造品の設計図を、能力で写し取ることが出来る。マジックウェポンもその一つだ。死者を蘇らせられると言ったのも、この能力の為だね」
 限界がない、という意味を、総一郎は理解する。平面に限って言うなら、ルフィナは時空さえ支配しているのだ。バカげているが、実際に目の前で示されては仕方がない。
 それに、こういった類の能力を、総一郎は過去二回、目の当たりにしていた。
「ワグナー博士があれだけ言った理由が分かったよ。確かに君には、世界を滅ぼしてもあまりある能力が備わっていそうだ」
「そうだとも。そして、だからこそ理解してほしい。“君もまた、同類なのだよ”ブシガイト君。君は現時点で気付いていないだけで、もしかしたら私よりも即効性のある『能力』を有しているかもしれない。そうすれば私に勝ち目はないだろう。故に私は、下手に出る」
 交渉の決裂が、何よりも恐ろしいのだよ。ルフィナはそう結んだ。
 総一郎は背もたれに寄りかかり、長く息を吐いた。様々なことが一気に結びついて、その事実のそれぞれが総一郎を当惑させている。転生者の事情を深く理解できていない白羽やシェリルなどは、いまだに信じられていないとばかりに呆然としていた。
「そう、だね。この説明で、君が殊勝にならない理由が分かった。そして今回の商談を俺たちが逃せないことも」
「そちらからも重要視してもらえるとは、光栄だな。“ナイ”によって訳の分からない破滅を迎えるのは、御免被る」
「俺もです。けど、その話はまた今度にしましょう。とにもかくにも、俺たちがあなたに求めるのはシェリルの事ですから」
 総一郎はシェリルに目を向けた。彼女は俯きながら必死に考えを巡らせ、声を絞り出すように尋ねた。
「……何で? ねぇ、何でなの? よく分かんないけど、すごい力があって、お父様とお母様を蘇らせられるのは分かった。なのに、何でそうしないって言ったの? 二人を殺して、それでも私に意地悪するの?」
 シェリルは涙をぬぐいながら、ルフィナを直視する。令嬢の皮を被った老獪な経営者は、小さな吸血鬼に目を合わせる。
「意地悪などではないよ、君。損得の問題だ。生き返らせてブシガイト君との同盟関係が得られても、『彼女』に目を付けられては敵わない」
「……彼女?」
「ブシガイト君よりもずっと恐ろしい相手が、この街にはいる。『彼女』は私が知る中で、唯一敵対したとき無条件で降伏すべき相手だ。ブシガイト君たちならば、まだ戦える余地がある。ブシガイト君自体が『能力』を把握していないのも大きいが――『彼女』が本気で私をどうにかしようとしたとき、私は一秒とて抵抗できまい」
 何故か、いくつかよぎる記憶があった。ウッドが相手にもならなかったたった一人の敵。グレゴリーの拳が、脳裏に迫る。
「誰ですか。それは」
 総一郎の問いに、ルフィナは自嘲するように吐息した。
「君も知っている人だ。アーカムで彼女を知らない者は少ない。飲み屋を経営する彼女の周りはいつも笑顔と活気にあふれている。だが彼女について深く知る人もまたいない。幼い少女の姿でありながら、何年生きているかも分からない」
「……ミヤ、さん」
「――当りだ」
 総一郎は、あの小柄な女主人の温かな笑顔を思い出す。彼女の、飄々としながらも様々な人たちを気遣った様子も。だが同時に、彼女はグレゴリーの親だった。グレゴリーも頭が上がらないのは、見ていてわかった。
「彼女曰く、直接的に私たちのような『祝福されし子供たち』が『能力』で他人の生死に関わることは許されないとのことだった。私も、明らかに過剰な武力としての製品を作った場合は、彼女が介入すると脅されたものだ。マジックウェポンに関しては、ギリギリ許してもらったが、ね」
 グレゴリーに実際に襲われた総一郎には、両親の復活の要請が無理であるとすぐに分かった。だが、それは理屈の上での話だ。総一郎はあえて何も言わず、シェリルの背中を叩いた。
「……なら死んじゃえばいいんだ……!」
 絞り出すような声だった。一番言葉に口にできないながら、彼女はこの場で一番に消耗していた。盗人猛々しいにもほどがある。それは、総一郎たち全員の気持ちだ。
「何で……!? お父様もお母様も、どっちも殺しておいて死ねないなんてッ……。そんな、そんな勝手な話ないよ……ッ。死んじゃえばいいんだ。お前なんか、お父様とお母様を生き返らせて、そのミヤとかいう人に殺されちゃえばいいんだ!」
 ルフィナはシェリルに迷惑そうな目を向け、それから総一郎たちにもの言いたげな視線をよこした。総一郎は口を閉ざしたまま、顎で『聞け』と示す。
「ねぇ、死んでよ! 生き返らせられるんでしょ!? 生き返らせて、その人に殺されてよ! あなたの為に何人死んだの!? このソファも! この絨毯も! 全部あなたに殺された亜人の血で出来てる!」
「……ふむ。ブシガイト君は黙っているようだし、ならば私の考えを述べさせてもらおうか」
「人殺しが何を言っても」
 無駄、と続けたかっただろうシェリルの言葉は、しかしルフィナの台詞によって封殺された。
「確かに、このソファもこの絨毯も、この家のあるゆる調度品は亜人の血で出来ている。だがね、私が居なかった場合、代わりに人間の血で賄った別の調度品が、亜人のギャング連中の家に並んだだろう。もしかしたら、君の生家にもそういったものがあったかもしれない」
「……え?」
「それでいえば、ARF。君たちの組織には、どれだけの富がある? 我が社とそれほど変わらないはずだ。ここで聞かせて貰うが、その富はどうやって得たものだね? 普通に稼いだだけじゃないだろう」
「え、そ、そんなことない! ARFのみんなは、一生懸命働いて――!」
「痛いところを突いてくるね。うん、そうだよ。ARFの財産は、大半は健全だけど、元手は差別主義者から奪ったものだからね」
「……ぇ」
 白羽はルフィナのように、堂々たる口調で明言した。シルバーバレット社のトップは、ARFのトップをして「取引相手が誠実であるというのは、大変喜ばしいことだな」と言う。
「君、まだ幼い吸血鬼の君。君は少々、この場に来るには幼すぎた。世の中には、後ろ暗いことばかりだ。罪なき者は概して弱い。強いものはその背後で他者を出し抜き、罪の上に力を重ねている。清廉潔白な正義など、私は前世でも今の世でも、見たことはなかったよ。――ブシガイト君、今日はここで切り上げよう。君が重要視する彼女がこれでは、商談が纏まるとは思えない」
「そうしましょうか。白ねぇ、それでいい?」
「仕方ないね。でも、今回の話し合いが無駄になったとは思わないよ、ルフィナさん? こっちの姿勢は示した。一応シェリルちゃんは宥めておくけど、あなたにも相応の苦労はしてもらう」
「恐ろしいものだな。もしや君も転生者か? その若さでこれだけの交渉が出来るとは、とても思えない」
「私はこれでも堕天使だからね。神に反逆するものが、人間如きとの話し合いで怯んでられないよ」
「それはそれは。シラハ君、といったかな。覚えておこう」
「それはどーも」
 総一郎、白羽、ルフィナの間で話がまとまっていくのに、シェリルはついて来られない。首を振って、総一郎の手を引き、泣き出しそうな顔で問う。
「え、ヤダ。何で? 何で帰っちゃうの? こいつ、私のお父様も、お母様も、殺したんだよ? ソウイチは知ってるでしょ!? ねぇ、ソウイチぃ……!」
 いつからだろう、と考えた。こんなにまっすぐ、自分の心を表現できなくなったのは。シェリルは総一郎が失ったものをたくさん持っている。総一郎が、彼女の経験できなかったことを経て来たように。
 シェリルの頭に、手を置いた。彼女の頭を優しく撫でつけ、そっと褒めた。
「よくやったね。シェリルの言いたいことを、ちゃんと言えた。怖がってただけの数日前から、大きな進歩だ」
 小さな吸血鬼はくしゃりと顔を歪ませ、総一郎に抱き着いてきた。高らかに泣き声を上げる彼女を抱き上げ、「これで失礼するよ。次は、きっと君を困らせに来る」とルフィナに告げた。
「そうかね。まったく、厄介な相手に恩を作ってしまったものだ。これだから転生者というものは」
「こちらの台詞だよ。近い内にまた商談を行うから、そのつもりでね」
「分かっている。――アルノ、解くぞ。流石にもうキツイ」
「了解いたしました、お嬢様」
 また主従は額を合わせ、精神魔法の音を爆ぜさせる。するといつものお嬢様然としたルフィナが「あれっ? ……あの、わたくし、どうしたのかしら」と目をパチクリさせた。
「お嬢様。お客様が御帰りです。私が送迎いたしますので、どうかソファに座ってごゆるりと」
「えぇっ、そんな、いけませんわ。大切なお客様ですもの。ちゃんとわたくし自身でお出迎えをしませんと」
「いいのです今回はお任せください」
 執事アルノは無理に扉を閉めて、ルフィナをその場から隔離した。そして足早に先導する。
 帰りの車も無言だった。緊張はお互いから抜けていたが、白羽には静かな覚悟が決まっていたように思えたし、シェリルもすすり泣きながら悔しさを総一郎に掴まる手に込めていた。
 図書家の家の前で降ろされ、めいめいに家の中に入っていく。その中で総一郎だけが運転席横の窓の前に行き、軽く叩いた。
 窓が開く。不愛想に、アルノが「何だ」と言った。
「結局さ、君の事は何て呼べばいいのかな。ルフィナ? それともアルノ?」
 執事は口を閉ざした。それから、老獪なサラリーマンの表情で言う。
「私はアルノだ。だがルフィナに戻ったときは、辻、とでも呼んでくれ給えよ、ブシガイト君」
「分かったよ、アルノ。辻さん、だね」
「そういえば、聞き損ねていたな。君は――」
「俺は、いいよ。今の人生が色濃すぎて、振り返っていられないから。呼ばれても違和感しかないだろうしね」
「……そうか。では、ブシガイト殿。次回こそは、お嬢様との商談をまとめていただきたいものだ」
「そのつもりで挑むよ。準備出来次第こちらから連絡を入れる」
 別れの挨拶を交わし、総一郎は図書家の玄関をくぐった。それから、長い長い溜息を落とす。

「武士は食わねど高楊枝」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く