武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅣ

 警察署の取調室で、一人ポツンと座らされていた。
「前に来た時と、随分立場の差があるね」
 手錠こそ付けられていなかったが、取調室の出口には警察官が立っていて、総一郎を厳しく見張っている。その癖取り調べ役はまだと見えて、気まずい空気の中放置されていた。
 どうしたものかな、と考える。表立って敵対する訳にも行かなかったから、大人しく捕まって護送されたのだが、思えば敷地がルフィナの物と決まったわけではない。一番可能性が高いというだけで、いざとなれば多少なりとも強引に動く必要があるか。
 考えることは、愛見がなぜあの工場にいたのか。あの死者を操るらしい能力はどのようにして身に着けたか。愛見に敵対するカバラを使う修羅たちは何者か。修羅が群れているという矛盾そのもの。そう言ったことに頭を悩ませていると、リッジウェイ警部が来た。
「若者らしく思い悩んでいるようだな、ソウイチロウ・ブシガイト君? ひとまず身元は確認させてもらったぞ。ミスカトニック付属の生徒のようだな」
「……はい」
 リッジウェイ警部は、総一郎がウッドであると忘れているらしい。入念に警察署を襲撃した甲斐があった、と胸を撫で下ろす思いをする。
「本当に落ち着いているな。こうして本名を突きつけられると、中年でさえ少しは動揺するものだが。それとも、この名前は偽名かな?」
「いえ、本名です。総一郎・武士垣外は俺です」
「ひっひっひ。疑っていないよ。らしい、と思っただけだ」
 引き笑いと共に、警部は総一郎の目の前に椅子に座った。らしい? と総一郎は首を傾げる。
「さて、では一通り面倒な取り調べを済ませてすまおうか。まず……何のためにあの工場に忍び込んだ?」
「依頼がありまして。多忙な友人が、困ることがあって会おうにも会う時間を捻出できない、と言う話を持ち掛けて来たので、その手伝いをしました」
「その友人の名は?」
「ルフィナ・セレブリャコフです。シルバーバレット社の御令嬢らしく、あの工場も彼女の両親の敷地だと認識して侵入しました」
 ほぼ、嘘ではない。少なくとも、執事アルノが総一郎をスケープゴートにするような真似はしないだろう、という判断はあった。
 リッジウェイ警部は小さく引き笑いをして、指を一つ立てた。
「一つ、間違っている。何だと思うね。君ならばわかるだろう?」
「……」
 答えに窮する。どこまで話していいものか。判断材料として警部の顔を伺い、なんだ、と一息つく。
「両親、のくだりですかね? となると、あの工場はルフィナ本人の物?」
「当たりだ。ひっひっひ、予想通りカバラを習得していたか。流石はユウ・ブシガイトの息子と言わざるを得ないな。親元を離れてなお、優秀に育っている」
「父を、知っているんですか?」
「ああ、昔の同僚だった。私のカバラも彼譲りでね」
 言いながら、警部は調書を取り始めた。「あの」と声を掛けると、口端を緩めながら気さくに手を振ってくる。
「もう取り調べ自体はおしまいだ。あの女狐にも裏を取った。むしろ伝言を頼まれたよ。『近日中に場所と日時を指定します』だと。まったく、警察を何だと思っているのか」
 総一郎は、呆然としてしまう。今まで抱いていたリッジウェイ警部の印象と、まったく違っていた。彼はもっと融通の利かない差別主義者で、何処か狂人めいた人物だと認識していたのに。
「これを書いたら、もう帰っても構わない。が、私としては思い出話に花を咲かせたいものだね。旧友の息子と会話できる機会など、そうはない貴重なものだ」
「旧友、ですか」
「ああ、そうとも。あまり喋らないユウに、この通り多弁症の気のある私は、それなりに仲良くやっていたつもりだ。奴はジャパンで言う職人気質、というのかな。黙って何でもテキパキとやってしまうタイプだった」
「……おぉ」
 話を聞いていて、総一郎は在りし日の父をありありと思い浮かべることが出来た。事実として以上に、実感として警部は父を知っている。
「とはいっても、ユウが日本に帰ってしまってからは、一か月に一度手紙でやり取りする程度の関係だったのだがな。それも日本のあの騒動で終わってしまった」
「じゃあ、俺が小学生くらいまでは関係が続いていたって事ですか?」
「そうなるな。奴は筆不精だったが、毎回読むのが大変なくらいの枚数を送ってきた。しかしユウは子煩悩だったな。あの冷徹な仕事ぶりからは考えられないほどに、手紙には息子娘に対する愛情がつづられていたよ」
 懐かしい話だ、という。総一郎は、気づけば前のめりになって聞いていた。
「なんて書いてあったんですか? 父はあまり俺の事を褒めてくれたことがなくて。愛情をもって育てられた自覚はあるんですが」
「あまり褒めてくれなかった? あのユウが!? 冗談はよしてくれ。手紙では息子の君を天才だ天稟だと持て囃していたんだぞ? そんな訳がない」
「……マジですか」
 何だか嬉しいやら気恥ずかしいやらで、総一郎は落ち着かない気分だ。そうか。父は言葉にしないだけで、そう思ってくれていたのか。
「そうか……。とすると、無口なのは息子に対してもそうだったらしいな。しかしカバラや剣術は教えてくれたんだろう?」
「剣術は、教えてもらいました。けど、カバラは違います。父の隠し書斎にあった、カモフラージュされた本をきっかけに、とあるツテで習得しました」
「それはまた、どこぞの子犬のようだな」
「子犬?」
「ハウンドの事だ。少し前はウッド相手に暴れていたが、最近は大人しいな」
 甥っ子の事を思い出すような素振りに、総一郎は口端を引きつらせる。当然の事だが、カバリストとしての年季はハウンドや総一郎よりも上か。舐めた口ぶりである。
「大人しいといえば、ARFも今は何をやっているのかね。最近活発なのはJVAくらいのものだ。中立を謳っていたが、とうとう眠れる獅子が起き出してきた、と戦々恐々としているよ。そうだろう? ジャパニーズのソウイチロウ君」
 悪戯っぽい目で見られて、両手を上げて降参のポーズをする総一郎だ。警部が思った以上に茶目っ気の多いオッサンで、対応に困っている。
「まったく、時代というものはめまぐるしく変わるものだな。亜人を用心棒に付けたギャングどもが幅を利かせて、碌でもない時代が来たと思ったものだ。ユウが渡米したのはあの頃だったな。凄まじい仕事ぶりだった」
「父は容赦がなかったでしょう。剣術を教えてもらった時もそうだったんです」
「やはりか! いやぁ、今でも思い出せるぞ。強力な魔法を使う吸血鬼を、有無を言わせず完封したのは圧巻だった! 魔法をな、こう、ただの木刀で切り裂いてしまうんだ。マジックウェポンですらないんだぞ!」
「桃の木で作った木刀ですね。退魔の力が込められているんですよ、それ。俺も作ってもらいました。今でも愛用しています」
「愛用?」
「あっ、いや、毎朝素振りをするんですよ! 鍛錬の為に」
「なるほど。いや、妙な勘繰りをして悪かったな。ユウの息子が非行に走っているなど、考えたくもない」
「あはは……」
 総一郎は笑って誤魔化す作戦に打って出た。カバリスト相手だと、嘘でない形で言い逃れをするしかないから難しい。実際木刀はほぼ鍛錬用で、悪さに使ったことはないのは運がよかった。
 それにしても、と総一郎は気になって尋ねてしまう。
「父は、日本人ですよね? 何でアーカムで働いていたんでしょうか」
「ああ、私もそれを気になってな。本人に聞いたところによると、ユウは不治の病に侵されていたそうなんだ」
「……不治の病?」
「ああ。シュラ、という遺伝形質だそうでな。その研究がてら、出張という形でしばらくアーカムの警察署で働いていた。君も奴の息子なら、ある程度は知っているんだろう?」
「知っては、います」
 嘘ではないが、不誠実な答えだった。警部は視線を斜め上に向け、思い出しながら話を進める。
「ずいぶんと思い悩んでいたよ。罪にはならなかったが、父を始めとして多くの人を殺したと語っていた」
「え……」
 初めて聞いた話に、総一郎は絶句する。だが、ありえない話ではなかった。アレだけ躊躇いのない太刀筋で人食い鬼を殺していたのだ。かなりの数、人斬りを重ねなければ、あんな剣は振るえない。
「父はその父を……、俺にとっての祖父を、殺したんですか?」
「そうなるな。ユウの過去は壮絶だった。ジャパンに生まれ、警察官になるまでは普通の若者だったそうだ。しかし事件があって、奴は父を始めとした多くの人間を斬るように求められた。その中には、当時の恋人も含まれていたらしい」
「恋人を」
 総一郎は想像する。真っ先に思い浮かべるのは、白羽の事。斬れる訳がない。ローレルだって別れると決めてなお、彼女を虐げた敵を無残に殺した覚えのある総一郎だ。ナイも、不服だが、純粋な敵としてこの手に掛けることは難しいだろう。
「斬ったんですか、父は」
「斬った、と言っていたよ。泥酔してもなお、苦しそうに語る様子が今でも目に焼き付いている。奴の言い分では、自分は二度と家族なんて持てないだろう、ということだった」
 あの大嘘吐きめ、今度会ったら詐欺罪でしょっ引いてやる、と総一郎を見ながら、リッジウェイ警部は可笑しそうにくつくつ笑った。総一郎も、つられて笑顔になる。
「とても仲が良かったんですね。その、警部と父は」
「仲がいいというか、私が金魚のフンのように付いて回るのを世話してもらっていた、と言うべきだな。恥ずかしい限りだが、当時の私は未熟者でしかなかった。見かねたユウがカバラを教えてくれたが、恐らく実力は今でも追いついてはいまい」
 ARFの目の上のタンコブで有名なリッジウェイ警部にここまで言わせる父は、本当に何者なのだろうか。
「じゃあ、友人と言うよりは、先輩後輩の関係性ですか」
「そうなるな。ユウをリーダーにしたチームがあってな。そこに入った同期は私同様カバラをユウから学んだが、今じゃこんな地方都市からは離れて、ニューヨークで一旗揚げているよ。残ったのは私だけだった」
「確かに、カバラはそうやって使った方が幸せになれますしね」
 言いつつも、総一郎は苦笑気味だ。そういえば辛いことも多い人生だったが、金の心配をした記憶はあまりない。
「アレ、じゃあ何で警部は、いまだに警察を?」
 不意に思い立って、問うていた。深い意図はなかった。久しぶりに、父の話を聞けて高揚していたのだろう。
「……娘をな、殺されたんだ。亜人に、あの、ARFの稼ぎ頭の豚野郎に……!」
 こちらの耳にも届くほど、大きな歯ぎしりの音だった。リッジウェイ警部は机を見つめて、強く拳を握りしめている。机に血が垂れたから、総一郎は口をつぐんで黙り込んだ。むき出しになった歯ぐきから血が滲んで、零れている。
「あ、あの、警部? 口から、血が」
「――ああ、本当に、若い者と喋るのはいいなァ。昔話が、いつの間にか復讐心を燃え上がらせてくれる」
 底冷えのするような、邪悪な笑みだった。それは総一郎に、もはや呼びかけが届かないと悟らせた。全身を震わせるのは、武者震いか。ギラついた目で説明を始める。
「昔の話だ。君が生まれて、少ししたくらい。あの、ドイツで起こったラグナロクの生き残り――君には、ファイアー・ピッグと言った方が伝わりやすいか? あの豚は、昔モンスターズフィーストに所属していた。あそこでもトップの右腕のようなことをしていたようでな。強盗まがいのことよくやっていた。そりゃあ指名手配されるってものだ」
「あ、その」
「私と奴は因縁深い関係でなァ。よく対峙して、魔法と弾丸を交わし合ったものだ。その度に私はカバラで、豚は持ち前のしぶとさで生き延びた。敵ながら顔を何度も合わせていれば、親近感の一つも湧くというものだ。まったく愚かしいことに、私は奴が罪を犯しているとき以外は襲うまいなどと考えていたよ」
 あんな化け物どもにそんな考えが伝わるわけもなかろうに。自嘲と憎しみを込めて、リッジウェイ警部は机をたたいた。
「無論! そんな奇妙な信頼感を、奴が持ち合わせている訳がなかった! よほど私が邪魔だったんだろうなァ! 奴の部隊は、私の目の前で、私の娘を手に掛けた……!」
「……」
「娘は、優しい子だった。頭もよく、亜人を嫌ってもいなかった。なのに、ああ、何であの子が死ななければならなかった? それも、あの気狂いの、奴の部隊の一人に弄ばれて! ああ! 復讐してやったとも! 元同僚のジャーナリストを巻き込んで、私の無念を全世界に発信してやった! 亜人はより差別されるようになり、世論は亜人排斥に傾いた! 娘を直接手に掛けたクズも、衆人環視の中で撃ち殺してやった! だが私はこの通り問題なく警察に勤めている! 何故か!? 全て根回ししたからだ! 亜人は殺す。一人残らず殺す。そして豚を文字通り豚箱に突っ込んで、笑ってやる」
 総一郎は気圧される。目の前にいる者は、修羅ですらない。
「『お前のせいで、亜人は一人残らず死んだぞ。喜べ! これがお前の生きた成果だ』ってなァ! キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
 壊れた笑い声をあげる姿は、さながら復讐の鬼だった。総一郎は呼吸も忘れ、ただ凍りつく。思考だけが堂々巡りをした。
 ――これは、どういうことだ? リッジウェイ警部がいなければ、ここまで亜人差別は酷くなかったと? 元同僚のジャーナリストも、きっと父に教えを乞うたカバリストだろう。なら、ARFは。J、アーリ、シェリル、そして……白羽は。
「警部! ちょっと自重してください! 友達の息子さんなんでしょう? ビビらせてどうするんですか」
「んっ、……ああ、すまないなァ。少し“キマって”いたようだ」
 見張っていた警察官の制止で、警部は冷静さを取り戻した。それから総一郎を見て、引き笑いをする。
「ひっひっひ、お恥ずかしいところを見せてしまったものだ。今日のところはもう止めておこう。ユウの息子に嫌われたくはないからな」
「……はは、そうですね」
 警部と警察官の二人に、警察署の入り口まで見送られる。それから「また機会があれば、このしょぼくれたオッサンと話してくれると嬉しいね。ではまた、亜人に気を付けて」と声を掛けられる。
 総一郎は、聞こえなかった振りをして帰路に就いた。差別、復讐、人間、亜人。何処を目指せばいいのだろうと、ずっと考えていた。

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